エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

この冬初めての浸水騒ぎ

2019-01-29 | 日々の生活

 

我が町内では、雪の季節決まって浸水騒ぎがある。

多めに雪の降った日や翌日、心配になり水路の様子を見に行く。

今朝の積雪は40cmと言ったところ、いつも流れが堰き止められないか水路を見に行く。

朝方は、多少雪の塊も流れているが、流れはスムーズだった。

   

近隣の区長会回覧を届けながら、久々の雪の中、街中を歩いた。

激しい雪の中を待ってましたとばかりに、除雪車があちこち動いていた。

  

セブンの駐車場 水で融雪 

市政だより2月号を会館に搬入したのが午後2時過ぎ、一息ついていたら電話。

例の水路が詰まり、市から職員が出動していると。

いつもお世話になる道路維持課の職員総勢6名が、雪の流れを突いていた。

  ひどいときは庭へ浸水

町内のMizさんやWataさんも応援に。19組の裏の細い流れもシャーベット状で動かない。

今年初めての浸水騒ぎだ。

昨年は、Hgさん裏の直角に曲がる水路が詰まり、約1mも水位が上がって大騒ぎした。

暮れの内、雪の降る前に市会議員に現場を数カ所見てもらった。

その後回答をいただいたが、水路の改修は困難、上流での雪捨て禁止の徹底をとのこと。

浸水騒ぎはもう10年前から毎年のことだ。かつては18組で床下浸水になったこともあったようだ。

上流の区長へ、水路へ雪を捨てないよう徹底してもらうよう連絡したばかりだった。

下流の浸水騒ぎは対岸の火事と言うことか。自分の家の広い庭の雪はきれいに水路へ投げている。

結構な流れに浮かんで下流へ、下でどれだけ心配、苦労をしているかなど考えもしない。

あわただしい1日が終わった。

 


再投稿 : エッセイ 【厳寒の湖畔の大自然に感動】

2019-01-24 | 日々の生活

厳寒の崎川浜に一人佇んできた。

何より、静寂を求めて。

 

 

  

  

  

 

 

厳寒の湖畔の大自然に感動

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冬の季節、すべてが凍てつく大自然に癒されている。

厳寒の猪苗代湖畔に一人たたずみ、静寂の湖に流れるコハクチョウを飽かず眺めた。

湖に浮かぶ秀峰磐梯にかかる薄い雲も消え、山頂が輝き始めた。

突然、オナガガモの群れが一斉に飛び立ち、凍える手でシャッターを切った。

静寂に白い冬の使者を見つめながら、筆舌に尽くせない感動に浸った。

松林の向こうの田の雪原から、カーウ、カーウと切なく鳴き交うコハクチョウの声が響いていた。

例年はスノーシューを履きトレッキングを楽しむ湖畔の林間だが、この冬は雪が少なく、長靴を埋めながら歩いた。

気温は低いが風もなく穏やかな林には、所々に動物の足跡が木漏れ日に輝き、ユキヤナギの冬芽も膨らみはじめて、ほんの少し春の息吹を感じた。

最も寒さ厳しい時期に、元気に過ごす水鳥たちに声援を送り大自然を楽しんでいる。

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アルバムに残る 父の思いを偲ぶ

2019-01-21 | エッセイ

 

何年も開けない書棚に、父が残してくれたアルバムを手に取った。

傷んだアルバムの見返しに墨書された父の一文を目で追った。

俊彦アルバムのはじめに題す 成長して齢満7才に達す 成長の跡を省みて天地の恵みに感謝 

家族の慈愛に思慕の思いを致す折あらばと念じ 恙なく育まれかしと願う

やがてこの一巻にこよなく幼少のころをなつかしみ成人の暁にまたとない贈り物となるならん。”と。

開いた1ページ目には、学帽をかぶりランドセルを背負った凛々しい姿が写っている。

続いて、数々のセピア色の写真が糊付けされている。

皆、まぼろしのごとき遙かなる思い出だ。

そして、アルバムの裏の見返しには

とし坊君!あなたはうれしいにつけ悲しいにつけアルバムの頁をめくって「とし坊ちゃん」と呼ばれ過ぎ去った幼い日を偲ぶだろう。”と。

目を瞑ると、父や母、そして兄、妹の顔が浮かび、涙が溢れた。

 


冬景色を楽しむ 

2019-01-12 | 日々の生活

午前中、テニスの練習だと言うたけ君をあいづドームまで送り迎え。

迎えの時間が早かったので、雪に覆われた運動公園を歩いた。いつしか立派な施設となったことに驚いた。

自然を探すも何もない。ここも、ヒマラヤシーダの周囲に雄花が落ちていた。

図鑑には『雌雄同株』と書かれている。しかし、何度も問題提起しているが、、未だかつて同株を見たことはない。

おもしろい枝先の新芽を撮ったが、別の場所に赤い実が、そうかナナカマドのようだ。

ツグミが数羽枝に止まった。

       

   

 

小高い門田・御山の柿の木林から市内を望んだ。遠くにお城が見えた。

山の端の磐梯は雲に隠れていた。柿の枝越しに本郷山がきれいだった。普段見ない光景もいい物だ。

 お城  本郷山

 

午後、思い立って崎川浜にコハクチョウを訪ねた

滝沢峠は圧雪、強清水まで行き合う車はなかった。49号に出ると道路は乾いていた。

久々の赤井から磐梯山が美しかった。

 滝沢峠

崎川浜まで、セブンの先の農免農道を近道した。

雪の田には鳴き交うコハクチョウの集団を横にみながらは間へ急いだ。

  

 時間帯からか、湖にハクチョウはいなかった。

岐路,いつものコース、笹山浜経由で長浜へ寄った。 わずかにキンクロハジロ、スズガモ、ユリカモメ

湖の冬はコハクチョウが少ないような気がする。

笹山へ 赤井から

笹山 翁島

 スズガモ メス

 セグロセキレイ ユリカモメ

遥かに磐梯を仰ぎ、湖に静かに浮かぶ水鳥を期待していたが、今日は残念だった

朝早い時間に訪ねてみたいと思っている。


新年の顔合わせ

2019-01-04 | 日々の生活

新年の顔合わせ

子ども達は市内にいるので、三々五々、ばらばらの訪問は出来る。

でも、一堂に会してゆっくり出来るのは盆と正月だ。

恒例の新年会、今年は3日になった。

新しい年の健康を祈って乾杯! お年玉交換会。

お酒は”たづる”の名入りのぐい飲み.懐かしい。

孫、従兄弟たち7人の集合写真も撮った。

 

 

何より、健康で新年を迎えられた幸せを思った。

 

 


初詣は土津神社へ

2019-01-03 | 日々の生活

正月2日、猪苗代の土津神社へ初詣に出かけた。

今年の恵方は東北東、地図に照らして我が家からの恵方にある神社を探した。

途中の道の駅へ立ち寄ると、慧日寺跡の金堂に復元された慧日寺薬師如来座像光背の写真が掲げられていた。

東京藝術大学大学院 美術研究科に復元作業を委託し、昨年7月に復元されたものだ。

復元には、時代的背景から湯川村勝常寺の国宝・薬師如来坐像を手本(ケヤキの一木造)としたらしい。

思いもしない写真を前に、仏都・会津を思い、清々しさを覚えた。

 

青空も見え始め、明るい陽差しに新雪輝く神社に、身が引き締まる思いで参拝した。

新年早々の賑やかさを想像しながら、閑散とした神社の石段を登った。

家内安全、健康を祈りお守りを求めた。

 

雪の階段を下りはじめると、雪の中に一枚の記念植樹の立て札が目に入った。

「記念樹 小彼岸桜 高遠町長 北原三平」とある。 かつて30年も前にお世話になった「北原正三」先生の名が浮かんだ。

信州に縁のある小生、北原先生が伊那のご出身であることを思い出した。 縁者だろうか。

懐かしい現役のころが、あの立派な先生の姿が浮かんできた。 元気でいらっしゃるのだろうか。・・・

 

雪に埋まりながら近づいた土津霊神之碑。

御祭神保科正之公の事業を 大学者・山崎闇齋が心血を注いでつ 綴った1943文字の大文章だ。

   

新しい年のスタートだ。


新しい年を迎えた

2019-01-01 | 日々の生活

大晦日、隣の孫たちは我が家で過ごした。

紅白歌合戦に全く興味のないじいは、2階の炬燵で、一人パソコンを眺めながらのボクシング観戦だった。

大晦日午後11時45分、いつものように、神社拝殿に役員が集まり町内会の新年御祈祷を受けた。

ここ長いこと、いつも楽しみにしていたTV「ゆく年 来る年」を見ることが出来ないでいるのが残念だ。

年明けと同時に神殿に太鼓の音が響いた。「おめでとうございます。」

新しい年を迎え、先ずは健康に留意し、今年もより住みやすい町内会にしたいと願った。

占拠する孫たちを起こし、今年初めての遅い食事だ。

わずかばかりのおせちで少し御神酒を頂く。  娘家族にお年玉を、「頑張ってね!  ぢい・ばあ 」と添え書きした。

初詣は恵方の神社、東北東の方角的には土津神社がいいようだ。 お酒が入ったので明日にしよう。

家族みんなが一堂に会する新年顔合わせは、今年は3日に決まったようだ。

 海老がない! 数の子も。 

 今年も約70枚の年賀状が届いた。手にする宛名の雰囲気から、誰からのものかがわかる。

年に一度の挨拶くらい書けばいいのに、ものぐさが擡げるのが常だ。 お正月いっぱいかけて、遅い賀状に近況を認めたいと思う。

数名の大学の同級生から、3月の学部卒業50年目の卒業式で会おうとある。

青春の友に会いたいが・・・。体調がイマイチ不安、一筆近況を添え欠席することに。

 

  玄関に、「平出竹問屋」製のミニ門松

 

ストーブを背負いエッセイ3編をまとめた。

外は、湿っぽい雪が静かに降り続いている。

スタートした新しい年、これまで以上に静かに、歳相応にゆっくり歩みたいと思っている。