エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

慧日寺史跡 -街中散歩-

2007-03-31 | 街中散歩
         《磐梯と蕗のとう》

きれいな山の水の流れ、そのせせらぎの端の柳の芽吹き、段々畑の土手の蕗のとうに春を感じながら、一人慧日寺の史跡を巡った。遙かに空との境が分かりにくい雪の磐梯が聳えていた。 
 慧日寺は平安時代のはじめに、南都法相宗の高僧徳一によって開かれた、東北最古の寺院で、磐梯町の本寺地区は国指定の史跡に指定されている。
最近、「徳一菩薩」(高橋富雄著)を読んだ。また、平成17年からここ慧日寺周辺の環境整備が行われていたので、今どんな様子かも見たかった。ここには慧日寺の中心的役割を果たしたと思われる礎石建物跡が見つかっていて、このうち中門、金堂、講堂、食堂と推定される建物跡は、南北同一線上に連なっていたようだ。現在、来年3月までに完成予定の建設中の金堂がずっぽりシートに囲まれ、その裏の講堂、食堂跡はもうすでにきれいに整備されていた。

  《再建中の金堂》                  《徳一廟》                   
 

 慧日寺は最も隆盛をきわめたのは平安時代の中頃で、寺僧三百、僧兵数千にのぼり、支配権は会津はもとより新潟県の一部まで及んだと言われている。しかし、源平合戦への参戦と敗北、伊達政宗の侵攻など度重なる戦火に見舞われほとんどすべてが焼失した。江戸時代には歴代の会津藩主により保護されたが、明治の廃仏毀釈によって廃寺となった。
 慧日寺の裏山にある徳一廟や周辺を散策した。廟には風雨にさらされていた徳一の墓と言われる石塔が安置されている。石塔は5重で高さが2.95メートル、軒先に風鐸をつり下げた痕がある。慧日寺周辺の住民は薬師如来信仰によるらしく石塔を削って服用したこともあったので、軸の部分が細くなってしまい、鉄枠で補強されていた。

     《仁王門》
  金堂わきの仁王門は江戸時代の建立で、門の通路の左右の土間には江戸時代の中期作の仁王像が安置されていた。また不動院龍宝寺不動堂や乗丹坊の墓塔へも寄ってみた。それぞれの史跡には、文化庁、磐梯町教育委員会の立派な説明案内板が建っていた。

 冷たい磐梯山麓の春の風が気持ちよかった。この風の流れに平安の世の中を想像し、今ある自分の心と対話しながら慧日寺資料館へ下った。慧日寺資料館は閉館中だった。資料館の脇には、磐梯山麓の名水「龍ヶ沢湧水」が引水されていて、近在の人たちがさかんに水を汲んでいた。


     《慧日寺資料館》             《「龍ヶ沢湧水」を汲む》




 お寺周辺の史跡を巡り、奈良、平安からの長い歴史の流れの一瞬間にある今を思った。そして、あらためて徳一の大きさを思った。人間の偉大さとは何だろうか。会津の徳一をもっと調べてみたいと思っている。
 平々凡々と、でもかけがえのない今を思い、健康で楽しく、なぜか恥じない生き方をしようと思った。

【徳一上人】(ネットより)
 天応元年(西暦781年)に生まれた徳一は、若くして興福寺修円に法相宗を学び、次いで東大寺の学僧となった。後に東行し、筑波山・中禅寺や恵目寺、円蔵寺、示現寺、勝常寺、などを開いた。
 当時朝廷は、仏教の教えにより国を治めようとしていた。その役をつとめたのは天台(最澄、空海など)であった。最澄の天台は、誰でも悟りが開けて仏になる事ができるという一乗であり、これによって多くの人々を教化していった。
 一方、徳一上人の教えは五性分別であった。どんな人間でもそれぞれ我があり、悟りや人生も千差万別、その我は死によって滅びても、再生する生命に受け継がれるというもの。悟りには色々あり、人々は仏教に対して様々な付き合い方があるという幅広さがあった。
 現実主義の徳一上人は、法相宗の教学によって人生を修業場と見極め、すべてに仏性があり等しく救われるという最澄の天台教学と、真っ向から論争して譲らなかった。
 徳一上人は、会津一円の教化経営を目指した。教化とは徳化であり、経営とは営々として真理を求める意である。その意味で徳一上人は、会津に理想郷の実現を夢見ていたといえる。




早春の庭

2007-03-29 | 自然観察
《小さなつぼみが見え始めたワサビ》

 春は名のみでまだ風が冷たい。時折、流れる雲の間から暖かい陽がこぼれ、青空が見える。午前中は孫たちと庭で遊んだ。孫二人は、スコップでトウカエデの幹の皮を剥がし、絵筆に水を付けて、剥がした幹に水を塗って遊んだ。小さい頃、よく孫たちを抱っこしながらトウカエデの樹皮を剥がさせていたことがあった。それなりの何か親しみがあったのだろう。それは驚くほどの集中力で、小一時間同じことをやっていた。剥がされたトウカエデの幹は床柱に使えそうなくらいすべすべになった。
 庭の木々の間に積もった落ち葉を手で剥がすと、黒い土にほのかな緑が初々しく写った。

        《今年も咲いたミスミソウ、フクジュソウ》


  待ちわびた陽に、ようやく福寿草が黄金の花びらを広げた。ミスミソウモまたきれいに開いた。毎年少しずつ数を増やし可憐に咲くミスミソウの美しさは格別に思える。
 これらの開花の因子はまず光のようだ。でも当然温度も関係しているのだろう。曇ってきた午後もまだ花びらを開いている。
 山野草のたぐいは、鉢物を買うとなるべく地におろしている。それぞれにいつしかその場所で我が世を得たように元気で増えている。


  他に、いろいろな色のクロッカスが大きく花びらを広げている。サンシュはまだ花が弾けていない。スイセンもつぼみが見えてきたところ。また、レンギョウやウメのつぼみが膨らんできた。大分赤紫の色が濃くなったジンチョウゲもじき香りを放つであろう。
 これから、眠りから覚めた庭の草々との対話が楽しみだ。


    《膨らんだつぼみ 豊後梅とジンチョウゲ 》





彼岸の墓参りに

2007-03-28 | 日々の生活
 我が家の先祖の眠るお墓はお城の南門にある豊岡墓地にある。いつも天神橋入り口に車を止めていたが、7,8年前に市の駐車場として整備され、有料になってしまった。いつも鶴ヶ城体育館の駐車場に止めて歩いている。そこから歩いても5分の距離、孫を連れ妻と4人でお供えの花、お水、線香をそれぞれに持って雪の消えたお城の三之丸を歩いた。
 文化センターの庭を通ると、シルバーセンターの方々だろう、サツキの植え込みの雪囲いを片づけていた。ようやく春の訪れを感じた。
途中市営プール脇にされた見慣れない石碑があった。佐川官兵衛顕彰碑だ。平成13年に除幕式があったようだ。建立碑は官兵衛が戦死した地である阿蘇の石が、台座には会津磐梯山の石が使われ、台座に鬼官兵衛の辞世「君のため都の空を打ちいでて阿蘇山麓に身は露となる」が刻まれていた。熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある「鬼官兵衛記念館」(佐川官兵衛記念館)の館長のお手植えの松が植樹されていた。

 

官兵衛は、戊辰戦争後明治7年に警視庁の巡査に応募、明治10年の西南戦争には警視隊隊長として参戦し熊本の黒川村で戦死した。 碑の左に並び建つ「解説」で、中村彰彦氏は「……会津の生んだ屈指の名将は、戊辰の年の八月二十九日に鶴ヶ城を去って以来、実に133年ぶりに帰城を果たしたことになる」と記されてあった。

 お墓はいつもは雪解けの春の彼岸に降り積もった落ち葉をかたづけるが、最近体調も良くないので、今年はやらなかった。我が家のお盆の墓参りは、商い(醤油業)と関連があったのだろうか、毎年8/2の午後4時と決まっている。掃除はその前の日曜だが、広いお墓なので大変だ。みんなずいぶん歳を取ってきた。若い者にバトンタッチしなければと思ている。 

 
墓参りを済ませ、帰りは相撲場の前の公園で、ひととき孫たちとブランコ、すべり台、シーソーで遊んだ この南門から廊下橋へ至る公園の広場は全面に桜が植わっていて、昼は幼稚園児をよく見かける。鶴ヶ城は花見の名所、ソメイヨシノを中心に約千本の桜が咲き乱れ、夜、ライトアップされた桜は幻想的だ。今年の開花予想は4/10頃だそうだ。久しぶりに花見をしてみたいと思っている。

 
 
 お堀の畔の枝垂れ柳の芽が吹き始めていた。また、一段と紅いモミジの枝を見た。いずれもいっそう春の訪れを感じさせた。


孫の成長

2007-03-26 | 日々の生活
 1日1日と成長する孫に触れ、驚くばかりである。
 びっくりするような言葉を使う時、妻と顔を合わせてつい驚きの声を上げてしまう。周囲のすべてが成長の糧になっている。そんな孫の今を記録しておきたい。

 隣に住む娘の孫は、ほとんどジジとババが育てている。上の息子は4歳半、夜は毎日我が家でバーチャンと一緒に寝ている。朝7時半、ママが3歳になる妹を連れてきてみんなで食事。ママは8時過ぎパートに出勤し、帰りは12時半ころ。ママが帰るまで我が家は保育園となる。いつも二人で仲良く元気で遊んでいる。やかましいほどだ。DVDやビデオ、ブロック遊びやお絵描きなど。アンパンマン、コロッケ、ハム太郎が好き。宮崎駿作品も好きで、魔女の宅急便や天空の城ラピュタ、となりのトトロなど、同じものでも繰り返し何度も見ている。ブロック作品の独創性には驚かされる。また、天気が良く暖かい日には、庭で自転車乗りや砂遊びで生き生きと遊んでいる。
 昼食は12時過ぎ、帰ってきたママも一緒に食事する。一段落すると娘は孫を連れて帰るが、まごつけば昼寝をして3時過ぎのお帰りとなることも多い。
 最近は夕飯はあっちで家族一緒に取るようになった。でもほとんど毎日パパの帰りが遅く3人で夕食のようだ。お風呂に入ったあと九時近くになると上の孫が「ばーちゃんと寝ていい?」 と携帯電話をよこす。そこでじいちゃんがお隣まで迎えに行く。まあ、こんなところが相も変わらない1日のパターンだ。
 ともかく孫たちはバーチャン子だ。2人して、誰よりもバーちゃんが大好きで離れない。思えばそれも無理はない。妻はづっと付きっきりで、すべての愛情を注ぎ込み、何よりも孫たちに優しい。なんと幸せな孫たちだろうか。
 夜9時を過ぎると妻は孫を連れ2階に上って行く。上の孫は生まれてこの方ママやパパと寝たことは数えるほどだ。
 孫が分からないと一喝して叱ったりするのはジイの仕事。一人残った居間で反省することもある。
 この幼い孫たちのこれから先の大変だろう人生を思うと愛おしくてならない。
 孫ばかりではないが、いつか別れが来る。自分は祖父母と離れた家庭で育ったから、その思いを想像するしかないが、そのときの孫たちの悲しみを想像すると辛い。
 上の子は4月から幼稚園だ。今からいろいろ心配している。

《お茶の時間です》

好きな音楽を楽しむ

2007-03-25 | 日々の生活

 静かに思い巡らす時以外は、書斎ではほとんどラジオが流れている。机に向かいPCをしたり新聞を読んだりしながら、いつもラジオを聴いている。
 時々はCDでクラッシックか歌謡曲を聴く。
 クラッシックはモーツアルト、バッハ、ベートーベンと、何でも聴く。
モーツアルトは起床と共に、朝刊を読みながら静かに聴き、ベートーベンのシンフォニーはボリュームを高くして目を閉じて聴いている。アルビノーニの「アダージョ ト短調」は思い出の曲でもあり、何度も何度も繰り返し聴きこころ癒されいる。
 歌謡曲では、伊藤久男、黒木憲、小椋佳、谷村新司 が好きだが、よく聴く曲は
 ・伊藤久男 ・・・ 山のけむり、高原の旅愁、百欄の歌 など
・黒木憲  ・・・ 君に逢いたい、花はまぼろし、霧にむせぶ夜 など
・小椋佳 ・・・ しおさいの詩、白い1日、飛べない蝙蝠 など
・谷村新司 ・・・ 三都物語、群青、陽はまた昇る などの曲
 最近はこれらのCDを繰り返し聞いている。これらの曲は、歌詞やメロディが心に響き、何とも言えず、こころ落ち着く私の癒しの音楽だ。
 CDは持っていないが民謡もいい。若い頃、夜明けと共にラジオから流れた新相馬節が今も心に残っている。童謡唱歌のたぐいも好きで、このことはこの前ブログに書いた。(拙ブログ2/28「眠っていたCD」)
 最近の若者が聴く曲はよく分からない。たまに娘の車に乗せてもらい聴くといい歌もあるが、どうも速くてやかましい印象があり聴く気にならない。ジャズやロックなどはいまいちわからない。親しむ機会がなかったからだろう。
 歌う方は、自分ではあまり上手でないが、昔流行ったカラオケではいつも将棋の内藤さんの「おゆき」を歌っていた。雪道を歩く時は「雪の降る町を」を口ずさまないことはない。
 好きな音楽でひとときの心地よさ、こころの豊かさを味わっている。
 

原発制御棒抜け事故 安全性に鈍感

2007-03-24 | 環境問題
 今回の北陸電力や東京電力の原発制御棒抜け事故に強い憤りを覚える。
 これまでも東京電力の福島原発のトラブル隠しは際限がなく、企業体質への不信は原発の危険性への憂いをますます大きくしている。問題を起こすたびに頭を下げるだけでは済まされない。核分裂反応は待ってはくれない。危険性、安全性への鈍感な意識に、あらためて原発への依存に疑問を抱かざるを得ない。
いま世界のエネルギーの90%が化石燃料に依存し、排出する二酸化炭素による地球温暖化が急速に進んでいる。核燃料のエネルギーはいい面もあるが、廃棄物の処理も含め、安全性の確保は絶対である。
地球的な視野で見ると、今後は無限に供給可能な風力、太陽光、バイオマス等の太陽からの入射エネルギーを求める理想を追求すべきと思う。
 それにしても、膨らみすぎたエネルギー大量消費社会は逆戻りできないのだろうか。ライフスタイルを見直し、少しでもできることをするしかないのだろうか。

犯人はアカゲラ

2007-03-23 | 自然観察
 冬の最中に、枝垂れ柳の太い幹にキノコを見つけた。(拙ブログ 2/17 「きのこ発見」)キノコが生えたのだから枯れてしまったのか。枝を切りつめすぎたのかも知れない。そのうち、木の周りの雪の上に木のクズが沢山落ちているのに気づいた。木の上を見上げると木肌が削られ上の方に大きな穴が見えた。きれいな円形に空けられていた。
 今朝その犯人を見つけた。アカゲラだ。さかんに木の幹をつついていた。
 何度か見かけて、庭の前の林でドラム音を聞いたことがあった。黒地に白いだんだら模様、後頭部に真っ赤な紋があったのでオスだ。庭へ出て写真を撮ったが、割と警戒しなかった。
 アカゲラがこの穴を巣にして子育てをして欲しいと思うが、庭先なのでちょっと無理かも知れない。

幸せな時よ止まれ

2007-03-22 | 日々の生活

 午前中は久しぶりに春らしい日になった。
3月に入って寒い日が続いた。彼岸を迎えても日の射さない庭は寒々していたが、今日は孫たちも久しぶりに外で遊んだ。日当たりのいい広場で自転車乗りやスコップで雪を出したり、やはり外はいい。生き生きして遊ぶ。バケツの水に雪を浮かべての水遊びは小一時間も、ほんとうによく遊んだ。
 気づけば、少しばかりの菜園に冬を越したチンゲンサイがきれいに咲いていた。5,6本だがきれいな菜花畑に春一番を感じた。消え始めたザラメ状になった雪を手でよけると、下には緑鮮やかな葉が現れた。ワサビ、ヤブコウジの葉が、また富貴草の花芽も新鮮に輝いて見えた。昨日雪をよけてやったミスミソウモも1輪、色づいた花びらを広げた。
 サンシュはこのところの寒さに変化がないが、豊後梅やボケの花芽はほんのり紅く膨らんできた。
 10時のお茶は濡れ縁で春の穏やかな日の中でいただく。
ジジババと孫たちと語らいのひととき、ラックも一緒だ。こんな幸せな時間がいつまで続くのだろうか。ファインダーを覗きながら、「時よ止まれ」と心の中でつぶやいた。




エッセイ集の編集

2007-03-20 | 日々の生活
       《今朝の庭》

 ○ この1週間、日の射さない庭は冷たい沈黙の中だった。書斎からの庭に、手前にツバキ、キンモクセイが、その奥にハクモクレン、クマシデ、モミジの幹が見える。
 北からの吹雪が木々の幹の右側半分に真っ白な模様を作る。ここからの眺めはいつも趣があり、付いては融け、消えてはできる雪の模様写真に撮っている。 

○ 今日は午後、父に母に御無沙汰を詫びにお墓参りの予定。
  その足で伯父伯母にお線香を手向けに母の実家や従兄弟宅へ向かう。
  彼岸と盆暮れには人の世を意識する。

○ 昨日から1日がかりで1年間のブログの記録を印刷した。
 A4用紙を2つ折りにした綴りは360ページほど、厚さは4cmもあった。これか ら上手に製本しておきたいと思う。何の意味があるかは分からない。でも私には 過ぎ去ったかけがえのない日々の記録には違いない。
○ 昨年末から2冊目のエッセイ集を編集している。4月に上梓する予定だった  が、いつでもいい、が頭にあり、お正月にもらった印刷屋さんからの原稿の校正 も遅々として進まなかった。 雪降りが続いたここ1週間、相棒のラックが、ち ょっと足の具合が悪くて、またご主人も体調優れず散歩も中断していた。重い腰 を上げ、編集を再開した。
 ブログの記録を見ながら、写真やスケッチなどが入ると、文字ばかりの本よりは ずっといい。今度の本は、写真やスケッチをカットに入れることにした。スケッ チはスキャナーで、必要な写真も整理した。
 タイトルもエッセイ、スケッチ集 「麗しの磐梯」としたいと思う。

彼岸の入りに

2007-03-18 | 日々の生活
                《なかなか咲けないサンシュウ》

 ここ数日、体調優れずブログも書けなかった。
 寝付きが悪く、目覚めが早い。身体を動かさないから、そして歳のせいか。
気を取り戻したいと思い、目覚めと同時に布団から抜けだす。5時起き、なんとなく
すがすがしい思いがする。今日は彼岸の入りだ。

 彼岸の入りに、父を母を想う。亡き人との生前のふれ合いが浮かぶ。
普段の御無沙汰を詫び、我が心の内を見る。
季節は春だが、厳しい寒気に庭の大雪がこころに冷たい。
父や母、伯父や伯母との久しぶりの語らいだ。
人生を見つめる、そして「今を生きること」の大切さをあらためて思う。
 まだ春は遠い。

花の絵を描く

2007-03-13 | スケッチ
                 《咲き始めたキンギアナム》

 会津地方は大雪となった。積雪は70~80cm、この冬一番ではないか。
今朝は時折青空から春の陽が新雪に眩しい、予報は1日雪。
 昨日は1日中降り続き、庭の吹きだまりはもう1㍍くらいある。市の除雪車の総出動はこの冬4回目だそうだ。

 昨日は吹雪だったので終日家の中、久しぶりに花の絵を描いた。咲き始めたキンギアナムを描いてみた。ときどき花の絵は描いていたが、じっくり観察して描くことはなかった。普段はほとんどサインペンだったが、日曜日の植物園での講習会を覗いたら、シャープペンで消しゴムも使って水彩で染めていた。真似てみたが、雑な性格なので、やはり下書きも色も適当に妥協してしまった。

 夕方雪は小降りになったので、家の回りの雪かきをした。なるほど、雪があると普段足りない運動にもなるのにと思った。

チューリップ展

2007-03-12 | 日々の生活
          《春先の大雪》
昨日の雪は夜から吹雪となり、一夜明け約60cmの積雪、この冬1番の降りだ。
雪割草は直に咲き出しそうだったし、つぼみが見え始めたクロッカスもまた厚い雪に覆われてしまいかわいそうだ。朝も、散歩も躊躇するほど吹雪いている。

昨日、強い寒気が流れ込みチラチラ降り始めた雪の高速道を新潟県立植物園へ向かった。チューリップ展に一足早い春を感じたかった。
 新津にある植物園へは、隣の新津フラワーランドで季節の草花を買い求めによく行く。植物園は、池の周囲が無料で散策できるので季節の草花を撮るにはいい。美術館も隣接している。
 植物園の熱帯植物ドームは、高さ30m直径42mで国内最大級という。洞窟や、滝などが配置され、約550種の熱帯植物を見ることができるさながら熱帯の密林だ。バナナ、パパイヤ、コーヒー、マンゴーなどの実物を見ることができた。

「早春を彩るにいがたの花 ~チューリップ展~」には、なんと200品種ものチューリップが展示されていた。新潟県は生産量が日本一、新品種が続々開発されている。
 また、ちょうど「外山康雄野の花の水彩画展」が開催され、繊細なきれいな「折々の花たち」の絵を鑑賞できた。花と緑の情報センターの二階で「野の花の水彩画教室」が行われ、少し覗かせて頂いた。参加者は雪割草やヤブコウジなど、思い思いの花を外山康雄氏の指導で描いていた。眺めながら、今度真似をしてじっくり書いてみたいと思った。





帰りには、いつものように咲花温泉に浸かった。旅館の風呂を楽しんでいるが、今日はぬるめの、無臭の温泉だった。露天風呂で、アラレに打たれながら癒しのひとときを過ごした。明かりがつく頃若松へ降り立つと本格的な雪降りとなった。



陶芸を鑑賞する

2007-03-09 | 文芸
               《 自作絵皿  磐梯大皿 》
 昨日のブログで宗像窯について書いた。久しぶりに本棚から焼き物関連の本を引っ張り出し、かつて興味を持った陶芸について思いを巡らせた。
もっぱら食文化との関連で陶磁器を眺めてきた。何枚かある自作の磐梯の絵皿は、刺身を盛る時には必ず使っている。いつも、ご馳走をよけながら、絵皿の風景を眺めながらの食卓は豊かに感じられる。

 以下に、かつての関わるエッセイをまとめた。

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河井寛次郎の豊かな作品  
益子を訪れた折りに、浜田庄司やバーナードリーチ、柳宗悦、河井寛次郎等の名を知った。
 数年前から陶芸に興味を持ち、いつか京都東山五条の河井寛次郎記念館を訪ねたいと思っていたが、今回県立美術館で彼の作品を見る機会に恵まれた。河井は、無名の職人たちが作ってきた雑器の持つ質実で素朴な美に大きく目を開かれた民芸運動の実践者であった。
 よく焼き物の価値は、形が美しいこと、釉薬が美しいことそして使いやすいことと言われる。柳宗悦は「美は用の現れ。用と美と結ばれるものが工芸」と述べ、雑器に虚心が生み出す美しさを見いだした。日用雑器は、今ほとんどが機械製だが、本来は手仕事で作られ伝えられた良さなのだと思う。彼の作品を見ながら、展覧会の副題「祈りと悦びの仕事」の意味や彼の心豊かな生活をかみしめた。そして、自分の趣味で自作した食器を使い、祖先が営々と作った地方の料理を食べることの贅沢さをあらためて考えた。(1994.7)
  
       
本郷せと市に伝統工芸を思う
八月一日、会津本郷「せと市」へ行った。午前四時過ぎから、さわやかな雨上がりのメインストリートはもうかなりの人出だ。十七ある本郷焼き窯元の店を含む陶器市は、にぎやかな中にも歴史と伝統に裏ずけられた趣きがあった。人混みを避け、町の細い路地に散在する窯元を巡りながら、焼き物の楽しさを味わうことができた。特色ある各窯元の焼き物に技術を越えた感性を探しながら、日々の生活と関わる伝統的工芸技術の意義を思った。
 今、人間や自然との調和を忘れかけた科学技術がよく言われる。大量消費社会の大量生産を支える先端技術は、これらの失われ易い伝統工芸的技術との共存が必要と考える。それが豊かな生活につながる文化だからだ。
 ある八十を越えた老陶芸家は「伝統とは生命の継承である。古いものの繰り返しではない。伝統は日々新しい闘いを続け、日々成長するものである」と言った。本郷焼きの新しい伝統を創造して行って欲しいと思う。 (1994.8)       

河井寛次郎記念館を訪ねる。
 先日、念願が叶って京都五条に河合寛次郎記念館を訪ねることができた。民芸運動の指導者で生活の中の美を追求した寛次郎の全てを知りたいと思った。
 記念館は彼が実際に生活した住宅であり、彼の陶芸や木彫、建築や書にも通ずる独特な芸術家の温もりが伝わる一種独特な空間であった。彼の作品に直に手を触れ、彼も上った階段を素足で上った。その軋みが静かな空間に響き妙にこころが落ち着いた。 
 生涯のモチーフであった美、仕事、暮らしの三極構造に周囲の作品を位置づけてみた。小さな中庭には、彼が自由に動かしたと言う丸い石が秋の雨に趣き深く置かれていた。そして住宅の一番奥のかつてにぎわったであろう静寂の登り窯で、しばらく思いを巡らした。
 彼のことば「此世は自分を探しに来たところ、此世は自分を見に来たところ」に納得し、何か目の前がはっきり見えたように感じ、しっかり自分を見つる生涯をと肝に銘じた。(2000.10)
       

風格を感じた魯山人の陶芸
 郡山市美術館で「桃山陶器と魯山人展」を観た。陶磁器に興味があり、京都の河井寛次郎記念館や益子の浜田庄司参考館を訪ねたりしていたが、魯山人についてはほとんど知らなかった。
 焼きものを茶の湯や、料理の道具として取り上げて、芸術的観点は付帯的な今回の企画に賛意を覚えた。それは、ガラス越しの陳列棚でない食卓をあしらった魯山人の器の展示にも表れていた。料理を盛り付ける実用の生活の中で初めて豊かな焼きものとなるのだ。
 魯山人の作品の多くが自由奔放な、独特な感性の作品そのものであった。全国各地の窯で焼いた独創的な作品から、彼が新しい陶芸の世界を造った総合的芸術家であることを知った。展示されていた筒型の深い向付や書の技法を生かした器が、特に興味深かった。
隣の部屋では魯山人陶芸の源でもある織部を久しぶりに鑑賞できた。あらためて古さの中に重厚な伝統・風格を感じさせられた。 (2002.11)

見事な職人芸 手作りの再認識
 先頃会津若松市で開催された「伝統工芸ふれあい広場・福島」を見学した。
 「伝統の技-作る手から使う手へ-」をテーマに、全国の伝統工芸品の数々が展示された。特に、京鹿の子絞りや伊勢形紙など、各地の伝統工芸士の方々の実演はテーマの具体化と思われ、興味が湧いた。
 これらの作品には・芸術作品ではなく日常使用されるもの・製造工程が手工業であること・およそ一〇〇年以上の技術技法であること・地域の産業として成立していることなどのいくつかの要件が求められているとのことだ。地方の特色を維持し発展した、重い歴史の詰まった各領域の作品にふれ、改めてその豊かさを思った。そして、昭和の初めに産業の機械の進む中、もづくりの素朴な美を評価した民芸運動にあらため思いを巡らした。
 生活様式の変化した現代に、とかく忘れられがちな手作りの日常品の温かさを改めて考えさせられた展示見学であった。 (2004.11)

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会津本郷焼 宗像窯

2007-03-08 | 文芸
         《愛用の焼き物》

 福島民友新聞で、会津本郷焼・宗像窯の当主宗像亮一氏の「私の半生」の連載が始まった。毎日いろいろな思いで楽しみに読んでいる。
 宗像先生には何度か御一緒させて頂く機会があったが、いつも謙虚なお姿に敬服していた。
 連載の8回(3/7付け)には、あの民芸運動の柳宗悦氏が、宗像窯を訪れた時の様子が書かれてあった。やはり全国を行脚した一行が立ち寄たこと、そして浜田庄司に励まされた縁も知ることができた。

宗像窯のHPを拝見した。そこには最近8代目を継いだ息子さんの宗像利治氏の焼き物論が書かれていた。彼は、食文化との関わりの中で、「器を手に持つのが和食器の特徴で、触感を重視しすることが大切」と言っておられた。また、「現代の生活にふさわしい作品を作る」と挨拶されていた。全くその通りと思った。

 とかく工芸作品として芸術領域での鑑賞が浮かぶが、実は焼き物こそ民芸運動の言うとおり、使用しての価値が言われるべきものと思っている。雑器という表現があるが、用の美というものが焼き物本来の価値であると思う。

 我が家では、浜田庄司風の益子焼きの湯飲みや織部焼のぐい呑みと共に、本郷焼では宗像焼の角皿、酔月焼の醤油射しを毎日使っている。また、春には年一回、宗像窯のニシン鉢も使う。落ち着いた、重みのある宗像窯の作品が好きだ。
 
 今ではたった一基になってしまった宗像の登り窯を、本郷はもとより、日本文化の柱にするような新しい伝統を築いていって欲しいと思っている。

ジャコウアゲハの羽化

2007-03-07 | 昆虫
 今朝、玄関の風防室のカーテンに羽化したばかりの黒い女神を見つけた。 ジャコウアゲハだ。
去年の秋、土手の草刈りで踏みつけられそうになったジャコウアゲハの蛹を拾った。乾燥しないように、植木鉢の植え込みに静かに置いておいた。
 しばらく薄日の射し込む縁側の花に止まらせた。春型はこんなに小さかったか、鮮やかな赤い色がとても美しい。
風防室はオイルヒーターで温かいせいもあったか、野外よりも1ヶ月以上も早い羽化なので、かわいそうだと思った。外に置いておけばよかったのかと後悔した。
新しい命をしばらく愛おしくみつめた。
 春を思わせる天気だが、風が冷たく雪が舞ってきた。天気予報によると2,3日は冬へ逆戻りだそうだ。暖かい日に庭に放そうと思っている。
(3/6今日は啓蟄)

   啓蟄にあわせて生まれし黒女神