歌舞伎の遠山桜天保日記は2006年に50年ぶりの上演となったが、ネット検索で劇評を見ると好評だったようだ。劇場の解説チラシの様子から筋書きがかなり初演時と異なって今風に改めていた様子から、ほとんど遠山の金さんのTV版からイメ-ジを崩さないように筋書きを変えほぼ新作だったようだ。
竹柴其水の筋書きで気になる所があった。無頼の仲間に入っていた芳村金四郎(遠山)は芸事をしていたようで今ネットで芳村金四郎と検索すると4代目が出てくる。長唄らしい。ここもコロナで今は長唄上演見込みが無い様だ。
さて竹柴其水の本では金四郎のあそび仲間に飯岡の助五郎が出てくる。時代的には天保水滸伝の時期より少し前で講談で悪役となっていた助五郎はかなり東京市民には知られていたと思われる。成田の不動様の水ごりなどが出てきて遠山桜天保日記は桜というより、佐倉惣五郎を隠していた気がする。さらに芳村金四郎の刺青は生首の刺青で最近のTVドラマの桜の刺青ではない。成田という地名は天保の改革時に市川団十郎が江戸から離れて謹慎していたところである。政治の弾圧ということを暗に脚本に入れているようだ。
最後の幕は新潟で終わるのだがどうやら佐渡に逃亡する直前につかまり芝居が終わる。初代の新潟奉行川村修就(かわむらながたか) と遠山 景元とは交流があった。水野の上知令(あげちれい) で新潟に奉行所が出来た。
きんとんの贈答品(ワイロ)は金と遁走を意味するという。菓子折りの中身はきんとんと芝居では言っていた。明治のこの芝居は今での解釈は難しい。平成の再演の脚本家の苦労は初演より大変だった気がする。
江戸時代の当時の町中の評判を記録していた藤岡屋日記には鳥居耀蔵が狐に例えられ遠山景元は狸に例えられていた。今でも狸は世間をだまし続けていて、遠山金四郎に関しての歴史家の著書の政治行動の整合性が見えない。どの歴史家が狸の化けの皮を引ん剝くことが出来るのだろうか。遠山が南町奉行に就任し、天保改革時に江戸庶民を弾圧した与力佐久間健三郎長興を謹慎処分にして間もなく息子を与力見習に登用することは普通の歴史家では記述できない。