春を探しに出かけた。庭にアオジが来ていた。
日課の短大図書館へ いよいよ春の気配
?
鶴沼橋脇の道の駅へ寄る
我が家ではまだ芽も出ない
雪道を、柳津から5キロ、西山温泉へ。
滝谷沢沿いに走る 流れゆるやかな川面は凍っていた
カワガラスではないか?
せいざん荘へ到着 雪の露天風呂にくつろぐ
帰路、Hちゃん宅へ寄って手を合わせる。あれから1年になる。
春を探しに出かけた。庭にアオジが来ていた。
日課の短大図書館へ いよいよ春の気配
?
鶴沼橋脇の道の駅へ寄る
我が家ではまだ芽も出ない
雪道を、柳津から5キロ、西山温泉へ。
滝谷沢沿いに走る 流れゆるやかな川面は凍っていた
カワガラスではないか?
せいざん荘へ到着 雪の露天風呂にくつろぐ
帰路、Hちゃん宅へ寄って手を合わせる。あれから1年になる。
桐屋の蕎麦会があった。遊食の夕べ「早春の宴」に参加した。
数年前にSuzuさんから誘われ会津蕎麦の会会員になった。
初めてのその会に出席したときは、嬉しかった。2次会で楽しんだこともあるかもしれない。
蕎麦会だったが、酒浸りの小生は、美味しいお酒の会と誤解してしまった。
今日もOgaさんと隣り合わせ、楽しい話を伺った。
中国のワイン醸造カレッジの教授、西安のこと、醸造のこと、中国社会のことさまざまを聞き、
開眼の至り、いかに井の中の蛙かを知らされた。
東北地方はおろか、日本も知らない僕、ましてニュースで聞く世界の国々、都市の実情など知るよしもない。
兵馬俑のある街、人口14万ほどの西安の様子、中華料理等々、驚きの世界だ。
お隣のMutさん、前もご一緒したが、今日は再認識、今後は忘れないだろう。
Suzさんにはいつもお世話になっている。温泉、お酒、写真・・・多くの趣味が一致する。
今朝珍しいお酒を届けて下さった。いつも頂くばかりで恐縮。
今日届いたお酒。 suzuさん。いつも有り難うございます。
蕎麦会は桐屋の御主人の挨拶、朝青龍と蕎麦の話から始まった。
続いて、利き酒ソマリエの資格を取った娘さんの話、旦那の店主からは今日の料理の解説があった。
美味しいお酒、美味しい料理に舌鼓。
新年恒例の運だめしの抽選会で盛り上がりました。
あらためて 楽しい蕎麦会を再確認できました。皆さん有りがとうございました。
年に4回か、いつも参加を楽しみにしている。 (ほろ酔い気分で記す)
忙しい一日だった。
今日はすず、ゆうがお泊まり、朝のうちに孫たち菓子類,飲み物のお買い物へ。
素晴らしい天気、雪に埋もれる街並みを眺めながら、ご無沙汰しているAka先生を訪ねた。
何時伺っても綺麗にしている。玄関を入ると、春の飾りが迎えてくれた。
応接間には、小生の30余年前のスケッチ、「志田浜からの磐梯」が飾られている。
つたない絵を写真に撮らせていただいた。
正面には大きな額は書「遊」と読める。かつての同僚Kasa先生の書で,数年前にお亡くなりになったと聞いた。
お話ししながら、過ぎ去りし日々が浮かんできた。
帰路、雪の飯盛山さざえ堂を訪う。久々に洞門の清い流れを聞き、厳島神社に参拝。
白虎隊がくぐった洞門
いつか描いたスケッチ 雪のさざえ堂
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度々3時、ゆう君を保育園に迎えスイミングへ送る。
また一人、静寂のお城を散策した。
お壕は全面結氷、わずかに溶けた水辺にダイサギが舞い降りた。
ツグミがのんびり止まっていた。
まるでネコヤナギのようなモクレンのつぼみをヒヨドリが啄んでいる。
お城を囲む高台に、自ずからなる雪道を踏みしめながら進んだ。
磐梯山が見える
本丸では戊辰150周年の記念イベント中であることを知った。
ポスター看板には「体感!光の杜ミュ~ジアム」とあった。
夕やみに残る雪に映える綺麗な電飾を想像した。
今日も春の陽が眩しい。
庭の冷え込みから解放された木々、今日も始まる。
ハクモクレン クマシデ
ドウダン 2階から
決して長生きしたいわけではないが、成り行きで消化器科の検査となった。
一昨日は大腸検査、今日はCTと胃カメラだ。
腫瘍マーカーが数ヶ月で急上昇、気が進まないが念のための検査を勧められた。
体調は、少し疲れるが歳のせいかと思う。生活に支障はないし、食事も美味しく晩酌も楽しんでいる。
先ずはCTから。
かつては、幾多受診したCT、造影剤が入ると、全身が火照り、忘れていた感覚が蘇った。
検査の10分足らずにいろいろな思いが巡った。
助けられ、今ある幸せに収斂する思いだった。
続いて、不安を抱きながら辛い胃カメラを飲んだ。
「胃の中はきれいです。心配ありません。」 看護師の一言に安心した。
順調に検診を終え、診察。 4月に再CTとなってしまった。
きれいになった広い検査待合室の、緊張の静寂が心地よかった。
生に執着するわけではないが、病気が嫌だ。
午後、検査を終えた気持ちは春、久々の穏やかな日が眩しい。
何日かぶりに美しく聳える磐梯山を見ると、コハクチョウに会いに行きたくなった。
一人、崎川浜を目指した。
およそ3百羽か、コハクチョウが泣き叫んでいた。北帰行間近の感じがした。
今日も言葉はいらなかった。スノーシューを履き湖岸を歩き感動に浸った。
豪雪の冬が去ろうとしている。
昨夜一時激しく降った雪、じきに止んだようで新雪は5~6cmだ。
今日の最高気温は4時に1.9℃、深雪は46cm、なかなか雪は消えない。
朝、玄関を出ると、庭先のハクモクレンに止まっていたヒヨドリが驚いて飛び立ち、枝の雪がキラキラ輝き舞い落ちた。
見上げる桐、ハクモクレン、梅の木の枝には新雪が縁取り、青空に映えて美しい。
やがて山の端から射し始めた朝日に、雪がはらはらと落ちた。
風はない。きらきら光りながら滑るように落ちる。これをしずり雪(垂り雪)と呼ぶらしい。
杉の林の雪帽子も、次々ふわふわと綿のように舞落ち、砕けて星屑のように散った。
昔これを風花と表現していたが、どうもひっかかるので調べてみた。
ウィキペディアには、『 風花(かざはな)・・・晴天時に雪が風に舞うようにちらちらと降ること。
あるいは山などに降り積もった雪が風によって飛ばされ、小雪がちらつく現象のこと。とあった。』
木々に積もる雪は、いろいろな姿を見せてくれ、それぞれに美しい。
以下、いつか書いた同じ感動
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枝からの風花 心洗われ感動
先日の久々の大雪に、庭の桐の木の太い枝が何本も折れた。
降り始めの湿った雪の後の厳しい寒さ、さらに降り積もった雪の重みに絶えられなかった。
今朝は数日ぶりの冬晴れ、朝日が燦然と輝き、雪を踏んで出た庭は穏やかで風はない。
ときおり、未だ残る枝の雪が粉のように舞い落ちた。
この砕け散る雪の粉の美しい輝きに、心が洗われる思いで感動のシャターを切った。
見上げる桐の枝が青空に映え、薄いもやの流れがひときわ美しかった。これを風花(かざはな)というのだろうか。
自然の織りなすこの感動は、冷たい澄みきった空気と恵みの陽の光から生まれた。
でも、この輝く雪のドラマもわずかの時の流れに消えてしまった。
しばらく佇み、ひととき眼に映った美しい感動の記憶をたどった。
取るに足りない一個の人間の感懐に浸った。
ふと、”我が生何処より来たり 去って何処にかゆく”と、良寛の根源的な問いが浮かんだ。
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日曜日、いつものTVを楽しむ。
さわやか自然百景 奥入瀬渓流 カワガラス
昨夜から吹雪が吹き荒れた。今朝の深雪60cm、未だ風が強い。
暴風雪一過、春の陽が差す中、雪かきに汗を流す。
道は、既にUさんがしっかり雪かきをあらかた終えていた。いつもいつも、頭が下がる。お世話になった。
雪の庇がひどい。 2階から落とす
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隣でばあちゃんは、ときどき預かる3歳の孫と無心に遊んでいる。
せがまれてとことん孫とつきあう時間、その心が貴いと思う。
孫の他愛もない発想豊かな遊びにつきあいながら、笑いながら賑やかに興じている。
それに引き換え、パソコンに向かうじいちゃん、少し時間を割いてやればいいものを、雑用に時が流れる。
ばあちゃんの、優しい、深い、豊かなひとときを思いつつ、もったいない時間を意識する自分が恥ずかしい。
ふと、ことわざが浮かんだ。
”Slow and steady wins the race”
中学生のころ、習い立ての英文をノートに教科書に、辞書にまで手当たり次第に書いた。
「ゆっくり、着実に」 「急がば回れ」だ。
そうだ、あの頃の新鮮な哲学で、老境を生きていこうと思った。
モニターを見つめ、疲れて目を瞑り首を回す。
窓から庭に降り積む雪をぼんやり眺める。
何を急いでいるのだ、何も焦ることはない、とつぶやいた。
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『2018.2.15』
月に一度の検診日、待ち時間の教材を準備し家を出た。
運動のため、歩きを決めていたが激しい雪が降っていた。
往き帰りの雪道を思うと意志の弱さが手伝い、車にした。
マーカー検査結果はこのところあまり好くなく、来週、何年ぶりかで消化器科で検査を受ける事になった。
データに、日々の不摂生を恥じながら、明日の体調に不安がもたげる。
また、入院はしたくない。あのベッドの上の、俗世間と隔離されたようなもぬけの殻にはなりたくない。
いつも、少し具合が悪いと青菜に塩のようになる。弱い性格が、情けない。
何でもないことを祈っている。 ファイト! ファイト! 心配するな。
『2018.2.17』
○ 昨日は相変わらず気温は低いが、穏やかに晴れ上がった。
今朝は雪降り、しんしんと降り積もっている。恐ろしい降りだ。
ネットのアメダスでは若松の現在夕方4時、
【気温-3.0℃、西北西の風6.5m/s、積雪49cm、湿度92%、気圧1008.1】
http://www.jma.go.jp/jp/amedas_h/today-36361.html?groupCode=25&areaCode=000
まだ吹雪いている。今後も降り続くようだ。ラジオの予報では今後60cmと告げている。
○ 嬉しいニュース
祝:フィギュアスケート男子フリー、羽生が日本勢金メダル1号 宇野は銀メダル 良かった 良かった
冬晴れの今日2月16日は、旧正月とのこと。
ネットで調べてみた。
元々は太陽太陰暦を使用する旧暦に基づき正月を祝っていたが、
明治6年に改暦され1月1日を正月としたため、旧正月をお祝いする地域は一部を除いて少なくなっていった。
朝からいい陽が当たった。磐梯山もくっきり見えた。
数日降り続いたが、今日は寒さも緩んだ。
雑用があり街に出た。
短大図書館から、銀行、お菓子屋へ寄り、折角なので蚕養國神社へお参り。
飯盛山
短大図書館で
キジバト ツグミ
除雪車フル回転
蚕養国神社 神楽殿
もう桜餅が並んでいた。会津の天神様、隣には雛人形も。もう春の雰囲気だった。
会津天神
また明日は大雪、ずっと雪のマークが続く。
昨年の秋、新聞で、会津若松市が「赤井谷地」での観光誘致を検討しているとの報道に触れた。
http://www.minpo.jp/pub/topics/59preject/2017/10/post_683.html
まさに突然の驚きのニュースに戸惑いを覚えた。
天然記念物の赤井谷地には立ち入れないが、いつもネットワークを構成する周辺のビオトープを巡り、小さな虫たちの生息に一喜一憂の日々だった。
特にかつてトンボ類の宝庫だった谷地周辺では、乾燥化や植生の変化が進み激減、
つい最近まで見られた絶滅危惧種のマダラナニワトンボやチョウトンボなどが突然姿を消した池もある。
マダラナニワトンボ チョウトンボ
また、わずかな食草に産卵し命をつないでいたチョウ類も減少していった。
最近は谷地周辺で見られなくなったヒメシロチョウ
谷地周辺の豊かだった池はいつしか生態系が変わり、死の池と化した。
ふるさとの宝である谷地の自然の魅力を地域活性化に生かすのであれば、例えばこどもたちの環境教育の場や、
懸案の自然史博物館等の自然関連研究施設の誘致もあるだろう。
手つかずの自然の残る谷地でなくてもいい。周辺のもっと守るべき池や沼はたくさんある。
長い間放置されてきたこの貴重な自然の活用については、十分に英知を集めて悔いの残らない気配りが欲しい。
何とか生息し続けるコバネアオイトトンボ
昨夜の降りはこの冬一番だった。現在積雪70cm、曇る山際に朝日が差し始めた。
隣のUeさん、5時起きで道路をかいてくれた。Hurさんもしょっちゅうダンプを押してくれる。
いつもいつも頭が下がる。
申し訳ない気持ちで、きれいになった道をゴミステーションに。
庭の除雪をしながら、美しさに見とれる。
町内会の仕事で外出中に、また電話。また水路が詰まったと。
帰宅後、現場に出向いたばーちゃんの報告を聞き、急行した。
この冬何度目かの浸水騒ぎだ。
到着寸前、おおきな氷の固まりが流れてきた。一安心。
その足で、B町内会の区長へ厳重に申し入れた。
水路をさかのぼると、上流では駐車場の雪をどんどん投げているではないか。
さらに行くと、何軒もの農家の方が、広い前庭の雪をせっせと側溝に捨てていた。
ひとり一人に下の浸水騒ぎを説明し、雪投げをやめてもらった。
また、一番悪いのは駐車場をブルで側溝へ寄せる業者だ。捨てる量が違う。
雪が積もると水路になげたくなるのは分かるが、側溝に捨ててはいけないことになってはいる。
周りに高く積み上げるしかないのだ。
上流ですてた雪が流れ、下流の町内に入ると水路が狭くなる。
水路にかかる木の枝やササなどがあると、雪が固まって流れをふさいでしまう。
市の職員と浸水し始めた水路の雪を除いた。
緊迫の状況を記録した。
中央部分、雪が詰まっているが水路
つなぎ長靴で水路に入り雪を砕く
突然堰き止めていた雪がどっと流れがだした。悪戦苦闘、何とか無事に水は引いた。
溢れ始めていた水路が見え始めた。
毎年この浸水さわぎ、何とかしたい。
暗くなるのを待ち、夕食前に絵ろうそくまつりへ。 https://www.aizukanko.com/event/83/
ほのかな幻想的な灯りを見たかった。
最近は、市内各所で灯がともるようだが、お城か御薬園にしか行ったことがない。
例年通り、御薬園へ。入口で、ノンアルコールの甘酒をふるまわれ、ホッカイロまでいただいた。
園内をゆっくり巡った。
雪つりの向こうに、琴の生演奏が披露されていた。
暗い世界に、池は半分凍りつき雪に覆われていた。
戊辰150周年
準備をした実行委員会の皆さんはご苦労さまでした。
ときどきお邪魔する、会津坂下のさんたろうさんのブログ、「さんたろう日記」
車の免許証を返納したさんたろうさん、最近は散歩の途中の街中に目を向けていらっしゃる。
今はシリーズ「私の町の私の好きな家あちこち」が載っている。
数日前は、あの幻のお酒「飛露喜」の蔵元広木酒造本店の写真があった。
小生、さんたろうさんと違ってお酒に目がない。お店を訪ね、同じ張り紙を目にしたこともあった。
(さんたろうさんのブログよりお借りしました。) 頂いた「飛露喜」
その買えない「飛露喜」、実は在庫ばかりでなく、なかなか買えないお値段だ。
その幻のお酒を、先日、知り合いからいただきました。
袋を開けてびっくり、見てびっくり。「飛露喜」ではないでしょうか。
なかなか栓を抜く勇気がありません。自分だけで嗜むには・・・.など考えてしまいます。
大の酒好き、これで身体をこわしたかも・・・など考えるが、何とか元気に過ごし、ばーちゃんの心配をよそに、いつしか戻ってしまった。
もう30年も前のこと。いつか通勤の酒店で、10本買うと9本おまけの「こまくさ」の張り紙を目にし、すぐに飛びついたこともあった。
ちなみにコマクサは我が母校の校章でもあったから。この県南の蔵元は既にない。
また、ついこの前は、今大宣伝中の安価な大吟醸5本セットを即注文してしまった。
ときどき自分では買わない珍しいお酒が手に入ると、先ずは記念撮影だ。
HDの「文芸・料理・お酒」のファイルからいくつか拾った。
「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」は白秋だが、
季節を問わず、肝臓に気をつけながら、静かに味わいたいと思っている。
市内の積雪は36cmのままだが、久々に最高気温が3.3℃まで上がった。
吹けば飛ぶよな軟らかい新雪に朝日が燦然と降り注いでいた。
また、感動を求めて崎川浜へ出かけた。明日は土、日、少しで人出の少ない平日がいい。
雄峰磐梯は雲の中だったが、今日も白鳥の湖を堪能した。
美しい松林
氷の芸術
オナガガモ逆立ち
鳴き合い いさかい有り
ハンノキ 雌雄同株、雌雄異花
厳寒に立つ。言葉はいらない。
今しがた、ヤフーニュースを読んだ。 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6271233
表題は 【「仲直りは無理」 会津の人々、長州に今も遺恨なぜ? 明治維新150年より「戊辰」】
この記事の宗像 精先生の思いは、会津の人たちが共感できる思いに違いない。
小生も同じ思いだ。
今年は戊辰150周年、市でもいろいろな企画イベントを展開しつつある。
戊辰150周年 ロゴマーク
小生も関わる思いを、何度か新聞へ投稿した。
***** 星亮一氏が語る 維新史観に共感 *****
戊辰の役150周年を前に、歴史作家の星亮一氏の講演を聴く機会に恵まれた。テーマは「戊辰戦争から何を学ぶか ~我々に課せられた責任~」 戦争に至る時代認識、当時の会津藩の位置や白河での開戦の意義など維新史の持論を展開されたが、氏の維新観の多くに共感を覚えた。さらに、戦争を防ぐことは出来なかったか、その後の薩長主導の政治やこれからの会津の生き方をなどについて、すべてを再検討すべきではないかと結ばれた。/維新史を鳥瞰しつつ、再び会津の辿った悲惨な史実の数々に思いを寄せた。遺恨は根深い。昨今、会津と長州との和解が取り上げられるが、かつての市長が「仲良くは良いが、仲直りは出来ない。」と強調したと聞いた。この言葉が私の胸にストンと落ちた。でも、こうした思いも、やがて時の流れに消えていくのかと思うと寂しい。 (2017.12.16付 福島民友新聞)
*****「戊辰戦争の歴史 見つめ直す機会」*****
来年は明治元年から数えて150年、会津若松市では「戊辰150周年記念」の事業を行うと聞いた。政府も記念事業を計画、かつての薩長、鹿児島や山口での呼び名は維新、高知でも「幕末維新博」を計画している。会津ではやはり悲劇の戊辰が心の底にあるのだろう。/ときに手に取り文字をたどる本がある。会津人芝五郎の少年期の記録だ。150年前のまさに騒然たる城下の様子や五郎少年の惨憺たる運命にいつも涙が止まらない。「故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤すれど、懊悩流涕やむことなし。」自害せし祖母、母、姉妹を偲ぶ血涙の辞が物語っている。/この記念事業を観光振興だけに終わらせず、立ち止まって会津の教育に目を向ける機会にできればと思っている。これから郷土をになう青少年に、あいづっこ宣言の精神と共に、時の流れに薄れゆく戊辰の歴史や幾多の先人をもう一度しっかり見つめる機会として欲しい。 (2017.2.21付 福島民友新聞)
あいづっこ宣言
戊辰150周年 市のキャッチフレーズは
「義」の想い つなげ未来へ-。戊辰150周年。
「義に死すとも不義に生きず」という自ら信ずるところに従い戦い続けた先人の思い、歴史を振り返りたいと思っている。
ドウダンツツジ マサキの実
ミセバヤ まだ裏庭へは行けない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
酔って帰った。 パソコンに向かい思いつくままをブログに打つ・・・
夜道に口ずさんでいた歌は ”溢れる若さ あればこそ~”
舟木一夫の青春の歌だった。
YouTubeで検索し、なつかしい歌を聴いた。
本当になつかしい、なつかしい。
歌詞をコピーしようとするも、ペーストはきかない。
画面の歌詞を打ち込んだ。
溢れる若さ あればこそ
未来に 向い われら立つ
海の太陽 山の雲
輝け 生命の歌声に
あゝ…青春の胸の血は
夢ひとすじに 燃えるもの
2番3番の歌詞は分からないが、1番は間違いなく歌うことができた。
あの頃は良かった。とは言わないが、素晴らしい青春の日々だった、と確信している。
しばらくネットサーフィング YouTubeで聞いた。
そう言えば、もう半世紀も前の学生のころ、生意気にも酒場で有線放送を聞いていた。
そのリクエストは、古い歌ばかりだった。
高原の旅愁、誰か夢なき、ふるさとの灯台、上海の街角で・・・
高原の旅愁・・・・・生まれる前のヒット曲 https://www.youtube.com/watch?v=yO0P1zL-oDY
誰か夢なき・・・・・生まれたころのヒット曲 https://www.youtube.com/watch?v=6qcU8nzCIro
最近、年に1~2回、町内会行事で歌ったのは、「おゆき」
そうそう、黒木憲も好きだった。ふるさとの春日八郎も。「ああ上野駅」もいい。
「愛の終着駅」・・・これは30代で入院したとき放映中のテレビ・メロドラマの主題歌だったっけ。
ときどき、聴いてみたい歌謡曲をお気に入りに登録している。
紅白歌合戦はほとんど分からない歌でついて行けなくなってしまった。