エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

街中散歩   - 会津慈母大観音 -

2008-01-31 | 街中散歩
          【会津慈母大観音】

   国道49号線に沿いの会津若松市街地を望む高台に、観光施設「会津村」がある。
市内からは、磐梯山の麓に白い観音様が見える。
 この会津村大庭園は、『満開の花を敷き詰めた聖地に万物の母なる観音様を招来する。』という願いのもとに、十余年の歳月をかけて築かれ、昭和62年8月に園内に世界平和の大悲願をこめ「会津慈母大観音」が開眼法要された。大観音像は御身丈57メートルだそうだが、当時、創立者が57歳だったかららしい。
 園内では、毎年、春はさつき展、秋には菊まつりなどが開催されているが、開園したときに一度だけ入園しただけで、その後は入ったことはなかった。最近は安くなったようだが、入園料が高い印象があったせいもある。20年も前に、出来たばかりの広い6万坪の庭園をゆっくり巡った記憶がある。その後、三重塔や巨大釈迦横臥像、民族資料館などが出来たようだ。そのうち入園してゆっくり眺めてみようと思っている。
 
  所用があり近くを通ったので、車を止めて観音様を見上た。
 観音様は、冬の空、流れる雲の合間から射し込む陽に神々しく、こころが癒される思いだった。
(2008.1.30)

「街道をゆく」 プロローグ 時空の旅人

2008-01-30 | 文芸
            【 会津大学構内のポプラ並木 】  
         
 ときどき会津大学図書館を利用させてもらう。昨日はDVD「街道をゆく」《プロローグ 時空の旅人・司馬遼太郎》()を視聴した。
 
「街道をゆく」は25年間、1147回にわたり週刊朝日に連載された。訪ね歩いた街道は72を数える長い旅路だった。
 ときどき見ているDVD「街道をゆく」は、「日本人とは何か」「国家、文明、民族とは何か」という司馬遼太郎の思索を映像化し、我々が歩んできた道はどういう道で、その道がどこへ向かおうとしているのかを考えるシリーズである。

生前のままの司馬の書斎に残る、過去という膨大な世界へ旅した取材ノートはすごい。あらかじめの十分な下調べや、旅の行動を克明に記録してある。その土地で天、風の臭いにかつての文化や景色を見ることができると言う。
 司馬の楽しみは、毎日書斎にうずくまっていることらしい。地域、時代によって変わっていく自分自身を見つめるために旅をするという。彼にとっての旅の位置付けを知ることが出来た。
土地と言うものは、よって立つ所、歴史、人生、我々そのものだと言う。土地をお金に置き換えてきた戦後の日本、モラルの崩壊など、昨日の続きで今日も生きているようでは、日本という国はなくなってしまうかも知れない。そんな深刻な事態だと、彼は憂えている。

素晴らしい映像に、司馬遼太郎の思索が語られる。流れるBGMがあまりに素晴らしい。
 その土地土地で精一杯に生活してきた人間模様を視聴しながら、ぼんやり自分の生き方を考えている。
 こうした視聴のひとときはいつも至福の空間だ。これからもときどき「街道をゆく」シリーズの視聴を楽しみにしている。



(*)「ネットの解説 NHK」
《プロローグ 時空の旅人・司馬遼太郎》
【初回放送:1997.03.20 放送時間:74分 総合テレビ
「街道をゆく」は作家・司馬遼太郎が96年2月急逝するまで25年間1147回わたって週刊誌上に連載を続けた壮大な思索紀行文学である。プロローグ編では司馬がどんな旅人だったのか、そこに描かれた思索は何だったのかなどを中心に日本の四半世紀と重ね合わせて描いていった。】

塾の講師による夜間有料授業

2008-01-29 | 教育を考える
              【赤井より 麗しの磐梯】

   東京の区立中学校で大手進学塾の講師による夜間有料授業を実施するというニュースに接した。落ちこぼれ対策の補習であり、できる子をもっと伸ばそうという試みと言うが、こうした発想に大きな疑問を感じる。
 学校は、とりもなおさず知育、徳育、体育のバランスの取れた全人格的、総合的な教育の場である。営利目的の受験産業との連携が、子どもたちの豊かな学校教育をゆがめる受験競争社会を助長してはならない。
以前、川内村で村営の学習塾を作ったというニュースを聞き、驚き疑問を感じた。()学習塾は不必要悪である。知育偏重の是正が叫ばれ、ようやくゆとり教育の理念に行きついたのに、また以前の受験競争社会に戻ってしまうのではないかと危惧を覚えざるを得ない。
 子どもたちが心豊かな人生を送るための基盤を培うための教育であって欲しい。



)「村営学習塾は疑問

  川内村で村営の学習塾を作ったというニュースを聞き、驚き疑問を感じている。
 私は子ども3人に学習塾に通わせなかった。塾通いで失われるものは大きく、子どもたちには伸び伸びした少年期を送って欲しい願いがあった。家庭や地域には子どもたちをより創造的なたくましい人間に育てる義務がある。塾通いで、どれだけ無駄な時間が失われるか知れない。
学習塾は不必要悪と思う。根底には競争社会下での漠然とした不安があるのだろう、親は表面的な安心感から塾に通わせ、子どもたちは親や社会環境の犠牲になっている。それでなくとも今、期待の中始まった「ゆとり教育」が見直され、学習環境は子どもたちにとり、強制的、管理的なものに変わりつつある。ペーパー学力偏重の机上の学習でなく、より体験的なバランスの取れた学び環境を取り戻さなければならない。
村営学習塾は地域の学力差を心配しての苦悩の教育施策のようだが、それには、小、中学校における少人数学級の実現が急務だと思う。(福島民報 掲載 2007.5.14)



ゆとりある教育場面

2008-01-28 | 教育を考える
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【冬:崎川浜より 磐梯麗し】


  子どもたちの学力低下が懸念され、長い時間をかけようやく到達した「ゆとり教育」が転換されようとしている。ゆとり教育の検証がないままに、またネコの目のように教育の方向性が変わる。
 授業時間数を増やしても真の学力は育たない。今大切なことは、疑問を抱き、自らの課題を解決する力、学ぶ意欲や感性等を育む、ゆとりある創造的教育活動である。
 黒板を前に、教科書による教師の解説授業は要らない。たとえば、バーチャルな学習教材を離れ、もっと社会や野外で現物に触れる生き生きした体験学習が欲しい。
 詰め込みの知識量、偽りの学力を問う大学入試の競争体制に翻弄され、真の生きる力を涵養するゆとりある教育場面が失われていく危惧を覚えている。一つ一つの授業が、子どもたちの心に響く、おおらかな、主体的な、自由な、こころ豊かな学習の場であって欲しい。


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孫たちに無限の可能性を見る

2008-01-27 | 教育を考える
 
お正月に、娘が、5才と3才の孫たちに初めてDS(携帯型ゲーム機)を買い与えた。喧嘩にならないようにと、青とピンクの2台だ。DSも学習向けのソフトや大人向けの教養ソフトも充実しているし、大事に使えば価値ある代物だと思っている。
 今、孫たちは恐竜やポケモンのアドベンチャーゲームで遊んでいる。PCも大分前から使っているが、情報機器の利用はこれからのリテラシーである。5才になる武琉君はPCの検索画面で恐竜やキャラクター情報を自分で自由に操作している。まったく驚きである。 我々の育った時代に比べ、遙かに情報量の多い世界に育つ孫を見つめている。毎日、計り知れない可能性を見ている。将来どんな大人になるのだろうか。

DSは、ママはいろいろ心配しながらも、今のところ1日1時間という約束をさせている。今の時代にこれらは決して早くはないと思っている。親の管理下で、有効に使わせることも出来ると思う。実は、私も「数独」に凝ってしまった。ばあちゃんは「のだめカンタービレ」とかで遊んでいる。子どもがDSに熱中するのが理解できる。たまに熱中するのもいいものだとおもった。

 DSやPC、DVDやビデオなど、孫たちの見る映像はほとんどがバーチャルな世界である。なるべく現物に触れさせることが大切である。アニメの世界が作りものであることをしっかり認識させたいと思う。幼児期の子どもたちには、バランスの取れた遊びの環境を整える必要がある。
 今の時期も雪の庭にも観察対象はかなりある。裸の木々の枝、空や雲、輝く雪、小鳥のさえずり、5感を総動員して自然と触れ合う時間も大切だ。欠けてならないものは、自然への興味、関心を持たせることと思っている。

 興味の対象も変化する。「どうして?」「~って何のこと?」と矢継ぎ早に質問する。
質問に答えると、分からない言葉はすかさずに聞く。孫たちの真っ白なノートが次々と埋められていく。一生にどれだけの人生ノートが出来るのだろうか。
 この孫たちと、あと何年一緒に過ごせるだろうか。早く成人して欲しい気もするが、今のままでいて欲しい願いもある。目に入れても痛くない、かわいい孫を思う。いつも孫中心の賑やかな生活が幸せだ。


雪の飯盛山

2008-01-26 | 街中散歩
 
久しぶりに雪の飯盛山へ行った。我が家から飯盛山までは裏道を通り約1キロ10分の距離である。滝沢の御本陣の前を通り、細い足跡が続く裏道を飯盛山へ向かった。
 厳島神社境内は、スギの大木が所狭しと林立し季節を問わず静かだ。かつて白虎隊士が通った戸ノ口堰洞穴からは清らかな水が勢いよく流れていた。冬は水量が多いような気がする。

  【スケッチ 雪のさざえ堂】

 この時期ほとんど観光客はない。さざえ堂への急な石段は雪のため通行止め、坂道を新雪をかきながら白虎隊士のお墓に向かった。
   お墓の高台に立つと、チラチラ降っていた雪が止み、眼下に真っ白な若松市街が広がった。遠くお城を確認できた。百数十年前に、この辺りから燃えさかる若松の街をながめた十代の若者たちがいたのだ。どんな思いであったろうか。
 隊士達のお墓は静かに雪に埋もれていた。静かに手を合わせた。わずかな時間を溯っただけのこの地で、あの戊辰戦争があり、19人の白虎隊士がいのちを落とした事実を思った。


お墓の脇には松平容保の殉節した白虎隊士に詠んだ弔歌の歌碑が建っていた。石碑の刻みに雪をすり込むと達筆な歌が浮かんできた。
 「幾人(いくたり)の涙はいしに灑(そそ)ぐとも その名はよよに朽じとぞ思ふ」

 お墓に入る左右の石の門柱にも雪をすり込んでみた。右には「精忠貫日月」左は「勁節陵風霜」とあった。しばらく手が冷たかった。

 普段ゆっくり見ることがなかったこの聖域には、戊辰戦争で犠牲となった婦女子二百余名を弔う「会津藩殉難烈婦の碑」やローマ市から贈られた白虎隊の武士道を称える碑、美濃國郡上藩校凌霜隊の霊を慰める碑などが建っている。

約1時間、すがすがしい気持ちで飯盛山を散策できた。帰路につくころ、忘れていたかのように吹雪いてきた。しばらくは雪が続きそうだ。
 今後もときどき訪ね、先人に思いをはせたいと思った。
(2008.1.25)

(参)拙ブログ【街中散歩 飯盛山 / 2006-12-17】

「街道をゆく」

2008-01-25 | 文芸
 
 ときどき、大学図書館でDVDを視聴している。
今は、司馬遼太郎の「街道をゆく」新シリーズで、興味ある所から順に見ている。今日は「信州佐久平みち」「因幡・伯耆のみち」「叡山のみち」の3本を視聴した。いずれもかつて訪れたことのある土地で興味深いものがあった。
この素晴らしい番組を視聴しながら、歴史を思い、人間を思い、生き方を思った。遠い昔から積み重ねられたそれぞれの土地の歴史をたどり、知らないことを知る。実に楽しいことだ。
 文庫本の「街道をゆく」は全43巻すべてが本棚に並んでいる。「奥州白河・会津のみち」や「北のまほろば」は何度も繰り返し読んでいるが、まだまだほとんどがきれいなままである。また、「司馬遼太郎の風景」シリーズも数冊ある。これはNHKスペシャル「街道をゆく」を出版化したもの。
  これらの蔵書で、これからも急がずに、日本中を司馬遼太郎の目で旅してみたいと思っている。
 

 急がずに 街道をゆく 人の道 


冬の鶴ヶ城

2008-01-24 | 街中散歩

 今年初めてお墓参りをした。手を合わせると父や母の顔が浮かんできた。今年1年のご加護をお願いした。我が家のお墓はお城の南口の豊岡墓地にある。帰りについでながら冬のお城を散策してきた。

今年は雪が少ない。例年2月の「絵ろうそくまつり」にお城へ出かけているが、これからどうなるだろうか。
久しぶりの本丸で、雪吊りの多行松を前景に天守閣をながめた。雪のため、廻りの土手へ登ることは出来ず、鉄門も閉じられていた。昼前でしばらくは静まりかえっていたが、そのうち団体の観光客の声が静寂にこだました。こんな寒い時期だが、けっこう観光客がいる。冬の鶴ヶ城は遠くからでも見に来る美しさがあると思った。
 お濠には氷が張り、水との境界線上にはカモが静かに休んでいた。ほとんどカルガモだ。お濠が凍結すると少なくなるが、一年中見られる鶴ヶ城の鳥である。
 絵になる眺めを写真に撮った。木々の枝を縫ってヒヨドリが楽しそうに飛び回っていた。


 今日、2つの碑の発見があった。
本丸の北の隅に大きな碑がある。最近ここに解説板が整備され、これが萱野権兵衛の殉節碑であることを初めて知ることが出来た。そういえば、昨年権兵衛父子の墓へ詣でた。郡長正は権兵衛の次男である。(拙ブログ『街中散歩 郡長正の墓』(2006.1.12))
 また、お城の南口の三の丸御殿跡に句碑を見つけた。「鶴ヶ城址 夏草刈りて 明るかり  杏所」とある。裏には、「新城杏所翁の古稀を祝いて 句は秩父宮殿下と松平勢津子姫との御成婚奉祝献上の句なり」と彫られていた。(昭和三年九月の秩父宮殿下と松平節子姫(御婚礼後勢津子と改名)との婚儀は、戊辰戦争以降朝敵という汚名に押しつぶされながら生き続けてきた会津人にとって、再び天皇家と強い絆を結ぶことができるようになった大きな出来事だった。)
 いずれも、何度も来ていたが初めて碑の意義を認識し、あらためて当時の世相を思った。


 厳寒に静寂のお城を散策した。張りつめる厳しい寒さが実にすがすがしく感じられた。 帰り際、曇り空からチラチラ白いものが落ちてきた。なんだか積もりそうな予感がした。



言語の危機

2008-01-23 | 教育を考える
  雑誌「学術の動向」(今月号)の特集:「日本語の将来のために、今何が必要か?」を興味深く読んだ。
  「言語教育の展望」で佐藤学はリテラシー(*1)の危機を解説している。
  「日本の中学生の校外の学習時間が世界最低レベルであり、言語の危機と言うより教養の危機の状況である。教養に関する調査結果からも、子どもの学力低下よりも大人社会の教養の衰退がはるかに深刻だ」という。
 なるほど、テレビ番組を見ていて「一億総白痴化(*2)」と言う言葉を思い出し、こんなことでいいのだろうかと真剣に考えることがある。
また、佐藤が挙げる【21Cの学校カリキュラム】としての4領域(*3)に関心を持ったが、言葉はすべてを通して達成されるべき教育であるという。当然だと思った。
 最近(1/17)中教審が、学習指導要領等の改善についての答申を出したが、その中でも、教育内容に関する主な改善事項の最初に「言語活動の充実」が述べられていた。
 知識を得るための言語、観察結果を記録する言語、レポートに表現する言語、コミニュケーションをはかる言語、何をするにも言語は重要である。あらゆる場面で思考状態を具現する手段としての言語の力はきわめて重要な、リテラシーそのものであろう。
  改めて言語の意義を確認し、教養を高めるため、言語を通しての学びの重要性に気づかされた。
 

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(*1)  『リテラシー(英:literacy)』:「言語により読み書きできる能力」を指す言葉で、元来「識字」と日本語訳されてきた言葉である。近年、情報化社会の進展からコンピュータの利用技術を持つか否かによって個人の可能性が大きく左右することから暗に「情報リテラシー」を示すことが多い。(ウィキペディアから)
(*2)  『一億総白痴化』:社会評論家の大宅壮一が生み出した流行語である。「テレビというメディアは非常に低俗な物であり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いが強い。(ウィキペディアから)
(*3) ①ディスコースの教育(教科教育) ②市民性の教育 ③アートの教育 ④ケアの教育 の4領域
 
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色とりどりに咲く花

2008-01-22 | 日々の生活
              【大寒の日向ぼっこ】

 このところ夜のうちにうっすら雪が積もり、朝からいい陽が輝いている。

窓ぎわの鉢植えの植物が陽に透けてきれいだ。昨日は暦の「大寒」、最も寒い時期、静かに寒さに耐え春を待っている。また、日の射し込む金魚鉢にも、さわやかないのちが嬉しそうに泳いでいる。
玄関の陽の当たらない世界に取り込んだ鉢を表に出した。冬の陽に少しでも当ててやりたかった。いい陽が当たる濡れ縁に、気持ちよさそうに一斉に日向ぼっこをした。


 昨日、園芸店で春らしい鉢を求めた。ピンクの美しいプリムラオブコニカと紫のサイネリアを求めた。また、この時期には小さなポットに咲くプリムラを買っている。これは宿根なので、花が終わると庭に移してあちこちで増えている。プリムラという名は「最初」と言う意味で、春早く咲く花にふさわしい。
プリムラはきれいだし、丈夫だ。最近はいろいろな品種改良され、色もピンク、赤、白、黄色、橙、紫 等々と、無い色はないくらいに美しく咲いている。日本名はサクラソウだが、日本種のサクラソウに比べると強くたくましい気がする。
 家中所狭しと咲く花は、いっそう明るく、一足早く春が来たようだ。


久々の外出

2008-01-21 | 日々の生活

 昔の職場でお世話になっていた先輩を年始に訪ねた。大分御無沙汰していた。

 先輩宅に伺い玄関のチャイムを鳴らすが返事がなかった。残念ながらお留守か?
 でも、夜のうちにうっすら積もった玄関からの雪道に足跡を見つけた。すこし小さめの突っかけのような足跡は奥さんだろうか。足跡を辿ると、数軒先の玄関まで続き奥さんがドア越しに話をされていた。
 先輩も在宅であった。何度もチャイムを鳴らしたが、2階にいて分からなかったらしい。何年ぶりだったろうか、近況を話し合い、またも健康でいられる幸せを思った。話はいつも同じ、今の世相と子どもたちのことなど教育談義であった。

 先輩は奥さんとお二人の生活で、家の中はいつ訪ねてもきれいだ。応接間には私の贈った水彩の磐梯山の絵が飾ってある。もう20年来同じ位置で部屋を見つめている。いつも大事にして下さって、気恥ずかしい思いがした。

 一時間ほどお邪魔し、昼前に辞去した。道すがら、しばらくぶりに通る東山慶山界隈の変わぬ落ち着いた風情を楽しんだ。道の脇には水量豊かに清らかな猪苗代湖からの清流が流れ、少し高台の畑から柿の木越しに真っ白な若松市内が静かに広がっていた。

 先輩宅まで歩いて30分ほど、往復の運動量はけっこうなものだった。いつもの犬の意志にまかせた散歩とは違う。そのせいか夜足がつるほどだった。歩くことは身体全体にいいようだ。

しばらく家族以外の人と話をする機会がなかった。痩せすぎて頬もこけ、人前に出るのがためらわれていたが、昨年末から少し体重が増え、体調も良いので少し外へ出てみたい気持ちになった。わずかな時間だったが、久々にさわやかな外出となった。
   (2008.1.19)


豊かな老い

2008-01-19 | 日々の生活
   【厳寒の磐梯 崎川浜より】

 近くの大学の図書館を利用させてもらっている。静かな全面ガラス張りの暖かい室内から、しんしんと降る雪の庭をながめる。週に一度、幸せの空間でひとときを過ごしている。

 今日は、広い閲覧室のソファーに座り、文藝春秋2月号をゆっくり読んだ。
  ○「見事な死 ―阿久悠から黒澤明まで著名人52人の最期」を斜め読みした。
  ○「不老革命 アンチ・エイジングの衝撃」(立花隆・茂木健一郎・玄侑宗久等の座談会)は面白かった。
 中でも僧侶・玄侑宗久の話しは良かった。
・「長寿の人が尊敬を集めるのは、欲望を離れたから。」
・「日本では「翁」と言い、神に近づいた素晴らしいものと捉えていた。「アンチエージング」は、老いが否定的に捉えられるニュアンスがある。老いは豊かなもの。」
・「家康に長寿の秘訣を聞かれた天海僧正は、「正直、素食、日湯、陀羅尼、ときどき下風召さるべく候」と答えた。」
 陀羅尼とはヒンズー教のお経を音写することで、これは暗記したものを再生することで良いという。ときどき達治や藤村の詩歌を声に出して詠っている。これら長寿の秘訣はすぐに実践できることだ思った。

 座談会の最後は、「寿命100才時代を迎えることがはたして喜ばしいことなのか」だった。
 長く生きることを目的にしては駄目だろうが、量より内容のある豊かな老いを送りたいと思った。
 改めて、平均寿命ではなく、健康寿命が大切なことを再確認できた。
(2008.1.17)

青春の1ページ

2008-01-18 | 日々の生活
              【麗しの磐梯 :崎川浜】

 
 宮本輝「流転の歳月」の2回目を視聴する。(教育テレビ1/16 p.m.10:25~)
前回、波乱の少年時代を語る宮本に、今にも泣き出しそうな様子を見た。でも今回は、青春時代の思い出を明るい表情で語っていた。
 実に彼の波乱の人生である。でも、少なからず、誰にもそれなりに、人生を決めた、人生の岐路と言えるような体験はあるだろう。それは、偶然の時間との出会いである。漫然と生きてきたわけではない。誰しも、悩み、考え、精一杯の日々を生きてきたはずだ。そう思いたい。そうした集積が今日の人格を作っているのだろう。

 彼の学生時代の体験が作品「青が散る」に書かれているという。一読したいと思った。
 思えば、彼の語った学生時代は、同じように自分にもあった。
 ある意味、苦学生であった自分も、多くのアルバイトをした。部活動にも打ち込んだ。好きな人が出来て、青春の恋もした。そんな体験は同じではなかったかと思った。楽しそうに話す宮本の青春は、間違いなく楽しく充実していたものだった。自分の青春に重ねてそう思った。

私のアルバイトは、家庭教師、引っ越しの手伝い、道路の穴掘り、繊維工場での蚕の繭運び・・・。中でも印象に残っているのは穴掘りと、トラック助手。
 信越線の線路沿いに、ケーブルを埋設するための穴掘りだった。最低ノルマが8㍍、慣れた労働者は半日で帰って行くが、一日がかりで掘り終えた。細いケーブル埋設の深さは80センチだが幅は狭くてもいい。でもツルハシ、スコップでの手彫りだから身体の幅は必要、途中大きな石に出くわし大変だった。黙々と1週間ほど続けた。トラック助手は、飲み屋のカーちゃんに頼まれブドウの産地から大坂へ。荷の上げ下ろしである。運転手の居眠り運転に冷や冷やしながら、ようやく朝の市場に間にあった。途中休憩での食事、風呂に入った記憶がかすかに甦ってきた。

自分にも、宮本に変わらない、楽しい、それなりの充実した青春の1ページがあったのだ。

 次週3回目の放送は「父との約束」、父との思い出の予定。楽しみにしている。
 

滝沢観音堂   - 会津三十三観音 -

2008-01-17 | 街中散歩

 散歩の途中に八幡様にお参りした。神社の西隣に滝沢観音堂があり、ときどきお詣りしている。
 お堂の表札額?には「聖観音 寛政三年九月」とある。調べてみると「寛政」は、あの寛政の改革で有名な元号だから1789年から1800年までの期間。この額が掲げられたのは1791年と言うことになる。今から217年間の風雪に耐えた風格が感じらる額である。

 この滝沢観音堂は、会津三十三観音の第十八番札所で、御詠歌を書いた献額が掲げてあった。 
 「滝沢の落ちて流るる滝の水 
かかる末ずえ弥勒なるらん

 宮崎十三八著「会津の観音巡礼」(恒文社)には、「江戸時代には、古くからの観音巡礼と結んで会津三十三番札所巡りが盛んに行われた。これは藩粗保科正之が、西国三十三観音詣り等によって領内から多額の経費が他国に流出することを防ぐため、会津盆地三十三カ所に霊場を定めたのが始まりという。」とある。

 

  滝沢観音堂のご本尊は聖観音で、堂の中に美しい聖観音像が佇んでいる。拝むたびに本当に美しく癒される感じがしている。
 和辻哲郎の古都巡礼の魅力の一つは聖観音像の魅力であったが、同感である。でも、彼は主として一面二臂の人間の形をした観音像に美的感動を覚えたが、一般庶民の崇拝を受けたのは十一面観音像、千手観音像であった。観音菩薩は十一面観音菩薩や千手観音菩薩など様々な姿に変化するが、変化の前の人間の聖化形が聖観音菩薩である。

今年は会津三十三観音を巡って、ご本尊の仏像にお目にかかってみたいと思っている。
(2008.1.16)

三省

2008-01-16 | 日々の生活
                 【春を待つ】

                 
 ある時に気づく。こんな平和ボケの生活でいいのだろうか。
 すべて、周囲にお世話になりっぱなしで生きている自分が情けない。
 何をやってきたわけではない。でも、家では家族中が大事にしてくれ、一番偉そうにしている。申し訳なく心苦しい。

 世の中の乱れや政治への憤りを抱きながらも、その対応方法も浮かばず、惰性で小さな日々を過ごしている。家族のため、地域のため、社会のために、何かやれることはないのだろうか?。こんな自問反省の生活は、精神衛生上とても良くない。自分のためだけの生活から少しでも抜け出さなければならない。