エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

「あわれ」と「かなし」

2012-10-31 | 文芸

                                      【麗しの磐梯  (赤井から) 2012.10.22撮】

  今朝も大江健三郎さんのインタビュー(ラジオ深夜便4時台)を聞いた。
  誠実な人柄、正直な人だ。難解な文章との思いがあって、これまであまり読まなかった。
 77歳になられる半生に、これまでに影響された人と言葉を語っておられた。
 今回は9月の再放送で、そのときも感銘を受けいろいろ考えさせられた。
 昨日と今日、インタビュー「人生と日本を語る」をメモを取りながら感動して聞いた。
  終わりに、若者に残したいことはと聞かれ、日本人には「あわれ」の感情を持って欲しいと。最近、国語学者大野晋の「古典基礎語辞典」読んで感銘を受け、古典の言葉、「あわれ」と「かなし」のちがいを話された。
 「あわれ」とは、相手の不幸、苦しみを同じ立場で共有できるこころで、それが人間の根本的な本質的モラルだと。そして、その見えないこころが大切だと。
 大江さんの言葉に、彼の平和への思い、強い信念を感じた。
 番組の終わりに、ご長男光さんの作曲した曲が流され、心に響くメロディを目を閉じて聞いた。大江さんの優しさに、切なく「あわれ」な気持ちが湧き感動の涙が流れた。
  自分も残された人生を「優しさ」をテーマにして過ごしたいと思っている。

(この放送は11月12日までパソコンで聞ける。もう一度聞いてみたい。
       http://www.nhk.or.jp/shinyabin/jyoyou.html   )

 

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色づき始めた庭 アシグロタケを発見

2012-10-30 | 日々の生活

  
 
  庭にキノコを見つけた。気がつかなかったが大きいのは傘が15cmもあった。
裏は白くサルノコシカケのようで肉は硬かった。早速手元のきのこ図鑑で調べると、アシグロタケによく似ていた。柄を確認するとやはり黒かった。間違いない。初めて見るキノコだった。確か、太い枝を切って放っておいた庭のウメの木だと思う。
 さらにネットで検索した。
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アシグロタケ (サルノコシカケ科 オツネンタケモドキ属)
 夏から秋にかけて各種の広葉樹の枯れ木上に発生する。きのこはぺらぺらの一見ひ弱そうな外見だが、生の時は強じんな革質で容易には壊れない。 とても食用になるとは思えないが、煮込めばだしぐらいはとれるという人もいる。
[特 徴]
  傘は円形からじん臓形で薄い。表面はくり色で傘のへりの部分は波うつように曲がるばあいもある。管孔は白色で、柄は傘の一方にかたよってつく事が多い。 柄の色は黒く、これが名前の由来。
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 花の終わったキキョウを切り詰めておいたら、次々新しいつぼみを付け咲いている。なかなかつぼみが育たなかったツワブキも何時しか首を伸ばし、花びらが開き始めていた。
数日前からミセバヤも咲きはじめた。

 

  庭の色づいた葉っぱを撮った。もみじ葉はそれぞれに美しく、個性があっておもしろい。
散った柿紅葉をひろった。いち早く黄色から赤く染まった柿の葉は、暗い緑の斑模様が残っていて趣き深かかった。桜紅葉は赤く、銀杏の葉は幾分黄緑がかってきた。今見事なのはニシキギの鮮やかな赤紫だが、ホウノキは紅葉というより枯れ葉のようだ。

                                                                ニシキギ

 盆栽のハゼノキ 

 

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会津いにしえ夢街道

2012-10-27 | 街中散歩

無風快晴、こんな秋らしい日はなかった。

お昼を済ませて、近くのいにしえ夢街道を訪ねた。

午後1時に出発、飯盛山から愛宕神社そして天寧寺に至る山道を歩いた。

3時間の道のり、約5㎞といったところか。久々の秋のウォーキングだった。

飯盛山へは春先に散歩した。よく歩く道だったが、愛宕山も天寧寺も5,6年ぶりだった。

      

 

秋の観光シーズンで、結構訪れていた。小学生は、いわき植田からだった。

我が輩としてはかつて単身で暮らした地、小学校も知っていて懐かしい思いだった。

線香の煙が絶えない、自刃した白虎隊士19士の墓をお参りした。

 かたわらに松平容保の歌碑「幾人の涙は石にそそぐともその名は世に朽ちじとぞ思ふ」を指でなぞった。

  

  【白虎隊の忠義に感動したローマ市より寄贈の塔】

   

 城を望む白虎隊士の自陣の地の脇に、はからずもドイツ人ハイゼ親子のお墓を知った。

 【 リヒャルドハイゼ先生は明治二年キール市に生まる同三十五年東京高等商業学校獨逸語教師に聘せられ學習院及慶應義塾に教職を兼ね子弟の薫陶に盡瘁すること二十有餘年功に依り勲三等旭日章を賜ふ大正十三年歸国滿洲事變に際し反日論起るや壽府に在りゾルフ前駐日大使と共に筆陣を張り之か是正に努む晩年大連に在住合春偶北京に游び病を得て長逝す先生人格高雅國士の風あり夙に白虎隊の誠忠に感銘之を筆舌に載せて汎く世に紹介し自亦飯盛山に眠らんことを遺言すここに敬慕する友人門弟約四百名若松市當局の協力を得て此地を卜し先生の念願に應ふ     昭和十五年十一月十七日 ハイゼ先生記念事業會   (碑文のまま)  】

このまま西へ行けると思いしが、一度下まで降りて、大龍寺からまた山へ入った。

大龍寺は山本八重の先祖が眠る 山本家の菩提寺で、これまで無かった立て看板が山本家墓所まで案内してくれた。

大龍寺境内 本堂前のウメモドキの実が美しかった。                    【愛宕山神社】

 

  

近藤勇の墓所にお参りした。右には土方歳三の戒名が書かれた慰霊塔が建っている。

 墓所の登り口に、近藤勇 辞世が刻まれた碑が建っている。

孤軍援絶作俘囚
顧念君恩涙更流 
一片丹衷能殉節
雎陽千古是吾儔
靡他今日復何言
取義捨生吾所尊 
快受電光三尺剣
只将一死報君恩

 

孤軍たすけ絶えて俘囚となる。
顧みて君恩を思えば涙さらに流る 。
一片の丹衷よく節に殉ず。
雎陽(すいよう)千古これ吾がともがしら。
他にな びき今日また何をか言わん。
義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所。
快 く受けん電光三尺の剣。
只まさに一死をもって君恩に報いん。

 色づいた山道を天寧寺に郡長正の墓所を訪ねた。天寧寺境内に着くと、郡家の墓所への登り口の角に

昨年亡くなった作家・早乙女貢の「会津士魂」の石碑が目に入った。

   

                                                                                             会津士魂会によって建立された観音菩薩像と、萱野権兵衛父子に関する碑文

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《 郡 長正 ~会津武士の子として~   ネット 「あいづわかまつ 歴史の道」より  》

郡 長正は会津藩家老・萱野権兵衛の次男として生まれましたが、父権兵衛が戊辰戦争での会津藩の責任を一身に背負い、明治2年に切腹したことから、家族は萱野姓を名乗ることが出来なくなり、母の姓「郡」を名を名乗っていました。優秀だった長正は14歳の時、選ばれて九州・小笠原藩の育徳館(福岡県豊津町)に留学し、なお一層学問武道精神鍛練に励む毎日を送っていました。ところが育ちざかりの長正には食事がひもじく、故郷の母につい手紙でひもじいことを訴え、会津の干し柿が食べたいと書き送ってしまったのでした。母の返事は「おまえは斗南(となみ:会津藩がとりつぶされて流された青森県下北の地)へ行った人々の苦労を知っていますか。会津の武士の子が食物のことをあれこれ言い柿を送ってくれとは見下げ果てた根性です。再びこのようなことを言ってよこすならおまえは萱野権兵衛の子ではありません。」という厳しいものでした。母からの厳しい返事を読み、会津の武士の子としての心構えを忘れた自分を心から反省した長正だったのです。ところが長正はうっかりとこの母からの叱責の手紙を落としてしまい、日頃敗残の会津藩の子弟らが成績のよいことを妬んでいた地元の同級生に知られてしまいました。「会津の秀才、餓鬼道をゆく」などと散々嘲られる結果となってしまったのです。それから5日後の明治4年5月18日、長正16才の誕生日の日、小笠原藩と会津藩の対抗試合が小笠原藩主の臨席のもと行われ、大将をつとめた長正は5人を破り、劣勢をはねのけ会津武士の意地をみせたのでした。 そして、悲劇は起こりました。皆が長正を誉めたたえる中、一人寮に戻った長正は会津武士の子としての恥ずかしい振る舞いを、腹を切ることで償ったのです。自分を律し、恥ずべきを知る会津武士の精神、「ならぬことはならぬ」の日新館教育を16歳の長正は死をもって実践したのでした。

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 (参)拙ブログ『街中散歩 郡長正の墓』(2007.1.12)) http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/441b58949c6c7b101d43c4c50e00e115

 秋の午後、今の健康で平和な日々を送る幸せを思いながら、会津の戊辰の先人たちの辛い足跡に思いをはせた。(2012.10.26)

 

 

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トンボともしばしの別れ

2012-10-23 | 自然観察

 
  
 今朝は朝からテレビを視聴、賢治の世界に魅了された。たまたま番組表を見たら、シリーズ「東北・文学散歩」の放送があり、きのうは「「津軽」生誕100年 太宰治と故郷」 だった。見逃して残念だった。明日は啄木「特集 詩人・啄木の夢と青春 〜生誕110年記念祭から〜」「みちのく文学散歩 石川啄木 「一握の砂」 〜岩手県・玉山村〜」だ。忘れないで見たい。
 今日は賢治、1996年放送の「宮沢賢治への旅」で、《第1部 イーハートーブの光と風、 第2部 本当の幸せを求めて》  を一挙に視聴することができた。
 
 今日は昨夜半からの静かな雨降り、窓越しに色づき始めた秋の風情をぼんやり眺めていた。

 きのうは穏やかな秋の一日、ひとり秋を楽しんできた。
 林に囲まれた池の端の草原では、ノシメトンボのペアが産卵を繰り返していた。
一瞬、湿地で空中から卵をばらまく打空産卵に、マダラナニワトンボかと喜んだが、少し大型、翅の先端には黒色斑だった。

 しばらく観察していると、ペアは水辺の草に止まった。その瞬間離れた。その後メスが単独で産卵を始めた。
 隣では、幾組ものアキアカネが連結して、こちらは打水産卵をしていた。
 あとわずかのいのちを思うと、精一杯の子孫を残す営みが愛おしく感じられた。

ノシメトンボの産卵

 

  

 

終わりかけているカントウヨメナの花には、キタテハ、ヒメアカタテハが暖かい日差しを受けて蜜を吸っていた。

数頭のオオアオイトトンボを見かけたが、イトトンボは姿を消した。元気なオツネントンボだけが目立った。

  

 オツネントンボ

   オオアオイトトンボ♂


  ひとり水辺に佇み見つめる自然は何と切ないことか。秋は何と寂しい季節だろうか。
  真っ赤に染まってきたウルシやサクラの葉を眺めながら、ふと裕次郎の歌を口ずさんだ。
 ”秋には枯葉が小枝と別れ~”、”はかない生命はせつなくもえて~”

   

  「粋な別れ」の一節だが、まさに、美しく色づき始めた木々の葉も、ほどなく散り急ぎ土へ帰っていく。

そして、夏の日に飛び回り燃えた小さいいのちが、いま終わろうとしている。   

  今年も、ずっと小さな自然を見つめてきた日々が終わる。
 来年も、元気なトンボやチョウの姿が見られることを祈った。

 

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笹りんどう祭

2012-10-20 | 日々の生活

孫たちの通う小学校は、今年創立100周年を迎えた。

我が子3人も通った学校だ。学習発表の笹りんどう祭は15回目という。息子や娘たちの頃、この学習発表会の名称はなかった。

例年趣向を凝らしての発表を見てきたが、今年は各学年全体で取り組んだとても充実した発表だった。

2年生萌ちゃんたちは「お祭りわっしょい」と、手話を交えた歌「この星に生まれて」。

4年生の武くんたちは、「ゆかいに歩けば」やレコーダー演奏「はじめの一歩」、そしてかっこいいはっぴを着て「よさこいソーラン!」を踊った。

各学年発表の合間に、孫たちの学んでいる教室を覗いて、普段の生活を想像した。

我が輩は、昼前に失礼して里山へ出かけた。

ママが、PTAの学年委員で模擬店の世話なので、昼はばーちゃんが孫たちとみんなでグランドで食べたはず。

食券は購入済み、模擬店の焼きそばや豚汁、チョコバナナなどを楽しんだようだ。

4年生の発表 「新たな一歩!」

   記念碑

 

今朝はこの秋一番の冷え込みだったが、風もほとんど無い晴天に恵まれた。

里山、マダラナニワトンボに会えることを期待して行ったが、最近の冷え込みもあったのか、トンボたちもほとんど姿を消した。

昨日までのキトンボの産卵も見られず、少なくなったアキアカネ、ノシメトンボがゆく秋を惜しんで羽を輝かせていた。

紅葉の始まった山道、農道をゆっくり歩いてきた。

 ニセサンショウの実

 

晩酌の友に、思いがけない”松茸”をご馳走になった。焼いてスライス、何年ぶりだろうか歯ごたえ抜群だった。

知人からのありがたい頂き物だ。(2012.10.20)

 

 


カマキリの産卵

2012-10-19 | 自然観察

 あちらこちらでカマキリの卵が見られるようになった。
 我が家近くの路傍のヨモギに茎で産卵中のオオカマキリを見つけた。
 逆さになって、茎を中足と後足でしっかりかんで産卵していた。

  

 孵化する様子は見たことがあったが、産卵風景は初めて見ることができた。
 折しも風が吹いていて、撮影には苦慮したが、観察しながら産卵中の全身を撮った。
 中の卵の泡は、よく眼にする褐色ではなく真っ白だ。
  カマキリのお腹はぱんぱんに膨らんで、産卵管の脇には細いひげのような物が一対あり、ときどき動かしていて、泡を掻いているようにも見えた。実際には何の働きがあるのだろうか。図鑑で見ると尾毛とか尾角とあった。
 産塊はなかなか大きくならず、時間がかかりそうだ。
 時間をおいて覗くと、少し大きくなったようだ。そして卵塊の上の方は心持ち茶っぽくなったように見えた。
 産んでいたのは草丈30cmほどのところ、大雪の時は高いところに産むと言われるが、そんなことはないようだ。でも、雪が少ないのかカマキリに聞いてみたいと思った。

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深まる里山の秋

2012-10-16 | 自然観察

 

この秋一番の穏やかな秋晴れだった。朝5℃まで下がった。

午前中、玄関の風防室に温室棚を庭から移動した。庭の鉢物、もうしばらく秋の陽に当てて、冷える夜にはいよいよ取り込もうと思う。

トンボの撮影には、風がないのが一番、やはり里山へ出かけた。

すっかり秋が深まり、紅葉が始まっている。

 

先日、マダラナニワトンボの産卵を見た池に向かう。途中の山道でコバネアオイトトンボに出会った。

先日見つけて、注意していたら早速の再会だった。今回は♂、♀単独で、しっかり撮ることができた。

コバネアオイトトンボ♀

 

マダラナニワには会えなかった。キトンボ、アキアカネ、マユタテアカネが連結して打水、打泥産卵を繰り返していた。

キトンボは単独でも産卵することが分かった。

 

単独で産卵

    アキアカネ  マユタテアカネの産卵

池の端では、わずかだがアオイトトンボ、オオアオイトトンボ、オツネントンボなどが見られた。

  

アオイトトンボ ♂                                     オオアオイトトンボ ♀

 オツネントンボ♀

シータテハやヒメアカタテハが吸水に訪れた。

    シータテハ

しばらく待ったが、マダラナニワトンボは姿を現さなかった。

池を離れて、すっかり刈り取りの終わったソバ畑の農道を歩いた。

もう最後であろう穏やかな日、所々に咲くヨメナに、キタテハ、ヒメアカタテハ、ベニシジミが乱舞していた。

 キタテハ♂  ♀

 

 交尾モンシロチョウテングチョウ

カワラヒワの集団がマツヨイグサのみを食べに来ていた。近づくと一斉に飛び去るが、しばらくすると戻ってきた。

ファインダーを覗くと、さわやかな姿が美しかった。300mmではこんなところか。  

  

 カワラヒワ♀

数年前にマダラナニワを観察した場所へ、ここは、エゾイトトンボ、オゼイトトンボの多いところだ。

オツネントンボの世界で、もう他のイトトンボは全く見えなかった。付近の湿地はすっかり乾いて、セイタカアワダチソウもかなり分布を広げていた。

この10年足らずですっかり植生も変わり、ここで見られたタカネトンボなどは姿を消した。

林の野鳥は何だろうか。スズメより一回り大きく、止まった2頭は多分雄と雌だろう。図鑑からクロジかも知れないが、初めて聞く名前だ。

ホオジロも飛んできた。後で、鳥博士のYさんに聞いてみようと思う。

 クロジ?

ホオジロ?

約1㎞の林道を往復した。帰りがけに少し黒いトンボが目に入った。マダラナニワトンボ♂だ。

先日今年初めて見かけたマダラナニワトンボは、水辺から離れたソバ畑だった。今回もこんなところで♀を待っているのだろうか。 

数枚写真を撮ったが、見失った。ともかく飛翔が早いし、黒いというのは見つけにくいものだ。

振り返った数えてみると、今年は5頭目撃できた。しかし、来年保証はない。ずっと観察してきた場所では、未だ一頭も確認できないでいる。

秋も深まり、チョウもトンボも少なくなった。ぼろぼろのヒョウモンチョウに会うとき、いとおしさが募る。

今日も、誰一人いない静かな里山で、いつもと同じ時を過ごした。これで良いのだと言い聞かせながら。

 

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ミズナラの虫こぶ

2012-10-15 | 自然観察

 

  梅雨のころ、庭のエノキの葉に小さなこぶが沢山出来ているのを見た。
  【拙ブログ 「エノキの葉の瘤 2012-06-02 | 自然観察  】 http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/70ed9d9070a30986f3d29a2ae0e99fac

  ネットで調べたら、この瘤はエノキハトガリタマフシと言うもので、エノキトガリタマバエの幼虫が入っているらしい。

  日本では、569種の植物に虫こぶがつくられることわかっていて、芽、茎、葉、蕾、花、実、根など、様々な部位につくられようだ。

 

今日は、ドングリが育ったミズナラの葉に、きれいな球のような虫えい(虫こぶ)を見つけた。

 ネットによると、ナラハウラマルタマバチ(コナラフシバチ)が寄生して出来たものらしい。

  

 虫えいの中央に幼虫室が1個あり、幼虫は幼虫室の内壁を摂食し、成長して終齢に達する。

 成虫は晩秋から初冬にかけて羽化し、越冬芽に産卵し、越冬した卵は翌春孵化する。

 まさに、自然界は不思議いっぱいだ。


 

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牧水の歌を思い浮かべる 秋

2012-10-14 | 日々の生活

 

 a.m7:32
 
 a.m7:34 2F窓から

 

 秋になると若山牧水の歌を思い浮かべる。

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり」と。

また酒の歌人は「それほどにうまきかと人のといたらばなんと答へむこの酒の味」と詠う。

これは、まさに身体を心配しながら飲む自分にも当てはまる問いで、何と答えようもないのも同じだ。

牧水は、酒は口で味わう「うまさ」と心で噛みしめる「味わい」を持っていると言う。

秋の夜長、心を噛みしめてしずかに飲みたいものだ。

幾山河越え去り行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」と詠う牧水は、

人の心には取り去ることの出来ない寂寥が棲んでいると言う。

私はこの寂寥感が好きでたまらない。

 もう猪苗代湖にハクチョウが飛来した。

白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよう」も大好きな歌だ。

ほどなく、遙か磐梯の雪景色に、湖水の青にも染まず漂うハクチョウの姿に感動する季節が訪れる。

 

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絶滅が心配されるトンボ

2012-10-11 | 昆虫

  思いがけない場所でマダラナニワトンボの産卵をみることが出来た。
今年は心配だった。時期が来ても、昨年まで決まって姿を現していた池でその姿を見ることが出来ないでいた。思いもかけないところで、待ちに待った産卵するマダラナニワトンボの姿を眺め、多少の安堵感が湧き感無量だった。

    

  

          ↑   落下する卵が見える

  

 先日ソバ畑で今年初めて一頭の♀を目撃したのは2週間前、そこは卵を産める環境ではなかった。今回産卵している池は、より生息条件がいいと思った。

 水辺のアオイトトンボを撮りながらあきらめて帰ろうとしたとき、ふと黒いトンボが眼に入った。マダラナニワトンボは飛翔が早く、しかも身体が黒いので見失いがちだ。付近を探していると、今度はペアが飛んでいてホバリングしながらいつもの産卵をしていたのだ。時刻は正午を回ったところ。じっくり観察しながら、数十枚連写を繰り返して撮った。カンガレイだろうか、その細い草の間を縫って、高さ2,30cmのところから卵を落としていた。ときどき卵が落下するのが見えた。水際約1,2m付近で、孵化した幼虫が水に入りやすい場所に思えた。池は水質はどうだろうか。また、水中の植物が少ないようだが、エサになる虫はいるだろうか。ほんの限られた条件の場所でしか明日のいのちは保証できない。それにしても嬉しかった。どうか、無事に冬を越し、孵化し成虫まで育って欲しいと祈った。

  また、ここで新しい出会いがあった。オオアオイトトンボと思いきや、近づいても飛び立たない。

よく見ると翅胸の模様が少し違うようだ。目の色もアマゴイルリトンボのようだった。しっかり写真を撮った。

家に戻って図鑑を開いた。どうもこれは絶滅危惧種、コバネアオイトトンボのようだった。環境省は絶滅危惧Ⅰ類に指定、福島県がⅡ類に分類している貴重なトンボだ。

 

 マダラナニワトンボといい、コバネアオイトトンボといい、全国でその絶滅が心配されるトンボが市内に生息している事実を思った。

是非とも、この環境を保全していかなければならないとあらためて痛感させられた。  (2012.10.11)

 

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スケッチ 麗しの磐梯

2012-10-11 | 文芸

           
      目を瞑って描いた麗しの磐梯 そして、佐藤總右の詩
      たまに描きたくなると描く、麗しの磐梯だ。

    印刷屋に勤めるYさんにいただいたいろいろな紙、描く絵はいつも同じ。
    筆も同じ、1、2分で描く。
    いつもの磐梯の空に、ときどきの思いを添える。
  

     こんな絵が、もう100枚程になるか。大きい絵ははばかれるが、小さいスケッチはあちこち配っている。

      自己満足そのものである。

      

 

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深まる秋

2012-10-10 | 日々の生活

  急に寒くなり、今日陽の当たる窓側に炬燵をつくった。 今朝も気温は8度まで下がった。

 セーターを着て庭の日だまりに出ると、今朝は妙にアキアカネが多く、すっかり深まった秋を感じた。

 いつしかキンモクセイの花が散り、カリンが沢山実って色づいてきた。  未だまだヤマトシジミが元気で庭を飛び回っている。

今年のキンモクセイは一斉に咲き、風で一気に散った感じだ。いつも2度咲くと観察していたが、これからまた咲くのだろうか。

  

  夏の間表で沢山殖えた鉢植えの鉢を洗った。ざっと50鉢はあるか。
 耐寒性のない鉢をそろそろ家の中に取り込む季節、何か急に気忙しくなってきた。
 里山の虫たちもあと1ヶ月、例年の写真を見るとアカタテハ、ヒメアカタテハ、ウラナミシジミなどが写っているが、今年はなぜか、いづれも少ないようだ。  

ウラナミシジミを確認したいと思っている。 

  

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山の公園で

2012-10-09 | Weblog

 久々の快晴、今日も飽きることなく里山へ出かけた。今日もマダラナニワトンボには会えなかった。
 9/25に、思いがけない場所で、ぞばの実に止まっている彼女に会えた。以来、今年はあの素早い動きをする黒い赤トンボに会えないでいる。絶滅危惧種Ⅰ類の彼女、心配が現実となってきた。
 ここ5,6年、ペアになって産卵を繰り返していたマダラナニワトンボ、昨年もさかんに打空産卵する姿を何度も写真に撮ることが出来、安心していたのに。

 2011.9.27撮


  本当に条件が整い始めて生息できるトンボたちだ。そのいのちはわずかな環境の変化で崩される。今年のヤゴの成虫に夏の暑さ、干ばつの影響はなかったのだろうか。池の水位はいつもより5,60cmほど低下していた。そのため水温も変化し、植生も変わった。
 マダラナニワトンボは池の近くの水のないところに4,50cm上空から卵を落とす。
春先に雪の消えた、池から離れた場所で孵化した幼虫が池までたどり着ける確率はどうなのだろう。絶滅を防ぐことが出来ないもどかしさ、どうすることも出来ないむなしさを感じている。来年こそ再びの再会を祈っている。

トンボたちが少なくなって寂しい。 オオルリボシヤンマが産卵していた。            オツネントンボ。

 

 途中、レンコン池を覗くと、水が抜かれ、実が葉よりも高く青空に背伸びしていた。
 小春日にアキアカネ、マユタテアカネ、ノシメトンボが穏やかに止まっていた。
 顔面が真っ白なマイコアカネに会った。彼女も最近ずいぶん少なく感じている。なぜだろうか。赤くないので♀だろうか。しばらくぶりだったので、ずいぶん小さく感じた。

  

マイコアカネ♀  シオカラトンボ♂

 猪苗代にハクチョウが飛来との新聞報道があった。10月中半、いつもハクチョウを撮りに翁島まで行くのが常だった。磐梯山麓を雄大に舞うコハクチョウを撮りたいからだ。

 2010.10.24翁島で

 餌付けが禁止されてから、コハクチョウの行動が変わった。冬景色にハクチョウがぴったりの笹山浜には、全く来なくなった。真冬には大群が寄る崎川浜にも、雪の降る前には湊地区の田にいることが多い。時期や時間帯を考えて、今年もハクチョウたちの感動の写真を撮りたいと思っている。

 昨年 崎川浜で 

 山の公園の道路脇で、足の不自由な旦那さんを車いすに下ろしている老夫婦に会った。ドアが道をふさいでいたが、ゆっくりで構いませんと声をかけた。体格のいい旦那、か細い奥さんには大変で、よほど手伝おうかと思った。
 静かな公園の片隅、木陰でお昼を共にするのだろう。遠くから夫婦の清々しい心を思った。

 

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孫の運動会

2012-10-07 | 日々の生活

 

3番目の孫の運動会があった。
ママの里いわきからじいちゃんとばーちゃんが、遠路応援に来られた。
昨夜来の雨も今朝方には上がり、6時半に開会を伝える花火が上がった。
上の孫たちがお世話になり3年目、運動会のプログラムは縮小され午前中で終わり。
そのため、前はグランドで食べていたお昼もなしだ。そのせいもあってか、観客も少なめな感じがした。
 パパは審判員でお手伝い、ママは親子競技や未就園児の奏ちゃんとの出番で忙しかった。
  お昼近くなって日が射し、遙か磐梯山も見え始めた。

  

競技の合間を見て、周囲の田んぼ川沿いの土手を歩いた。今年初めて見る彼岸花が咲きはじめていた。

  

ピンクの花びらも見られた。

  

田は刈り取りがすみ、アキアカネがペアになって田の水に産卵を繰り返していた。運動会のアナウンスを聞きながら、のどかな秋のひと時を過ごした。

 

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花ナスを生ける

2012-10-06 | 日々の生活

久々の晴れ間に誘われ、塩川から磐梯方面へ里山巡り。
 刈り取りの終えた田の畔を歩くと、べニシジミ、モンシロチョウ、キタキチョウが秋の日に舞っていた。

 

 

磐越西線の下り電車が通り過ぎた。

 

河東から塩川へ、流れは日橋川、猪苗代湖からの清らかな清流が流れている。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、 かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」
 日橋川は猪苗代湖戸ノ口を水源に、喜多方市塩川で大川(阿賀川)へ、さらに山都町付近で只見川が合流し阿賀野川となり日本海へと流れている。いつも、この流れを見つめ、しばし思いを巡らせるのが常だ。
    【拙ブログ「やがて阿賀野川となり日本海へ」2008-05-20 | 街中散歩】
          http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/9027e629972705960bf1ec1471aa26dc

 磐梯町へ向かうころ、北西方向の空が一天にわかにかき曇り、高台から雨の境が見えた。
間もなく、本降りの雨となった。道の駅に車を止め雨宿り。2,30分ほどで、雨は小降りとなり、明るくなってきた。
 売店入口に地元農家のきれいに色づいた「花なす」を求めた。
 
磐梯町から猪苗代方面へ通ったことのない山道を抜けると、何と十六橋のに出た。

途中の田の真ん中に大きな石が、いつか磐梯山の噴火で跳んできたきたものだろうか。

 

一時日も差したが、曇り空となり、トンボ池を覗いて帰路についた。 

あまり収穫はなかったが、穏やかな秋を楽しんだ。途中、ヒメアカタテハの面白い行動を観た。普通タテハチョウの前脚は退化して目立たないが、盛んに白い短い前足で葉を掻いていた。味覚器官とも言われているが、はっきり観察したのは初めてだった。

  

帰宅して花なすを花瓶に生けた。花ナスは結構丈があり、重いので花瓶に水もいっぱい満たした。自作の花瓶は、青い呉須単色で絵付けした懐かしいものだ。
 【拙ブログ「懐かしい花瓶に生ける」2009-03-16 | 文芸  】
     http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/bf74a3f482f869d2bc491167114e6817

 

 花ナスなるもの、ネットで調べると赤ナスのことらしい。
赤ナス
・ブラジル原産。                  
・秋に、名前のとおりの固い赤い実がなる。
 実の色は白 → 黄 → オレンジ色 → 赤 と変化する。
・別名「花茄子」 「平茄子」「飾り茄子」   
            

 (2012.10.5)

 

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