エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

さわやかに咲くニセアカシア

2006-05-30 | 日々の生活


この季節、ニセアカシアが甘い香り豊かに、さわやかに咲き誇っている。
 アカシアといえば、こころ揺さぶられた清岡卓行著「アカシアの大連」を思う。北原白秋の詩「この道はいつか来た道 あヽそうだよ アカシアの花が咲いてる」や西田佐知子の歌った「アカシアの雨にうたれて・・・」を口ずさんだこともあった。でも、これはニセアカシアなのだろう。枝葉がエンジュに似ていてとげがあるのでハリエンジュとも呼ばれている。
 ミツバチの羽音と共に、フジに似た房状の花に吸蜜する姿が浮かぶが、これはマメ科の植物で原産地は北米、日本へは明治の初期に渡来したという。山菜図鑑には、咲き始めの花は食用になり天ぷらが美味しいとある。香りのあるニセアカシアの蜂蜜は有名だ。

ニセアカシア 香りほのかに 風に揺れ

良寛を歩く  (その2)

2006-05-29 | 旅行
        《良寛堂》

出雲崎に良寛の生家跡を訪う」 (2006.5.24)

 今回の旅は、当時、父が訪ねたかった良寛の生家跡をもう一度見てみたいと思った。そして出雲崎の街並みをながめ、良寛記念館で良寛の遺墨を鑑賞したかった。
良寛堂は大正時代に、良寛の生家、橘屋の跡地に建てられた。日本海を背にして佐渡が見える。また良寛堂の裏には、最近建てられたのだろう、新しく良寛座像が、静かに母の里佐渡を見つめていた。

       《良寛堂の裏で佐渡を見つめる》

良寛堂内部の石塔には良寛持仏の「枕地蔵」がはめ込まれ、その下に良寛の歌が黒御影石に彫られていた。
いにしえにかはらぬものはありそみとむかいにみゆるさどのしまなり 良寛」 

 高台からながめる北国街道、出雲崎の家並みは五月の緑に美しかった。心地よい5月の風に吹かれながら、ふと、あの冬の日本海の荒波を背に、雪のちらつく同じ家並みが目に浮かんできた。

        《出雲崎の家並み》

 閉館間際に飛び込んだ良寛記念館では、「良寛 漢詩の世界」が開催され、遺墨の数々が展示されていた。最近、私の興味は良寛の生き方から書に移り始めていた。特にすばらしい漢詩に関心を持ち、そこから彼の生き方を教えられている。
 記念館では、鉄製の良寛座像の文鎮を求めた。机上に置いて、時折良寛を思うよすがにしたいと思った。
 記念館の裏の丘にのぼると、そこには子どもたちと遊ぶ良寛の像が建てられていた。また「にいがた景勝百選一位当選の地」の碑が建ち、なるほど、あらためて海と山と家並みのすばらしい眺めを楽しむことができた。 
 ここでも、心の豊かさをもう一度見つめなおすことができた。

参)拙ブログ
 6/17【良寛を歩く(その7)】
 6/16【良寛を歩く(その6)】
 6/9 【良寛を歩く(その5)】     
 6/4 【良寛を歩く(その4)】
 6/2 【良寛を歩く(その3)】
 5/25【良寛を歩く(その1)】

ヤマボウシの花は美しかった

2006-05-28 | 環境問題
        《緑から白色へ》

 樹木はそれぞれに個性的で美しいが、私は清楚なヤマボウシが好きだ。
 初めてヤマボウシを知ったのは、【植物と人間(生物社会のバランス)宮脇 昭著(NHKブックス)】を読んだときだった。
 その「はしがき」には、「植物と人間の関係といえば、多くの人はすぐ庭の盆栽や切り花を思い出す。また、多少関心のある人は、例えば箱根のヤマボウシの白い花は美しかったという。人間社会の枠の中で生活できた時代は、・・・・」とある。
 ときどき、環境教育授業の資料として使ってきたこの本では、まとめとして、「よりよく生きるための、健全な社会の発展の基礎は、自然の緑の必要性をみんなが共通に理解し、まず生きている緑の確保から始まる」と結んでいる。
 当時、実物を見たことがなかったので、図鑑の写真で見ていたが、その後、ヤマボウシの苗を購入し庭に植え、毎年美しい清楚な白い花が咲いている。また、米沢市のヤマボウシ並木が美しく印象深い。それを見にわざわざ行ったこともあったが、秋には紅い実が熟し一段とすばらしい街路樹となっている。
4枚の総苞に囲まれた小さいのが花だ。小さな花が20~30個集まった球形の頭状花序を作る。果実はそのまま大きくなったような集合果である。ハナミズキも同じ総苞だが、ヤマボウシは先端が尖っている。
 今、緑から白へ、日に日に大きく広げるヤマボウシの花をながめながら、緑の自然の大切さについて思いを巡らせている。

初めて見たキバネツノトンボ

2006-05-27 | 自然観察
       《得体の知れない昆虫》

 天気予報がはずれ、春の好天気に恵まれた。孫たちと近くの公園に行った。ブランコ、滑り台で遊ぶ孫たちをママとバーちゃんに任せ、裏の草むらでウスバシロチョウを撮っていた。いつもと変わりなくウスバシロチョウが何頭もたおやかに舞っていた。近づいてもほとんど逃げないので、ゆっくり、気に入ったポーズで撮影ができる。ハルジョオンに夢中で吸蜜するウスバシロチョウはこの辺に多い黒化異常型が多かった。いつも清楚で美しく愛おしく感じられた。

《サワオグルマに吸蜜するウスバシロチョウ》

 そこで不思議な昆虫に出逢った。初めて見る得体の知れないものだった。ハルジオンの原っぱに踏みいると、その虫は足下から飛び立ち、しばらく飛んで伸び始めた月見草の葉に止まった。初めは、飛び方が蝶でもバッタでもない、トビケラのようなものかと思った。ファインダーを覗くと見たことのない得体の知れない昆虫だった。前翅はトンボのようだが、後翅の黒と黄色のきれいな模様が印象に残った。胴体は黒い体毛に覆われ、触角はヒョウモンチョウに似ていたが、蝶でも蛾でもなかった。急いでシャッターを切り、1枚だけ撮ることができた。飛び立った得体の知れないものは、風に乗りどこかへ飛び去り見失ってしまった。

帰宅して図鑑で調べたら、どうも羽根、触角の特徴からツノトンボの仲間ではないか?と思いインターネトで検索した。すぐに分かった。キバネツノトンボ(アミメカゲロウ目ツノトンボ科)だった。ツノトンボはトンボの仲間ではなくウスバカゲロウに近い仲間だった。あちこちで絶滅危惧種に挙げられていた。
 小学生の頃から興味を持ち、人生を決めてしまったほど蝶に魅せられてきたので、蝶のことは詳しいが、今回、ツノトンボについて初めて知った。
 身近な自然界には、まだまだj自分の知らない世界が山ほどあり、抱いた疑問を一つ一つ解決していきたいと思っている。実に楽しいことだ。


   《ハルジョオンに吸蜜するウスバシロチョウ》

私の自然観察授業 (高校での環境教育)

2006-05-26 | 環境問題


私は在職中に、よく生徒に植物の観察スケッチを課した。
スケッチのための自然観察により、気づかなかった様々な生き物の世界を知ることができる。五感を総動員しての観察は自然を身近なものにする。そして自然を学ぶ心から、人と自然の関係を知り、足元から行動することの大切さを学び、さらには自然への畏敬の念すら生まれると考えた。

 生徒の理科離れが言われて久しいが、生徒が身近な自然に興味、関心を持ち、好ましい自然観を身に付けるためにはどんなことが必要なのだろうか。
 自然の探求は観察することから始まる。注意深く観察していろいろ考える。そしてそこに必ずある、疑問を見いだす。 わからない、なぜだろうか不思議だ。 こうして抱いた問を解決する過程が、自然をより身近にするはずだ。

 今、あらためて教室を出て自然の中で体験的に学ぶ意義を思っている。生徒の生きいきした感動は書斎科学からは生まれないからだ。
都市化が進み自然は失われるが、さらにこの現代社会空間において、人間の自然観までが影響されるような気がしてならない。


良寛を歩く  (その1)

2006-05-25 | 旅行
         《緑の中の五合庵》
 
新緑の国上山に良寛を偲ぶ」 (2006.5.24)

 また、良寛を訪ねる旅がしたいと思った。久々にさわやかな天気に恵まれた昨日、何度目になるだろうか、良寛生誕の地、出雲崎をめざした。
 ときどき、新潟へ良寛ゆかりの地を訪ねてきたが、初めて出雲崎の良寛堂を訪ねたのはもう20年も前だった。それは父の所望で、当時、私自身特に興味もなく、ただ運転手を務めた。父の良寛の話も上の空で聞いていた。
 思えば父はいつも良寛を語っていた。その後、父の残した良寛に関する本を読んだりしているうちに、次第に自分も良寛に傾倒して行った。
良寛の見たものと同じものを自分も見てみたいと思う旅だった。そこで彼が何を考え、どんな生活していたのかを知りたかった。次第に、良寛の「騰々として天真に任せる」生き方や「知足の精神」を尊敬しあこがれるようになった。

国上山、五合庵へは3度目になる。国上寺本堂はさわやかな緑の中にあった。良寛も長い厳しい冬を越し、山々の新緑をどれだけさわやかな気持ちで見つめたことだろうか。200年前に良寛が日々歩いたであろう杉並木の山道は、昨日の雨にしっとりと濡れていた。ひっそり佇む五合庵に来ると、いつも良寛の清貧の生き方を思い、日頃の贅沢を恥じざるを得ない。
良寛は五合庵で39才の年から20年、その下の乙子神社に10年を過ごしたという。国上寺では中興の祖と言われる客層、万元和尚の労に報いて小庵を建て、毎日5合のお米を給したと言う。万元は小庵を「五合庵」と呼んだ。五合庵の裏手にその万元上人墓碑があった。
 乙子神社の右手には良寛の詩歌碑があった。 いつからか私の座右の銘にしている「生涯懶立身 騰々任天真」の漢詩だ。あらためてそんな生き方を確認した。

参)拙ブログ
 6/17【良寛を歩く(その7)】
 6/16【良寛を歩く(その6)】
 6/9 【良寛を歩く(その5)】     
 6/4 【良寛を歩く(その4)】
 6/2 【良寛を歩く(その3)】
 5/29【良寛を歩く(その2)】
 

新渡戸稲造の生きざまを尊敬

2006-05-23 | 文芸

 ベストセラーとなっている藤原正彦著「国家の品格」を読んだ。
 著者はこの本の中で、今日本に必要なものについて、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神、そして国家の品格などを挙げている。
 著者が以前からその重要性を訴えていた国語教育や、知識よりも情緒、情操の大切さについては、私も教職のいろいろな場面でいつも心がけていたことである。また、人格の完成をめざすとき、「武士道」の根源をなす儒教の教えが、人の倫であることをあらためて考えさせられた。

以下は、新渡戸稲造父祖ゆかりの地「花巻新渡戸記念館」の見学記である
 
エッセイ
新渡戸稲造の生きざまを尊敬」 (1999.12)

 五千円札の肖像にある新渡戸稲造の記念館を訪ねた。
 私が彼を初めて知ったのは、剣道に明け暮れた学生時代に読んだ岩波文庫「武士道」であった。同じ頃購入した全集第八巻「一日一言」は人生如何に生きるかの教訓としてしばらく座右に置いていた。
 「われ太平洋の架け橋とならん」で知られる国際人の稲造が、農政学者であり教育者であったこと、さらに新渡戸家が花巻の出身であったことを今回初めて知ることができた。
 稲造の母は、明治を生き抜くには学問が必要だと激励した。そして上京して偉くなりなさいと。稲造はそれに応えた。確かに深い学識、行動力、人を愛する信仰心などすべてが尊敬の的であるが、彼の妻が語る思い出に心を打たれた。彼女は夫の生涯にわたる最高度の努力を語っていたのだ。時折彼は「私は、もっと苦しまなければ先祖にすまない。」と妻を悲しませたという。天賦の才能の陰には常に努力があることをまたも知らされた。

素晴らしい 里山の自然   

2006-05-21 | エッセイ
        《セイヨウカラシナに吸蜜するウスバシロチョウ》

 久しぶりに滝沢峠を赤堀までドライブ。県道沿いに車を止め新緑の里山をながめた。白いチョウがのどかに舞い、アブラナの花に止まった。無心に蜜を吸うウスバシロチョウにカメラを向けた。その瞬間、蝶を求め山野を巡った青春の日々がほのかによみがえった。わたしの回りには常に大いなる自然があった。自然とのなんと感動深い出会いの連続であったことか。

 久々に広がった春から夏への青空。芽吹き始めた桐の枝にフジが美しく垂れ下がり、小川沿いにカワトンボが舞い、ゴマギの花には懐かしいトラフシジミやコアオハナムグリ、ハナカミキリ類が群れていた。そして、繰り返すシジュウカラの声が静寂に冴え渡った。今、里山は一斉に春の生命にあふれている。




 技術革新が進み、それらからの物質的な豊かさを享受するわれわれは、このような自然を忘れかけてはいないだろうか。自然保護が叫ばれる今日、自然とのふれあいを意識的に求める必要があると思う。それが自然の保全、さらには自然へとつながっていくに違いない。
 蝶との再会に、遠いかけがえのない豊かな心をたどり、自然に学び、育まれた自分をあらためて思った。

ニシンの山椒漬け

2006-05-19 | 食文化
        《自作の織部風のニシン鉢に漬ける》

 庭のサンショウが勢いよく新芽を伸ばしている。終わった花をルーペで見ると、らっきょ形のタマがペアになって見える。これが青い実に成長して次第に赤く色づいていき、秋には黒い実となって弾ける。サンショウは毎年、芽吹きから実りまで、そして葉を落とし実の殻だけが残る晩秋まで、興味深く観察を楽しませてくれる。
 (ところで、俳句の季語で、「山椒の芽」は春。「山椒の花」は夏。「山椒の実」は秋だそうだ。)

 この時期、わが家ではこの山椒を使ってニシンを漬ける。
この山椒漬けは、簡単だし、酒の肴を楽しむ私なので毎年私の仕事だ。
会津は海から遠い山国、ニシンの山椒漬けは棒タラと共に古くから海の幸を干物に利用してきた会津の伝統料理である。
このニシンの山椒漬けはもちろん自作した「ニシン鉢」に漬けなければダメ。タッパーではどうしても気分的に美味しくない。また、今は真空パックでスーパーやお土産で売っていていつでも食べることができるが、やはりこの時期に食べる”旬の味”が何とも言えない。

  私が煮物が好きなので、妻はいろいろ作ってくれる。会津では干物の身欠きニシンに対して生のニシンをカドイワシと呼んでいるが、このニシンを使った煮物は、大根干しやタケノコ、椎茸、ジャガイモなどと、またワラビやイラなど山菜によく合いとても美味しい。
 先ほど漬けて冷蔵庫に入れた、3,4日後の出来上がりが楽しみだ。

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ニシンの山椒漬けの作り方
材料:・身欠ニシン(10本)・山椒の葉(20~30枚)・しょうゆ(150cc)
   ・酢(100cc)・酒(100cc)・赤唐からし1本
  ①ニシンは水でよく洗い、米のとぎ汁でアクを抜く。
  ②山椒の葉も水でよく洗って水気を切っておく。
  ③ニシンを漬ける器に①のニシンと②の山椒の葉を交互に重ねる。
  ④漬け汁にしょう油・酢・酒に、種子を取り除いた赤唐辛子をみじん切りにして加え、火にかけて汁を作る。
  ⑤上から汁をかけて、押しぶたと軽い重石をのせて漬ける。
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  拙ブログ(2006.1.10)「お正月に 会津の食文化を楽しむ」

緑の風に思う 蝶追った日々   

2006-05-18 | エッセイ
       《わが家で羽化したクロアゲハ》 

 爽やかに吹き来る緑の風に、少年の日々がほのかに蘇る。今年も庭に、越冬したルリタテハ、テングチョウが訪れた。もうコミスジも飛び始めている。
 あの日も補虫網を携え、麦わら帽、三角管、手拭いと、身支度を整えて山へ向かった。
 まだ山ひだに雪の残る山道には、もうコツバメ、ミヤマセセリが舞い、ハンミョウが先導をつとめる。緑の静寂の中、蝶を捕らえ、感動に震える手で三角紙に納めた。
 梢を矢のように飛び交うメスアカミドリシジミ、夕陽を背に飛び乱れるウウラナミアカシジミ、そしてあの山道の曲がり口のクヌギには、きまってゴマダラチョウ、オオムラサキ、カナブン、スズメバチが群れていた。額に汗して息を殺して樹液に近づいたあの心の高鳴りは何処へ行ってしまったのだろうか。
 あれから40数年になるか。蝶に魅せられた少年の日の爽やかな思い、再びかえらぬ楽しき春はまぼろしであったのだろうか。
 ああ、今老いた心で、遠き日のあまりに豊かな春を誰に語ればいいのだろうか。

庭で家族を優しく見守る桐の木 

2006-05-15 | エッセイ
      《桐の芽吹き、開花は遅い》

 庭に樹齢五十年?ほどの桐の大木がある。今年も田植を待って、紫の筒状の花が開き始めた。葉芽吹きも一緒、じきに庭一杯にほのかに甘い香りが漂うだろう。
 昔は女の子が生まれると桐の苗木を植え、お嫁に行く日にひと棹の箪笥を持たせたという。そんな風習もいまでは親心をしのぶだけである。そういえば先年、亡くなった母が嫁入りに持参した箪笥を削り直してもらい、六十年も前の銀白色の木肌がよみがえったと兄から聞いた。特に奥会津の厳しい自然条件の中で育った桐は材質が緻密で粘りと光沢があるそうだ。
 いつか喜多方市にある桐の博物館を見学したことがあった。そこには、庭でいつも家族を優しく見守っている桐についての風格や文化など全てが展示されていた。
 ホタルブクロに似た花が散ると葉はますます大きく成長する。そして暑い夏の日陰はとてもありがたい。大きな桐の葉が静かに落ちる秋の夕暮れは侘しいが、やがて庭の土を潤す。
 これからもそんな桐の木を尊敬しながらいつまでも見守って行きたいと思っている。

  《庭の重鎮 桐の木》

英世と智恵子 信念ある生涯 

2006-05-14 | エッセイ
 猪苗代町の野口英世と、安達町の高村智恵子記念館に生家を訪ね、敢えて同時代を生きた二人の生き方を考えた。
 智恵子の生家は造り酒屋で、彼女が何不自由ない豊かな生活を送った当時の面影が残されていた。智恵子は彫刻家、詩人である光太郎と出会い、愛と芸術に生きた。展示されている紙絵の作品は、晩年病におかされながら到達した世界で素晴らしい感性を感じさせられた。
 一方幼いとき手にやけどを負った清作少年は貧しい中に生まれ育った。いつも卓越した能力と共に人並はずれた彼の努力と生涯を尊敬せざるを得ない。
 境遇の全く違う二人の生き方だが、共通に信念を貫く強い意志を感じた。二人は激動の明治、大正、昭和を五十余年、精一杯にがむしゃらに生き抜いた。
 麗しい山河、磐梯山と安達太良がこんな二人を癒すように聳えている。

柳津西山・地熱発電所

2006-05-12 | 環境問題
 会津きっての名刹・福満虚空蔵尊*から只見川の支流滝谷川を約10キロ遡ると、日本一の地熱発電所のある西山温泉郷がある。温泉を目的に来たが、折角なので東北電力の柳津西山・地熱発電所*のPR館を見学することにした。
 充実したPR館で、自然エネルギーや熱の世界のこと、地熱発電のしくみをわかりやすいビデオで視聴できた。
 日本の地熱発電はわずか0.7%に過ぎないが、そのうち東北地方の4カ所を合わせた出力は全国の50%を占めているという。そしてここ西山発電所は、単機では日本最大出力を誇る発電所である。 
 化石燃料による発電は排出ガスが地球温暖化、大気汚染、酸性雨などの原因となり、また埋蔵量にも限りがある。また原子力発電は、これら排出ガスがない利点があるが放射性物質の安全性の確保が必要で発電に伴う廃棄物処理にも問題が多い。
 日本は火山列島と呼ばれるほど、火山が多い。地下深部のマグマは膨大なエネルギー源である。当然、自然環境との調和が必要だし、探査・開発に多大な費用や火山性の自然災害へのリスクもあるが、地熱はほとんど無尽蔵であり、水力とともに再生可能な貴重なエネルギー資源で極めて高い供給の安定性を持っている。地球にやさしいエネルギーだ。
地熱発電の意義をもう一度考え直したいと思った。
  帰りに西山温泉郷で温泉に浸かり、地熱の恩恵に浴しながら、しばしエネルギー問題を考えた。そしてお土産に、柳津名物の粟饅頭を求めた。

* http://www.aizu-reichi.gr.jp/ennzou/
*http://www.tohoku.meti.go.jp/geo/yanaizu.htm

誰かに知らせたい 今の幸せ

2006-05-10 | 健康
 窓ぎわでロッキングチェアに揺られながら、沈みはじめた夕日を見つめていた。
そよぐ木々の葉の間に光輝くお日様を見つめていると、なぜか涙が込み上げてきた。
多少具合が悪くても、何不自由なく生きている幸せを実感し、あらためて健康のありがたさを思った。
 突然の発病からまもなく丸3年になる。いつも先々の不安はあるが、この病を得て良かったのかと思っている。闘病の日々、そして九死に一生を得た幸せに、また明日の分からない日々にも、人として生きることの根本をあらためて考えることができたからだ。そうでなければ、自分は生かされていると言う大切なことに気づかずに、漫然と過ごしていたかも知れない。
 私の心の底にある、かつてお世話になった皆さんに現況をお知らせしたい。

『 静かに自分の心を見つめながら生活しています。
  緩やかなときの流れに身を任せて生きていきたいと思っています。
  こうしてただ好きなように過ごせる幸せは、周囲の温かい愛と自然のおかげと、常に感謝を忘れることはできません。 
  これからの残りの人生を、人々の温もりに甘えながらも、特に妻に支えられながらも、前を向いて一人凛として生きたいと思っています。 』

新しい命を謳歌する自然に感動  

2006-05-09 | エッセイ

 久々に春の山道に分け入った。足下から急に蝶が飛び出した。ミヤマセセリかと歩を進めたが、枯れ葉に止まったのは越冬した小さなクジャクチョウだった。春の日を一杯に浴びながら静かに開閉する羽には、ギリシャ神話のイオの涙の模様があまりに美しく輝くいて見えた。そして、春まだ浅い山肌にはマンサクが所々に見え、芽吹き始めた周囲の若葉が驚くほどに新鮮に映った。


 今、庭の桜が散り、庭の樹木ではレンギョウ、ツバキ、モクレン、ボケ、ライラック、ドウダンツツジ、ジンチョウゲ、ハナスオウ、ユキヤナギなどがそれぞれに個性的に咲きほこっていて何とも美しい。まもなく白いリュウキュウツツジが咲き出しそうだ。
 厳しい冬を乗り越え、新しい命を謳歌する自然のすべてがあまりにすばらしい。
 こうした自然の美しさをなんとか表現したいと思い、写真を撮る、スケッチをする。五感を総動員してその思いを綴る。でも、その時その場の感動にしくものはない。
退職して1年が過ぎた。いつも平穏な有り余る時間に感謝しながら、自然との対話を楽しみ豊かな感動に浸りたいと思っている。