13歳になる柴犬が両目が失明し、今は散歩では盲導人で定期コ-スをめぐる。臭いでいつもの場所で尿とウンチをする。出会う犬に失明しているのでほとんど気が付かないが相手が騒いでから気が付くようだ。歩き方も前より老犬という歩き方となった。柴犬の平均寿命からそろそろ別れの時期が迫っていると感じる。
散歩の途中に電信柱に油断しているとぶつかる。パラオリンピックの長距離ランナーの伴走者のような気分である。時たま抱きしめると暖かい。最近は寝ている時が多い。
犬でも生活の一員となっているので老いは悲しい。日常の家族の会話でも犬がいないと沈黙となる。何気ない動作で家族の会話に変化を与える。親族が猫の世話をするため、北海道へ行くという。何か保護者が長期入院ということで猫の生活支援という。よく聞くと親族のもめ事が猫の飼い方から始まったらしい。
コロナの新規感染者数が根拠なく収まって、もうじき飲酒制限が終わって2週間たてば、悲観を煽るコロナリストの立場はどうなるのだろう。長い自粛で多くの人が人生観を変えた。今度の選挙で野党の高齢化が気になる。もちろん与党の方が高齢化しているのだが、気が付くと野党も高齢化している。批判だけの野党の議席が減った。築地移転騒動の時、都の職員は上層部の日替わり方針でも不満も出さず、築地の人の愚痴を聞いてくれた。多くの公務員は不満を外部には言えない。静かに退職金と、次の職場を確保する必要性がある。人口が減り、行政需要も福祉に代わる。これはサ-ビス業の感覚がないといけない。築地の移転騒動の時、若手の都の職員が増えたようだ。かっては嫌われた部門であった気がする。まあ生活保護の部門と見ていた気がする。仕方なく勤めていたと思っていた。ところが移転騒動のテレビの煽りで、都の顔の部門となった。
野党の方は地方の首長経験者となり、行政の中でどう対応していくかを経験しないといけないとおもう。震災時の対応ミスで政権を渡してはいけないというトラウマを解消できないと思う。維新の方は行政経験から未経験の事を日々解消する経験を積んでいる。残りは外交と国防である。
国会のアナログがまだ治る見込みがない。国民に三蜜回避を強いながら、まだFAX等のアナログで、質問事前通告を直さず、答弁不要の大臣を国会に座らせ、テレビ写りで暇そうなヤジ要員が三蜜している。時代劇を見ているようだ。令和のDX議会とは思えない。イギリスの議会は閑散としているのが見える。議論のない人は議場に入らないでモニタ-で見ている気がする。