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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

8月が終わる

2020年08月30日 | 宅老のグチ
8月が終わる。コロナで昔のと言っても戦後の混乱期のユーチュ-ブ映像を見る。父を昭和30年に亡くしているので気分は戦災孤児に近い。昭和20年代はは国民すべてが貧しかった。自動車が増え、車輪も3輪から4輪になったように、少しづつ生活が向上していた。江戸時代生まれの人間が明治期の蒸気機関車を見る目と同じ。今年の中国の水害の動画を見ていると、昔の昭和40年代まで日本で活躍していた3輪トラックがまだ現役の様だ。
 中学生になると8月の旧盆にお供え物を持たされて、家族の名代として父の実家に一人で行かされた。今落ち着いて当時の記憶をたどると母は生きていた父の実母へ父の遺児を見せる目的があったと映像を見ていて想像した。その母も間もなく100歳となり当時の記憶も定かではない。8月の15日までは戦争のことを思い出し、15日を過ぎると戦後の買い出しを思い出す。闇市、芋入りご飯。お米持参の旅行、米穀手帳等はモノ余りの今は言葉として記憶が残る。
 大田区久が原の昭和の暮らし博物館は戦後の20年代の木造家屋があって、その貧しい時代の記憶を思い出す。
コロナで収入が不安定になっている人へ戦後のあの混乱に比べれば今の状態を嘆いてもいけない。すべての人が痩せていた。お相撲さんも痩せていた。
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埼玉県 桶川飛行学校平和祈念館へ

2020年08月30日 | 宅老のグチ
コロナで都民が越境して埼玉県へ行った。盆明けの閑散期を狙っていったが、8月初めにオ-プンしたばかりで駐車場は満車だった。まだ案内看板が未整備でナビでは近所なのに道が見つからずさまよった。圏央道の桶川インタ-か上尾道路から行くと早いが古いナビだと出てこない。
 この陸軍桶川飛行学校は戦争中に1600名ほどの飛行士を養成した。知覧から特攻した人もあるようだ。まだ数字は出ないがいずれ平和教育の中で明らかになるだろう。
訪問してから2週間たって、平和祈念館の名簿に記載したコロナの連絡網から外れる。
 ここは桶川市のHPを見ると、春の桜は美しいだろう。特攻飛行士はどのような気分で桜を見ていたのだろうか。 同期の桜 敷地の桜はバラバラに咲くのでなく同期し花を咲かせ、歴史の風によってはかなく美しく散る。残るは青葉。空には季節外れの赤とんぼ。
 今は川向うにホンダ飛行場がある。未熟な少年飛行兵(今の高校生くらい)がここで訓練していた。日本を守るためだったが目的が変わってしまった。愕然としただろう。
 新しく作られた桶川飛行学校はいずれ映画の撮影場所となるだろう。ここで過ごした1600名の気持ちを思い出してもらいたい。
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