花月随筆
飯島花月
はだなと大根 489頁
川柳に扱われると干し大根は老人のしわだらけの姿のように扱われる。はだなは若い婦人に見立てた作が多い。
干大根はだなの側に恥ずかしき
江戸においてははだなうり大根は正月松の内に売りにくるというので正月風景となっていた。冬野菜の不足していく時期だったので重宝されたのだろう。お惣菜に使われたという。
はだなは神奈川県秦野市の産した大根の品種で宝永4年(1704)の富士山の噴火で秦野市は火山灰で覆われたため『はたの大根』は壊滅的打撃を受け、後には練馬大根の干し大根と混同されるようになったと思われる。
飯島花月
はだなと大根 489頁
川柳に扱われると干し大根は老人のしわだらけの姿のように扱われる。はだなは若い婦人に見立てた作が多い。
干大根はだなの側に恥ずかしき
江戸においてははだなうり大根は正月松の内に売りにくるというので正月風景となっていた。冬野菜の不足していく時期だったので重宝されたのだろう。お惣菜に使われたという。
はだなは神奈川県秦野市の産した大根の品種で宝永4年(1704)の富士山の噴火で秦野市は火山灰で覆われたため『はたの大根』は壊滅的打撃を受け、後には練馬大根の干し大根と混同されるようになったと思われる。