年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

帯刀、廃刀

2014年04月10日 | 福神漬
刑部芳則『洋服・散髪・脱刀:服制の明治維新』(講談社選書メチエ) 講談社 2010.4
福神漬に入っている『なた豆』を調べているうちに、タチハキ、タテワキという言葉で日本の本草の本に書いてあった。このことから帯刀、廃刀で検索していたらこの本に出会った。
服装の洋風化のほうが先に進んでいたようだ。明治の初期は外見から文明開化と判断できる洋服、髪型から始まり、そして刀を身につけることの是非が問題となっていたようだ。脱刀令が明治9年に制定され士族の反乱の終わりとなった西南戦争が明治10年となる。この次期の象徴が『刀』となり、ナタマメが比喩の材料となっても不思議ではない。明治10年代の上野周辺の気風は西郷隆盛の銅像が上野公園にあって、その側に上野戦争の死者を弔う記念碑が並立されているのは理由のあることである。
コメント
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