年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

なた豆 共古随筆

2009年04月03日 | 福神漬
共古随筆 山中共古著 なた豆(福神漬に入っている)
山中共古とは
1850-1928 最後の幕臣の一人であり、のち、キリスト
宣教師となる。本名、山中笑。
明治時代の考古学、民俗学、江戸学の先駆者と知られている。

なた豆のあと先を切らず、そのまま糠に漬け置けば、盗人その家へ入る事なしと伊勢津の婦人に聞くと、同地に行った人の話。

早打かたという急病起こるときに、何の棒にてもナタマメ刃豆と言って、それにて肩を打つと直すと言うと。

刃豆を食べると、肩がこらぬという。(江戸)

早打肩とは肩が急に充血して激しく痛み、鼓動が早くなり人事不省におちいる病気。

刃豆は切ると一の字形になるものにて、旅立するときに食するものと、どれに行きて一のものになるという。(御進発の時多くこれを食し旅立しと『おき』の話)刃豆は下より裂きき始め上まで登り、また下りて花を咲き出すものゆえ、旅立ちする者登降無事に行く、刃豆の花の如くを祝意して、これを食し出立するものと聞く。

江戸時代吉原にて遊女を買う時は、まず刃豆を食べさせて、しかるのちに価を定めると。それは癇癪(かんしゃく)性の有る者は直ちに病発するという。

何事か掛け合い等に行くとき、先方へ対し引けをとらぬ咒(まじない)とて、刃豆を食べてゆけば必ず負けぬと、大阪の老婆の話。(氷屋の婆さん、阪地九条のあたりの者なり)
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