火曜日は、萌ちゃnの帰りが一時間早い。いつも帰りの時刻を告げて登校する。
ジーちゃん、今日は2時35分だよ。時々遅れるが、八幡さままで迎えに出る。
今年は、いつも雪降りの印象が強かった。今日は久しぶりの晴れ、しかも何となくは春の気配がした。
重いランドセルにナップサック、じいちゃんに会うと、すぐに帽子と手袋を預ける。武くんは、一時間遅れの帰り、ほとんど迎えない。
帰り道、3メートル近い氷柱に驚いた。悠人はばーちゃんにおんぶをねだってゴミ捨てステーションーまで萌ちゃんを迎える。萌えちゃん、武くんが大好きだ。が大好きだ。
庭の雪もとうとう背丈を遙かに超えた。今年の冬は、雪の大雪は、降雪量より気温が低いために積雪量が多いのではないかと思っている。
悠くんは、知らないうちにママがいなくなる。探すがすぐに忘れてじい、ばあと遊ぶ。
午前中は思うほど温かくならず、チラホラ雪も降っていた。
庭の梅の木のリンゴには、今日も時々ヒヨドリがきていた。電柱のてっぺんにトビが止まっていた。
何となく春近近しを覚えた。
トビ
萌ちゃんはこのところ帰宅すると毎日、逆立ちの練習だ。昨日は授業中にブリッジの模範演技をやらされたという。
体育は万能で、なんでもこなす。誰に似たのだろうか。
昼過ぎから冬晴れとなったが、相変わらず気温は低い。縁側部分の屋根の雪が落ち続き、裏庭にはいけなくなっている。
ミーちゃんの家の二階から、夕焼けに染まり始めた磐梯山を撮った。
もう一つ、何となく春を感じることがあった。
勤め帰りのあっこちゃんが、珍しくあのいちごクリーム大福を買ってきてくれた。七日町熊野屋の今人気の大福だ。
糖尿を忘れて、半分だけご馳走になる。ここのクリームどら焼きもおいしい。
川桁の有名なクリームどら焼きを思い出した。しばらく食べていない。温かくなったらまた買いに行こう。
春の気配を感じた一日だった。
今朝も新たに2~30センチ、積雪は80cmほどか。この冬は寒い。積雪も融けないから余計に大雪と感じる。
第4土曜日は月一度の検診日、歩いていこうと意欲的だったが吹雪なので娘に送ってもらった。
1月は26日、大雪で交通機関がマヒ、東京からのO医師が来られず休診だった。郡山~の磐越西線が運休、高速道もストップだった。
採尿、採血を終え、内科外来で待つ。いつも混んでいて、予約時間はゆうに1時間以上越える。健康管理上、我慢するしかない。
あれから10年になる。しばらくは月1度、高速バスで上京し,新宿から伊勢原T大学病院へ、1泊2日の検診旅行だった。
消化器科での診察,マーカー検査に一喜一憂した。そのうち、マーカーチェックは月に1度が3ヶ月おきになり、半年おきになった。
3,4年前からは地元で診察を受けられるようになり,今は1年1度で良くなった。
もうがん細胞の転移はないと、自分なりにはそう思っている。
今は余病となってしまった糖尿に要注意だ。H値はA1c、血糖は相変わらずだが、肝機能が加わった。
待合室では,持参の本に目を通し,時折天井を見つめて静かに健康について思いを巡らせた。
今日持参した本は「環境保全 自然保護ハンドブック」(地人書館)、もう一冊は「自然活動学のすすめ」(岳書房)だった。
見返し部分に《1980.6.27 内地留学の折に》と見つけた。
思いだした。 母校の信州大学へ内地留学した折に、そのころ没頭して、考察していた「環境教育」の貴重な参考書籍だった。
「自然保護ハンドブック」は留学先の恩師桜井善雄先生の監修で、一昨年、先生には、留学の時以来30年ぶりにお会いできた。
最近、子供たちに自然環境を教える機会が欲しいと思っている。
待合室の片隅で、「もう一度、忘れかけていた自然環境教育を」と思った。
何年ぶりかの新鶴温泉
このところ,続けて温泉へ行っている。
悠人くんを預かっているから、じいとばあが自由になるのは、ママが休みの日か,みーちゃんが午前中勤務の水曜か土曜だ。
きのうの水曜は北会津のホタルの里のトルマリン風呂を目指したが、玄関で3月まで工事中で入れないと知った。
新鶴温泉まで足を延ばした。何年ぶりだろうか。平日の昼過ぎだが館内休憩所は満杯状態、それぞれにくつろいでいた。
でも湯船は比較的空いていてゆっくり浸かることが出来た。風呂上がりに温泉は良いといつも思う。本当に温まる。
帰路、雪の中を真宮から会津大橋を渡った。そう言えば、サンピアでも良かったと思った。大江戸温泉グループに買収されてからはご無沙汰だった。
妻が膝の痛みを訴えたのは昨年10月中頃だった。一時湿布をして良くなったが、じきに腫れて痛みが出て医者にかかった。
診断は歳から来るものらしく、湿布薬をもらってきた。膝の筋肉を鍛えるのが良いと言われたが、なかなかそうはいかない。
ときどき腫れもひいたりしたが、今、正座はできなくなった。
思えば義母も晩年膝痛では苦労し、今実家の姉さんもかなり痛いようで、家系かもしれない。
妻には、孫の世話から家事一切をお世話になっている。朝早くから夜まで働き過ぎだ。
雪が降ると痛い足を引きずっても雪かきに出る。愚図る悠人のおんぶも足には良くないだろう。
本当に頭が下がる。おかみさんでなく神様だ。
じいはここ数日から首が回らなくなった。多分、町内関連のPCでの文書作成が影響していると思う。
あれからもう10年、医療と薬で生かされ、ほぼ元気に過ごしている。未だ若いつもりだが、やはり老化現象か片方の耳が少し遠くなり、視力も心配だ。
そう言えば首の痛さ、40歳のころそんなことがあり、整形にお世話になりコルセットをした記憶が甦った。
夫婦そろっての災難、素人考えかもしれないが、温泉が良いと思い、このところ数日温泉めぐりが続いている。この土曜日も行く計画だ。
以前もよく日帰り入浴には出かけていた。大病後、ほとんどは本郷の湯陶里、坂下の糸桜里の湯だった。
ときどきは高速に乗り、柳津の月見が丘温泉へ行った。柳津へはいつも空いていて貸し切り状態のことが多く、今も続いている。
温泉療法で膝や首の痛みが癒え、ついでに血のめぐりも良くなればと思っている。
【真冬日が続く 2/21朝 郵便局用足しに 局前の通り】
むかし「時間どろぼう」という言葉があった。ヒャエル・エンデ作の「モモ」だ。
きのう夕方、なんとなしにテレビを見ていると、再放送番組だろうか「たけしのニッポンのミカタ」をやっていた。
テロップに《時間どろぼう》の表現を見つけたのだ。
番組のテーマは「時間の達人になれ」、いい番組で、「時間」の認識を新たにさせられた。
今も本棚の隅にモモが見える。岩波書店の「モモ」の表題には
「時間どろぼうと、むすまれた時間を人間に取り返してくれた女の子の不思議な物語」とある。
少年文学全集で、漢字にふりがなが振ってある。
一時、時間に追われ人間本来の生き方を忘れている現代の人々に、時間の本質を問う傑作はベストセラーになった。
エンデ本人が言っている。「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的だったと。
経済優先の新政権政策は、結局はお金、お金の思想だと思う。それは別として、「時間」が豊かさの一要因に違いない。
けっして忙しくはないが、無駄な時間を過ごしていることは事実だ。
ときどきは,残された日々を少しでも豊かなものにしたいなどと反省はする。
PCのショートカットに新しくファイル「目標、豊かな時間」を準備した。
小学生のような純粋な気持ちで、ときどきの反省や悔いを入れることにしよう。
午前9時の気温-9℃、今朝も寒かった。
でも空は快晴、春の日差しは温かく屋根から雪の庇が長く伸びていた。
我が家の孫たちは、スカウトに出かけた。今日は何の活動があるのだろうか。
家を出る前で,お隣のゴローにあった。孫たちは犬が大好き、ラックを亡くして3年になるが、最近またを飼いたがっている。
雲一つない快晴、屋根の雪越し、真っ青な空にハクモクレンの花芽が伸びていた。
ウメの木にウソが来てしばらく花芽を啄んでいた。まだ、白一色の世界、裏庭は腰までの雪が積もっている。そろそろ土の色が欲しい。
ばあちゃんとミーちゃんは孫たちがいない間の楽しみなショッピングへ・・・、また、じいはひとときの静かな時間を過ごした。
普段あまり使っていないポータブルの石油ストーブを引っ張り出した。
この冬も大好きな火鉢の炭火で何日か過ごしたが、どうも炭の臭いが皆に嫌われあきらめていた。
サツマイモ、銀杏を載せた。コーヒーサイホンのガラス容器にドクダミ茶を入れて火にかけた。
手をかざすひとときはエアコンやファンヒーターにない豊かな温かさがある。
しんしんと湿った雪が降り続いた。
所々かたまっていた団子雪も、きのうの冬には珍しい穏やかな天気にすっかり落ちた。
なのに、また木々の枝が、ツバキが見る見る間に白くなってきた。
こんもりした大杉をスクリーンにして,雪の降りがよく分かる。
雪は重く、風もない空間をずいぶん速く落ちていた。
飽かずに眺めていると、過ぎしある日の「化学工学」の授業 「ストークスの法則」が思い出された。
ここまで書いて,昔のブログを見てみた。
この時期の雪の降り方を眺め、 5,6年前も同じことを考えていたことに驚いた。
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「静かな日曜日」 2007-02-18 | 日々の生活
日曜の朝はどことなく静かだ。しんしんと春の雪が落ちている。少し水っぽい雪は降るでなく落ちると言う感じだ。
「ストークスの法則」か、密度が大きい分、落ちる速度も大きいのだろう。紺色の車がつかの間に白くなった。
犬は雪の日は明らかにテンションが高い。早く行こうとせき立てていた。かなりの降りの中を散歩に出た。
そのときそのときに目に映るものがこころを動かし、その気持ちが行動につながる。
杉の林を背景にしとしきり激しく降る雪がとてもきれいで、写真に撮った。時はこうして過ぎゆくのだと思った。
【今朝の散歩に】
降りて溶け溶けては積もる春の雪
輝やける雪の原に足跡続けり
後ろ手に手をくみ歩む雪の道賢治のごとく思い悩みて
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今ラックはいない。在りし日の愛犬を思い出してしまった。そして、今日もその日と同じ、静かな?一日が過ぎていった。
毎日1歳児の孫を預かっている。近くに住む娘は、決まって8時前に悠くんを置いていく。
ひとときも気が抜けず、ジイもバアもくたくただ。
とことん眠くなるまで動いているが、ジイに抱かれて突然に眠ることが多い。
悠くん、好物はシラス干し、ラーメン、鳥肉、味噌汁。でも量はほんの少し、食べない悠くん、少しでも口に入れようと苦労している。
何とか眠りにつき、眠りが浅いうちにミルクを飲ませる。そんな日々の繰り返しだ。
そして、やっと、2時間程の静けさが訪れる。
そのうち、萌ちゃん、武くんが帰宅、大喜びで活発に遊んでくれる。
悠くんは好奇心旺盛で何にでも興味を示し、起きている間はともかく忙しく動き回っている。
孫たちはどんな人生を歩むのだろうか。たくましく、優しく、おおらかに育って欲しい。
ときどき陽が差すが寒い一日だった。
3時半、庭の気温はマイナス3℃、手袋なしでは手が凍える。
そんな中、萌ちゃんは学校から帰るとすぐに庭へ、連休中に武くんと作った「かまくら」の中に、雪のテーブルと棚を作っていた。
厳寒に聳える磐梯を撮りに庭に出ると、萌ちゃんは一人でスキーをしていた。
春を探すが,みな雪の中だ。
かろうじて顔を出した山椒の枝にカマキリの卵、優に雪に埋まってしまう高さだ。
低い気温に、枝を覆った雪も解けない。
雪から頭を出したドウダンの芽、緑のまま耐えたキンモキクセイ、
かろうじて赤く見える梅のつぼみはまだまだ小さかった。
いわきでは福寿草が咲き始めたという。
この腰までの雪の下で、スイセン、雪割草、福寿草もそろそろ動き始めているのだろうか。
妻と娘は、お昼前に孫たちを連れ立ち街へ出かけた。
お昼は一人、朝の残り物をテーブルに並べるうち、たまにはと漬け物と塩辛で、ぐい飲みで少々、冷酒を味わった。
ときどき降り続く雪の庭を眺め、夢のような風情をもらった。
一時間半、ようやく沸いた風呂へ漬かった。温泉気分の昼の入浴だ。
しばらく伸ばした無精ひげを剃り、久しぶりの静かな至福の時が流れた。庄助さん気分だ。
テレビドラマ「白虎隊 ~敗れざる者たち」の第3章を見た。
時代の流れに翻弄された会津の歴史、西郷頼母を中心にした会津の先人の辛い思いを視聴した。
ドラマには泣かされた。そして、いのちとは何かを考えさせられた。涙があふれ、見えなくなった。
いのちには終わりが来る。されば、人生にいつか別れは来る。
そして、またまた日々の生き方を悔いた。日一日、一分たりとも無駄には過ごせないと。
また、会津に生まれて良かった。残された時間を、会津で精一杯のいのちを生きたいと思った。
久々のゆっくりした留守番となった。
家族そろってお城の絵ろうそくまつりに出かけた。
八重の桜ブームからなのか、あまりの人出に驚いた。おそらく例年の4~50倍の人出と言ってもいいくらいの混雑だった。
毎年出かけていたが、今まで見たことのない人出だった。
いつも雪降りの年が多かったが,比較的穏やかな天候に恵まれ、しかも土曜日だからだろうか。
また、驚いたことに、普段無料で利用していた博物館やサブグランドの駐車場が、いつの間にか有料になっていた。
おまけに、サブグランドには食べ物のお店のテントが軒を連ね、今までの「絵ろうそくまつり」とは違っていた。「まつり」だから仕方ないのだろうか。
「混みすぎだね」と言ったら、孫に「ジイちゃんは 独り占めしたいの」と言われてしまった。
いつもは静かな幻想的な絵ろうそくまつりの雪景色を堪能していたので、多少興ざめだった。
雑踏の中、しばらく炎を見つめて一人の時間を持った。
先日、真ちゃんが珍しい菓子を持ってきてくれた。いわきの銘菓「じゃんがら」だ。
もう24,5年も昔の話、いわきに単身赴任していたころ、帰りにときどき買ってきた懐かしいお菓子だ。当時から、《いわきは高級菓子「じゃんがら」》のイメージがあった。
上品な甘さと、焼き菓子風の皮がとてもおいしいお菓子で、食べ終わったときに満足感一杯のお菓子だ。
「銘菓じゃんがら」はいわきの郷土芸能「じゃんがら念仏踊り」に由来している。鉦、太鼓を打ち鳴らしながら新盆を迎えた家などを供養して回る踊念仏の一種で、いわき市の無形民俗文化財に指定されている。
【「じゃんがら」のしおり】より
製造元「みよし」は工場も店もいわき地区だけだが、最近は若松のスーパーでもときどき見かける。
いわきの菓子と言えば、勤務地の植田の鮫川沿いにアユの姿の焼き菓子の店があった。それも大好きで、何度も買って帰った覚えがある。
若松に戻ってかなり経ってから訪ねたこともあったが、お店の名前もすっかり忘れた。もう一度食べてみたいと思った。
妻と「じゃんがら」をいただきながら話していると懐かしさが込み上げてきた。
いわきでの単身赴任4年間、すっかりお世話になった大家のおばあちゃんの姿が浮かんできた。
私をよほど気の毒と思ったのだろう、ときどき裏の借家におかずを持ってきてくれた。
今もサンマの煮物を思い出す。その後、一度だけ植田へ行ってみたことがあった。伺った前年に他界されていて,線香を手向けてきた覚えがある。
当時、いわき駅前で一杯やる時は,初めて食べた「メヒカリ」がおいしかった。その頃は「メヒカリ」自体が珍しく、若松では買えなかった。
メヒカリのからあげ【ネットから】
そうそう、サンマの刺身もそうだ。よく借家近くの鮮魚店で、サンマを刺身にしてもらった。
いまも、そこで教わったサンマの刺身を家で作ることもある。皮をはがすのが難しい。多少の身の崩れも,おいしさを思えば気にならない。
お菓子「じゃんがら」から、つい昔を思い出してしまった。また、懐かしい植田界隈へ行ってみたいと思っている。
今朝は少し暖かめ、零下の気温だが、日中は2,3度まで上がったようだ。
通りの雪も大分解けたが、未だ道の両側に雪が残り歩道部分をふさいでいる。
集団登校の小学生、みんな凍っている足下を気遣いながら下を向いているが、元気に挨拶をして通り過ぎていった。
【ツルツルの狭い通学路】
毎朝7時25分に玄関を出る。一分も違わない朝の始まりだ。近頃はばーちゃんは膝が痛くて玄関先で送るが、いつもはママと、婆と爺の3人で市道まで二人の孫を送っていく。
スイミングはときどき行きたくないときもあるようだが、学校は楽しいのだろう、一度も行きたくないと言うことはない。
元気で登校する子供たちを見送って帰宅、きのう勤めの帰りが遅くそのままお泊まりだった娘が出勤した。孫を置いて。
すたすた歩けるようになった悠ちゃん、目が離せない。本当に何も出来ない。
食べたがらない1歳児に、少しでもとプリン、ご飯、お肉,せんべいと,手を替え品を替えて口に運ぶ。何とか寝かしつけるまでが第一ラウンドだ。
おねんねの約2,3時間が静かなお休み時間、それからママが連れにくるまでが第2ラウンドとなる。
でも3時半には萌えちゃんが、続いて武くんが帰宅すると、俄然嬉しく動き回ってくれる。
萌ちゃんのピアノに合わせて、武くんのリコーダーを吹いて行進する悠くん!たいしたものだ。
早く暖かくなって、庭で土いじりが出来る春を心待ちにしている。
ラジオ放送ではあちらこちら温かいと報じているが,午前10時に庭の温度計は-11℃、会津地方はこの冬一番の寒さだったのではなかったろうか。
快晴に恵まれて気温も上がると思いきや、寒~い寒~い一日だった。
10時20分ころ、ほぼ真上を南から北へ向かう飛行雲が見えた。普段は気づかないが、札幌への便?だろうかなどと想像した。
厳寒に見上げる庭の桐の枝が真っ青な青空に伸びていた。
2階から鮮やかな磐梯山、飯豊山を望んだ。
少し固まった雪だったが、しばらくアルミスコップで駐車場を広げた。 そう言えば4,5日車を出していない。
昼過ぎ、3日の総会資料を全部揃え終えた。
町内会館のコピーでは、100枚のcopyに1時間かかる。残りの別刷り原稿3種類、350世帯分だから約10時間の勘定だ。
区長にお願いして,市の支所のプリンターをお借りした。約10分で完了。 会館へ戻り,組毎に資料を整えて、ほぼ準備が完了した。
定期総会の要項表紙は、モノクロで残念だが薄い紫色の用紙に我が輩の赤煉瓦のお城スケッチをデザインした。