地元の走友会連盟が主催する「第38回神奈川マラソン」が横浜磯子で開催され、以前は毎年家族で参加していたのですが、近年は走友会の一員としてサポート側に回り、走路誘導員や本部係員として携わってきました。
今年は、多用もあり現地で走友との再会し応援など交流を楽しんできました。
今日も冬空で寒い強風が吹き8000人のランナーにとっては厳しいコンデイッションでしたが、早朝から会場周辺は、ランナーで埋めつくされていたようです。
神奈川マラソンでは、箱根駅伝を走った有名大学選手も参加するとあって、ランナーや沿道ファンにとっても大変人気の大会となっています。
ハーフの部では、大学選手が終始レースを引っ張り沿道からは〇〇選手の名前を呼んで声援が飛んでいましたね。
コースで走友に声援を送ってゴール地点に戻ると、丁度ピークを迎えており家族や仲間のエールに応えながら笑顔でゴールする仲間も多く、あのゴール地点に到達する感動を分かち合っていました。
表彰式が始まると、大学の部では箱根駅伝を2連覇した青山学院大の選手が5位までを独占し、改めてその圧倒的な強さを実感しました。
走友の走りを確認した後、会場をあとにして磯子駅周辺の旧横浜磯子プリンスホテル跡地へ散策してきました。
磯子駅からの長い急坂道を登りますが、約60mの断崖絶壁が迫るプリンス坂は今も昔と変わらず約500m程ですが、このようなマラソンコースであれば、心臓も止まるほどの激坂でした。
今やプリンスホテルも姿を消して高層マンション群が立ち並んでいました。
このプリンスホテルのあったところは、旧東伏見宮別邸があったところだそうで、坂道の途中にはその名残りの蔵の鬼瓦が残されていました。
マンション群の高台から眺める横濱湾の展望は、プリンスホテル時代の展望と比較すると視界が小さくなり寂しい思いですが、根岸の工場地帯や遥か房総半島も望める絶景でした。
磯子駅へ戻る坂道の近くには、昭和の歌姫「美空ひばり邸」もあったのですが、今やその場所も不明でした。
磯子駅近くの沿道には、「美空ひばり生誕地」の記念碑が建ち、帆船をイメージした石碑には、ひばりさんの主演映画 ”悲しき口笛” のシルクハットとステッキ、そして ”ミ・ソ・ラ”の音符も刻まれていました。
石碑が立つ散歩道には、河津桜も五分咲きとなっていましたね~
近くの区役所に立ち寄ると、子ども達の可愛いお雛様の作品も展示されていましたが、もうひな祭りの季節ですね。
隣のお店で見つけたお雛様も素晴らしいですね。
今年は、多用もあり現地で走友との再会し応援など交流を楽しんできました。
今日も冬空で寒い強風が吹き8000人のランナーにとっては厳しいコンデイッションでしたが、早朝から会場周辺は、ランナーで埋めつくされていたようです。
神奈川マラソンでは、箱根駅伝を走った有名大学選手も参加するとあって、ランナーや沿道ファンにとっても大変人気の大会となっています。
ハーフの部では、大学選手が終始レースを引っ張り沿道からは〇〇選手の名前を呼んで声援が飛んでいましたね。
コースで走友に声援を送ってゴール地点に戻ると、丁度ピークを迎えており家族や仲間のエールに応えながら笑顔でゴールする仲間も多く、あのゴール地点に到達する感動を分かち合っていました。
表彰式が始まると、大学の部では箱根駅伝を2連覇した青山学院大の選手が5位までを独占し、改めてその圧倒的な強さを実感しました。
走友の走りを確認した後、会場をあとにして磯子駅周辺の旧横浜磯子プリンスホテル跡地へ散策してきました。
磯子駅からの長い急坂道を登りますが、約60mの断崖絶壁が迫るプリンス坂は今も昔と変わらず約500m程ですが、このようなマラソンコースであれば、心臓も止まるほどの激坂でした。
今やプリンスホテルも姿を消して高層マンション群が立ち並んでいました。
このプリンスホテルのあったところは、旧東伏見宮別邸があったところだそうで、坂道の途中にはその名残りの蔵の鬼瓦が残されていました。
マンション群の高台から眺める横濱湾の展望は、プリンスホテル時代の展望と比較すると視界が小さくなり寂しい思いですが、根岸の工場地帯や遥か房総半島も望める絶景でした。
磯子駅へ戻る坂道の近くには、昭和の歌姫「美空ひばり邸」もあったのですが、今やその場所も不明でした。
磯子駅近くの沿道には、「美空ひばり生誕地」の記念碑が建ち、帆船をイメージした石碑には、ひばりさんの主演映画 ”悲しき口笛” のシルクハットとステッキ、そして ”ミ・ソ・ラ”の音符も刻まれていました。
石碑が立つ散歩道には、河津桜も五分咲きとなっていましたね~
近くの区役所に立ち寄ると、子ども達の可愛いお雛様の作品も展示されていましたが、もうひな祭りの季節ですね。
隣のお店で見つけたお雛様も素晴らしいですね。