年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

過渡期

2009年04月07日 | 福神漬
過渡期
明治の日本は江戸時代のしきたりから欧米風に改めることの混乱の時でもあった。芝居の世界でも一番問題となったのは芝居興行で生活している人達の既得権の調整の問題であった。
 市川左団次・小山内馨の演劇改良も尽きるところは芝居茶屋との闘争の歴史でもあった。自由劇場の興業、つまり芝居の営業つまり宣伝・顧客確保を担っていた芝居茶屋の人達が入場券制度によって客に便宜を図れなくなったり、客席における飲食の禁止は観客の行動の乱れで失敗した。結局。芝居茶屋の人達と妥協して混乱を収拾した。このことが世間に知れてかえって評判となり観客が次第に増加し収支が均衡するまでになって次の興業を開けるようになった。
 今の歌舞伎見物では茶屋の案内などなく決められた番号の席に着くのが当たり前だが明治の時はそうではなかったのである。 左団次自伝より
 今の日本の演劇鑑賞方法はここから始まった。市川左団次・小山内馨は鶯亭金升の運座の席で何を語らったのであろうか。
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