朝からしんしんと雪が降っている。
今年もいよいよ終わる。
過ぎし1年を静かにたどる。
概ね元気に日々里山を巡った。
新しい年も自然を見つめながら、元気に過ごしたい。
正月にはみんなで集まる。お年玉の準備をした。
朝からしんしんと雪が降っている。
今年もいよいよ終わる。
過ぎし1年を静かにたどる。
概ね元気に日々里山を巡った。
新しい年も自然を見つめながら、元気に過ごしたい。
正月にはみんなで集まる。お年玉の準備をした。
いよいよ押し詰まったので、柳津の従兄弟、Hiちゃん宅へお歳暮の挨拶に伺った。
忘年会やら葬式や法事があって、日が取れず遅くになってしまった。
冬休みの孫たちも連れて、帰りに温泉と思ったが、スイミングと、続いてドッジボールの練習、ばーちゃんはそれまで留守番となった。
いつものように、湯川のS園芸店でシクラメン、サイネリヤ、ミニバラを買った。 我が家の分も。
途中、心清水八幡様にお参りした。
心清水八幡神社
途中、道に並行して走る線路を除雪のジーゼル車が見えたので追いかけた。柳津の駅近くで追いついて車の中から写真を撮った。
何年ぶりだろうか駅へ寄ったらへ寄ったら駅前に蒸気機関車が置いてあった。
蒸気機関車 C11244、案内板には 昭和18年日本車輌(名古屋市)製造とある。
運転期間は、昭和18年6月6日より唱和8年11月30日、走行距離1,253,5481km、
配置区間は 大館機関区、秋田機関区、青森機関区、会津若松運転区と。
ずいぶん働いて、今雪の中に静かに眠っている。ご苦労様でした。
柳津は若松よりかなりの積雪、車道からHiちゃん宅まできれいに機械で除雪されていた。
帰りに、只見川から虚空蔵尊を眺め、月見が丘の温泉に浸かった。
暮れの時期の温泉は、過ぎし今年1年を振り返る充実したひとときとなった。
只見川虚空蔵尊
いつまでも平和でありたい。
大好きな文才・北杜夫の作品のほとんどが、いつしか我が蔵書となった。
先日図書館で、読まないでいた彼の著作「神々の消えた土地」を見つけた。
ぺージをめくると、信州、松高、美ヶ原、乗念・・・、「白きたおやかな峰」や「少年」「幽霊」などを連想し、借りてきた。
一気に読了した。
その「あとがき」に、北が大学2年23歳のとき、創作ノートに半分書いておいたものを64歳の時に完成させた、幻の処女作品とわかった。
また、「戦争を知らぬ若い人に読んで頂きたいと密かに念じている。戦争の悲惨さは、いくら戦争の記録を読んでもテレビを見ても、
実際に体験しないとなかなか分からないものだからである。」ともあった。
随所に「戦争は錯乱と狂気を産むものだ。」とあり、あらためて戦争の悲惨さを考えさせられた。
二度と戦争は起こしてはならない。
学生の頃の軍需工場での労働、そして敵機の空襲にさらされた具体的な戦争体験が綴られ、
そんな苦しい中にも彼らが純粋に生きたセピア色の青春を想像しながら、我が青春時代に重ねた。
松高生が歌う懐かしい思誠寮寮歌をたどりながら声を出して歌った。
春寂寥の洛陽に 昔を偲ぶ唐人の
傷める心今日は我 小さき胸に懐きつつ
木の花蔭にさすらえば あわれ悲し逝く春の
一片毎に散る涙
神々が確かに生き、息づき、そこに住んでいたはずの信州の大自然の中から、神々が消えた。
愛をはぐくんだ二人の幸せな山登りから一転、甲府大空爆で彼女は死んだ。
二人の育んだ清純な牧歌的な愛は失われた。涙が込み上げた。
今世界中の多くで、神々の消えつつある土地がある現実を思った。
・・・〈本の解説に〉・・・
あの頃、戦争は日と共に、錯乱と惰性と狂気とを産んでいた。太平洋戦争末期、死と隣り合わせの日々のなかで、少年は早熟で愛らしい少女と出会う。ギリシャ神話に惹かれる少女から『ダフニスとクロエー』を贈られた少年は、その神話的世界をなぞるように、清純で牧歌的な愛をはぐくむ。二人は信州の大自然のなかで結ばれたが…。幻の処女作を四十年ぶりに完成した瑞々しい長編。
かつての同僚の告別式に参列した。
大雪、吹雪の中を、除雪車の後ろになりのろのろ運転で、式の始まる間際に到着した。
個性豊かな熱血教師の彼とは、性格は違ったが気が合い大好きだった。
残念ながら、退職してから会うことはなかった。
教え子の弔辞やお孫さんのお別れの言葉、そして息子さんの父への思いに涙が流れた。
彼は一つ若い早すぎる逝去だった。
「残りの日々を健康に気をつけ、大切に過ごせ!」と言う彼の声が聞こえてきた。
北西の風で大きく張り出した2階の屋根の雪を雪ハネで落とした。
今年は早い雪降りだ。アメダスのデータ、夕方の若松の積雪60cm、これからが冬本番というのに心配だ。
二階の東窓から
大雪 朝焼け 元気で登校 気をつけて!
終日雪降り、すっかり雪国になった。
朝早く妻が雪道を一本開けてくれた。一足遅れて道を拡げた。
吹雪の昼も、小降りになった夕方も庭の雪を掻いた。
裏庭は膝まで積もり、当分は行けなくなった。
例年より早い本格的な積雪、夕方4時のアメダスの若松は-3℃、37cmの積雪だ。
安曇野のブログ「野の学舎」に刺激され、シューベルト「冬の旅」を聴いた。
静かに降る雪をながめながら、思い巡らせるひとときは豊かだった。
意味も分からずに耳をかたむけているが、いつも透き通るような歌声はこころが安らぐ。
昨日「つくも会」の年忘れ会があった。
上は90才、ほとんどが後期高齢者で小生が最年少の会員数約50人の年寄りの集まりだ。
今年の反省で、役員からは集まりが悪くどうしたものか・・・と。
今後の行事についていろいろ意見が出た。
どんなことを・・・講演会、勉強会、趣味の会・・・、野外の活動。
料理やヨガ体操などの同好の活動ももっと会員に拡げたら・・・。
町内にはそれぞれ有能な方もいる、
大勢集まらなくても・・。毎月日にちを決めて集まるようにしたら・・・。
町内会とも大いに関連がある。 町内会役員をして初めて意識したことだが、多くはあまり関心がなく役員任せが多い。
いろいろ改善しなければならないこともあろうが、少しづつ住みやすい町づくりを考えていきたいものだ。
町内の1世帯あたりの平均を調べてみたが、平均が2.9人だが、最近開発された組では
4人、5人と多いが、問題は、年寄り1人の世帯が15%、年寄り夫婦2人世帯が30%と高い。
向こう三軒両隣の時代から、今はあまりプライバシーに関わらずと言った風潮に変わってきたが、当然ながらご近所の一人暮らしは心配しなければならない。
”秋深き隣は何をするひとぞ”ではないが、ときどきの気配りも必要だろう。
今回は20人が集い楽しい小宴となった。こうしたひとときは是非大切にしたいものだ。
明日からは雪降りのようだ。予報では1週間ほど雪マークで、どうも根雪になりそうだ。
昨日、猪苗代へ水鳥に会いに行った。
うすうす感じていたが、時間帯により別の浜へ移動したり、コハクチョウは別の田んぼへ向かう仲間もいる。でも、どの浜も少し少ないような気がしている。
昼前、崎川浜ではいつもこの時期沢山いるオナガガモも全く見られないかった。
わずかなコハクチョウが、麗しの磐梯をバックに青い湖を漂っていた。
湊から、小石ヶ浜の手前の へ廻ったが、この浜には数年前から寄らなくなった。
遠く、小石ヶ浜方面にコハクチョウの群れを見つけたので、廻ってみたが、中間の浜のようだった。
折角なので長浜へ寄ると、やはり少なかった。オナガガモに混じってキンクロハジロが見られた。
慣れたカモたち、観光客がパンのクズを与えると、一斉に近づいて来た。
数日前に、翁島の田んぼでコハクチョウの群れを撮った。
そのときは気づかずにいたが、PCで写真を整理していて、水かきのないコハクチョウに気づいた。どう見ても不自然だ。
折りたたまれているのだろうか。
コハクチョウの水かきは、勿論歩く時もそうだが、特に湖への着水時や、水上をけって飛び立つときにはなくてはならないものだろう。
着水時にも翼と両足を伸ばし水かきを使って減速し、水面を滑るようにしている光景をよく見ていた。
どうしたのだろうか。何らかの理由で切断したような足を見つめ、不自由でも、がんばって元気に生活して欲しいと願った。
今朝、数センチの積雪、雪道は億劫だが萌ちゃんをドッジボールの練習会場へ送った。武くんは風邪でダウンだ。
終日PCに向かい、もろもろの書類を整理した。
○町内会は2月の総会へ向けた原稿や、役員会議資料が十数ページあった。
○遅くなったが、県の自然保護課へ保護サポーターの活動報告をした。
とりあえず、「レッドデータブックふくしま」に掲載の昆虫類11種について
確認した場所や日時、確認物等の一覧と、拙ブログで訴えている文章を同封した。
○洗面所の天井が色あせたのでの色塗りに取り掛かった。
寒くて活動が鈍るが、やらなければならないことが多い。
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一つの思いをまとめた。
「もう遅いが、訴えたい自然保護」
去年の今頃、我が家の裏の野原で宅地開発が始まった。隣接する神社裏の林の木々が切られ、境界を越えて枝を茂らせていた我が家の桜の木も倒された。庭にときどき来ていたキジも姿が見られなくなった。かつて30年ほど前には、庭の梅の木にオオミスジが舞い、オオムラサキやコムラサキなどのチョウも見られた。また、数年前まで見られたホタルや、土手の水路のサワガニやドジョウも、束の間の宅地造成で田んぼと共に失われてしまった。さらに、足繁く通っている里山も徐々に自然が失われ、貴重なチョウやトンボが姿を消しつつある。
長い間進化を遂げてきた身近な生物種が驚くようなスピードで絶滅し続けている。地球は借り物なのに、人間だけが技術を開発し、資源を消費し、廃棄物を出し続け、生態系を壊し続けてきた。もう、お金、お金の経済優先社会を反省し、便利さや物質的豊かさを求め続けることは止めたい。自然保護の課題は最優先に考えなければならないと思う。
日曜日の観察会で忘れてきた傘を取りに行った。
ついでにお城の雪吊りと、お堀の水鳥を撮ってきた。
差すがに寒くなり、観光客もまばらだった。
いつもの南の壕にはダイサギが1羽、カワウが5~6羽止まっていた。
久しぶりに西出丸から本丸へ、シジュウカラやヤマガラが囀っていた。シジュウカラは胸の線が太いので雄のようだ。
遠かったが、カワセミも見ることが出来た。
カワセミ くちばしから雌か
雨で中断していたのか、最後の何本かの松に雪吊り作業をしていた。
雪吊りはやはり風情がある。雪が降るとまた一段と趣き深く感じる。
今度行くのは雪の中、2月の絵ろうそくまつりになるだろう。
昨日が初雪、市内は積もるほどではなかった。
風は寒いが雲の合間からいい陽が射した。ツルフジバカマの様子を見に行ったが、八田野は20cmほどの雪が積もっていた。
ヒメシロの里もすっかり雪に覆われていた。
土手の雪をかき分けてツルフジバカマを見てみた。ペチャンコになり、いくらか茶っぽい葉も見えたが青々していた。
雪の中で青いまま春を迎えそうな気がした。
雪の中で蛹はどう過ごすのだろうか。つぶされずに無事に春を迎えて欲しい。
足を延ばし、猪苗代に水鳥を見に行った。猪苗代はほとんど積雪はなかった。
長浜ではオナガガモ、キンクロハジロが漂っていたが、例年より数が少ないような気がするが、これから本格的に渡ってくるのだろう。
炭を熾し、机の脇に火鉢を置いた。
家人に嫌がられるが、雪の季節我が書斎には是非欲しいものだ。
妻も娘も、孫たちも、火鉢に手をかざす贅沢を知らない。困ったものだ。
換気には十分気をつけよう!
小学生を集めての自然環境教室「森で遊ぼう」で、先日、いつもご一緒する先輩のボランティア仲間から「私、後期高齢者になったの!」と言われた。
ついに75歳になってしまったと。
でも、正直驚いた。しょっちゅう山登りをしている山女?の彼女を見ていると、心も身体もずっと若いと思っていたからだ。
冬を前に、夏に「森で遊ぼう」の活動で子どもたちが、除伐した木や枝で作った森の基地を解体しながら、
彼女は、「後期高齢」は字が違って「光輝光麗」だと話してくれた。
彼女の行動はまさに輝き、麗しいかぎりで、彼女自作のこの素晴らしい表現には流行語大賞を・・・、と賛辞を贈った。
これからも、「光輝光麗」の彼女からいろいろ教えてもらいたいと思いながら、
ふと、自分は老いてもこの先”恒に輝き、恒に麗しく”ありたいなどと考えた。
この前、長浜でオナガガモの首に斑点があり、脇腹も雌のような個体を見つけた。
いつも見ているオナガガモとは様子が違う。幼鳥の名残かと思っていた。
先日の鶴ヶ城観察会でオナガガモを前に講師のHuru先生に尋ねたところ「エスリプスかも知れない」と教えられた。
「エスリプス」?初めて聞いた言葉だった。
エスリプスか?
いつも見ている雄のオナガガモ
あらためてネットで調べてみた。 やはり、生殖羽への変化の終りの段階にあるエスリプスかも知れない。
(参:サイト1)【カモ類の識別】 http://www4.kcn.ne.jp/~ima-naka/umami_kamoitiran.htm
〈雄の地味な色合いの非生殖羽の状態をエクリプスと呼んでいる。日本に渡来したばかりの頃には既に生殖羽への換羽が始まっている種もあるが、
まだこの地味な色合いの個体が多く観察できる。〉とあった。
(参:サイト2)【エクリプスってなんだろう?】
http://bwcfura.northern-pika.com/modules/wordpress/index.php?p=18
今日から12月、渡ってきた冬鳥も数を増しただろう。また観察に出かけたい。