エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

孫たちに学ぶ

2012-12-27 | Weblog

 

 積もった雪で庭に雪山を築いた。1時間たっぷりのいい運動になった。
今朝はときどき陽も差すが、気温は真冬日だ。作った庭の山から私道へ出て30メートル程の丁度良いスロープを下る。

 

 孫たちは新しいスキーを買ってもらった。未だ慣れないスキー、凍てついた雪道をすべり、戻りはスキーを履いては登ってこれない。
 繰り返し賑やかに楽しそうに滑った。しばらくは冬休み中の日課になるだろう。
 もう遙か昔、子供たちとはよくスキー場へ通った。でもそれも中学生ころまで、その後はボードがはやり、子供たちだけでよく出かけていた。
 スキーもしばらくご無沙汰だったが、今シーズンは孫たちの世話にスキー場へかり出されそうだ。

 午後は運動を兼ねての孫を連れての散歩、今日は飯盛山まで足を延ばした。

 

 

   厳島神社 洞門 さざえ堂


 道路はツルツルだが今はストパー付きで滑ることはない。夕方4時から1時間、雪道をいろいろ話ながらの散歩となった。厳島神社にお参りして戻った。高台から雪に埋もれる、町並をアカネ空が美しく染めていた。
 帰路、武琉は得意の戦国時代の歴史の話、ず~っと話をし通し、小さい孫から教えられることはたくさんあった。歴史物語もそうだが、孫たちの成長には驚かされた。語彙の豊富なこと、武将の系譜の記憶力の豊かなこと、負けそうだ、いやもうすっかり負けている。
 いつも近くで見つめている孫たちだが、それがいかに表面的であることかと思った。
 老いぼれた人生だが、孫たちから真摯に学ぶ必要がありそうだ。

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徳一菩薩シンポジューム

2012-12-23 | Weblog

 

 午後から、坂下での[徳一菩薩シンポジューム]に初めて参加した。友人の『徳一と法相唯識』の著者、白岩孝一氏から開催のチラシが送られてきて、楽しみにしていた。

 主催は『徳一菩薩に学ぶ会』、仏都会津の祖・徳一菩薩を顕彰し、地域の活性化を目指して設立された会で、今年は第4回目、坂下公民館で開催された。

 第1回が勝常寺のある湯川村、第2回が円蔵寺のある柳津町、第3回が慧日寺の坂下町で開催されてきた。

 春先、白岩氏の『徳一と法相唯識』出版祝賀会に参加して、難しい法相唯識を知った。以前から関心があった徳一、本棚にも数冊の関連の本があった。

 拙ブログ内を【徳一】で検索すると、実に23編もあった。
 徳一の建てた磐梯町の慧日寺はじめ、湯川の勝常寺、市内門田の観音、柳津の虚空蔵尊、西会津の鳥追い観音などを訪ねた折に書いたものだ。

 また、白岩氏の著作について、さらに先日は、磐梯町の募集した「慧日寺に関してのエッセイ」応募のことも書いた。

 シンポジュームの記念講演は、「徳一の道」と題した、法相宗大本山薬師寺の僧、次喜勝氏のユーモアあふれる講演で、なかなかつかめない徳一像を一層鮮明に理解することが出来た。

 


・・・《主な内容》・・・
 ①徳一の仏子道(生涯) ②徳一の修行道 ③徳一の菩薩道に分けて、残された関連文献  を下に丁寧に解説された。
 ○20歳前後で会津を目指した。194ケ寺が徳一建立・中興の伝承。
  うち、福島県139ヶ寺、茨城県44ヶ寺など。
 ○古密教では、過ちを悔いる(悔過)作法が執行された
   供養の対象 薬師如来・変化観音(十一面観音、千手観音、馬頭観音など)・虚空蔵菩薩・吉祥天などの現世利益の強い諸尊。
 ○悉皆成仏の一乗思想の最澄や、即身成仏の空海に共通する思想は、現状肯定であり、徳一の根底の考えは、現状打破の思想であること。
 ○空海の将来した密教は大日如来を主尊とするが、徳一の法相では特定の主尊を定めることはなく、そのときに応じて好みで選ぶこと。
 ○江戸時代にもずいぶん徳一が信仰されたようだ。宗派によらずそれぞれに合った形で信仰された。
 ・・・・・・・・・・ 
 その後、のシンポジュームで、ゲストパネラーの環境考古学者・保田喜憲氏は、今の大震災と原発汚染は3番目の危機、1番目は明治維新の会津。2番目は第2次世界大戦の敗戦だと言う。そしていづれもが福島が犠牲になったと。そんな今、現状を打破し新しい時代を作ろうと徳一が訴えているようだと。また、そういう時期には偉大なリーダーが現れるが、それは、東北出身の若者に違いないと。・・・・胸を打つ話だった。

 

 年末の気忙しいときを縫い参加したが、ひととき奈良、平安の古に思いを馳せることができた。

何となく生きている現実に気づき、「生きる」と言うことをあらためて考え直したい思いに駆られた。

1300年前、目の前の人々を救いたい思いで布教した徳一の心情を思った。 信仰とは何か、生きるとは何か・・・大切なことを見つけた思いがした。

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お歳暮まわり

2012-12-20 | 日々の生活

 

 明日は孫たちの小学校は終業式、冬休みに入ると自由に出かけられない。
 妻と年末の挨拶まわりを済ませた。
 

  計画通りに市内3軒、昼をはさんで柳津まで、久々に知人、親類と会い話が弾んだ。
 懐かしい話やこれからのこと、そして互いに健康で過ごそうと誓った。

  今年も残り10日、過ぎてしまえば本当に早いと思った。また、年毎に過ぎ去るの月日の速さを実感している。

 

 七折れのトンネルを抜けると、やはり柳津は雪国だった。

 今年も、従兄弟の作る「棒たらの甘煮」をいただいてきた。

 

                            【棒鱈の甘煮】                               【珍しい栃餅をいただく】

  じっくり煮付けられた棒鱈は絶品だ。最近は真空パックのものが売られているが、ちと違う。

 干した真鱈を数日かけて水で戻し、気長に煮る。我が家でも、何度か教えられた通り作るが、なかなかこの味が出ない。

 お正月には欠かせない郷土料理、お重に入れて楽しみたい。 

 玄関に着いたとき、ちょうど雪の中を会津若松行きの電車が通って行った。

我が家のみんなが大好きな「粟まんじゅう」を買って帰った。

 

            【いつものお店で ドクダミ茶をいただきながら】                                  【柳津名物  あわまんじゅう】

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先覚顕彰展

2012-12-18 | Weblog

 日曜日、朝食を済ませ雪道を歩いて公民館へ、選挙投票を終えた。
会津若松文化センターに【会津御出身 第1回 各界先覚顕彰展】を見に行く。
10時丁度だが、すでに体育館の駐車場も満杯、不思議に思っていたら、会津シネマウィーク最終日で、ホールで10:30~「別離」が上映されると知った。納得だ。

 

  混雑をよそに、閑散としていた展示室へ入った。
【各界先覚顕彰展】  主催は会津先賢顕彰事業実行委員会、そして市教育委員会後援とあった。

展示会の題名「先覚」と、実行委員会名の「先賢」の違いはどうなのか、いろいろ話し合いがあったのだろう。
会津各地出身の、俳画家の太田素因氏、日本画家の小林五浪氏、俳人、歌人、小説家、政治家、教育者など23名の顕彰者それぞれの人生や関連資料が展示されていた。

いずれの資料も手にとって見ることができ、知らなかった各界の賢人の人生を静かに見つめた。

    俳画 太田素因氏

 また、一角にはハンサムウーマンのコーナーがあり、会津の8人の先人紹介があった。
《 中野竹子 新島八重 野口シカ 海老名りん 瓜生岩子 若松賤子 大山捨松
  板谷まる 》 ほとんどは知る人だったが、今回「板谷まる」さんをはじめて知った。
 これらの女性に共通するものか 、『ハンサムウーマンの心の法則』が9つ掲示されていた。「8人の会津女性の生き方から 今私たちは学ぶべきことがある」と。

   

 「野口しか」さん紹介コーナーに英世の「養老」の書が飾られていた。

大正4年とあるが、英世が年老いた母との再会を果たすため、15年振りに日本に帰国した年だ。おそらくその折りに沢山の書を揮毫したのだろう。

その頃ノーベル医学賞候補ともなっている。以後、彼は日本に帰国していない。

 受付で、何期か衆議院議員を務められた政治家で、有名な俳人でもある滝沢幸助氏の御著書の句集「雪雫」「夕月」「滝沢幸助集」をいただいた。
  顕彰展は第1回とあるが、今後、さらに活躍された先覚者についての紹介がされるだろう。滝沢幸助氏もそのお一人であろうと思う。
   郷土には、数知れない先人が居られるが、あらためて先覚一人ひとりの生き方を知り、教えられたいと思う。

   いつか山形県鶴岡市には郷土人物資料館を見学したが、.鶴岡ゆかりの先人を一堂に集め、その足跡を顕彰紹介していた。

  また、岩手県の盛岡先人記念館でも郷土の文化人に触れ心から感動した覚えがある。こうした施設が会津にもあって欲しいと思った。

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 会津シネマウィークなど知らなかった。 
14(金)は「夜の河」「雪 国」、15日(土)は「それいけ!アンパンマン よみがえれバナナ島」、「時をかける少女」(アニメ版)、

16(日)は「別離」「アーティスト」が上映された。もっと情報を積極的に集め、いろいろな文化行事に参加してみたい。

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飯田のハチ公

2012-12-15 | Weblog

今し方、ネットで「じっと座り飼い主待つ 犬が1週間以上、飯田」に触れた。
      http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20121212/CK2012121202000022.html

そして、続報 「飯田のハチ公、保健所が保護 案ずる電話全国から」
  http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20121215/CK2012121502000182.html

  やせ細った姿は見るに堪えない。切ない、かわいそうで涙が込み上げた。
 全国から140万を超える閲覧があったという。誰もが同じ思いだろう。
 どんな事情があったのだろうか。 一日も早い回復を願っています。


年賀状を書く

2012-12-15 | 日々の生活

 

 年内に年賀状を準備することはほとんどなかった。
ずーっと昔、現役のころは300枚程せっせと書いたこともあったが、ここ数年は、いただいたところへ年が明けてから書くようになった。
 きのう、娘にデジカメの写真をカットにした賀状のデザインを頼まれた。
ついでに、我が輩もと思い立った。

いつもは麗しの磐梯のスケッチを使うが、最近赤瓦の色付けをしたお城をカットにしてみた。
 あっという間に出来た賀状にコメントを書き始めた。
「筆めぐり」の住所録もあるが、ご無沙汰続きの知人にせめて宛名くらいはと自筆で書いている。

 また1年が経ってしまった。少し後悔もあるが、新しい年がいい年になるようにと期待しながら、1枚1枚丁寧に書いてみたい。

 

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「手仕事の日本」

2012-12-13 | 文芸

                                                                     【 ブログ用に、自作の小皿に塩辛を載せてパチリ! 】

 しばらく柳宗悦「手仕事の日本」を読んでいた。
 焼き物に興味を抱いたころから、民藝を知り、益子の浜田庄司参考館や京都の河井次郎記念館を、数年前には東京駒場の日本民藝館訪ねた。
 すっかり遠ざかっていたが、たびたび聞いていた柳宗悦著「手仕事の日本」は、今回初めて手にした。

  昭和15年前後の日本の手仕事の現状を著したものだが、発刊は昭和21年正月とあった。前書きの前の序として、戦争中の厳しい種々の検閲について触れ、幸か不幸かと控えめに訪れた終戦後の平和な時代を書いた。全国各地を旅して各地の伝統的な手仕事を鳥瞰して、その意義を述べている。
 そこには、「手仕事は最も人間的な仕事」と、手が機械と異なる点はそれがいつも直接にこころと繋がれているからとあった。
 会津の品物としては、会津塗り、絵蝋燭、刃物、本郷の焼き物を挙げている。奥会津の雪踏みや雪沓など、手彫りのくり鉢や曲物の手桶屋、葡萄皮でつくった蓑の網も見事な手仕事と述べている。他には、喜多方、熱塩日中の生漉き紙も紹介されているが、いままで知らなかった。
  さまざまな品物の基礎は、自然と歴史であり、人との交わりから生み出されていくと言う。また、後記には、よく知られていない日本の一面、手仕事の意義を知らせたいという著書の目標が、そして、 ①それらの品物をつくった人のこと。②それらの品物の持つ性質。実用的なものがなぜ美しいのか。③それら品物の持つ美しさについて。どうして尊ぶべき美しさなのか。を述べたかったと書く。
 本郷焼きについての考察に、「粗物と蔑まれているものが最も特色のある、また見事なもの」と評して、いわゆる民藝のこころ「用の美」を説いていた。

 (参) 本棚の「河井次郎の宇宙」(於:河井次郎記念館 2000,10.25とある。)を見た。
 鷺珠江氏の文「宇宙の中の河井寛次郎」に(鷺珠江さん:ネットで検索すると、河井寛二郎氏のお孫さん、と知った。)
 《 柳・河井・浜田もよって提唱された「民藝運動」とは、名もない職人の手によって、その土地に根ざして、日などというものを意識せずに作られているものの中にこそ、実は健全な美が宿っており、従って、美とは決して遠い特別なものではなく身近なものである。日常のくらしの中に美はあふれて息づいているのだ》とあった。

 
  美とはほど遠いが、ときどき自作のいろいろな皿、箸置きやぐい飲みを使っている。
 特にお夕飯はゆっくり味わいたいと思っているが、一層料理やお酒がおいしく感じている。陶器は、つくづく食文化と切っても切れない関係にあることを再認識している。

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眠れない夜

2012-12-12 | 日々の生活

 

  ラジオ人間だ。床に入り静かな音楽でもと思うが、やかましい会話にうんざりすることが多い。スイッチを切り本を開く。

 電気敷き毛布で身体はぬくぬく、もっと読みたいが・・・、本を持つ手が冷たい。

 このまま眠っては、と、やり残したような気持ちで、眼を閉じる。そして、諸々思いを巡らせる。

 日中に身体を動かさないでいると、なかなか寝付けないものだ。

 現役のころ程ではないが、悩み事がもたげると、何時までも眠れなくなる。こんな夜中は辛いものだ。

 昨日は、結構寝付きはよかったし、夜中は目を覚ますことはなかった。 しばらくぶりの雪かき、多少体を動かしたこともあったのかと思っている。

そのせいか、少し肩が痛い。

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昨日、萌香花ちゃんが芸術作品を持ち帰った。クリスマスケーキと松ぼっくりのツリーだ。

新聞紙を丸めて、紙粘土でつくったケーキ、よくできました。食べられたらおいしいだろうに。

 

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信州リンゴが届く

2012-12-10 | Weblog

    蜜がいっぱい入った、真っ赤なサンふじが届いた。妻の里、安曇野産だ

リンゴを見つめていると、思い浮かんだのは、三橋三智也の「リンゴ村から」

 ”覚えているかい故郷の村を ~ 真っ赤なリンゴ~”、小さいころ食べたリンゴは青森産の紅玉だったのだろう。

そして、 また、中学生のころか、図書館で借りた藤村詩集。  淡い思い出に、しばし思いを馳せた。

”まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の
 花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

 わがこゝろなきためいきの
 その髪の毛にかゝるとき
 たのしき恋の盃を
 君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ”

リンゴの品種改良も進んだ。あの黄緑にほんの少しの赤が混じった大きなインドリンゴも懐かしい。

最近は黄色い王林が復活したようだ。これもおいしい。リンゴはなんと言ってもシャキシャキ感が良い。

 そうそう、 毎日幾つも皮を剥いている身知らず柿だが、これは保存が利かない。そろそろやわらかくなってきた。

思いついて数個、顔の良い柿を冷凍にした。いつか佐渡へ行ったとき、食後のデザートに出たことがあった。季節は秋だったか、いくつか来年夏に楽しめたらと思っている。

 

昨日の大雪、只見や金山では1メートルを超えたらしい。若松は40cmほどか、去年より10日ほど早い。

昨日は町内会館の大掃除、雪のため会館内だけ念入りに行い、玄関にしめ縄も飾った。

    

引き続き役員会、その後は年忘れの反省会で一杯やった。

一杯で収まらない悪習、またまた呑みすぎた。一夜明けて今朝、反省しながらきのうの宴の後片付けに出かけた。

 

青空も見え、残り柿に雪が美しく積もっていた。カメラを持って裏の八幡様にお参りした。

 

昨日一緒に呑んだ宮司さんが、参道の雪かき中だった。社殿の前でしばらく立ち話。

戦争で、出征兵士を送ったころの思い出話は、8日夜、NHKで放映された「巨大戦艦 大和  ”乗務員たちが見つめた生と死”」のシーンと重なった。

歴史は繰り返す、殺し合いの戦争が世界各地で起こっている。そして、この選挙でも国防軍とは。憲法改正を叫ぶ党を首をかしげ複雑に見つめている。

 

 

いろいろお参りして長い階段を下りると、一天にわかに曇って、雪が舞い始めた。今日一日予報は雪降りだ。       

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シンポジウム《新島八重 その時代の女たち》 

2012-12-02 | 文芸

  来年のNHK大河ドラマは『八重の桜』、会津は今「山本八重」一色だ。
 会津大学の講堂で、シンポジウム 《新島八重 その時代の女たち》が開かれた。
 主催は福島民友新聞社、すぐに申し込みをして、入場券が届いた。
 早い昼食を済ませ、天気は良いが気温2℃、防寒して自転車出でかけた。
 午後1時に開演、聴衆は約200人くらいだろうか、ゆったりした気持ちで講演を聴くことができた。


 
基調講演
 直木賞作家・中村彰彦氏の『会津女性の精神史―戦国・江戸・幕末・近代』
 八重は力持ちで、強い女性と言うイメージだが、従来、歴史の中で強い女性か語られなかったという。
 弥生時代のリーダー的な卑弥呼に始まり、源平時代の女武者、たとえば巴御前や越後の板額御前、さらには信州高遠の諏訪はな、江戸時代の武芸に秀でる別式女などを話題に、たくましい、骨太な行動を取る女性を紹介した。
 また、八重が籠城し、最新鋭のスペンサー銃を使った訳や、弟の遺品を着て男装したが、男装の歴史についても触れた。
 この講演の中身は、今月末に発売の雑誌「オール読み物」に書いた内容とのこと。機会があれば読んでみたい。また、話題となった女性についても調べてみたいと思っている。

 ○トークショー『激動の時代を駆け抜けた会津の女性像』を聞いた。
 主席者は中村彰彦氏のほか、漫画家の松尾しよりさん、若松城天守閣学芸員の湯田祥子さん、末廣酒造の新城希子さん。司会は博物館学芸員の渡部綾子さん。
  それぞれの会津との関わり、会津の印象などについて話された。
中村さんは、綱淵謙錠著の「戊辰落日」を読んでいた時に、子供が生まれた。子供を殺めて自害する壮絶な描写に、書かなければと思った。会津人はシャイだ。文化レベルが高いと。会津出身の湯田さんは、会津を離れて初めて歴史の重みを知った。会津の人は頑固だと。
 湯田さんから八重の生涯が話された。
 山本八重さんは88歳でなくなるが、会津にいたのは20年、彼女の会津時代の生活が話された。会津時代が脚光を浴びるが、その後京都での別の人生を歩む。結婚生活は14年で襄に先立たれ、未亡人として40年近く力強く生きた。根底には「ならぬことはならぬ」があり、いろいろな誤解、非難を受けながらも信ずる道を進んだ。襄は「美しい行いをする人」と言った。ハンサム・ウーマンはそこから。
  激動の時代に活躍した女性は何人もいるが、湯田さんは山川捨松について話され、八重とのかかわりも知った。

  中村氏の会津の幕末史の別の視点に興味を持った。
 会津藩の樺太出兵、江戸、三浦半島の警備など、国防の第1線は会津藩との評価が、戊辰戦争につながった。困ったときには会津藩であった。また、会津藩の開城は正しかったと。辛いことだったが、その後の.山川健二郎、柴五郎、松江豊寿などの人物を輩出できた。 そして、会津の幕末史では、保守的と進歩的のせめぎ合いがみられたと。医者も、幕府では漢方医だったが、山本家、山川家は蘭学、たとえば天然痘の種痘をするなど新しい合理的、進歩的な考えだった。

  帰りに、孫に読ませたいと思い、松尾しよりさんのコミック
 【清らかに たかく ~ハンサム・ガール 八重の生き方~ 】を購入、サインを頂いた。

  4時をまわったが、薄暗いグランドサッカーの練習の声が聞こえてきた。すでに葉を落としたポプラ並木の向こうに、厳寒の磐梯が聳えていた。

  

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いよいよ雪の季節

2012-12-01 | 日々の生活

 師走、カレンダーをめくった。
朝、あられが音をたてて降り始め、じきに雪にかわった。
まだ紅葉も楽しめた庭だったが、あっという間に真っ白な雪化粧だ。
雪の降る中を、カメラを持って庭に出た。11時現在、気温-1℃、今でないと撮れない写真を撮った。
 真っ赤なドウダンに雪がきれいだ。ツバキや黒竹の緑にも、見る見るうちに積もった。
 サンショの実に雪の結晶を見た。秋の終わりを健気に咲くツワブキやキク、ミセバヤも雪に隠された。

     

これから続々咲くサザンカのつぼみにも。雪が降ると、何か落ち着いた感じがするものだ。
 もうタイヤも履き替えたし、庭木の雪囲いも済んだ。いよいよ雪の季節到来だ。
 きのうは、未だ元気なベコニアをかわいそうなのでプランターに集めて玄関前の風防室に入れた。来春まで枯れずにいられるだろうか。

  風防室の植物園

 長い長い雪の季節の始まり、今日から師走だ。

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