所属する走友会の創立30周年記念事業として、北海道宗谷岬をスタートして、鹿児島県佐多岬までを走り抜く『日本縦断駅伝』を7年前にスタートした。
2002年から2006年まで4年間かけて3,566Kmを、走友の仲間が襷を繋いで完結していた。
この『日本縦断駅伝走』は、第1ステージの北海道から始まり、東北、関東、中部、近畿、四国、中国、九州エリアの第8ステージまで、連休などを利用して成し遂げたものである。
4年前に、走友から、「まだ沖縄本島が残っているね・・・・」と、「これは成し遂げないと気持ちが悪いから完結しよう」と、
熱い思いが伝えられて、今回の沖縄縦走が発起されたものである。
この日本縦断駅伝(Trans Japan )の趣旨は、 「この雄大な大地を己の脚で走り続ける時に、己を考え、国や世界を考えて、・・・・明日への力強い活力を感じよう」というものである。
管理者も、これまでの第1ステージから参加してきたので、その熱い想いを成し遂げようと決意して参加した。
この第9ステージの沖縄は、2日間で那覇市奥武山公園をスタートし、只管58号線を北上して、
本当北端の辺戸岬までの約110Kmを9人の走友とともに、 『熱い思いと汗がにじむ襷』を繋いだ。
第1日目は、早朝に羽田空港を発ち、那覇空港近くの奥武山公園の明治橋を12時37分にスタートして、初日は恩納村の万座毛までの45Kmを走破した。
入梅していた沖縄の天候が心配されたが、梅雨を忘れたこのような真夏日となり、容赦なく照りつける炎天下の元でのスタートとなった。
管理者が第1走者を任されたが、10年近く前に那覇マラソンを経験していたので、那覇市内は懐かしかい思いであった。
日曜日とあって、準備支度する予定であった奥武山公園は、非常に混雑していて駐車場に入れない状況で、入口でそそくさとアップしてスタートしていった。
那覇市内を出てからは、宜野湾市、嘉手納町と、順調に襷を繋いで距離を踏み、沿道にはハイビスカスやブーゲンビレア、ホウオウボク、ベニデマリなどなど、 「沖縄の花」が咲き乱れており、花を眺めながらで疲れも癒される。
嘉手納町では、基地らしい風景が広がり、沖縄らしさを感じながら、地元の方に背を押されての走りが続いた。
恩納村に入ると、景観は一変して蒼い海が果てしなく広がり、日陰のない海岸線は夏の陽が照り付けていたが、暑さを忘れる景色に助けられて最高の気分である。
第1日目は、万座毛にゴールして、万座ビーチやコバルト色の海の眺めが素晴らしく、一日の疲れが吹っ飛んだ感じがしていた。
ツアー客が多勢訪れていたが、合間を見て記念写真を撮り、宿泊地の『カヌーチャ・リゾートホテル』へと車で向かった。
ホテルは、エキゾチックな雰囲気のシーサイドホテルで、広大なホテル敷地内は全て施設内専用のカートで移動するというなんとも豪華な雰囲気であった。
チェックインした時には、丁度日没時で、デッキからの夕焼けの眺めは、最高に輝いていた。
第1日目の夜は、沖縄料理をたっぷりと楽しみ、沖縄のムードを味わった。