年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地の移転と公立小学校の制服問題は同じ

2018年02月14日 | 築地市場にて

平成4年に中央区の築地小学校と京橋小学校が統合され、日比谷線築地駅に近いところに統合された。京橋築地小学校。一時中央区の人口が5万人ほどになりそうで、過疎地の小学校のように複数学年が同一教室で学ぶ恐れがあった。どんどん小さな小学校が減り統合された。築地の市場の人たちが移転反対したとき、中央区の行政も移転反対になったのは築地市場関係者は中央区に多数住んでいたからである。当時の築地市場のナマごみの排出量は銀座を含む中央区のかなりの量を占めていた。築地市場が消えればまた多くの小学校が閉鎖される恐れもあった。中央区の人口は15万人ほどとなり、保育園の入園は日本最難関の競争という。晴海オリンピック選手村跡地のマンションが分譲されれば20万人の区になる。消滅危惧のあった豊島区と大きな違いが生じた。

 人口急増の始まりは月島のIHIの工場跡地にタワ-マンションが完成し好調な売れ行きで、中央区の人口が増え、小学校の統合問題が消えた。と同時に中央区の行政も他の区との統合問題も消えた。中央区の行政も築地市場の移転問題も人口が増えるに従い、口先だけの築地市場移転反対となった感じがする。江戸時代から市場の人たちへの差別意識があったと思われる。いつも行政が築地市場で講習会を開催するときは小学生を指導するような講演と感じるのは私だけの感想なのだろうか。

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