久しぶりに広尾の都立中央図書館へ予約していきました。大江戸線麻布十番駅から商店街を抜け、寺の多い坂道を登ってゆくと行くと、アルゼンチン大使館前にマンションの建設予定地と変わっていました。この辺は韓国大使館の前も広い空き地となっていて、韓国大統領が変わったのでいずれ大きな建物が出来るだろう。15分ほど歩いて有栖川公園の中についた。前にはなかった公園内の座るところが増えた。まだ人数制限があって、図書館内は閑散としていた。この頃根気力が衰え、一回の読書は3時間過ぎると眠くなりあくびが出る。目的はフレイル予防のための図書館通いで、明治の初期の世相を知ることで、福神漬の命名に関わる時代背景、人物関連の解明と、言論弾圧を避けるため比喩・寓意を探ることである。学者ではないので期日制限がなく、天気に合わせて行動している。図書館で貸出票で団団珍聞(まるまるちんぶん) 複製版19巻 (587〜614号(明20.3.12〜9.17))を出してもらい読む。
明治の20年の新聞記事で。日本の人口が3800万人だった。まだ台湾が日本でなかったので今の人口と比較できる。すると男女比は今とほぼ同じで出生者数が100万人程度で、死亡者数が80万人となる。1年で日本の人口が20万人ほど増える計算となる。大正・昭和の時代の人口推移を知っているので。この明治という時代に西洋の医学が本格的に日本に入り医事行政が統一化された気がする。そこに日本の人口急増の原因は乳幼児の死亡の劇的改善があったと思われる。今から思うと、武士が消えた江戸の町の武家屋敷跡地で牛乳を出す牛を飼っていたことに驚く。冷蔵庫のない時代では生の食品は地産地消となるしかなく、それも横浜とかの異国人居留地から始まり、体に良いという宣伝が行われていた。ビールの宣伝も同様だった。
テスラのマスク氏が日本は消える国と言っていて、識者は同感と思っているようだ。彼の言い分だと今の日本は一年で亡くなる人が140万人で産まれる人が84万人ほどで毎年60万人ほど人口が減る。さらに日本・台湾・中国は移民には難しい所があって、韓国でも同様だろう。これは古代からある族譜の影響からあるかもしれない。中国では孔子の子孫という人がいて、系図もある。日本ではこのような系図を持っている家庭は少ないし、信頼する系図とは言えないようだ。その難しさは、福神漬の命名由来を調べていて、婿養子が優秀な人が多く、婿となった人の結婚以前が不明な事例が多々ある。幕臣の長子はただ家名を残す用途であって、家人が失業しないための子孫であった。
コロナ対策で高齢者優遇の政策は彼らが投票権を持っているだけで優遇されている。もう冷静になる時期が来たようだ。