東洋移民会社
福神漬の絡みで浅田正文の経歴を調べていると日本郵船・東武鉄道・東洋移民会社が良く出てくる。東洋移民会社は資料的なものが少なく福神漬の歴史に絡む可能性が少ないと比較的無視していた。しかし石井研堂『明治事物起源5』金融商業部に移民会社のはじめに不思議な記事がある。
移民会社のはじめ
明治24年秋頃より、日本郵船株式会社副社長吉川泰二郎と秀英社社長佐久間貞一と相計らい吉佐移民会社を設立した・内地の労働者を募集し、海外各国の需要に応じ、日本郵船会社の船舶を借りて、その出稼ぎの紹介機関を目的とする。資本金10万円にて無限責任、期限10ヵ年と定めた。第一回は南洋の一島仏領ニューカレドニアのニッケル鉱山の依頼にて移民600名を送った。
秀英社社長佐久間貞一は日本橋生まれ、上野の彰義隊に参加したが、どういうわけか上野戦争に参加できず(当日不在であった)この件は自身で語ることはなかったという。
秀英社は今の大日本印刷の創業者となっている。
吉佐移民会社は後に東洋移民会社となったようである。『日本奇人伝』鈴木明著より
従って浅田正文の晩年は東武鉄道と東洋移民会社が主となっていたのだろうか。旧幕臣と郵船のネットワークの一つがここに現れた。
福神漬の絡みで浅田正文の経歴を調べていると日本郵船・東武鉄道・東洋移民会社が良く出てくる。東洋移民会社は資料的なものが少なく福神漬の歴史に絡む可能性が少ないと比較的無視していた。しかし石井研堂『明治事物起源5』金融商業部に移民会社のはじめに不思議な記事がある。
移民会社のはじめ
明治24年秋頃より、日本郵船株式会社副社長吉川泰二郎と秀英社社長佐久間貞一と相計らい吉佐移民会社を設立した・内地の労働者を募集し、海外各国の需要に応じ、日本郵船会社の船舶を借りて、その出稼ぎの紹介機関を目的とする。資本金10万円にて無限責任、期限10ヵ年と定めた。第一回は南洋の一島仏領ニューカレドニアのニッケル鉱山の依頼にて移民600名を送った。
秀英社社長佐久間貞一は日本橋生まれ、上野の彰義隊に参加したが、どういうわけか上野戦争に参加できず(当日不在であった)この件は自身で語ることはなかったという。
秀英社は今の大日本印刷の創業者となっている。
吉佐移民会社は後に東洋移民会社となったようである。『日本奇人伝』鈴木明著より
従って浅田正文の晩年は東武鉄道と東洋移民会社が主となっていたのだろうか。旧幕臣と郵船のネットワークの一つがここに現れた。