新港埠頭から赤レンガ倉庫周辺に移動すると、ここでもブラジル本場のサンバ踊りなどで盛り上っていた。
赤レンガ倉庫は、開港以来物流基地として横浜税関の付属設備であったそうで、横浜貿易の証である。
今も横浜の観光のシンボルとして多くの観光客が訪れ、独特の赤レンガ色には歴史が刻まれているようでした。
過っては、横浜駅から赤レンガ倉庫まで引込み線が走っていましたが、今は汽車道として当時の貿易港としての名残が残っています。
新港橋を渡り『象の鼻地区』に向かえば、過って船の溜まり場であった景観は、すっかり変貌していた。
これまでもスケッチポイントとして、度々訪れており、多くの船が停泊してMM21地区をバックに描ける風景があったが、
「開港の丘」 「象の鼻防波堤」 「開港波止場」 「テラス」など近代的な『象の鼻パーク』として生まれ変わっていた。
開港波止場では、大道芸が披露されていて、開港記念日を祝っていた。
横浜港発祥の地として、『横浜の過去から、未来へとつながる場所』として、新名所に期待されているようだ。
この場所からは、 『横浜の三塔』(キング塔・クイーン塔・ジャック塔)が展望できるところとしても、有名である。
リニューアルされて キング塔(神奈川県庁)、開港広場へは、すんなりと象の鼻地区から出られるようになっていた。
開港広場は、安政元年(1854)に日米和親条約を締結した場所であり、記念碑が設置されており、鏡のモニュメントなどで市民の憩いの場でもある。
ここにも、スケッチのために何回も訪れているが、360度どちらを向いても描ける光景があるのだ。
繊維関係の仕事をしていた義父が若い頃、シルクセンターで働いていたこともあり、昔から開港広場界隈には何度も通い慣れたスポットでもある。
しばし、感傷に耽ってから、いつも描いてきた『開港資料館』に初めて入ってみた。
この日は、記念日のため資料館の入場料は無料で開放されており、多くの家族連れなどで大変賑わっていた。
多くの貴重な資料が陳列されており、改めて横浜の歴史を深く学ばせて貰った。
関東大震災(大正2年)で、多くの貴重な遺産が破壊されたそうであるが、今残っている多くはその後に復元されたものである。
資料館の中庭一杯に枝を張る『玉楠の木』は、この木の下で日米和親条約が行われた故の
歴史の生き証人であるそうだ。