弥生尽という語を初めて知った。何ら変わらぬ時の流れだが、これまでの区切りの日だ。朝からみぞれ混じりの雨、今夜は雪の予報だ。昨夜、心配になって、庭に出した植木類を家の中に取り込んだ。
明日から四月、世の中は溌溂としたイメージの新年度を迎える。
昨晩、ETV特集で「いのちの声が聞こえますか -高史明・生と死の旅-」を視聴した。 高史明氏が、息子の自死により導かれた「親鸞」「歎異抄」の思想から「人間にとっての生と死」を、いつものように穏やかに淡々と語った。在日朝鮮人の生い立ちから来る問題には一切触れられなかった。
どうもいけない。「閑」に頭にもたげる疑問に取り憑かれていた矢先に、また宿題が出来た。視聴後、かつて感銘を受けた高史明氏の著作「歎異抄」「生きることの意味」(文庫本4冊)を取り出した。いつか読んだ難解な「歎異抄」を拡げ、かつて引いた傍線部分を一人声に出してたどった。
若いころ、浅はかなこころで日々浮かぶ疑問を解決しようとしていた自分を認めた。「生きることは悩みである」とはゲーテだが、ときどき「生きることの意味」を考えることの繰り返しだった。何も面倒な思考過程を求めることはないが、限りある日々を充実した時にしたい願いであれば仕方がないのか。
明日から4月、また年を重ねる自分を見つめていきたい。
***********************************************
-- NHK番組紹介から -- 3/30 ETV特集
「いのちの声が聞こえますか -高史明・生と死の旅-」
今、3万人を越える自殺者、子殺し、親殺し、バラバラ殺人、根深いいじめの闇など21世紀の現代日本は混迷の極みにある。作家・高史明(コサミョン)氏(74才)。自身、最愛の一子を12歳での自殺で亡くした高史明は、科学と理性だけでは解決できない現代の社会のひずみや心の闇と対峙してきた。今、行き着いた親鸞の“絶対他力”と独特の“いのち”の思想からしぼり出す高史明の言葉は多くの人々を魅きつける。聞き手は全国の中・高校生から宗派を問わぬ寺院、病院、ホスピス、そして地震被災地などの老若男女。
高史明がさまざまな「いのちの現場」に足を運び、そこで奮闘する人々と「人間の生と死」を考える。さらに高氏の言葉に共鳴する爆笑問題の太田光との対話を通して、“いのち”の思想に至る高氏の内面の世界に迫り、混迷の現代を生きる思想とは何か、最後に我々を支えうるものは何かを探り出してゆく。
***********************************************