エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

雪のお城

2011-12-27 | 街中散歩

  久々の晴れ間を見て、朝のうちにお城へ行くことにした。今日も運動不足解消だ。
 9時出発、ゆっくり足下に気をつけながら、昔通った街中の細い道をお城へ向かった。現役のころも、年に2,3度は雪のため歩いて出勤したことを思い出した。

  数十年ぶりに通る道すがら、知り合いの家や店を確認して、流れた遠い日々をを思い浮かべた。
 途中、槻木町の八角神社にお参りした、近くの櫻ケ岡出世地蔵尊も本当にしばらくぶりだった。

 八角神社

櫻ケ岡出世地蔵尊

料亭生粋、萬花楼の前を通って、宮泉銘醸を経て北出丸からお城へ入った。

  宮泉酒造歴史館

入り口の手前,元会津藩家老の内藤邸の跡地、雪の白露庭へ足を踏み入れた。

北出丸入り口

坂を上ると朝日をバックに天守閣が聳えた。膝近くの雪を踏みしめ、アングルに気を遣いながら天守閣を撮った。

 

  

 鉄門は閉じられていたのでUターン、本丸へ向かった。
きれいだった。広い雪の本丸の縁に、雪吊りされた多行松がとても美しかった。
荒城の月の歌碑を上り、美しい雪の鶴ヶ城をながめた。
      荒城の月

 

こうして、人生の一瞬間にお城で感動のひとときを過ごしていることを思った。
帰りは、曇り空に少し風が吹き出した懐かしい雪道をたどって帰路についた。
約2時間半、すがすがしい感動の散歩だった。

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雪の飯盛山

2011-12-26 | 街中散歩

   雪の朝、散歩に出た。夕べのうちに積もった雪道を気をつけて歩いた。
ときどき細かい雪が顔を刺し、すがすがしさを通り越して、指先が凍るように冷たかった。
八幡様では、久々に本殿まで上ってお参りした。


 滝沢街道沿いには結構蔵が並んでいることを初めて知った。
本陣もひっそりしていた。

 本陣

本陣から厳島神社を経て飯盛山への散歩道は好きなコースだ。
雪のさざえ堂も趣き深い。

 厳島神社 

 

白虎隊士の墓まで、一本の足跡が続いていた。 いつものようにお参りして、容保公の歌碑を撫でしばし先人を偲んだ。
  「幾人(いくたり)の涙はいしに灑(そそ)ぐとも その名はよよに朽じとぞ思ふ」

  弔歌碑

少し陽が差す若松の町並みを望んだが、お城は低い雪雲が遮って見えなかった。
  同じ道を戻り、さざえ堂、洞門を回り、子育て地蔵尊では悠人くんの成長を祈った。
 細かい雪が降る中、カメラをハンカチで守りながら家路についた。
  今年もいよいよ暮れる。来る年が幸多かれと祈った。

    何度もブログに書いていた。
     (参)拙ブログ【街中散歩 飯盛山 / 2006-12-17】
                  【雪の境内を巡り 思い出をたどる/2007-01-18】
                   【雪の飯盛山  /2008-01-26】 などhttp://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/8103f39d9512b6c3d6e8bb671a292dae 

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『徳一と法相唯識』

2011-12-22 | 文芸

 妻を病院に送った。月一回の行動パターンは、診察の終わるまでの待ち時間に医院の近くの岩瀬書店で立ち読みをすることだ。

 今日は新しい発見があった。郷土コーナーを覗いていて、かつての親しい同僚、白岩孝一氏の新刊本『徳一と法相唯識』に出会った。
 もう4,5年になるか、退職後間もない彼は「徳一を尋ねて」を上梓した。彼は徳一開祖の勝常寺の檀家でもあり徳一を顕彰したい一心だったと思う。

その後、彼は徳一研究家として、地域の徳一研究会などの講師を務めていることを風の便りに聞いていた。
 今回の分厚い本 『徳一と法相唯識』は、前著で提唱した徳一の「倫理と論理」について掘り下げた続編、早速手に取って、走り読みした。
 「はじめに」と「おわりに」をしっかり立ち読みした。実に充実した文字を追い、仏教にある「唯識」についての彼の思いに引き寄せられた。

 この力作を手にとって、彼の心の動きを思った。
 物心両面の西洋思想と対比した、徳一の説く「こころ一つ」の思想哲学が示されていた。 

 前回「徳一を尋ねて」の発刊を新聞の報道で知り、すぐにブログに書いたが、今日は驚きの第二弾である。
  彼は工業高校機械科の教師だった。在職中は彼が徳一について研究していたことは知らなかったが、彼の工業技術教育の根底には、生徒にあるいは人間に訴える「唯識」思想、哲学があったのかも知れないと思った。教師の一番大切なことだろう。

 我々はだれも、学んだ先人の教えを自分の哲学にしてこころ豊かに生きようとしてきたのだと思う。今老いて知ることだが、自らを見つめると、いろいろな因縁で学ぶようになった先人の教えを支えになんとか生きてきたような気がする。
 それらは、老子、良寛、道元、兼行、賢治・・・・だった。そして今度は、その昔郷土に教えを広めた徳一、についても学んでみたいと思った。とりあえずは「唯識」について知りたいと思う。

  昔在職中には、学校改革の仕事でご一緒し議論しあった彼だったが、これからもときどき話しを聞かせてもらいたいと思う。そして教えて貰いたいと思っている。退職後は皆さようならで、ほとんどそんな付き合いはない。そのうち彼と連絡をとってみたいと思っている。

まだ立ち読みだけ、ネットで目次を調べた。(「BOOK」データベースより)
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徳一と法相唯識  白岩孝一著  (長崎出版)
 【内容情報】『解深密教』唯識論書などを俎上に在野の研究家が読み解く徳一が学んだ唯識とは。
【目次】 第1章『一乗要決』に見る徳一の教学/第2章 法相唯識への手がかり/第3章 法相唯識の歴史/第4章 法相唯識に関する仏典/第5章 法相唯識の入門書『法相二巻抄』/第6章 唯識思想の現代的意義
【著者情報】白岩孝一:1947年会津生まれ。東京の機械メーカー勤務を経て、福島の県立学校教諭に就き、主に工業高校で教鞭を執る。退職して徳一研究に勤しむ。
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会津若松城下絵図

2011-12-21 | 文芸

  つい最近、「会津若松城下絵図」が発刊された。
早速購入した親類から、貸していただいた。
  
   ********************************   ( 新刊の紹介から)
  詳解 会津若松城下絵図 〈甦る、いにしえの会津若松城下!〉
        菊変形判・オールカラー・約300頁
        定価:12,000円(税込)  歴史春秋社刊 
 ●本書の構成
  口絵「会津若松城下屏風」全景(折り畳み)/
  はじめに/凡例(本書の見方)/目次/
  概説・会津若松城下の歴史/
  会津若松城下の概要/
  会津若松城下絵図について/
  絵師・大須賀清光について/
  本文解説/索引(五十音別・分野別)
 ●解説分野(城下絵図の端から端までを全て解説)
  神社寺院、修験、神職、人物、藩士、白虎隊士、民間施設、検断、
  本陣、商家、刀匠、職人、藩施設、郭門、会津若松城、日新館、
  山川、橋、街道、一里塚、温泉、堤堰、史跡名勝、
  行事、村、町分、伝説、墳墓など 幅広く解
    ********************************

  内容については、〈はじめに〉から拾うと、 
 「1592 蒲生氏郷の都市計画によって造られた東北一の城下町会津若松は、鶴ヶ城を中心に以後幕末まで、276年間に渡り変わらぬ美しい景観を保ってきた。
      ・・・・
しかし会津若松城下は慶応4年(明治元年1868)の1ヶ月にわたる会津戊辰戦争により、武家屋敷や藩校日新館などすべてが灰燼に帰してしまった。
   ・・・・・
 この時代多くの遺構は失われてしまったが、幸いなことに城下絵図屏風など、貴重な絵図類が今に伝わり往時の城下を偲ばせてくれる。
その一つ大須賀清光画「会津若松城下絵図屏風」を元に、江戸時代の城下を多角的、総合的に解説したものである。・・・ 」
 
 江戸時代、特に戊辰戦争前後の街の様子や人々の暮らし、生活はどんなだったのだろうか。なかなかそうした様子が分からないでいる。
  当時の城下のそれぞれの町で生きた人々を想像しながら興味深く見ることが出来た。


  祖父や曾祖父、親類や知り合いの先祖を地名を参考にして捜してみた。
 当時の屋敷付近の解説に先祖の名前を見つけた。どんな生活をしていたのだろうか。

  そしてまた、今の我が家の周辺の昔の絵図を見た。今畑もほとんど無くなった住宅地、当時は神社や寺だけで、民家はほとんど無かったようだ。

  わずか150年前の付近の様子が浮かんできた。   

       

なにぶん高価なので、我が祖先に関わる記述箇所をコピーして我慢しようと思う。

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お宮参りと一升餅

2011-12-17 | 日々の生活

 

 奏英ちゃんの満一歳の誕生会をした。また、里帰りして生まれた悠人君は丁度50日になるので併せて家族が集った。
 健やかな成長を祈ってやまない。

 午前中に急遽お諏訪様でお宮参り、ご祈祷を受けてきた。
 しんしんと冷える社殿でお祓いを受け、心身共にすがすがしい気持ちになった。

 奏ちゃんも早いもので満1歳になる。「一升もち」を背負わせお祝いをした。
 会津ではあまりやらないようだが、紗英ちゃんの時も、嫁さんの実家のいわきでやった。
 一生(一升)食べるのに困らないように、一生(一升)健康に育つように、一生(一升)丸く(円満に)などといった願いをこめて健やかな成長を祈っる行事だ。
  奏ちゃんはみんなに見守られてしっかり立つことができた。

  いつもお祝いはいい。ごちそうにお酒が進んだ。こづゆを何杯もおかわりした。

 孫たちのにぎやかな歓声が上がった。今が一番幸せなような気がしている。

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感動 猪苗代湖のコハクチョウ

2011-12-14 | 自然観察

穏やかな冬の一日だった。
昨日午後、田に集うコハクチョウの行動を見た。
多分、朝のうちは浜にいるのではと、、崎川浜のコハクチョウの様子を見に出かけた。
案の定、冬の使者が大自然の中に遊んでいた。
静寂にこだまするコハクチョウの叫び、
これ以上の感動はなかった。

 

 

 

 

 

いつもスケッチの余白に添える詩
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 『磐梯を讃える』

  青き磐梯 うるわし
  対岸の山々 湖に浮かび
  厳寒の大自然を前に
   立ち尽くすしあわせ 

  コハクチョウ
   列をなし 静かに流れる
  大自然の使者よ
   お前たちは素晴らしい
  この静寂にしばしやすらぎ 遊べ
   生きている喜びを 共にせん
 
  全身に 豊かなる大自然
  涙あふるる静寂
  磐梯 うるわし ありがたし
***********************************
                
 崎川浜の麗しの磐梯

 

 懐かしいスケッチ

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夕方、ハクチョウに会いに

2011-12-13 | Weblog

  娘の同僚が赤ちゃんを見に来るという。
 早いものだ、悠人君の50日のお祝いも近い。
  今赤ちゃんは、寝て、泣いて、お乳を飲むだけだ。
 でも、まだわずかだが目を覚ましている悠人君の表情が少しばかり豊かになってきたようだ。
 婆ちゃんはとても忙しい1ヶ月だった。爺も、すっかり忘れていたかわいい乳飲み子を傍観し、少しだけお世話をさせて貰っている。

 

 

 来客中、寒かったけれどハクチョウを見たくなって出かけた。
 長浜の3時、曇り空の隙間から対岸の山に陽が差している。
 相変わらずここにはハクチョウはいない。平日、駐車場は数台の車、閑散としていた。
 オナガガモに混じって、数は少ないがキンクロハジロやホシハジロが仲良く浮かんでいる。

 

 トレードマークの冠羽

翁島の田に回るがここもいない。引き返して湊方面に向かった。
途中の笹山浜、中田浜にもハクチョウはやはりいなかった。
崎川浜の湖水近くの田にようやく集団を見つけた。でも湖水には、普段いっぱいいるハクチョウの姿はなくカモも例年より少ない感じだった。田が雪で覆われると,また崎川浜は賑わうことだろう。

 誰一人いない浜で、寂しそうにしている老犬と話した。長い間見つめてきた白い優しい顔の犬、おそらく15,6年になるだろうか。この冬も元気で過ごせと声をかけた。

 

帰路、強清水から磐梯を望む。夕日に染まる冬の雲が頂を覆っていた。

国道の温度計は0℃、緩やかな風が気持ちよかった。

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町内の忘年会

2011-12-11 | Weblog

  町内の資源ゴミ回収、会館の大掃除、そのあとは今年最後の組長を交えて役員会、続いて忘年会となった。

 毎度のこと、飲み過ぎて帰宅、家人には言えないが半端でない呑兵衛だ。
 酔いの眼でブログを開くと、「草枕」に我が狭い了見をたしなめる大人のコメント有り。
 その通りだ。反省、反省のみだ。

今朝も雪降り、いよいよ雪の季節到来。合同役員会の議題も、今年の除雪の計画だった、
多少酔いに任せてキーボードを打つ。こうして今年も暮れていく。

  きのう、信州から松本産の山芋届く。

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草枕

2011-12-10 | 日々の生活

   漱石の「草枕」を読んだ。

  町内会役員を務めて1年になる。ひとこと、人付き合いの苦手な自分としての1年の活動の感想は、”とかく人の世は住みにくい”である。

 夏祭りには、まさに”智に働けば角が立つ”に似たいやな体験をしたからかもしれない。
 そんなきっかけもあってか、「草枕」の書き出しが頭に浮かび書棚から取り出した。

 『山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』


 その後は、『住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。』

 詩や画はできないが、庭に出て思いめぐらし、さらには里山を巡っている自分を思った。

 少し読み進めてみると、いつか若い時に読んだとは違うふしぎな世界が広がった。たまに古典を読むのもいいだろう。

 冬の間の一つの心の逃避に加えてみたいと思った。ゆっくり読むことにしよう。


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初冬の庭

2011-12-09 | Weblog

  昨日の昼過ぎから体調を崩した。あれほど注意しなけれなならない食事、量は守ってるのだが・・・。数か月ぶりに、炎症の症状で辛かった。机に向かってキーボードを打つ姿勢も悪いようだ。

すぐに、胃薬と常備薬のR錠を飲んだ。いつも、何も手に付かなくなってから後悔するのが常だ。夕飯までマッサ-ジチェアにじっと横になっていた。
  その後、晩酌は少し減らし、恐る恐る食事をとった。今朝はいいようだ。

 明日にも雪に覆われそうな静寂の庭に出た。
冷たい雨が上がり、八重の白いサザンカ、鮮やかな黄色い冬薔薇がリンと咲いていた。
降り積もった落ち葉の陰から真っ赤に熟したヤブコウジの実がきれいだ。
 見上げると、ナツツバキの枝先にハチの巣を見つけた。

また、楕円形のグミのみにそっくりなサンシュユの赤い実が2つ、落ちそうに熟していた。どんな味がするのだろうか。

 冬を前にした木々の姿を一つづつ見つめた。何とか丈夫で庭を眺める、これ以上の幸せはない。おかげさまの生活を送っている。
 

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福島に生まれて、・・・

2011-12-07 | 日々の生活

   福島に生まれて、福島で育って、福島で働いて、福島で結婚して、
福島で子供を産んで、福島で子供を育てて、福島で孫を見て、
福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです。
 
 先日病院の廊下に書道クラブの展示でこの台詞を見つけた。
  また、今朝の朝刊で《「ふくしまから」世界配信》(朝日新聞(第2福島欄))の記事をみた。 この記事のサブタイトルは「飾らぬ前向きな言葉 首相も引用・英語字幕」 8月の全国高等学校総合文化祭での福島県の高校生が演じた創作劇のセリフが英語字付きでユーチューブでネット配信されている。と言う中身だ。
  http://www.youtube.com/watch?v=SpQkIhaTNXw   (この台詞は0:47:30の箇所)
  
  野田総理は所信表明演説でこの創作劇の「福島に生まれ・・・」を引用し、原発収束の決意を語った。 そして 『原発事故の収束は「国家の挑戦」です。福島の再生なくして日本の信用回復はありません』と。また、『先祖代々の土地を離れざるを得ない無念さ悲しみをしっかり胸に刻み、放射性物質を取り除く大規模な除染を、自治体の協力を仰つつ、国の責任として全力で取り組みます。』と述べた。

  小学校に通う孫たちに、先月市から一人一人に積算線量計が配られた。孫たちは、毎日首に提げたり、ランドセルに入れたりして通学している。また、まだ生まれて間もない悠くんにも送られてきて驚いた。孫は冬休み前に線量計を提出して数値を知らされるという 孫たちは時折子供なりに放射能についていろいろ聞いてくる。息子、娘の家族も食品心配をしているし、我が家も妻が気を遣っている。
 隣近所に仮設住宅が建ち、浜通りから多くの方々が避難してきている。
こんな現状に、日々沈みがちなこころもあるが、元気にふるさとを再生させなければなない。原発事故が早く安全に収束し、うつくしまふくしまの復興を願わざるを得ない。

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老人の生き方

2011-12-05 | 日々の生活

                                                           【ナツツバキの実】

 ラジオ深夜便のサイト《放送をもう一度》で、エッセイスト岡田芳郎氏「定年人生をこころ豊かに」を聞いた。そこで横井也有と言う立派な人物を初めて知り、あらたまって老いの生き方を考えさせられた。
   ********************************
  経歴 [編集]   (ウィキペディアより)
元禄15年(1702年)、尾張藩士横井時衡の長男として生まれる。横井氏は北条時行の流れを組む家柄。26歳にして家督を継き藩の要職を歴任。武芸に優れ、儒学を深く修めるとともに、若い頃から俳人としても知られ、俳諧では、句よりもむしろ俳文のほうが優れ、俳文の大成者といわれる。多芸多才の人物であったという。
53歳にして病を理由に隠居した後は、前津の草庵・知雨亭に移り住み、天明3年(1783年)に82歳で没するまで、俳文、漢詩、和歌、狂歌、茶道などに親しむ風流人として暮らした。 著作に鶉衣(俳文集)
   ********************************
 「どのような生き方をするか」の前に、身体をこわしてからずっと「まず健康であること」が一番の幸せと思っていた。先ずは、心身の健康を日々の目標にして過ごすことだ。

 視聴して耳に残ったこと。
 ●也有の言う生き方と同じ事を佐藤一齋が整理している。
  ・こころが和らいでいる。いらいらしない、ストレスを溜めない。
  ・何事も自然の成り行きに任せて焦らない。
  ・環境に安んじてゆったり暮らす。現状を受け入れる。
 ・流動、一つのことにこだわらない。懲りかたまらない。
  プラス ・清忙が大切と。
  ● 60歳位でいい。人生は限りがある。自分で幕を引く。
     余力があるとき→自分の役割を開発する。傍観者にならない。
     閉じこもらない。外部のものを取り込む。
  
  清忙と言う言葉、「言志四録」を調べたら
  「清忙は養を成す  過閑は養に非ず」とあった。
   確かに閑すぎては教養も付かない、多少は忙しいくらいがいいと思う。養とは養生の意味かな?

 また、講師の岡田芳郎氏の著になる『楽隠居のすすめ』には、精神分析家のユングによる「幸福の五つの条件」が引用されている。
 ① 心身が健康であること。
 ② 朝起きて今日やることがあること。
 ③ 美しいものを見て美しいと思えること。
 ④ 楽しい対人関係が保てること。
 ⑤ ほどほどにお金があること。
   なるほどと思いつつ、自己を判定してみる。
 ①は必須だが、現状はまあまあといえるまでに回復した。
 ②は、少し足りないか。そうありたい。③には自信がある。④は性格上ちょっと苦手だ。
  ⑤も,ちょっと足りないかもしれない。
  当面は①,②に目標を置いて日々を過ごしていきたいと思った。

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初冬の里山を歩く

2011-12-03 | Weblog

今朝の最低気温は0度、氷は張らなかった。
運動不足もあり、午前中思いついて磐梯町方面へ、里山を歩いてきた。
久しぶりに慧日寺資料館を目指した。

途中八田野のいつものポイントで磐梯を眺めた。中腹に雲がかかりきれいだった。

資料館は12/1から3・31まで、冬期の休館に入っていた。
資料館周辺は、広い駐車場や公衆便所、遊歩道などが見違えるほどきれいに整備されていた。

裏の慧日寺跡へ回ると、ここも閉鎖されていた。脇の道を進むと4,5人がテントで休憩していた。

徳一廟

その中の一人、立ち上がってきたのはA先生だった。
先月の元気会で20年ぶりに再会した元同僚、定年退職の後、最近慧日寺の発掘調査の仕事に携わっていたのだ。

徳一の廟の北側に建物があったらしい。発掘中とのこと、首にタオル巻き防寒ジャンパーを着ていた。
 丁度お茶の休憩時間だったようだ。少しずれていれば会えなかったろうに、不思議な再会だった。
 裏のいつも訪れるヒメシロチョウの里は、寒風が吹き、数日前まで日だまりに飛び交っていたアカネもすっかり見えなかった。

ハクチョウに会えればと、磐梯町から猪苗代へ向かった。

ハクチョウは翁島には見えなかった。蟹沢浜、長浜にも、明らかに水鳥たちの数も少なかった。
北風が強く、飛び立つオナガガモは強い風に岸に打ち寄せられていた。
対岸の湖南の山々が真っ白で美しい。

蟹沢浜で

長浜で

帰りに山の公園にヒマラヤシーダを見に寄った。すでに花粉をまき散らした雄花が落下していた。
今年受粉した雌花を探したが、何分、高い枝を下からでは見つかろうはずもない。

先日、今井美術館から送って頂いたあの小さい実が1年かけて大きく膨らみ、来年のシーダローズとなるのだろう。

大きく膨らんだ昨年の実の脇に,去年ローズを落とした果軸が残っていた。

もう小さな生き物の姿はどこにもない。

雄花

いつの間にかすっかり晴れ上がり、帰りは八田野から駒板へ降りた。
途中、飯豊山が真っ白に輝き、特にいつもの観音様を拝むポイントからは絶景だった。
会津慈母観音さまは神々しく見えた。抱かれる赤ちゃんは悠人君に思え、丈夫に健やかに育てと観音様の横顔に祈った。

会津慈母観音

飯豊の山並

 1年ぶりに、手が凍えるほどの寒さを思い出した。すがすがしい、こころ洗われる数時間の里山めぐりだった。

 あとわずかで今年も暮れる。(2011.12.2)

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冬の季節となりにけり

2011-12-01 | 日々の生活

 
  裏庭でサザンカが一杯咲いていた。
その横に、選定を免れたバラが一本きれいに咲いていて驚いた。

]

秋薔薇と言うのだろうか、冬薔薇か、脚立に昇って写真を撮った。
手の届くところにサルスベリの実が一杯、じっくり観察した。

サルスベリ

 

ザクロ

 

ヤブコウジ

サンショ

このところの氷点下の気温に、数日前まで萌えるように美しかったドウダンやトウカエデの色がすっかり褪せていた。
 今日から師走、いよいよ冬の季節となりにけりか。

 

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