エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

散る花に思う      

2006-04-30 | エッセイ
 教職にあったとき、新学期にはいつも藤村の歌「若き命も過ぎぬ間に 楽しき春は老い易し・・・」を板書し、生徒につかの間の高校生活、一度しかない人生を諭していた。今思うと、これは取りも直さず自分への言い聞かせでもあった。
 この時期は、散り急ぐ桜に自然の摂理を感じながら、あまりに速く過ぎ去る時に思いを新たにしていた。万物が輝かしく萌える春なのに、なにかうつろな日々にむなしさをも感じていたと思う。振り返るに、この虚脱感は忙しい日々の代価であったのだろうか。
 この先、幾度流れる花びらに感動できるのだろうか。明日の分からない健康を思うとき、あらためて短い人生を意識し本当のゆとりを求めたいと思っている。自然に親しみ、芸術を鑑賞し、幾多の書物に触れるなどして努めて感動を求めたい。そしてまた出来れば限られた時間の中で、趣味を楽しみ、地域へのアプローチを考え、バランスの取れた生活を心がけたいと思っている。
 人の心の動きに関わりなく、時はまぼろしのごとく流れ自然は静かに遷ろっていく。


如黙ゆかりの土地を訪ねる   

2006-04-29 | エッセイ
 山都から喜多方への帰路、坂下への分岐点の小高い丘に満開の桜が見えた。絶景を期待して登ってみた。遥かな飯豊山頂には白い雲がたなびき、桜や対岸の柳の緑が春のコントラストであった。眼下にとうとうと流れる阿賀川の白波がすがすがしかった。
 桜に囲まれた広場の案内板には、稽古堂*の堂主であった如黙*が政変で配流され、この丘で憂愁を慰めた地とあった。以前から如黙に興味を持っていたので、嬉しい発見であった。
 稽古堂は日新館*の陰に隠れるも、会津藩最初の庶民の学校であった。およそ意欲ある社会は発展すると言うが、当時の稽古堂での庶民の活気あふれる学習意欲を想像した。そして今の生涯学習教育に通ずるものを感じた。 
 如黙の歌に ”消えもせず流れもやらでいくとせか ただよう泡のまきかえるらん”とある。なるほど黒御影の石碑には泡ノ巻公園とあった。
  はからずも立ち寄った桜の公園に、庶民教育に打ち込んだ如黙の心の動きを追った。

*http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/yukari/shiseki/keikodoato.html
*http://www.e-t.ed.jp/edotori43201/

散る花に寂寥感を覚える

2006-04-28 | 日々の生活
   《満開の庭のヤマザクラ》

  今年の春はいつまでも肌寒く、例年より一週間遅れてようやくわが家の桜が咲き始めた。それでもお城のサクラはそろそろ散り始めるだろう。
 人はこの時期だけそれぞれに桜に思いを寄せるが、桜は人の心にはおかまいなしだ。日々の生命活動を積み重ね、今年も花をつけ、散っていく。
  私が意識して桜をながめたのは中学生の頃であったか、春の女神ギフチョウを求めて踏み入った山道に、桜が実に美しかった。(それは、たしか神奈川県の中津川渓谷だった。)  そのとき少年は静寂の中でおぼえたての詩歌をつぶやいていた。達治の「甃の上」だ。一片ごとに散りゆく花びらの中で、初めて往く春を惜しむ寂寥感を覚えたような気がする。あれから数十年、決まって巡るこの桜の季節にはいつもこの詩を口ずさんできた。
 「あわれ花びら流れ をみなごに花びら流れ をみなごしめやかに語らい歩み・・・
 いま散り急ぐ季節の花に、いつも遠いほのかな青春の日々がよみがえってくる。
    あわれかなし往く春を
           一片ごとに散る涙

懐かしいおやつ 「やしょうま」

2006-04-27 | 食文化
 3時のお茶に、妻が「冷蔵庫を整理していたら出てきた」と言って「やしょうま」を出してくれた。米の粉を蒸してこねた、懐かしいふるさと信州のおやつだ。
  数年前、母がまだ元気な春に妻の実家を訪ねた折りに、妻たち4人姉妹が仲良く楽しそうに作っていた。初めて見るものに興味をそそられ、にぎやかな楽しい料理教室をじっくり参観させてもらった。
なかなか難しいが、姉たちは長年の経験がものを言い、菊や桜、あやめなど美しい形ができた。金太郎アメと同じだ。
 数年間冷凍保存していたあのときの芸術作品を電子レンジで温めた。柔らかくなった「やしょうま」はほんのり甘い味で、素甘(すあま)という和菓子の感触でとても美味しかった。
 ふと母を思い出しながら懐かしい味を楽しんだ。

     やしょうまの 花の模様に 義母思う

《「やしょうま」をつくる》

 
 ●本来「やしょうま」は、毎年春、お釈迦様の命日である2月15日から1ヶ月遅れの3月15日前後に、長野市を中心として善光寺平周辺、さらに麻績や坂井村などでつくられ食べられるそうだ。だから、この時期スーパーや和菓子屋さんの店頭では、20センチ程の長さの「やしょうま」がたくさん並べられているそうだ。
 『広辞苑』には「2月15日の涅槃会の供物。米の粉または小麦粉でだんごを製するが、手で握った形が馬に似るところからいう。やせうま。」とある。
【参考:http://homepage3.nifty.com/himegappa/ikyo/yasho/yasho.html】

会津五桜鑑賞記 (その2) 杉の糸桜

2006-04-26 | 街中散歩
       《薬王寺八重桜》

エドヒガンザクラ系のシダレザクラ。杉村薬師堂(薬王寺)の境内にある。天正年間(1573~1592)に船窪村の農民が宮城郡から移植したものと伝えられており、現在のものは二代目で樹齢は約200年。
  所在地  福島県河沼郡会津坂下町船杉・薬王寺

 古い石段を登ると、正面に阿弥陀如来が安置する本堂が、右手には六地蔵が静かに佇んでいた。本堂左手に古木の枝垂れ桜を中央にして左右に若木2本が白色の花が流れ落ちるように美しく咲いていた。また、六地蔵を守るように咲く八重桜が一段と美しく、お地蔵さんを包む赤い衣とのコントラストが鮮やかだった。
 誰もいない境内、妻と二人でお参りをしながら静かに桜を観賞することができた。

    《美しい薬王寺八重桜》

ここで、思いがけなく可憐なカタクリの群生を見ることができ写真の納めた。 


 杉の糸桜を後にして、広がる春の田園を新鶴方面に向かい「米沢の千歳桜」へ立ち寄った。県指定の天然記念物で幹廻りは10.5mの大木で、種まき桜と呼ばれている。花は濃い桜色でずっと遠くからも咲いているのが分かるように目立った。
 もう20年以上も前になるか、子どもたちが小さい頃家族で千歳桜の花の下でお弁当を広げて桜を見ていたことを思い出した。のどかなあの頃に戻れたらと桜を見上げて感慨深いものがあった。いまは周囲に柵が施され、観光案内板もできてきれいに整備されていた。


     《樹齢700年の千歳桜》

福島県内にも欲しい先人記念館   

2006-04-25 | 教育を考える
 先年の秋、山形県鶴岡市の鶴ヶ岡城址で大寶館を見学した。大寶館は猪苗代の天鏡閣を思わせる大正初期の擬洋風建築で、現在は郷土人物資料館として無料で公開されている。明治から昭和にかけて各方面でその道を究めた、鶴岡ゆかりの先人を一堂に集め、その足跡を顕彰、紹介していた。また、いつかは岩手県の盛岡先人記念館を見学し、そこでも郷土の文化人に触れ心から感動した覚えがある。こうした施設が福島県にもあればと思った。
 地産地消というの言葉が使われるが、教育も同じと思う。野口英世を知らない人はいないだろうが、会津の山川健次郎、松江豊寿はどうだろうか。郷土の先人の業績、生き様を、特に子供たちに教えることは、彼らの豊かな人生を送る糧となるに違いない。
 鶴岡が生んだ先人の偉業に触れながら、福島県内にも、個々の記念館、美術館でなく、こういう観点から多くの先人を顕彰し学ぶ施設が欲しいと思った。

http://maskweb.jp/b_taihoukan_1_1.html
http://www2.city.morioka.iwate.jp/14kyoiku/senjin/senjin/

会津五桜鑑賞記  (その1) 石部桜

2006-04-23 | 街中散歩
石部桜
《葦名氏の重臣石部治部大輔の庭にあったといわれ、樹齢600年のエドヒガンの巨木。8本の樹幹が咲き競う。》
所在地 福島県会津若松市一箕町大字八幡字石部

 飯盛山を背にひっそり佇む石部桜、普段は人一人いない私の散歩コースだ。
昼頃、自転車で桜の様子を見に出かけた。久しぶりに温かく、気温は20度まで上がった。 何か秋を思わせる七分の雲に覆われる空の下、例年より遅かったが、ようやく5分咲きに開いていた。少し離れた桜の東側から、飯盛山の背に写真に納めた。彼方に大戸岳が聳え、さらに南会津の山並みが会津盆地を囲みように広がっていた。
 最近は、桜の季節に入り口近くに臨時の駐車場ができ、バスが止まり団体客がさくら見物に訪れている。傍らに農家の畑仕事が始まる中を、観光客がお目当ての石部桜をめざし切れることなく続いていた。
 年に一度、いまの季節だけ注目されるサクラの古木は何を思い花を咲かせているのだろうか。近いうち、誰もいない朝早くに桜の花に語りかけ、こころを整理してみたいと思っている。

自然に学ぶ庭

2006-04-22 | 自然観察
 市道から約50メートル、舗装されていない私道を入り突き当たりがわが家だ。
 大谷石の門柱に、自作の看板「自然に学ぶ庭」がかけてあり、右側に母屋が、その南側と西側に小高い山を借景に手のひらほどの庭が広がっている。南西の山は神社の杉林で、庭との際に大きな桐の木、カシワ、ドウダンツツジ、ケヤキ、モミジ、カエデが所狭しと植わっている。いつしか6~7メートルに育ったトウカエデは、30年も前、新築の頃に寄せ植えの盆栽を地におろしたものだ。それらは新緑から、さわやかな夏、黄金の秋を演出してくれる。
 庭にはいま、春一番にミスミソウ、イワウチワが咲き、クロッカス、スイセン、イチリンソウ、ワサビが続いて可憐な花を付ける。樹木ではレンギョウ、サンシュに続いてウメ、サクラが開花する。ジンチョウゲのつぼみもいくらか色づき、冬の間堅かったツバキが色づきボケの丸いつぼみも大きくなった。大好きな八重の梅花ウツギはようやく芽を出し始めたところ。やがて新緑のクマシデの実がすがすがしく風に揺れ、しとしと降る雨にはアジサイがよく似合う庭になる。そうそう、秋にはキンモクセイが毎年芳しい香りを放ってくれる。
 静かで、木々を揺らす風の音と訪れる鳥のさえずりだけが響いている庭に、いつも訪れるのがヒヨドリ、スズメ、カワラヒワ、シジュウカラなど、桐の木にはキツツキの類が、またときにはケーンケーンと鳴くキジを見かける。

     《今朝のヒヨドリ(幼鳥)》

     《黄色いのはツバキの花粉》

 小さな大自然と言えるこの庭には、昆虫も多い。春一番に越冬していたキタテハ、ヒオドシチョウが舞いだし、ウスバシロチョウが訪れ、コミスジ、ホシミスジ、テングチョウが見られる。セミはヒグラシ、アブラゼミ、ニイニイゼミがあちこち穴を掘り生まれてくる。オニヤンマがスイスイ飛びオオシオカラトンボや各種アカネが、そしてミヤマカミキリ、キボシカミキリ、コクワガタなどの甲虫も顔を見せてくれる。

      《産卵するホシミスジ》

 冬は書斎の奥まで日が射し込むが、杉林のため夏はほとんど陽が射さない。家人は残念だと言うが、夏は返って涼しくていい。西側は高台になっていて市内の眺めがすばらしく、特に夜景には感激するほどである。
  私はこんな大いなる自然に囲まれた庭が大好きである。そこは私の毎日の癒しの空間で、四季折々にこころを癒し和ませてくれる。
  山の端に沈む夕日を眺め、いつも自然の中にいてこれ以上の幸せはないと思いながら生活している。

春に感動したい  

2006-04-21 | 日々の生活
            《穀雨に濡れ、咲き始めた高田梅》

待ちに待った庭のウメがようやくほころび始めた。例年よりかなり遅い開花だ。ピンクの豊後高田梅が一足早く咲き始めた。毎年たわわに実を付ける白加賀は今年は少し遅い。冬から早春の気候(気温、日当たり)を因子に微妙に咲く時期が違っている。またソメイヨシノもつぼみが房状に紅く膨らんできた。木々の待ちかねた梢が遙か飯豊の残雪にとてもよく似合う。
 春の彩りはいよいよ濃く、黒い大地に水仙が美しく印象的だ。
                
 私の中の巡りきた春のイメージは、
 啄木の「やわらかに 柳青める北上の 岸辺目に見ゆ 泣けと如くに」のような、多少肌寒い爽やかな春に始まり、
 藤村の千曲川旅情の詩の一節「 ・・・白銀の 衾の岡辺 日に溶けて 淡雪流る ・・・」に 本当の春を感じ、
そして、達治の「甃のうえ」の「 あわれ花びら流れ をみなごに花びら流れ ・・・」の春に終わる。

 夕方、静かな庭で青春の思いをたどるべく玲瓏と歌う寮歌に、三十数年前の豊かな多感な青春がよみがえってくる。
 「春寂寥の洛陽に 昔をしのぶ旅人の 傷める心今日は我 
  小さき胸に抱きつつ この花陰にさすらえば 
  ああ我哀し行く春の 一片ごとに散る涙


巡りきたこの春は、まず会津の五桜を巡りたい。そしてこれらいくつかの桜に関わる詩歌の感動を肌で味わいたいと思っている。

幸せ感じた春の一日

2006-04-19 | 日々の生活
               《さわやかなスズメノヤリの頭花》

 昨日はようやく春らしい穏やかな日となった。
ママが下の2歳の孫娘を連れてわが家へ出勤。3歳半の孫はいつも私たち老夫婦と寝ている。朝食はいつも近くの孫と一緒だ。
 食事が一段落すると庭でシャボン玉遊び、七色の夢の世界が膨らむ。
縁側でお茶、孫たちのおやつはアイスクリーム、おこぼれを愛犬が催促している。
11時近くになり、近くの短大まで散歩に出る。妻と娘と孫2人。私はカメラ持参、サクラの様子が気になっていた。
 途中のパン屋さんで5つの菓子パンを買う。孫それぞれに好みの芸術品を求めた。個性豊かな美味しそうなパンをどんな目で観ているのだろうか。
 いつもの指定席、短大のベンチに休み、みんなでパンの袋を広げた。
 孫たちがグランドを一周している間に私は自然観察。寝ころんで花を付け始めた雑草にカメラを向けた。芽吹き始めた緑がさわやかだ。ここのタンポポは在来のエゾタンポポ、黄色が鮮やかに凛として美しいく、スズメノヤリの頭花が実にさわやかだった。サクラはようやく赤く膨らみ、後数日で開きそうだった。
 疲れておんぶをせがむ孫2人を私と妻が背負い、お話ししながら家へ戻った。


こうした平凡な日々がいつまでも続いて欲しいと思った。
こんな日をいつか思い出すことがあるだろうか。幸せを感じた春の1日となった。

半世紀ぶりに恩師と再会

2006-04-18 | エッセイ
           《池の掃除 昭和30年(1955)》

 最近、小学校の恩師を訪ねた。もうあれから五十年の月日が流れてしまった。長い間の御無沙汰を詫び、心から尊敬する先生にお会いしたかった。
 先生は、当時クラスの様子をこまめに写真に撮って下さった。父がそれらを丁寧にアルバムに残してくれた。何十年ぶりかでながめた色あせた写真をスキャナーで取り込み、数葉のコピーを作り持参した。
 不思議だった。半世紀を経て、頭の中の引き出しにしまわれ忘れていた級友の名前が次々と出てきた。そこには清らかな、精一杯の生活を送った純真な少年の日々があった。セピア色の写真から在りし日々の本当に生き生きした充実したときがたぐり寄せられ、昨日のように次々とよみがえってきた。
 クラス全員で池を掃除したり、野球やバトミントンを楽しんだかすかな思い出をたどりながら、私の人生の基礎を培ってくださった、今は年老いた恩師に心の中で感謝した。


チェリノブイリ事故から20年

2006-04-17 | 環境問題
NHKスペシャル「チェリノブイリ事故20年」▽突然のガン多発▽被ばく500万人汚染地に暮らす (4/16 10:00) を視聴した。

 20年前の4月26日、史上最大の核汚染、チェリノブイリ原発事故が起こった。
 いま、その後の実態が報道され、あらためて放射能汚染の恐ろしさを知り、同時に原発の安全性について考えさせられた。
 旧ロシア各地での深刻な健康被害は、事故後処理に当たった人のガン多発、20年経って甲状腺ガンの発症が増えている(ベレルーシ)、また比較的低い放射線量の地域でも長期の被爆による突然の白血病の発症が増えている(ゴメリ)などである。
あの一瞬の事故による放射能汚染は数百年以上続くことを認識しなければならない。そして、原発については、人為的にも自然的にも絶対に安全とは言えない。
 今何が問題なのか。突き詰めると、近代文明をどうとらえ直すかの問題だと思う。
省エネ、需要抑制しかなく、とりあえずは原発重視から代替クリーンエネルギー政策への転換が重要と考えている。今後も原発政策、今問題のプルサーマルにも注視していきたいと思う。

都市開発の中、庭にキジ

2006-04-15 | 環境問題
今朝、裏山でキジが鳴き、尾が長く、顔が赤いきれいなオスの姿をカメラに納めた。
キジの後ろでは、大きな施設の建設が進められている。
 この地に住んで30年になる。自然豊かなわが家の庭に、今もときどきキジが訪れているが、地域の開発は進み、年々少なくなる自然の中で、キジはよく生き延びてきた。キジを眺めながら、人間の罪深さを思わざるを得なかった。 
 自然との共生が叫ばれるが、今こそ一方的に進めてきた開発を反省し、進んで自然を取り戻す共存関係を築かなければならないと思った。
 ケーンケーンと鳴くキジが愛おしく、鳴き声が何かを訴えているように聞こえ、切なく思えた。


須田国太郎の黒の作品を鑑賞

2006-04-13 | 文芸
自画像(1938)

 県立美術館で開催中の須田国太郎展を鑑賞した。初めて見る、黒の画家と謂われる須田の作品はどれも暗く地味なものだったが、じっくり観て歩くうちに、黒独特の奥深さに不思議な魅力を感じた。
 ある時期、彼は「暗くなる」「色彩を失う」と制作上行き悩んでいたという。多くの作品の筆跡やひっかき傷に、制作中の彼の苦悩を想像した。「犬」や「鵜」「ペルシャ猫」などの動物画の黒に、顔を近付けて見入った。黒の世界に緑や赤が醸し出す色彩がすばらしく感じた。また、奈良盆地からの山並みを描いた「夏の朝」や、「八幡平」など風景画の明暗の陰影も何ともいえなかった。
 19歳のときから謡曲を習い、生涯強い関心を寄せた能・狂言のデッサンは能の演者の立ち居振る舞いが必要最少限の線で描かれ、その描写に感動した。
今回、楽しみにしていた一人の偉大な、魅力的な画家の作品に触れることができ嬉しかった。求めた画集で彼のこだわった黒中心の作品をゆっくり鑑賞してみたいと思っている。
犬(1950)

http://www.art-museum.fks.ed.jp/menu_j.html



帰化植物の繁殖力に驚く 

2006-04-12 | 自然観察
 ようやく緑が芽吹き始めた土手が、遠目からは赤紫のじゅうたんのように見えきれいだ。近づくと帰化植物のヒメオドリコソウの群落であった。昨年まではそれほど感じなかったが、異常に感じるほどだ。スイバ、ハコベ、スギナなどの緑の土手にも点々と赤紫の群が見えた。都市、農村を問わず帰化植物は蔓延している。
 いまや至る所に大発生しているあのセイタカアワダチソウも、思えば会津では昭和五十年代前半にはまれであった。修学旅行の車窓観察から、明らかに西へ行くほど多かったことを覚えている。実はセイヨウタンポポやヒメジョオン、春一番に咲くオオイヌノフグリも帰化植物だそうだ。もっとも、そんな人間の分類など植物にとっては関係ない話だが、種の勢力争いはすごい。オドリコソウにしてもずっとたくましいのに、その繁殖力はヒメオドリコソウには及ばない。ブラックバスのような閉鎖水域での影響ほどではないが、身近な植生や風景の変化に驚き、これが自然なのかとも思った。