エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

雪の峠道

2016-01-27 | 日々の生活

 

明日から天気が良くないようで、薄日の射した午後、スノーシューで里山を歩いた。

「森で遊ぼう」の昆虫ウオッチングで昨年8月に歩いた沓掛峠へ。

のぼり始めはガスがかかっていたが、じきに細かい雪が降り始めた。

山神社前にクルマを止め、約1時間の雪の林の中を楽しんだ。

  

金堀の滝の様子も見たかった。峠の雪道は積雪約5,60センチ、快適に歩くことが出来た。

  

買ったばかりのスノーシューにはテールが付いていたが、ときどき左右のテールがこすれて歩きにくいと感じた。

たしかに浮力が出るようで、新雪や荷物が重いときには有効かも知れない。

  

じきにスギ花粉   ウバユリ  フジの実  

普段見かける動物の足跡はほとんど見られなかった。

 

帰りは、何回か斜面を歩いて近道をした。静寂の中、しんしんと細かい雪が降り始め、そうそうに峠道を下った。

静寂、何も聞こえない。すべてが凍り付いている墨絵の世界。

目ににする動きは、小糠のようにように降る雪と、金堀の滝のきれいな水の流れ。

夏のあの歓喜に包まれた子どもたちの声が聞こえてきた。

雪が消えるまで、何度か雪の林を自由に歩いてみよう。

 

 


古希を迎える

2016-01-21 | 日々の生活

 今年の冬はやはり異常だ。ようやく初めての吹雪と思ったら、せいぜい20cmほど、楽な冬を過ごしている。

ゴミステーション脇の梅のつぼみが白く膨らんできた。 何という梅なのだろうか。

我が家の庭には、白加賀、小田原小梅、豊後、高田の梅の木があるが、いずれもまだまだ芽は硬い。

    ゴミS横の梅

    ↑ 昨日の福島民報に、お城の鉄門の西側の梅の写真 ”春を先取り 梅ほころぶ”という記事が載っていた。

 

   サンシュウのつぼみ 

ブルーベリー 

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一度あきらめた 古希を迎える 

 4月に迎える満70歳、いよいよ古希だと思っていたら数え年で言うようだ。とすれば、この1年間、古来稀な年の認識が薄く過ごしてきた。

団塊の世代であればさほど稀ではなく、どこにも元気な仲間がいる。でも、昔は70歳はおろか還暦すら長生きだった。

それに、まず助からない大病を患い現代医療に生かされたいまがある。そして、奇跡的に回復した体力を思うと、やはり稀な歳には間違いない。

たしかに体力の衰えをあちこち感じている。大分前に右眼の白内障手術をしたが、近いうちに今度は見えにくくなった左の眼の番だ。

もう一度きれいな明るい視界で周囲の大自然を眺めてみたいと思っている。

還暦は赤色がキーワードだが、古希は紫色らしい。我が町内では古希を迎えると敬老会で紫色の祝い座布団が贈られる。

どうも紫は気品や風格を備えた色として尊ばれるらしい。そんな紫色にはほど遠いが、秋には座ってみたいと思っている。

尊く稀な歳を大切に過ごしていきたと思っている。

我が町内では古希を迎えると敬老会に紫のお祝い座布団が送られる。どうも紫は気品や風格を備えた色として尊ばれるらしい。

そんな紫にはほど遠いが、秋には座ってみたいと思っている。

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スノーシュー試運転

2016-01-19 | 日々の生活

 暮れに、雪の中を自由に歩けるスノーシューを求めた。
今朝、igakumiさんからご指導のお誘いの電話があり、裏の大塚山で待ち合わせた。
買い求めたスノーシューを点検がてら、入門編を教わった。
今日は厳寒の雪降りの予報の合間の青空が広がり、小一時間の研修歩行をしてきた。
積雪はさほどでなく、歩いた後に褐色の落ち葉が現れた。

    大塚山古墳群

   igakumiさん 熊野神社

  igakumiさんのブログ名「雪遊び」(http://www.geocities.jp/igakumi0181/)は、スノーシューの魅力から命名したとのこと、たしかに楽しいと思う。
 毎週のように山歩きのブログは楽しい。igakumiさんのブログを訪問したら、すでにMさんの写ったブログがアップされていた。

 明日から1週間の天気予報は雪マークが続く。そのうちお誘いがあれば、さらに積もった雪の林でスノーシューの威力を確かめてみたいと思っている。
 igakumiさん有り難うございました。


町内かるた会

2016-01-19 | Weblog

  貴重な木の札

日曜日に、初めての「百人一首かるた会」があった。 

参加者は少なかったが、、和気藹々楽しいひとときだった。

発起人の0さんご夫婦には、詳しい資料コピーからお茶の準備までお世話になりました。ありがとうございました。

同じく発起人のIsoさんから、お父さんの自製の手書きの木札を見せていただいた。

ホウノキに達筆な直筆で書かれていた。貴重なものだと思う。

 Isoさんのお宅では、お正月には遊ぶのが常で,娘さんやお孫さんへと代々引き継がれているそうだ。

 北海道では、独特の書体で書かれた木の板でできた取り札で遊ばれているらしいが、ネットで「板かるたの歴史」について興味ある記事を見つけた。

 『発生については北海道説、福島県会津若松説があったが、現在では江戸時代に会津藩の武士が手内職で作成していたのではないかという説が有力である。

 会津地方から北海道への伝播については、屯田兵が持ち込んだ説、北方警備に赴任した武士が持ち込んだ説、開拓団が持ち込んだ説などがあるが、

 まだ確固たる証拠が発見されていない。当初はホウの木に手書きで作られていたが、盛んになるにつれ、工場で量産され、書体も印刷になった。』

 昔、母から下の句を読んで下の句を取るかるたの話しを聞いた覚えがある。

 北海道では冬になるとこの下の句かるたが一般的らしい。読み札は通常のものを使用するが、下の句しか読まない。

 

以下に、参加しての感想の一端をまとめた。

  

  「町内だより」1月号の回覧にへのお誘い」とあり、発起人の思い入れを知り参加してみた。小正月を過ぎた日曜日、薄日の射す町内会館の窓外には、チラチラと雪が静かに降っていた。/ 我が家では百人一首の文化はなく、高校の古典の授業で学んだ記憶はあるが数首を知る程度、和やかなかるた会を傍観せざるを得なかった。静寂にCDの読み手の豊かなリズムが流れ、古人の心を思いながら静かなひとときを楽しむことができた。/ いまは家庭でかるた取りの習慣は少ないだろうが、小学校の孫は秋口から百首をすべて、その作者まで暗記してしまい、授業中の競技でも強いようだ。また、中学生の孫は3月の校内百人一首大会に向け特訓中、そんな孫たちの境遇を羨ましく思っている。/  最初の参加者は少なかったが、来月の第2回目にはより多くの参加者を期待している。町内の親睦を深めるこうした小さな活動の輪が少しづつ広がって欲しいと思う。小生、時すでに遅しの感もあるが、少しずつ歌を覚えて来春のかるた会には札を取り合ってみたいとひそかに思っている。

第2回は 2/21(日)に予定されている。


テッセンの種 寒いが春のよう

2016-01-15 | 自然観察

賀状の返礼をと思い、不足の賀状を求めに郵便局へ。

「もうありません。」、窓口には「寒中見舞い状」が置いてあった。それもそうか・・・。

帰り学鳳の土手に春を見つけた。鮮やかなタンポポ、オオイヌノフグリが咲いていた。

 

 

我が家までの私道の板塀には、枯れた蔓が絡まっていた。

珍しく雪のない冬の庭に、普段見つけられないものを見つけた。

おもしろい、毛がもやもやしたものを見つけた。すぐにテッセンの種ではないかと思った。

夏の日に、紫色のテッセンが見事に咲いていたところだ。

 

 

庭を一回り、うっすら積もった雪の中に、花の冬姿を発見した。

   

 

シャクナゲの新しい花芽の横に、花柄が残っていた。

シャクナゲも、テッセンモ種から育つのだろうか。

 


十日市で風車を求める

2016-01-10 | 日々の生活

10時過ぎに、すずちゃんの長靴を届けながら、Hさんにご年始を済ませた。

あっ子ちゃんも子どもたちと出かけた後で、駐車場を借りて、ちょっと十日市を覗いてきた。

お店は何時ころから始まっているのだろう、道すがらもう何人もの風車を持った人に行き会った。

風物詩の起き上がり小法師や縁起物を売る店を写真に収めながら歩いた。

みぞれ交じりの雪が降っていて、手がかじかんだ。

神明通りも驚くほどの人出で、今年はアーケードがないので、傘の列が大変だった。

今年も、元気で回れるように願って、小さな風車を求めた。

   

 椿餅の伊勢屋前

 

 

   

十日市の出店もひところとは様変わりで、地場伝統産業の漆器のお店が少なかった。そこでの客とのやり取りが見られず残念だった。

また、大町四つ角での振る舞い甘酒をいただけなかったことも残念だった。

例年は、雪の中の蒲生氏郷公の墓所に参るのが常だったが、どうも元気がなかった。

 田中稲荷神社をお参り

あっ子ちゃんたちにも会えずに帰宅、炬燵にあたり、ビール。つい、最後のお正月気分に浸ってしまった。

十日市が済むと、いよいよ、会津のお正月が終わる。

 


五合庵を訪ねたい 

2016-01-09 | 日々の生活

                                                            居心地は
                                                          居間に挿したる    
                                                                    サザンカの

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大病から10年、欲張らずにあと3年は大丈夫だろうと求めた3年日記だった。

 その3年目の元旦、もう少し豊かなこころを取り戻したいと認めた。

 年の瀬にこの備忘録で過ぎし1年を振り返ると、なんと空白の日が多かったか。

 それは、多忙で自分を見失うことが多く、いかに貧しい心で過ごしたかの証しだった。

 年が明け、孫七人、家族そろっての賑やかな新年会も終わり、世の喧噪が戻ってきた。

 遠く離れた中東の複雑な争い、テロや難民問題、また我が国でも頻発する事件や事故、

 相変わらずの経済優先の社会を見る。

 さらに原発事故で避難を余儀なくされている方々の労苦を思うと、胸が詰まる。

 日々平穏に過ごせる我が身を申し訳なく思わざるを得ない。

 静かに降り始めた雪の庭を一人眺めながら、

 ふと若き日に私を惹きつけた良寛の豊かさを思い浮かべた。

 近いうちに越後に雪の五合庵を訪ね、もう一度自分の生き方を見つめたいと思っている。 

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明日は十日市だ。


加島祥造さん逝く

2016-01-08 | 文芸

      
丁度、詩集「求めない」がベストセラーになっていたころ、中野孝次の著書から加島祥造を知った。

詩集「求めない」の原点は、老子の「足ルヲ知ル」のようだと分かった。

詩集「求めない」は、ひとりの弱い人間の、ときどきの救いとなった。

そしていつも、優しい安寧を与えてくれた。

・ 求めない- すると 心が静かになる
・ 求めない- すると 心が澄んでくる
・ 求めない- すると 時はゆっくり流れはじめる
・ 求めない- すると 自然の流れに任すようになる
・ 求めない- すると 心が晴れてくるのを感じるよ
・ 求めない- すると 自分の声がきこえてくる
・ 求めない- すると  今じゅうぶんに持っていると気付く
・ 求めない- すると  今持っているものがいきいきとしてくる 
・ 求めない- すると  悲しみが消えていく
・ 求めない- すると  心に平和が広がる

その後、伊那谷の自然を礼賛する彼の「伊那谷の老子」を読んだ。。

都会育ちであったがゆえに、伊那谷の自然への思いは深かったと思う。

鉄齋の詩「居山豈為山 只愛此中閑」(山ニ居ルハアニ山ノタメナランヤ、タダ此ノ中ノ閑ヲ愛スレバナリ)を挙げ、

「閑」とは己の実在意識を静かに味わう心で、今生きているという意識だと書いていた。

以来、僕も小さな我が家の、小さな自然の中で、日々、「閑」を求めて満足しながら過ごしてきた。
 
加島さんのご冥福をお祈りします。
 
 


遠い日の拙い思い 変わらない青春を

2016-01-06 | 文芸

 

本棚の「岡潔 春宵十話」を手に取った。緑色に縁取られた箱入りの本を開くと、半世紀も前のアンダーラインやメモがあった。

当時、「人の情緒と教育」、「学を楽しむ」、「自然に従う」等など、数学者岡に共鳴した我が青春の思いを見つけた。

「あとがき」の余白全面に、

「大学生活が終わる。いつも浩然の気を養い、生命の、大自然の、宇宙の不思議を学ばん。

山道には緑と土と光のにおいがした。大自然の匂いが。

いつも大いなる自然と在った日々、対大自然なれば、崇高なる対話を享受できた喜び。

夢を見よ。夜空を見上げ聞け。人生の何か、幸せの何かを。格物致知! 」と、

若き日の、未熟だが純真な走り書きを見た。

長い間忘れていた一冊に、二度と戻らないなつかしい青春の心を見た。

あれからあまりに長い月日が経ってしまったが、今、遠い日の拙い思いに教えられる思いがしている。


おめでとう

2016-01-03 | 日々の生活

 

元日を避け、2日に家族が全員揃った。
おめでとうございます。
昨年はいろいろあったが、みんな健康で新しい年を迎えられました。
孫七人を中心に賑やかに過ごした。
みんながお年玉を交換し合って、多いにご馳走を食べ、ついついお酒も進んだ。

  

今朝は、微熱が出た。暮れからの疲れだろうか。
テレビの箱根駅伝の復路の中継を点けっぱなしで、のんびり賀状を書いていた。
3が日が瞬く間に過ぎていった。ささやかな幸せを思った。


迎えた新しい年

2016-01-02 | 日々の生活

    賀正   

             本年もよろしくお願いいたします

 

              

 大晦日、例年紅白にはほとんど関心がない。森進一の「ふくろさん」だけを聴いた。

 町内会を代表して八幡神社へ詣でた。年が明け、太鼓が鳴り響いた。

 新しい年の無病息災、、穏やかな町内でありますように、ご祈祷を受けた。

 御神酒が入れば、どこへも行けない。早速配達された年賀状に目を通す。

 かつては350枚ほども書いた年賀状だが、今は70通ほどで返事だけで済ませている。

 ようやく思い腰を上げ、昔のスケッチをデザインした賀状を作成した。

 テレビを傍観しながら、賀状を書いた。

 余白の添え書きには ”健康第一で、大自然を友に、こころ豊かに過ごしたい。”と。