エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

巡り来た秋に思う

2007-09-29 | 日々の生活

 世の中の喧噪をよそに、秋は音もなく静かに忍び寄った。
高台から黄金の稔り豊かな会津盆地を望み、秋の爽やかな空気を精一杯吸った。
 何処までも高い青空に羊雲が柔らかく広がっていた。萩の咲く静寂の草叢にはコオロギの鳴き声が響き、何処となく寂しさが漂う秋が巡り来た。



 こんな静けさの中に、流れ来た今を思った。
 大病から生かされて満4年、止まることなく流れた来し方をふり返らざるを得なかった。立ち止まって今を見つめ、自分を見つめると、平生ときとして忘れがちな感謝の気持ちがあらためて浮かんできた。
 この素晴らしい秋の季節を楽しみたい。そして、家族のためにも生を愛おしむ日々を送っていきたいと思っている。

 秋のトンボ池

2007-09-28 | 昆虫
            【かわいいマイコアカネ♂】

 約1時間、いつものトンボ池での観察だったが、雷雨注意報が出ていて曇り空、ときどき陽も射すが雨も降りだした。
 今の時期は、アキアカネより、一回り小さいマイコアカネが目立つた。舞子の名のように♂は成熟すると顔が青白くなり、白粉顔に大きな日本髪を結ったように見え、愛嬌があってかわいい。♀も胸の側面の黒い模様が独特だが、なかなか見つけにくかった。

 オオルリボシヤンマがホバリングしながら、枯れた水草の根元につかまって、尾を水に漬け、時間をかけて産卵していた。絶滅危惧されているナニワマダラ蜻蛉も数匹、枝先に止まっては舞い、風に吹かれていた。
 こうして子孫が残され、営々と種が保存されていって欲しいと願った。

 他にはシオカラトンボ、マイコアカネ、ノシメトンボ、キトンボなどがそれぞれに居場所を占領して秋の陽に当たっていた。
 秋の深まりと共にトンボも少なくなってきた。

【ナニワマダラトンボ】

【オオルリボシヤンマ】


【オオルリボシヤンマの産卵】

【シオカラトンボ】
【キトンボ】

今日の発見は、オオウラギンヒョウモンの産卵だった。ヒョウモン類はスミレの仲間を食草とすると思っていたが、ニシキギに産卵していた。明らかな産卵行動を写真に撮った。何かの間違いであろうか?
 ウスバシロチョウは食草のムラサキケマンには産まず、近くの枝や石に産卵する。後日、近くにスミレがあるに違いないと思い探したがなかった。食草もないのに産卵することがあるのだろうか。疑問が残った。

 【オオウラギンヒョウモンの産卵】

それから、思いもかけないかわいいノウサギに出会うことができた。雪の季節にはよくスキー場で真っ白に衣替えしたノウサギに出会うが、今の季節は初めてだった。いい思い出だった。

 【ノウサギ】

生活工芸館を見学

2007-09-27 | 文芸
 

爽やかな秋の一日、奥会津の玄関口、柳津から三島の自然を楽しんだ。

 三島町は工人の里として「自然と共に生きる生活工芸」をまちの文化のスローガンにしている。特に会津の編み組細工は、平成15年に国の伝統工芸品に指定された。



 生活工芸館を見学した。ヒロロやヤマブドウ、マタタビなどで編んだ笊や篭の展示されていた。
 林の中に竣工記念碑があった。そこには河井寛次郎の詩として
「 過去が咲いている今 未来の蕾がいっぱいの今 」と書かれていた。明日の町の姿を期待してのいい言葉だと感じた。

 工芸館までの道すがら秋の景色を楽しんだ。ほとんど人会うことはなかった。三島の自然は只見川の流れの中に静かにたたずんでいた。

 桐の畑に今つぼみを見た。桐のつぼみの先にアキアカネが止まっていた。
今の時期に蕾?おかしくないのかと思った。気にも止めなかったが、蕾のまま冬を越すのかな? いや、確か桐の木は春遅くに花芽を出したのではないか・・・と。

秋の空美しい空が広がっていた。農道沿いにコスモスの風に揺れる美しさに見とれた。
 丁度ススキの秋の中、線路を走ってきた只見線の列車をパチリ。新潟の「小出」行きだった。
 爽やかな秋の一日を過ごした。

【キリの蕾】

 【小出行き】

斉藤清を鑑賞する

2007-09-26 | 文芸

 柳津には従兄弟がいて、よく温泉に入りに行く。ときどきは虚空蔵尊にお参りしたり、美味しい蕎麦を食べたりしている。最近は足湯もできて、よく入ってくる。
 彼岸の連休に久しぶりに斉藤清美術館へ寄ってみた。

 今、斉藤清画伯の生誕100年を記念して企画展「紡ぎ出された叙情風景」が開催されていた。副題として -実景とスケッチと版画- とあった。
 展示の版画作品それぞれに、実際の写真とスケッチが添えられていた。
 企画展の解説には
 『自然が織りなす美しい風景の中に形の変化、色彩の明暗や陰影、差異の面白さを見いだし瞬間的にトリミングを行います。そして思案し表現として必要な部分と不必要な部分を取捨選択して理想とする構図へと導き出していきます。対象をじっと見据えて感じ得た一瞬の光景を切り取るかのように紙上に再構成していきます。』とある。





斉藤清の作品は、おなじみの冬の会津、稔りの会津、さつきの会津など、季節を問わずいずれも温かく、何度見ても懐かしくこころ落ち着く風景だった。斉藤清の作品は、自分にとって他にない何とも言えない感動の世界だ。
 特に、今現存する、雪に埋もれるそれぞれの地区の冬の風景が好きだ。〈さつきの会津〉や〈稔りの会津〉シリーズの色彩豊かな作品には心が洗われる。また、京都や鎌倉のお寺の作品も、目の前の景色からこころを紡いだ作品に思われた。

見慣れた作品をゆっくり鑑賞した。そしてあらためて作品のすばらしさに気づかされた。


 



会津にもホソオチョウ

2007-09-25 | 昆虫
 
 彼岸に、柳津の伯父にお線香をあげた。その帰りにしばらくぶりに桐の里、三島町を訪ね、秋の一日を楽しんだ。

 国道沿いのドライブイン雪国茶屋に立ち寄った。その店を経営する、蝶の研究家で知られる角田伊一さんを訪ねた。これまでお会いしたことは無かったが、角田さんはキマダラルリツバメやギフチョウの研究家として著名な方だ。



 雪国茶屋の入り口の暖簾の上には「蝶々乃家」と看板が掛かっていた。蝶についての展示などがあると思っていたが、店にはギフチョウの写真が飾ってあるだけのそば屋さんだった。壁にギフチョウと共にホソオチョウの写真の額が掲げられていた。


 
私のチョウとの関わりを話すと、角田さんは店の奥から紙の箱を持ってこられた。箱にはホソオチョウの小さい蛹が20個くらい入っていた。驚きだった。まさかこの会津の地にまで棲息範囲が広がっていたとは・・・。ショックでもあった。
 ホソオチョウが1980年頃、韓国から持ち込まれ、日本の各地で繁殖しているとは聞いていた。そのころから、人為的手段で分布を広げていることに危惧を抱いていた。ホソオチョウの食草はジャコウアゲハと同じウマノスズクサなので、ジャコウアゲハが駆逐されはしないか、生態系を壊すことになりはしないかと心配していた。
 外来種であるホソオチョウが人為的に放されて勢力を広げるのは、丁度ブラックバスに似ている。例えば、温暖化の影響などにより、南の動植物の北限が上昇することが言われているが、自然現象の変化によるこうした棲息分布の変化などはある程度仕方ない面もあろうが、問題は人為的に環境が改変されることであろう。

 ホソオチョウはアゲハの仲間で白と黒の縞を基調とした翅の模様のパターンはギフチョウに似ている。後翅に細長い突起がある。ネットで検索してみたら、幼虫もギフチョウの幼虫に似て黒っぽく、太い突起があり、頭に角が2本生えている。成虫は年数回の発生、♂♀の翅の模様はほとんど同じだが、♂は全体が白っぽく♀は黒い部分が多い。
 一度飛んでいるところを見てみたいとは思うが、複雑な気持ちだ。

角田さんはジャコウアゲハの蛹も見せてくれた。まだこれから羽化する3化のものと、越冬する蛹がいた。我が家でも昨年保護したジャコウアゲハの蛹が春先羽化したが、外は季節はずれの雪降りでかわいそうな思いをした。あらためて、自然のままにしておくべきが基本であろうと思った。角田さんはおそらく自然環境教育の一環で、小学生等への教材としてのものなのかと思った。そんな新聞報道を見た記憶があったから。
 ジャコウアゲハは若松市内でも棲息している。でも、棲息している土手で、食草のウマノスズクサがときどき刈り取られ、いつもがっかりすることがあった。
 今、いろいろな動植物で絶滅危惧種が言われているが、昆虫もしばらく前まで普通にいた種が、環境の変化で姿を消してしまう危惧がいま現実となっている例はたくさんある。草刈りも考えたいものだと思っていた。


オオチャバネセセリとイチモンジセセリ

2007-09-24 | 昆虫
             【羽を開いたオオチャバネセセリ】

最近、庭のアイの花に、朝早くからオオチャバネセセリが吸密している。飛翔は素早く、花から花へ忙しそうに飛び回っている。かわいいチョウだ。

 オオチャバネセセリはイチモンジセセリとよく似ている。
 識別ポイントは、後翅裏面の斑紋である。
 イチモンジセセリの白斑は規則正しく1列に並んでいるが、オオチャバネセセリは交互にずれている。オオチャバネはまた、触覚が長めで、前翅中室の白班が大きく明瞭であることなどで区別できる。

イチモンジセセリについて》
『イチモンジセセリは移動性があり平均気温が2℃乗せんが越冬北限となる。越冬した後に世代を重ねながら鍛え移動するものと考えられている。また、秋には南下の移動も観察されている。』(日本産蝶類標準図鑑:学研より)
『都市の上空を幾万とも知れず群飛し、ある時は海峡を渡って移動する記録は・・・』(原色日本蝶類図鑑:保育社)

 いつか、秋の空にそんなイチモンジセセリの渡りを見た記憶がある。

 今の時期、若松ではオオチャバネの方が多いような気がするが、この秋、もう少し観察してみたいと思っている。

                 
【イチモンジセセリ】

【オオチャバネセセリ】

【イチモンジセセリ】

【オオチャバネセセリ】


  【アイの花に止まるオオチャバネセセリ】  

仏像を鑑賞したい

2007-09-22 | 文芸

   【木彫りの薬師如来像】

 若い時から仏像を鑑賞したいと思ってきた。
 仏像の美しさに見とれて、静寂の中に身を置く時間の尊さが好きだ。
 仏像を見つめるとき、自然とこころやすらぐから不思議だ。

 仏像の鑑賞は、自分のこころをふり返るところへ戻る。
いつか、整然と立つ千体の千手観音像を前に佇んだ京都・三十三間堂では、心を静かに見つめる豊かさが込み上げ、感動に震えた。個性的な写実味豊かな二十八部衆とじっくり語らい、自分を見つめたこともあった。安らかで聡明な観音坐像の表情に見入るとき、俗世間の出来事など取るに足りないものに思えてきた。

 これからも沢山の仏像を見つめていきたいが、自分を見つめることから、さらに仏教美術、仏像本来の存在意義なども考えてみたいと思っている。仏像との出会いに、古人の知恵、技術の素晴らしさを確認しながら、心の豊かさを感じ、求めていきたいと思っている。

 我が家には、古都で求めたお面や弥勒菩薩の写真などが壁に掛けてある。
 お面は新薬師寺の薬師如来の信仰者を守ってくれる神々,一二神将の伐折羅大将である。ガラスの本棚には木彫りの薬師如来像が静かに見つめている。
 いつも、これらの仏に心を静められている。
 【伐折羅大将】

庭に秋の訪れ

2007-09-21 | 自然観察
           【コスモスが夕陽に透けて美しく揺れていた】

 夕方、庭を巡りいくつもの秋を感じた。
 待ちかねたシオンやアキノキリンソウが咲き始め、シュウメイギクと一緒に涼しい風に揺れていた。


 【シオンに密を吸うオオチャバネセセリ】


 【アキノキリンソウ】

 盆栽のハゼはもう紅葉が始まった。


 秋は実りの季節、庭の小さな自然も美しい宝石をたくさん付けている。

 ムラサキシキブは花から実へ、実はシロから青、紫へ変色しそれぞれに美しい。ウメモドキをフラッシュを光らせて撮ると、いっそう輝かしく美しかった。何処と言わず生えてきたアメリカヤマゴボウの実も美しい。いつしか熟したこの色で絵を描いたことを思い出した。

【ムラサキシキブ】
【ウメモドキ】
【アメリカヤマゴボウ】

 サンショも紅い殻が弾けて、宝石を散りばめたように真っ黒い実が現れた。そしてハマナスは見事な果実。

【サンショ】
【ハマナス】 

 ついこの前まで大輪の花火のように咲いていたタラの木も、たくさんの小さな黒い実を播き散らしていた。玄関先の路傍に生えていた変わった形の花、緑色の実がなり、最近きれいな赤色に熟していた。 図鑑で調べたらヒヨドリジョウゴと言うらしい。

 【タラの実】
【ヒヨドリジョウゴ   9/20撮影】

【ヒヨドリジョウゴの花 8/1撮影】

 オニユリのむかごも光沢がありやはり宝石だ。ヤマノイモのむかごはツヤがないので宝石のイメージは無いが、なんともかわいい。

 【オニユリのむかご】

神は何と美しいものを造りたもうたのか。
 小さき自然は汚れなく美しい。すべてが美しすぎる。 

 夕方6時ころから、スズムシが一斉に鳴きはじめた。大事に育て、先日庭に放した我が子が、精一杯にお礼の演奏を奏でてくれているように聞こえた。まだ秋の始まり、もの悲しくはなく、秋を迎えて元気よく鳴いていると言った感じだ。美しく澄みきったスズムシの声を聞きながら、一日の終わりをゆったりと過ごした。誠に贅沢である。
 

病気が憎い

2007-09-20 | 健康
            【朝日に輝くキンエノコロ】

 今朝、ときどき犬の散歩で一緒になる近所の奥さんと立ち話をした。
 ご主人も私と似た病気で、いつも病状を話し合い励まし合っていた。お互いに「お加減いかがですか」と訪ね、「お大事に」と挨拶を交わして別れていた。
 奥さんは、ご主人がまた入院中であまり芳しくない様子だと、胸つまりながら話された。 大黒柱の帰りを待つ家族の寂しさや心配は痛いように分かる。家族の早く元気になって欲しい願いが伝わってきた。先月、私も同じ頃に入院し、つい先日幸い退院したばかり、家に帰りたい、愛犬と散歩に出たい、庭の花に水をやりたい・・・・我が身と重ね、、病人の病床での辛い生活を思い、とても切ない気持ちになった。そして、病気が本当に憎いと思わずにいられなかった。
 一日も早い快復、退院をこころから祈った。



スズムシを庭に放す

2007-09-19 | 日々の生活
            【水槽のスズムシを鳥瞰】

 孵化したばかりのスズムシを従兄弟からもらってきたのは8月初め、約50日間慈しみ育てた。ほとんど欠けることなく、約20匹が脱皮を繰り返して大きく育って、昨夜ようやく涼しい音で鳴き始めた。
 今朝、大きな60cm幅の水槽の中で育てたスズムシを庭に放した。

 昨年は、飼育容器の中での産卵を終えるまで育てたが、今年は、庭で増えて欲しい願いから、広い世界へ放してやることにした。過保護で育った我が子を危険いっぱいの都会に放す心境だった。自然界ではそうはうまくいかないだろうが、来年はコオロギやツユムシなどに混じって、庭でスズムシの音を楽しむことができるのではと期待している。

【鳴き始めたスズムシ】

磐梯山・猪苗代湖の景色を楽しむ

2007-09-18 | 街中散歩
          【翁島からの磐梯山】

 新聞報道では、昨日の会津若松の気温は34.1℃、3日連続しての真夏日だそうだ。昨夜は風もなく、雷雨が来るまでは暑い感じがした。
 でも、午前中は涼しかった。孫から解放される休日、久しぶりに猪苗代方面へドライブに出かけた。道路沿いの里山の秋をを覗き、道すがら、磐梯山の麗しい眺めを楽しみたいと思った。
 河東からの磐梯山は、中腹に白雲がうっすら浮かび、陽が高く昇る前の爽やかさが素晴らしいかった。強清水までくると、磐梯山には雲が湧き、山頂が隠れてしまった。
 国道49号沿いにはそば畑が広がり、もう実が黒くなり始めていた。先の台風で猪苗代の蕎麦は被害を受けたようだ。

 遙か磐梯山を望む草原に足を踏み入れると、ワレモコウが秋を感じさせ、ヨツバヒヨドリにはコアオハナムグリが一心不乱に花粉を求め止まっていた。疲れ果てたボロボロのジャノメチョウ♀が密を吸いに訪れた。夏も終わるのだ。


  【初秋の高原:磐梯を望む】


  【ヨツバヒヨドリに花粉を求めるコアオハナムグリ】


  【ボロボロになったジャノメチョウ】

 猪苗代湖長浜、志田浜には、連休でもあり沢山の県外の車が止まっていた。
磐梯を望み、湖水に触れ、行く夏を惜しんだ。こんなにゆっくりきれいな景色を眺めるのはしばらくぶりだった。


   【猪苗代湖・志田浜からの磐梯山】


トンボを捕らえるゲンゴロウ

2007-09-17 | 昆虫
            【オオルリボシヤンマ♂を補食するゲンゴロウ】

  半月ぶりに訪れたトンボ池で、壮絶な光景に出会った
 水面で暴れるオオルロボシヤンマ(と思われる)の腹部にゲンゴロウが何匹もで噛みついていた。 しばらく暴れていたが動きが無くなってしまった。何と残酷な光景であろうか。立派な羽を広げ浮かんでいる、今まで悠々と縄張りを飛んでいたオオルリボシヤンマが・・・哀れなり。これが弱肉強食の自然界なのだ。どうして捉まってしまったのだろうか。メスならば産卵中に襲われることもあろうが被害者は美しすぎるルリ色の複眼を持ったオスだった。しばらく観察していると、かなりのゲンゴロウが餌を求めて泳ぎ回っていた。
 代表種であるゲンゴロウCybister japonicusは環境省レッドリストの準絶滅危惧(NT)に指定されている。
 
【産卵するオオルリボシヤンマ♀:志賀高原】 

 

ニラの花のチョウ   〈遠き日の思い出〉

2007-09-16 | 日々の生活
            【懐かしのヒメアカタテハ】

 もうあれからすでに50年になる。
 小学生の頃、従兄弟の亮一君、高君と蝶を採り行った。道路から少し入った雑木林に囲まれた畑が少年の世界だった。クヌギの樹液にはゴマダラチョウ、オオムラサキ、キマダラヒカゲが群がり、カナブンのあの輝きスズメバチの羽音が今も鮮明に甦ってくる。
 あの日も、畑にはニラが列をなして咲いていた。そこには、ミドリヒョウモン、ヒメアカタテハ、イチモンジセセリが密を吸いに飛び回っていた。

 
 【夏を終えたミドリヒョウモン♀】

  
  【渡りの始まったイチモンジセセリ】

 今朝の散歩で、50年の歳月を隔てても、場所は違うがまったく同じ光景にであった。
胸がときめき、夢中になってファイダーを覗いた。そのとき、小さい、小学生の頃の自分と共有する感動が重なった。不思議なひとときに、何とも言えない感動が湧き、過ぎ去りし日々が浮かんできた。

いわきからの旬のサンマ

2007-09-15 | 日々の生活

              【旬のサンマを焼く】


  いわきからクール宅急便でサンマが届いた。箱には《お刺身サンマ》《宮古港》のシールが貼ってあり、大振りのサンマが氷水にたくさん詰まっていた。


 
 転勤でいわきにいた頃、同僚にサンマのさばき方を教わった。勤めの帰りに近所の魚屋で見事な新鮮な大ぶりのサンマを1匹買って帰り、この時期サンマの刺身は欠かさぬ晩酌の友であった。また、当時ときどき大家のおばあちゃんが美味しく煮たサンマを届けてくれたことも思い出す。
たしか、会津のスーパーにサンマの刺身が並んだのは、そのころ、今から20年ほど前のことと思う。

さっそく、夕食は刺身と塩焼きにしていただいた。
 金色に光る刀の皮を剥き、お腹によくない部分を包丁でしごく。大葉を庭から採ってきて刺身の切り身をその上にきれいに並べた。
 サンマの塩焼も、刺身も、脂がのってとても美味しくいただいた。
 今年はサンマは豊漁らしい。秋の刀の魚、大好きなのでしばらくは楽しみたいと思う。 (2007.8.27記)

入院中に庭の自然を思う

2007-09-14 | 健康
                【癒された病室からの緑の街】   
  
 足下にチヂミザサがいっぱいの穂を付け、勢いよく静かな庭を占領している。
 先週の台風9号以降、秋の雨降りが続いたせいもあったろうが、今しばらくぶりに見る秋の庭の緑は、とても生き生き見え、たしかに病床で夢見た癒しに違いなかった。

 病床でいつも思ったことは、庭の緑、虫たちを見ながらの幸せな日々だった。突然その当たり前の生活が奪われた辛さ、切なさを痛感した。愛犬ラックとの散歩、スズムシや金魚の世話、デジカメでの花や虫たちの撮影、盆栽への散水、こんな当たり前の日常が突然に無くなった切なさだ。

病院では、いつも目を閉じて庭を一巡りしていた。門柱の上のミセバヤのつぼみは大きくなっただろう。柿の木の下のムクゲもまだ咲き続けているだろう。ハゼの盆栽の水は大丈夫だろうか。ピンクや赤、橙色のゼラニュウムの花はもう終わってしまっただろうか。ほころび始めたアキノキリンソウやトラノオにセスジツユムシが止まっている。そんな秋の庭のようすが目に浮かんできた。

 入院以来、一歩も外の空気の吸えない数日は11階の病室の窓越しに広がる美しい伊勢原の緑の街は、ひとときの救いだった。流れる雲を眺め、ゆっくり、おおらかに生きたいと思った。早く元気になって家に戻りたい、当たり前の生活がしたい。そんな日々だった。
辛い夜が明け、朝日に点滴の袋、チュープが輝く。また元気になれるだろうか。日に日に具合が悪く、悪化して衰えていく身体を見つめて落ち込むこともあったが、多少は不自由でも、耳が聞こえ、目が見える幸せを考えた。最愛の家族に囲まれて、一日一日を大切に過ごしたい。苦しみのあとにはきっと楽しみがあると。

 また、周囲はこんなちっぽけな人間に本当に親身になって励ましてくれた。ありがたく、切なく、涙が込み上げてきた。
 肯えないが現実だが、今回の入院もいろいろなことを教えてくれた。思えば大手術から4年、その後5度目の入院だったが、またいろいろ教えられた。病気は厄介者でなく、これまで以上に病気について詳しく勉強して、病気と仲良くしたいと思っている。嘆いてばかりはいられない。もっと気丈に、強く生きていきたい。

 2週間歩かないでいた。ラックと散歩に出た。秋の実りを見つけながら、ゆっくり歩いた。少しづつ身体が元に戻りつつあると感じている。
 稲穂はもう黄金に色付き始めていた。