エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

ころり3観音を参拝

2015-10-03 | 旅行

町内行事「研修視察」で、ころり3観音を参拝した。

例年,参加者が少なく企画に苦しんでいる行事だが、今年は例年にない19名もの参加者があった。

朝9時に町内会館を出発、一路西会津の鳥追い観音へ。 →坂下の立木観音→新鶴の中田観音の順で会津ころり3観音をお詣りした。

朝早い鳥追い観音は清々しく、心が澄みわたる感覚がした。ご本尊の聖観音をお詣りし、堂内の抱きつき柱に抱きついた。

観音堂の東側軒下の壮麗な彫刻に、左甚五郎の作と言われる隠れ3猿を探した。

(*)左甚五郎作の隠れ三猿

御堂の彫刻の中で有名な「隠れ三猿」は、観音堂再建の際、鳥追観音の霊験にあやかろうと左甚五郎が心を込めて刻んだと伝えられる名作です。その三匹の猿とは、鷹に襲われる猿(難より隠れサル)・鷹が猿を見失い難を逃れた猿(難を逃れサル)・手枕で丸くなって眠る猿(安楽に暮らしサル)の三猿で、観音の大慈大悲に祈願してこの三猿を探し得れば牡丹の蕾が花開くように幸運が開き「福マサル」といわれています。三匹目の猿はなかなか見つけられません(心に迷いがある方は見つけられないとも言われています)が、答えはこの説明の中に隠されています。

 

 

 

坂下の塔寺の立木観音は、1本のケヤキの大樹から彫り出した千手観音である。もう何十年ぶりだったろうか、黒光りする千手観音の足の甲と爪に触りお願い事をした。

観音様の両脇の28部衆はケヤキやホウノキの一木造りで色彩も豊かだった。

 

最後に野口英世の母シカが参詣した中田観音で。抱きつき柱に抱きつき,長患いせずに往生できるように念願した。

となりの小学校の運動会で、道は駐車場となり、風に乗って霧島昇の歌う「白虎隊」が聞こえてきた。

3観音を巡り終え、各寺で御朱印をいだたいた。ぴんぴんころりと逝けそうな気がしてきた。

 

昨日までの北海道の爆弾低気圧に心配したが、今朝は久々の濃霧でやがて霧も晴れ、雲一つない最高の秋晴れに恵まれた。

帰りは新鶴温泉で昼食・入浴休憩を楽しみ、ほぼ計画通りに午後2時町内会館へ戻った。

来年も希望者が沢山でるような企画を考えていきたいと思っている。

とても充実した研修ができた。皆さんご苦労様でした。

 

【Wikipedia】から

会津ころり三観音(あいづころりさんかんのん)は、福島県会津地方大沼郡会津美里町根岸の弘安寺(中田観音)、河沼郡会津坂下町塔寺の恵隆寺(立木観音)、耶麻郡西会津町野沢の如法寺(鳥追観音)の三観音をあわせて、会津ころり三観音という。

人間は生を受けてのちは三毒(とん=むさぼること)、(しん=いかること)、(ち=おろかなこと)によりもろもろの苦悩を受けることになるが、この三観音に巡拝し、罪障消滅を祈願することにより、その苦しみが除かれ、現世においては子孫繁栄、万願成就、寿命安楽などがかなえられ、やがて大往生を遂げられるという。

特に観音堂内にある抱きつき柱にすがれば、死の床に際しても苦しまずに成仏でき、家族に余計な負担をかけずにすむということで「ころり」三観音と呼ばれるようになった。


梅雨の晴れ間の高原へ

2014-06-26 | 旅行

  「イチロクもりの会」の第1回の研修に参加した。

 6/23:10時に駒止湿原入り口の駐車場に集合、数ヶ月ぶりの同窓会はsimo会長以下8名の参加だった。

 実に30年ぶりの駒止湿原、小学生の子どもたちと湿地を巡った遠い日が思い出された。

 梅雨時には珍しい晴天に恵まれ、一面ワタスゲの絨毯に敷き詰められた広い湿原をゆっくり歩いた。

                

   

 

 湿原に入ると、アサギマダラに迎えられた。ニッコウキスゲも咲き始め、夏の花々を愛でながらゆっくり木道を歩いた

 青い空に紅く萌えるレンゲツツジ、ピンクのウラジロヨウラク、真っ白なリンゴのようなズミが満開だった。

 湿原には、ヒオウギアヤメ、コバイケイソウ、ツルコケモモ、マルバモウセンゴケなどが・・・。

 山の自然はすべてが清らかで、いつもの里山とはひと味違う。

    

   【ヒオウギアヤメ】                                   【コツマトリソウ】                         【ナツトウダイ】

   

 【ワタスゲ  花  】                                                                            【タテヤマリンドウ】

    

 【レンゲツツジ】                                   【ワタスゲの間にニッコウキスゲが咲いている】

   

【ウラジロヨウラク】                               【ゼンテイカ】                                【ズミ】

 期待してきたイトトンボ類はほとんど見られず、コサナエ、シオヤトンボ、ダビドサナエを数頭見かけただけだった。

チョウはヤマキマダラヒカゲ、ヒオドシチョウ、カラスアゲハ、フタスジチョウに出会えた。

   

【シオヤトンボ】                               【ダビドサナエ】                                    【ヒオドシチョウ】

  地元幹事のIsiさんの提案で、高清水の日本一のヒメサユリを見ることにした。丁度見頃だった。青い空をバックに美しい姿を構図してシャターを押した。

   

  

                                                                               

 明日の田代山登山に備えて、水引の民宿に一泊した。

 久々の懇親会、少し控えようと思っていたが、坂下のSaさん差し入れの「飛露喜」をいただき、盃が進んだ。それぞれに近況報告、小生はオオルリシジミ復活の夢を話した。

   

  翌日(6/24)は曇天、少し心配な空模様に大きいザックに雨具を準備した。宿から約30分の悪路?を一路「猿倉登山口」へ車を走らせた。

     

  【田代山・帝釈山登山口】              【ラショウモンカズラ】              【ズダヤクシュ】                           【オオバミズホウズキ】

9時少し前、田代山までの約2㎞、2時間の予定で登りはじめた。登り口の川沿いにラショウモンカズラが美しかった。マイズルソウ、ゴゼンタチバナを眺めながら登った。

この山登りは多少の不安があった。しばらくは里山を歩きトレーニングしていた。
きついところもあったが、道すがら同行して頂いた県の自然保護指導員Hoさんからいろいろ教えられながら楽しく登ることが出来た。 

途中、美しいダケカンバ、コメツガの林を登り1時間30分程のペースで小田代湿原に到着、木道から美しい花園を観察できた。

    

 

    

 【リョウブ】                              【ムシカリ  (オオカメノキ)】                                    【ヤマナメクジの交尾】

黄色いチングルマ、真っ白なミツバオウレン、ブルーのタテヤマリンドウ、かわいいピンクのヒメシャクナゲ、特に駒止にはなかったピンクのイワカガミと色とりどりの美しさにみとれ、心洗われる思いだった。

途中Moさんの見つけたイチヨウランもカメラに収めた。

  

   

【イワナシ】                                      【アリドウシ】                              【ツルシキミ】

   

【マルバモウセンゴケ】                            【ムラサキヤシオ】                       【アオカミキリ】

   

【ミツバオウレン】                          【ユキザサ】                                【ギンリョウソウ】

        

  【ゴゼンタチバナ】                           【イチヨウラン】                         【ヒメシャクナゲ】

  

  【ハリブキ】                                                          【ヒメモチ】

  さらに30分で田代山湿原へ到着、汗をかいた後の山頂のさわやかな風に救われた。見るものすべてが、何故こんなにも美しいのだろうか。

 田代山のなだらかな頂上部に広がる高層湿原は約25haの広さで、平成19年に尾瀬と合わせて尾瀬国立公園となった。

        

 
 

コメツガの林の中に避難小屋となっている弘法大師堂にお参りをして昼食をとった。 

お昼はおにぎりとカップラーメン、矢吹のSekiさんからいただいたキュウリの一本漬けがおいしかった。

素晴らしいトイレ設備が建ち、汚物は容器に溜めてヘリコプターで空輸されるシステムだ。

堂の裏手にはまだ残雪があり、足下にかわいらしい小さなショウジョウバカマ、ミズバショウが咲いていた。

    

  

 周囲の山々は時折流れる霧の中、残念ながら雪を抱く会津駒ヶ岳を見ることが出来なかった。

 木道からチングルマの花園を眺めながら名残を惜しみつつ湿原を後にした。

 下山は約1時間30分、途中雷鳴とどろき心配したが雨に遭わずに下山できた。

 普段は賑わう駐車場だが我々の車の他に2台だけ、山でも数グループにあっただけで独り占めの山行だった。 

皆さんお世話になりました。特に、地元幹事のIsiさんには本当にお世話になりました有り難うございまいした。

皆さんそれぞれに自然を愛し活躍している。 小生もあと数年は元気に里山を巡り、小さな虫たちと大いなる自然を楽しみたいと思っている。 

                                                                                         (2014.6.24記)

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岐路、前沢宿へより茅葺きの曲がり家を見学した。

   

途中、田島手前で土砂降りの夕立にあった。一時ヒョウも混ざり、かつて経験したことのない強い雨に逢った。夕方5時に過ぎ無事帰宅した。
 


 


温泉に

2012-03-30 | 旅行

  娘の招待を受けて、芦ノ牧温泉に泊まった。
 孫たちにも、頑張った一年間のご褒美、待ちに待った春休みのお祝いとなった。
 夕食の膳を前に、娘にお礼を言い、「またお願い!」と乾杯をした。
 タラバガニのお刺身、アワビの蒸し焼きなど、滅多にない贅沢な料理にお酒がおいしかった。

何度あっただろうか、こんな幸せはない。これも健康であればこそと、今更ながらなんとか普通の生活が出来ることに感謝した。

 孫と何度も温泉に浸かった。湯煙にかすむ露天風呂の眼下には、大川の清流が音を立てて、滝のように流れていた。

ライトアップされる木々は真っ白で、灯り越しに降る雪が見えた。 部屋に戻ると、孫たちは、寝る場所で兄妹の言い争い、二人ともばーちゃんの隣に寝たいのだ。

 部屋の広い床の間に、きれいな絵が掛かっていた。コブシだろうかハクモクレンだろうか、一瞬で魅せられてしまった。

清潔な清々しい絵には、「倉丘」と署名があった。 帰宅してネットで調べると、「山本倉丘」と言う画家がいた。

その作品の署名や落款を見ると、若干違うような気がした。まあ、作者はどうでも良い、素晴らしい絵に出会えて良かったと思っている。

いつか、こんな絵を描いてみたいと思った。

 

 一夜明けて快晴、午後気温が17℃まで上がった。わずかに残っていた雪が完全に消え、フクジュソウが黄金に輝いていた。積もった枯れ葉をよけると、ミスミソウの小さなつぼみが沢山見えた。ようやく訪れた春だ。

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「しぶき氷」 見事な氷の世界

2012-01-20 | 旅行

  
  数日前に新聞で「しぶき氷」が見ごろと言う記事を見た。
  きのう、滅多にない快晴・無風の天気予報につられて出かけた。

 飯豊山

 八田野付近

 長浜付近

 冬の風物詩「しぶき氷」は猪苗代湖・天神浜でみられる神秘的な氷の芸術的な造形だ。
  猪苗代湖は冬も凍らないが、強い西風に打ち上げられるしぶきが、湖畔の木々を凍らせて大きくなる。

 天満宮前の駐車場はほぼ満杯、駐車場からすぐに湖水方面へ出る方が良い。
 雄大に聳える磐梯山を振り返りながめながら、いろいろな氷の造形が見られるからだ。

 天神浜

 

 

 

 

 

 結構な人たちが、それぞれに三脚、カメラを手に、思い思いのポイントで真冬の世界を撮っていた。
  今年は雪が少なく、かなり寒い日が続いていたので、数年見られなかった見事なしぶき氷が出来ていた。湖に浮かぶ秀峰磐梯はどこまでも凛々しく美しかった。

 帰りは静寂の林の中を進むと、あちこち雪が落ち、風花が舞っていた。ノウサギの足跡が林の中に続いていた。

帰路、長浜に寄った。湖畔の中華レストラン西湖でいつもの五目うま煮汁ソバを頼んだ。妻はエビ入りの塩汁ソバだ。

ゆっくり水鳥たちの行動を観察した。(2012.1.19)

 

 キンクロハジロ

 オナガガモ

 ホシハジロ

 めったにない快晴に恵まれた日、冬の風物詩を堪能した。 

 

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町内友の会、秋の親睦旅行

2011-11-07 | 旅行

     昨日の夕方から、町内の友の会(老人倶楽部)、秋の親睦旅行へ行ってきた。
 熱塩温泉の山形屋へ一泊、美しい紅葉の中、往く秋を楽しんだ親睦旅行だった。
 17名の参加、ほとんど70才~80代の17名の参加、最年少の私、仲間入りして初めての参加だった。
  夕食懇親会はいろいろな余興も出て、楽しいひとときを過ごした。
 由佳ちゃんのおばあちゃんと隣り合い、いろいろな話をした。87才とは思えないお元気な姿にパワーをいただいた。

 

 翌朝6時、久々の示現寺に参拝した。近くの温泉神社の大杉は初めてだったが見る価値はある。

 山に霧がかかり、落葉のさわやかな空気に、少し多めのお酒、温泉に浸かったけだるい疲れも、すっかり直ってしまった。

  瓜生岩子の像

http://www.ppn.co.jp/kannda/sakuhin/uryu/uryu.html

 9時、旅館の送迎バスで日中ダム、会津大仏を見て11時には町内へ戻った。次回はどこへ行くのだろうか。

  会津大仏

 http://www.jodo.jp/08-131/

 

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日帰りバスツアー

2011-06-02 | 旅行

      【長瀞 岩畳】


きのう、妻と日帰りバスツアー『小江戸散策 川越&長瀞 岩畳とハナビシソウ園』に参加した。

何の心配もなくバスに揺られながら、思い巡らせた。
 大病から生かされ8年、はじめの5年間は毎月1度、その後は3月に一度、検診を受けに神奈川の病院まで高速バスに揺られた。
 数十回の通い慣れた高速バスの旅だった。
 車窓から朝ぼらけの磐梯山をながめながら、その頃の辛い思いが蘇ってきた。
 のどかな田園風景に、取り戻した健康が今更ながらありがたく、あらためてこれまでお世話になった周囲に感謝の念がわいてきた。

7時前に高速道に入り、磐越道、東北道、北関東道、関越道を走った。
 あたらしい高速道路MAPを見ながら,地域の景色を眺めた。
 約4時間、ようやく花園ICを出て長瀞へ到着、少し早かったが準備された昼食の竹善料理をいただいた。

 メニューのハナビシソウはまだ咲いていなかったので、近くの寶登山神社に参拝した。
「千古の霊場」と詠われるこの神社は、昨年136年ぶりの大改修がされ、彩色された本殿の彫刻は豪華絢爛だった。







 いよいよ長瀞の岩畳を見ることが出来た。
 変成岩帯が地表に露出し、隆起した結晶片岩が文字どおり岩畳となって広がる風景は、自然が創り出した美しい芸術品だった。





この「岩畳」は1924(大正14)年の指定の名勝・天然記念物で、その指定解説文に
『結晶片岩ヨリ成レル峽谷ニシテ兩岸絶壁ヲナシ勝景ノ地タルト共ニ結晶片岩能ク露出シ且ツ本邦ニ特有ノ紅廉片岩ヲ見ルヘク或ハ層埋ニ沿ヒ或ハ之ニ直角ニ種々ノ浸蝕ノ痕跡アル外地層ノ褶曲斷層明カニシテ特ニ褶曲ニハ其ノ種類多ク斷層ニ基因セル鏡肌アリ蓋シ結晶片岩地方ノ峽谷トシテハ關東ニ於ケル代表的ノモノタルノミナラズ前記ノ如ク各種ノ天然紀念物アリ』とある。
地下20㎞の深さに相当する6000~7000気圧、200~300℃で作られたものが、造山運動により地表に顔を出したのが、この長瀞渓谷である。

 大正5(1916)年、この地を訪れた宮沢賢治
”つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ”と詠んでいる。
 岩石が薄くはがれやすい「片理」や多数の割れ目「節理」、荒川の浸食によって造られたこれらの造形は実に美しかった。
 希望していた船下りも、昨日までの雨で水かさが多く中止となってしまった。
 曇り空からポツリポツリ、濁った荒川の流れの端、岩畳付近をゆっくり散策した。

 次の目的地は川越へ、
シンボル「時の鐘」は環境庁主催の「残したい日本の音風景百選」に選ばれた。
そのシンボルや、江戸時代の風情を見せる蔵造りの町並みを巡った。



蔵造り資料館を見て、度重なる大火に、類焼を防ぐ為の巧妙な耐火建築が江戸の町や様式として発達したことを知った。
重厚な蔵づくりの建物の並ぶ一番街から、菓子屋横町などを巡り、妻は、目のない甘いお菓子を土産に沢山買い込んだ。
 観光パンフレットには「時(とき)薫るまち 川越」とあった。



 バスに揺られる時間が長く、さすがにおしりが痛くなるくらいだったが、久しぶりにのんびりした時を過ごし無事に帰宅した。


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常夏のハワイ

2010-02-21 | 旅行
  雪の降る寒い朝、いわきのスパリゾートハワイアンズへ行った。

   【雪に観音様が霞む】

 孫たちは、年が明ける前から楽しみにして待っていた。
 この寒い冬の時期は初めてなので、電話で聞いたら、室内は28度の設定で、夏と変わらないとのことだった。
 雪降りも猪苗代まで、郡山にはいると陽が出ていた。
 順調に走ったが、いわき湯本ICで出るのに、間違えていわき中央ICで出てしまった。 湯本温泉街を通って久しぶりのハワイアンズへ到着。走行1時間半であった。
 
 道路沿いにはシュロの並木が続き、梅も咲いていた。上着はいらない暖かさだった。
 この気候の違いはどうしても不公平だ。

    【梅香るいわき】

 館内は夏と同じ、裸でいても湿度が高いせいもあるのだろう、汗が流れるくらいだった。
孫たちは娘たちに任せ、温泉を巡った。大浴場や、青空の下で露天風呂にくつろいだ。
全体を大プールや流れるプール、そしてビーチシアターが見渡せる2階に陣取った。
 いつまでも水遊びに興ずる孫たちを、そして喧噪の世界を眼下に眺めながら、あまりに平和な状況にいる自分を意識した。
何か落ち着かなかった。
眼を閉じて、雪の家の庭での静かな生活の豊かさを思ったりした。
楽しかったが、疲れた、と言った印象であった。

   【流れるプールが大好き】

 帰路、折角いわきまで来たので、小名浜に出て魚を買って帰ることにした。
 環境水族館「アクワマリンふくしま」は時間的に無理だったが、その前の「いわきららミュウ」へ寄って土産を買った。
 4時半を回っていたが、浜の魚屋さんの威勢のいいかけ声が響いていた。
 小名浜港に水揚げされた新鮮な魚介類がいっぱい並び、見るだけで楽しい光景だった。
 お目当てのメヒカリの天日干し、干物のセット、スルメ一夜干しなどを求めた。

 走り出すと孫たちがすぐに寝息を立て始めた。高速道も猪苗代にさしかかると雪が舞っていた。
 ヘッドライトに雪が舞う自宅到着、7時半を回っていた。
 楽しかった思い出を話しながら遅い夕飯を済ませた。(2010.2.20)
  


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晩秋の飯坂温泉郷

2009-11-18 | 旅行
 【飯坂のりんご園の彼方に、吾妻小富士の雪景色その奥は東大顛?】

昨日、飯坂温泉に1泊してきた。月曜日に突然予約の電話を入れた。
子供たちから温泉旅行にでも行きなと、結婚記念と妻の誕生日のお祝いにと小遣いをもらった。しばらく神棚に上げておいたが、急に思い立って出かけることにした。

 しばらくぶりの晩秋の飯坂温泉郷はやはりよかった。いつも家事に忙しすぎる妻へのくつろぎの旅だ。
 宿のフロントには、いつか差し上げた私のスケッチ「冬の磐梯」が飾ってあった。今度は、春や夏の磐梯を持参しようと思っている。

  【フロントのスケッチ】

 この前行ったのは3月だった。ついこの春のことも忘れていたが、ブログを見て、旧友に会い、花見山を見る小旅行だったことを思い出した。(「春を訪ねる3 早春の花見山」2009-03-12)


 岐路、飯坂フルーツラインで収穫の始まったリンゴ「フジ」を沢山買って帰った。
昨晩はかなりの雨降りだったが、吾妻小富士が真っ白に冠雪して美しい眺めだった。

ばあちゃんがいないかったので、昨日の晩は孫たちが泣いたという。ママがいなくてもだめ、ばあちゃんがいなくてもだめ。ばあちゃんの方も一晩だけなのに孫たちに会いたいと。まあ、それが当たり前の家族、家庭なのだろう。今度は孫たちも連れて行きたいと思っている。


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妙高高原散策

2009-10-10 | 旅行

【色づきはじめた イモリ池】
 予定では、分水町国上山の五合庵に良寛を訪ね、寺泊近辺の民宿で一泊、魚料理を楽しみたいと思っていた。
 長野道を進むうち雲間から薄日が射してきたので、予定になかった妙高高原に寄った。いつもの小布施PAに長居したので2時を廻っていた。
 地図にあるイモリ池を目指した。初めてのイモリ池は素晴らしい楽園だった。静かな池の畔を歩いた。残念ながらあの独特な山容・妙高山は半分から上は雲の中だった。
 池の周りには何組も、絵のような池を写生する人を見かけた。いつかゆっくり、こんなスケッチを楽しみたいものだと思った。





 池の畔の「妙高高原ビジターセンター」を見学した。とても充実した自然観察室だった。妙高高原の地域ごとの自然がきちんと整理されていた。《さわってみよう》コーナーがあり、木の肌から「何の木?」を当てたり、毛皮から「何の動物?」、木の実から「何の実?」、小鳥のさえずりから「何の鳥?」など、見学者の興味関心をそそる展示内容に感心した。色の褪せたかなり古い蝶の標本が気になったが、新しい標本で真の美しい姿を見せる方が,とも思いながらも、命を絶たれたチョウの貴重さも考えたリした。標本の意義を再考してみたいと思った。



 出だしも遅く、回り道もゆっくりし過ぎたようだ。当初予定していた良寛、寺泊へは何度も行っていたし、おいてきた孫たちの顔も浮かんできた。少し遅くなってもと、我が家へ真っ直ぐ戻ることに決めた。

 ひとときの小旅行だったが、懐かしく素晴らしい、心に響く旅となった。10/6


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中秋の月餅

2009-10-09 | 旅行
           【美しい化粧箱に入った 本場中国の月餅】

 妻の実家へは、お盆前の墓参りから2ヶ月ぶり、楽しい夕食を囲むことが出来た。
 我が家の挿し芽で根付いた黄色いバラ苗と白の小菊の株を土産にした。
 翌朝、互いの健康を祈りながらお暇した。豊科ICから高速に乗る前に、義姉宅を訪ねた。
 甥の幸司君は8月に3年ほどの予定で中国に行ったばかりだったが、丁度帰国していた。中秋節の休みが長いようだ。
10月3日、中秋節は日本の中秋の名月に当たる祝いの行事だ。お土産のお菓子月餅をいただきながらしばし中国談義に花が咲いた。現地の様子をいろいろ伺うことが出来た。
 中国では伝統的な祭日にゆかりのある食品がたくさんあるらしい。たとえば元宵節の元宵、端午節のちまき、重陽節のむし餅などで、中秋節の伝統的な食品が月餅だそうだ。月餅は形が圓型で、団圓(団らん)を象徴し、一家団らんという人々の願いをあらわしており、このためまたの名を「団圓餅」とも呼ぶ。
ご馳走になった月餅は実に豪華だった。何種類かの月餅が、見たこともないきれいな化粧箱に入っていた。中秋節の時だけに登場する「中秋月餅」だ。いつか横浜中華街で土産に買ったものとは比べものにならないボリュームだ。小さく切ると、月餅の真ん中には何か硬い丸いものが入っていた。味はチーズのようだが見当が付かなかった。あとでネットで調べたら、あんの中は月をイメージした「蛋黄(たんふぁん=アヒルの卵を塩漬けにしたもの)」らしい。はからずも中国の伝統の味を楽しむことができた。
 昼近くまでゆっくりお茶をご馳走になり、丁度12時、豊科ICから高速道長野自動車道に乗った。 10/5

【安曇野市明科付近からの 常念岳】
 

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霧ヶ峰の草紅葉

2009-10-08 | 旅行
       【霧ヶ峰からの八ヶ岳連峰】

 青春の地を離れ、妻の実家へ向かった。途中、妻の親友のいる長和町に立ち寄った。
中山道の宿場町、長和町の黒耀石石器資料館で妻とKさんとの40年ぶりの再会を見た。
 旧石器時代には和田峠は日本有数の黒曜石の産地で、ここの石が全国の遺跡から出土している。資料館には男女倉遺跡からの出土品が展示されていて、興味ある旧石器を知ることが出来た。



 和田峠から霧ヶ峰へ向かった。扉峠から松本へ下り、妻の実家を目指すことにした。次の季節を迎える静寂の中、八島が原湿原で草紅葉を堪能した。本州最南端の高層湿原は、泥炭層の厚さから、約1万年かけて現在の姿になっていると推定されている。銀色にススキのたなびく霧ヶ峰の草原の彼方に、八ヶ岳の山並みが美しく見えた。

【八島ヶ原湿原の草紅葉】


 自然保護センターを見学した。そこで、「日本蝶類保全協会」のきれいなパンフレット「チョウが消えてゆく」をいただくことが出来た。そこには多くのチョウ類が絶滅の危機にあることが訴えられていた。あわせて、同協会のガイド小冊子「ミヤマシロチョウ」をいただいた。かつて私自身、飼育に熱中した思い出のチョウだった。1970年代ころより減少が始まり、現在はほんの一角で棲息しているにすぎない状況だという。県では天然記念物に指定され、レッドデータブック絶滅危惧1類に指定されている。あらためて、私自身、チョウを守るためにに出来ることをしなければならないと思った。


【小冊子「チョウが消えてゆく」表紙】


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懐かしの小旅行

2009-10-07 | 旅行
       【学部講堂 国登録有形文化財】

 還暦を迎えた1昨年、卒業以来初めて大学の同級会が開かれた。折悪く、入院中で出席出来なかった。今回は第2回目、何とか元気で過ごしているので、皆との再会を楽しみに出かけた。身体の心配もあり妻が同伴、帰りに実家へ立ち寄る小旅行となった。

あれから、実に40年の歳月が流れた。互いに老いた顔をみつめた。名前と顔が一致しない旧友もあったが、すぐに紅顔可憐な当時の顔が浮かんできた。40人中、亡くなった友が4人、住所が不明な友4人、今回は12名の出席だった。
 過ぎ去りし青春を、そしてその後の、思えばいつしか過ぎ去った40年の歳月を見つめる機会になった。
あの若かりし時と同じように、酒を酌み交わすことができる自分を感謝した。またも、生かされたいのち、健康の有り難さを思った。

  【湯川秀樹も泊まった特別室《山つつじ》に泊まる:ホテル祥園】


翌朝は、学部を案内していただく予定だった。その前にと、卒論のH研究室で共に学んだT君、Y君、そして妻と、高台にあるH先生のお宅を訪ねた。私たち夫婦は、仲人でもあるH先生とは5,6年ぶりだが、二人は卒業以来40年ぶりの再会だった。
 お元気な先生の近況を嬉しくお聞きしながらつかの間の時が流れた。別れが惜しかった。もっとお話ししたかったが、次の予定もあり、先生ご夫婦に見送られて学部へ向かった。

 学部の事務棟2階の部屋で、私の学んだ研究室の後輩でもあるH学部長からから、大学の現況を伺った。その後、構内の施設や設備を見学したが、素晴らしい発展を続ける学部が実にたのもしく思えた。
 40年の歳月の流れか、構内に林立するヒマラヤスギの大木に驚きながら歩いた。いくつもの新しい高層の研究棟が建っていたが、その狭間にみすぼらしい武道場を見つけた。涙が出るほどに懐かしかった。文字通り青春の汗を流した道場が当時のままに、タイムスリップしたように佇んでいたのだ。その脇には、当時はたしかテニスコートがあった場所に、ゴージャスな学生協が建っていた。

 2年後のまたの同級会での再会を約して、皆としばしの別れを告げた。
 懐かしい青春を回顧する旅となった。ついでにと、学生時代にお世話になった何軒かを訪ねた。
 何年かお世話になった下宿先、家庭教師をしたI君も立派に店を経営していた。 多くの方々にお世話になり、かけがえのない青春を過ごすことが出来た幸せを感謝しながら、懐かしい第2の故郷に別れを告げた。
 

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ふるさとに墓参り

2009-07-21 | 旅行
 朝から大雨だ。午前中は夏休みに入った孫の世話、ママの帰宅を待って、妻と末娘と3人で大雨の中を信州へ向かった。会津がもっともひどい降りだった。新潟へ近づくころ雨は上がり、快適なドライブとなった。
 いつも昼の食事を楽しむ妙高高原PAを道路から眺め、一路豊科ICを目指した。
 約350キロを4時間、途中運転を娘に代わってもらってもらい、無事に実家へ到着。

大手術後の義兄を見舞い、両親の墓参りを済ませ、兄弟と互いの健康を確認しながら語らい、とてもリラックスすることが出来た。もう40年近くも、毎年繰り返し訪ねた妻の実家。数々の思い出が浮かんできた。

 何度も近くの田に行く。取りまく林の際で小さな自然を見つめた。昔、松茸を採った松が主体の雑木林だ。梅雨明けの山間の田に風が渡り、すくすく伸びた稲の揺らぎにミヤマアカネがのどかに舞っていた。接写のファインダーで見る赤の白の縁紋が美しかった。赤い身体の♂は縁紋が赤い。ペアになり水面に打水産卵を繰り返していた。
 チョウもトンボも少なかった。時折、ジャノメチョウが飛びだし、オカトラノオに密を吸ったりしていた。アキアカネ、マユタテアカネが風に乗ってたゆたっていた。

 ふるさとの山に静かに息づく小さな虫たちを眺めながら、ひととき自分を見つめた。
年に一度の盆の帰省、今年は少し早かったが癒される小旅行となった。また、夏休みが始まったばかりの孫たちを連れて行こうかと考えている。
 (2009.7.18~21)

【ふるさとの虫たち】
 
ツマグロヒョウモン ♀


ミヤマアカネ♀


ミヤマアカネ♂


ジャノメチョウ ♂


オオシオカラトンボ ♂

春を訪ねる 3  早春の花見山

2009-03-12 | 旅行
 
川俣から福島へは、阿武隈川沿いに走った昔の道は今は昔、トンネルが2つ通り、花見山入り口まではあっという間であった。30年前に、約1時かけてバスに揺られたこともあった。

【妻は家に写メールを送る】       【紅梅が満開】




花見山の春、どんな花が咲いているかを楽しみにしていたが、まだこの時期、ロウバイは盛りを過ぎ、ウメが5分咲きで、マンサクが満開、サンシュユがほころび始めたところだった。山頂付近に咲き始めたサクラがあった。花弁に特徴があるがなに桜だろうか。静かな春の野山をゆっくり散策してこころがすっきりした。山からの県都・福島の街の眺めは素晴らしく、十分に堪能出来た。
 あの花見山のポスターにある桃源郷までは後一月くらいだろうか。レンギョウの花芽もまだ想像していたほどではなく、若松とさほど変わらないようだった。

 花見山は「日本を代表する写真家故秋山庄太郎氏が「福島に桃源郷あり」と毎年訪れていた場所で、梅、ハナモモ、数種類の桜、レンギョウ、ボケ、サンシュユ、モクレンなどの花々がいっせいに咲き競う。まさに「桃源郷」の言葉がふさわしい場所。」(福島市観光物産協会HP)で、花木栽培農家の阿部一郎さんが私有地を無料で開放している公園だ。 まだ花も少ない平日で、シーズン中は交通規制があるが、山の入り口の阿部さん宅の駐車場まで行くことが出来た。訪れた人もまばらで、静かな山里の春のはじまりを十分に楽しむことができた。

  【マンサク満開】


 宿には4時半にチェックイン、孫が心配でめったに旅に出ないが、突然思いつきの小旅行は妻へのささやかなくつろぎの旅となった。


【ウメの咲く福島飯坂から吾妻連峰を望む】

 翌朝はゆっくり宿を出て、土湯街道近くの園芸店に寄り春の花を沢山求めた。帰りはまだまだ雪の残る土湯峠を越えて帰った。
 温かな福島から若松に戻ると、午後からは急に冷え込み、昨日は寒い吹雪の冬に逆戻りであった。良い天気に早春を感じた旅だった。(2009.3.9~10)

   
     【園芸の季節】                         【雪の残る高森川】


(追記)
去年の拙ブログ「健康なうちに 2008-03-19」に、同じ飯坂温泉の宿に泊まったことが書いてあった。そこに、夕食会場にある書について、「「憂い無く、楽しみを?」3字目が読めない。何と読むのだろうかいつも気になっている。」とあった。今回旅館の人に尋ね、ようやく3字目は「而」であることが分かった。


《無憂にして楽しむ》・・・「憂い無くして楽しむ」これこそ幸せそのものだろう。 

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春を訪ねる 2  思い出の川俣

2009-03-11 | 旅行
          【玄関の絵  30年前の 広瀬川の流れ】

ここ数年、この時期には、飯坂温泉でささやかないのちの洗濯をしている。温泉の往き帰りに、周囲の訪ねたいところを廻ってきた。今回の寄り道は、1年ぶりの福島に花見山を訪ねることだった。
 まず、猪苗代の翁島に寄り、雄大な磐梯のもとハクチョウたちに別れを告げた。
(参)3/10のブログ 「春を訪ねる1 北帰行を前にしたハクチョウ」

 猪苗代から高速道に乗った。突然、懐かしい川俣へ寄ってみたい思いに駆られて、高速を二本松ICで下りることにした。折角なので、かつての同僚K先生を訪ねようと、SAで土産を準備した。

 飯野から川俣へ、懐かしい道を車を走らせた。30年も前とは道路もかなり違っていた。途中、ほころび始めたウメや福寿草を見かけると、車を止めて写真を撮った。やはり、県中地方には一足早い春が訪れていた。 
 10年ほど前に立ち寄ったが、街の廻りに大きなバイパスが通り、手前には大型の量販店が建ち並び、また街の様子が変わっていた。街の中心街に入ると車をゆっくり走らせ、かつての思い出を辿った。
 川俣のメインストリートの商店街はそれなりの活気は見られたが、当時の多くの店はすでに無くなっていた。いつも利用してた八百屋、魚屋さん、本屋さんも店を閉じ、タクシー会社も閉まっていた。幼稚園の息子が通った歯医者さんも、よく利用した食堂ももう何年も前から止めたのだろう、埃まみれの硝子戸に人気が感じられなかった。

 みんな何処へ行ってしまったのだろうか。当時の温もりある街の様子が思い出された。隣近所が助け合い、お店でも日常生活のこころのふれあい、対話があった。
 懐かしい川俣には、6年間勤務した。かつてのお借りしていた家は伝統ある味噌醸造業、広い屋敷には大きな味噌蔵が建ち並び、門から一番奥の広瀬川沿いに建つ古い離れをお借りしていた。おそらく大正か昭和初期の建物だったと思う。木の塀を巡らせた庭には、立派なカイドウ、コウヤマキが植わり、我が家だけが出入りしていた立派な裏門には松が懸崖にかかっていた。小さい子どもたちと裏の広瀬の流れを畔で見つめながら過ごした時代が懐かしく思い出された。今は護岸が改修され川へ下りることは出来ない。あれほど広かった大家さんの敷地はスーパーの駐車場に変わっていた。2階の書斎からながめていた隣の酒屋さんも廃業したのか、全く昔の面影はなくなっていた。
 すべてが今は昔、古き物が無くなる寂しさを痛切に感じた。思えば涙が出るほど良かったあの時代の面影をさがしたがなかなか見つからなかった。すべてが流れ去ってしまったのか。
 かつての勤務校にも立ちより構内を歩いた。若かりしころ生徒と一緒に汗を流した剣道場や、日々楽しく勉強した実習棟での若き日々の一端が思い出された。
 K先生宅に寄り懐かしい話に花が咲いた。
その後、妻と、母とお宮参りをした春日神社へ登り参拝した。そのときと同じように、神社の土手にはオオイヌノフグリが満開に咲いていた。若き日の川俣での時の流れが走馬燈のごとくに蘇ってきた。
 あれから30数年が経ったのだ。
 

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