谷根千坂道散歩の後半は、根津神社で一休みして根津神社境内を巡り根津駅へと向かいました。
根津神社は、2千年近く前に日本武尊がこの地に勧請したと伝えられる神社だそうで、格式の高さを感じました。
拝殿も国の重要文化財に指定されているのですね。

その扁額や木鼻も豪華に光り輝いていました。

ツツジの名所として有名ですが、楼門も色鮮やかでその豪華絢爛な美しさに魅かれました。

高台にある「乙女稲荷神社」へ向かう参道には、伏見稲荷のような千本鳥居が赤い鳥居のトンネルを作りだしていますが、頭を下げながらくぐり行くと、こちらも強いパワーを感じますね~

千本鳥居の途中には、大きな岩を乗せた「胞衣塚」なる塚があり、案内によると、江戸6代将軍・徳川家宣公の胞衣がこの下に埋められているのです。

さらに進んで駒込稲荷社の手前の庚申塚に庚申塔が背中合わせで置かれており、その周りには幾つもの力石が並んでいました。

楼門前の池端に戻りお昼を摂りながら一休みしていると、ここでも鳩達に囲まれて餌取り合戦が始まりましたね~

一休みして表参道から出ると、東京大学方面へ上がる急坂の「権現坂(新坂・S坂)」となります。
根津権現社の名前やS型坂に由来して付けられています。

根津神社から根津駅に向かう途中、住宅街に入ると「お化け階段」があります。
登る時と下る時の階段数が違うと言われる不思議な階段で、階段の両側もお化けが出そうな気味が悪い雰囲気でしたね。

階段を登るとさらに根津駅に向かう長い坂の「異人坂」があります。
坂上には、東京大学のお雇い外国人教師の官舎があったことから、多くの外国人が散策していたことから付けられたようです。

「異人坂」から根津駅へ向かうと「弥生坂」に出ました。
かつてこの界隈が向ヶ丘弥生町と呼ばれていたことから名付けられたそうです。
またこの坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので「鉄砲坂」とも呼ばれていたそうです。

谷中の江戸の名残を残す街並みを楽しみながら江戸の歴史的風土を実感した坂道散歩でした。
根津神社は、2千年近く前に日本武尊がこの地に勧請したと伝えられる神社だそうで、格式の高さを感じました。
拝殿も国の重要文化財に指定されているのですね。

その扁額や木鼻も豪華に光り輝いていました。

ツツジの名所として有名ですが、楼門も色鮮やかでその豪華絢爛な美しさに魅かれました。

高台にある「乙女稲荷神社」へ向かう参道には、伏見稲荷のような千本鳥居が赤い鳥居のトンネルを作りだしていますが、頭を下げながらくぐり行くと、こちらも強いパワーを感じますね~

千本鳥居の途中には、大きな岩を乗せた「胞衣塚」なる塚があり、案内によると、江戸6代将軍・徳川家宣公の胞衣がこの下に埋められているのです。

さらに進んで駒込稲荷社の手前の庚申塚に庚申塔が背中合わせで置かれており、その周りには幾つもの力石が並んでいました。

楼門前の池端に戻りお昼を摂りながら一休みしていると、ここでも鳩達に囲まれて餌取り合戦が始まりましたね~

一休みして表参道から出ると、東京大学方面へ上がる急坂の「権現坂(新坂・S坂)」となります。
根津権現社の名前やS型坂に由来して付けられています。

根津神社から根津駅に向かう途中、住宅街に入ると「お化け階段」があります。
登る時と下る時の階段数が違うと言われる不思議な階段で、階段の両側もお化けが出そうな気味が悪い雰囲気でしたね。

階段を登るとさらに根津駅に向かう長い坂の「異人坂」があります。
坂上には、東京大学のお雇い外国人教師の官舎があったことから、多くの外国人が散策していたことから付けられたようです。

「異人坂」から根津駅へ向かうと「弥生坂」に出ました。
かつてこの界隈が向ヶ丘弥生町と呼ばれていたことから名付けられたそうです。
またこの坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので「鉄砲坂」とも呼ばれていたそうです。

谷中の江戸の名残を残す街並みを楽しみながら江戸の歴史的風土を実感した坂道散歩でした。