テレビの天気予報の通り、朝から雨。梅雨入りかそれとも走りか、今年は五月晴れが期待できない。コロナとウクライナ。気分はどんより。
1963年の梅雨入りは5月6日で明けが7月24日で降水量は114%という。当然このような長い雨季なら梅雨の中休みも長い気がする。これで昨年の豪雪による貯水もあって、水不足はないだろう。あとは畑に水がたまり、そこで晴天で気温が上昇すると、野菜に病気が出る。農薬散布しても雨で流され、それでなくとも高騰している食品に追い打ちをかける。普通なら中国から野菜が日本へ入ってきて野菜高を抑えるのだが、オミクロンで無理かもしれない。
1963年は東京オリンピックの前年で、東京中が工事中だった。東京は平年より約1箇月早かった。 この長雨により麦、野菜、果樹、工芸農作物を中心に農作物に被害が発生した。このような記憶を持っている業界の長老が豊洲と大田にまだいるかもしれないが当時と今の野菜産地は異なっているし、物流もあって北海道が良いと思う。ネットで調べるとこの1963年の梅雨入りが 全国でまちまち過ぎて翌年から気象庁が梅雨入り宣言の主導になったようだ。
今から予想できるのだが不確定要素が多すぎて、年間の為替の相談を今頃は話し合っていて、必要なら為替予約をしていた。今月末には中国のラッキョウ農家の作付け支援をするが港湾が混乱しているので早めの手配になるかもしれない。
雨が多いと梅の実が太りすぎ、木に負担がかかって,風による落果も想定できる。これは不幸な予想で風が強くないところもあって、落果状況はまちまちとなる。