MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

自動車運転講習会を受講

2009年06月15日 | うんちく・小ネタ

免許証の更新時期が近づいてきたが、突然、講習会受講の案内が届き、優良運転手を認知しており、

違反の事実もないのに何故だろう?と思い確認したところ、70歳未満でも「高齢者講習(法定講習)」を受けるタイミングになったようだ。

最近は、高齢者が関わる交通事故が多く、高齢者の身体機能の低下も一因であるそうだ。

初めての経験であり、講習内容は約4時間に亘り多岐に及び多くの知識や経験を踏んだが、

全ての検査や訓練において、充分な知識、体力、反応などがあり、適正であるとのお墨付きをもらい自信を得たところである。

法令や統計などの確認講座では、意外と常識的なことでも、知らない項目も少なくなく、

改めて運転に関する安全への意識が高まった。

最近の少子高齢化の傾向で、65歳以上の運転免許保有者の比率は、年々増加しており13%を超えるそうだ。

しかし、一方では、運転はしないが、IDカードとして更新して保有しているという人も少なくないとか

逆に、若い人達には、以前のように車に対する意識変化があり、あまり車に興味がない人が増えているそうだ。

高齢者の特性では、安全への意識が高く、自己制御が出来て、遵法意識が高いという優れた面があるが、

注意力や瞬間的な判断力に加えて身体機能の低下があり、安全面での問題が指摘されている。

かかる背景をもとに70歳以上の高齢者講習の受講が義務付けされているので、一抹の不安もあり受講していた。

適性検査では、シュミレーターによる主に反射動作能力や注意力の持続性などがチェックされたが、

全てにおいて若い人に劣らぬ機能を有すると評価をいただいたが、低年齢層ではPCゲームやゲーム器などの利用者が多く、反射機能は特に優れているそうだ?

実車による運転行動テストでも、免許取得以来の運転テストであったが、

お決りの診断コースで、これも適正良好の診断をいただいた。

これからは、加齢に伴う知覚機能や身体平衡機能の変化・低下は、避けられず機能低下を防止すべく機能維持の継続の必要性を感じ取った体験であった。

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福井ブランド大使に任命されました

2009年06月14日 | 地域活動

我が故郷である『福井県』との縁が、最近になり富に近くなり、色々な機会に福井へ出かけたり、知人友人との関わりが多くなってきた。

福井県と言えば、知名度では残念ながら下位にランクされており、「福井ってどこだっけ?」と聞かれることが少なくない。

一方、最近では、トップクラスの『健康長寿の県』、子どもの『学力テスト』『体力テスト』など上位ランクを占め、何かと話題が多い。

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また、昨年度スタートした『ふるさと納税制度』も、福井県が発案して議論を呼び制度化されたもので、

早速僅かながら、故郷への貢献に参加したのも、今回の「福井ブランド大使」へのきっかけとなった。

『福井ブランド』とは、福井に存在する自然、歴史・文化、食、観光地、特産品、産業などの地域資源の付加価値を高めて

福井の活力を生み他地域の方に共感、満足を与えて「福井県」のブランドイメージである。

この故郷『ふくい』を想い、魅力ある福井のブランドイメージを広くPRして、福井の発展を願う応援隊が『福井ブランド大使』である。

大使の条件は、県内在住者もしくは出身者で、福井県外において積極的に福井の情報を発信していくことであるが、

この度 縁があり、申請して晴れて任命を受けたものである。

現在、個人大使には約2000人、法人大使には約80社が登録されているそうだ。

先日、任命書と共にPRのツールも送付されてきた。

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これまでも、度々本ブログにおいて、メデイアや雑誌などで知りえた情報を元に、我がふるさとを想いながら紹介してきたが、

この機会を得て益々福井を想う気持ちが高くなり、積極的に関わっていきたいと願っている。

先週には、第60回全国植樹祭が天皇・皇后両陛下をお迎えして、福井県で開催されたが、会場の福井市一乗谷朝倉氏遺跡には、この春に出かけてきたばかりである。

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これら素晴らしい歴史や観光資源を有し、山や海の美味しい食の国の福井を愛し、応援していきたい。

『健康長寿の福井』というのは、福井県の代名詞であり、心身ともに健やかに、生きがいある暮らしが出来る秘訣があるのだ。

これからも折に触れて、紹介していきたい。

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沖縄観光? 首里城

2009年06月13日 | 旅行記

海洋博公園を後にして、高速道路を経由して一路、南部エリアの『ひめゆりの塔』、 『首里城』へと向かった。

以前に「那覇マラソン」を走った時の、豊見城や糸満などの自然に触れ、サトウキビ畑などの風景を思い返していた。

『ひめゆりの塔』に到着してみると、多くの修学旅行の団体と鉢合わせになり、混雑していた。

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ところが、入口にある慰霊碑は改修工事中のためにシートで覆われており、全く見られない。

慰霊碑の前に、献花して沖縄激戦の犠牲となった学徒隊員に冥福を祈った。

地元には、この慰霊碑以外にも多くの慰霊碑があるそうであるが、なぜ「ひめゆりの塔」だけが有名なのか?ふと疑問を感じていた。

時間の制約もあり、資料館には入らずに次の目的地『首里城』(スイグスク)へと向かった。

首里城には、2回目の訪問であったが、歴史には疎い管理者には、大変興味ある情報を得て改めて琉球王国の歴史を学ぶ機会を得た。

案内パンフに寄れば、14世紀末に創建されたそうで、中国や日本の文化が混在する琉球独特の文化のようである。

成る程、城(グスク)と言っても、日本本来の天守閣があるような城ではなく、むしろ中国や韓国の文化に近いのではないだろうか?

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ここでも修学旅行団体と一緒になり大混雑していたが、お決りの「守礼の門」から入り、「正殿」などの定番コースを駆け足で見て廻ったが、建築物の独特の朱色や彫刻、各種の門などすばらしい王朝文化に感嘆した。

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定番コースから出て、城郭の西地区へ廻り 「西のアザナ」の展望台からは、素晴らしい那覇市内の展望が望められた。

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また、首里城を取り巻いて連なる城壁や城址は、世界遺産として登録されているそうで、先人達の生活ぶりや思いの一端を覗いたような気持ちであった。

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この3日間は、素晴らしい天候に恵まれ『太陽』の自然に接し、また、琉球文化の奥深さを感じていた。

また、沖縄方言や名前の読み方などは、全く判らず場所を聞いても通じなかったりで、異国雰囲気も感じての「ランラン旅」であった。

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沖縄観光? 沖縄海洋博公園

2009年06月12日 | 旅行記

「日本縦断駅伝(Trans  Japan) in 沖縄」を走り終えて、3日目も快晴の真夏日を予感される朝を迎えた。

この日は、沖縄各地の観光スポットを巡る予定で、仲間の顔も緊張が解けて日焼けした顔が活き活きしていた。

早朝から、カヌチャーベイホテル&ヴィラの広大な敷地内をカートを使わずに、朝ジョグに出かけると、既に散歩している家族連れも多く見られた。

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敷地内には、巡回バスが運行しているほどで、ゴルフコースやプライベイトビーチ、屋内プール、レストラン、チャーチなどが完備されており、正に天国の楽園である。

敷地内を約30分スロージョグで、各施設を巡ったが、プライベートビーチは、エメラルドグリーンの美しいビーチであった。

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ジョギングの後は、プールサイドでの朝食を楽しんだが、この時期にも拘らず子供連れの客が多く、沖縄の人気を実感した。

この日は、昨日まで走ったコースを戻り、走りながらでは、気が付かなかった海の美しさや沿道の風景を楽みながら、「太陽と光と海」『海洋博公園』に向かった。

海洋博公園に着いたのは10時近くであったが、ツアー客が次々と到着しており、最大の目玉である『沖縄美ら水族館』へと急いだ。

水族館の案内に寄れば、沖縄周辺の海の「巨大な暖流黒潮、サンゴ礁、深海の海」に生息する神秘的な海の世界を体験、体感できるように再現した水族館だそうである。

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巨大な水槽は、『サンゴ礁の海』、『黒潮の海』、『深海の海』の三つの旅で構成されている。

ギネスでも認められている世界一の巨大アクリルパネルで作られた大水槽では、ジンベエザメ(8m)やマンタが悠々と泳いでおり、迫力満点であった。

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ジンベエザメやマンタの間を群れを為して泳ぎ廻る美しい光景を間近に見て、まさに神秘的な世界であった。

他の水槽にも、沖縄でしか恐らく見れないであろう珍しい生き物の数々が見られ、時間を忘れて眺めていた。

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限られた時間を超えて見とれていたが、後ろ髪を引かれながら、水族館を飛び出し、『エメラルドビーチ』へ移動したが、そこには白砂とエメラルドグリーンの美しい海岸が広がっていた。

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視線の先には、フランスのモンサンミッシェルを連想するような伊江島の姿が見えていて、時間があれば一日でもビーチに寝そべっていたい誘惑にかられた。

さらに、イルカショーも演じられていたが、隣の「海亀の館」を覗けば、ここでも巨大な海亀達が話しかけるように、接近してきて挨拶を交わした。

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さらに「おきなわ郷土村」へと踵を返したが、そこには琉球王国時代の集落の形や本家や民家の住居が移築された形を見ることが出来、のどかな空気が流れているようであった。

広大な園内のあちこちには、「やんばるくいな」や「ウミガメ」など沖縄特有の動物などを花で作った造形品が至るところに並べられていて、訪れる客へ「ようこそ」と呼びかけていた。

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時間に追われて、次のスポットの「ひめゆりの塔」、「首里城」へと向かった。(次報へつづく)

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日本縦断駅伝 in 沖縄?

2009年06月11日 | マラソン

日本縦断駅伝 in 沖縄2日目の朝も、快晴の真夏日を予感する天候に恵まれた。

Aグループは、朝食もそこそこにホテルを7時半に出発して、第1日目のゴール地点の万座毛へ戻り、2日目をスタートした。

この日のコースは、万座毛から58号線の海岸道路を北上し、名護市内、大宜味村塩屋湾を経て、辺戸岬までの71Kmである。

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Bグループは、カヌチャー・ビーチホテル内のプライベイトビーチやプレイスポットなどを散策した後に、大宜味村道の駅でお昼に合流した。

道の駅「おおぎみ」では、昼食休みを取り、美しい海岸の波打際で珊瑚やナマコ、うになど珍しい海の生き物の歓迎を受けて、しばし戯れて、憩いをとった。

このような光景は、沖縄以外の海岸では見られないだろう・・・・・

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午後の後半では、Bグループの健闘もあり、快調なペースで走り、目的地の辺戸岬には、ほぼ予定通り4時に到着して、『日本縦断駅伝 in 沖縄』を完結した。

ゴールの辺戸岬では、走友とともに手を取り合って先着隊が準備したゴールテープを切り、2日間の無事の歓喜の完走を成し遂げた。

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辺戸岬は、アメリカの統治下にあったときに、ここから本土復帰を願ってのろしを上げたそうである。

1972年の沖縄返還の際に建立された「日本祖国復帰闘争碑」が、立っていた。

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また、ヤンバルクイナ展望台や与論島もかすかに望め、素晴らしい展望であった。

しばし、感激に浸った後に、一路、車でカヌチャー・ビーチホテルに戻り、高級レストラン 「龍宮」で、完走パーテイで乾杯の杯を交わし喜びを分ち合った。

2日間、110Kmの炎天下のコースであったが、沖縄の花や美しいコバルト色の海の色を眺めながら、

夢のようなコースで この南の大地を走れた歓びを体一杯に感じて明日からの元気をもらった思いがした。

仲間から、「次は韓国版だね・・」などと声も出て、寛平さんの「アースマラソン」に続けとばかりの話題となり、活力が湧いてきたようである。

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また、各地で地元の方々との交流や沖縄料理も、日本全国で味わった感激以上に素晴らしいものであった。

これまでの第8ステージまで参加した走友からの激励のメールも、何回も携帯電話に届き元気をもらい、共に走っている共感を得た。

声援をいただいた仲間や友人にも、感謝の気持ちを伝えたい。

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日本縦断駅伝 in 沖縄

2009年06月10日 | マラソン

所属する走友会の創立30周年記念事業として、北海道宗谷岬をスタートして、鹿児島県佐多岬までを走り抜く『日本縦断駅伝』を7年前にスタートした。

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2002年から2006年まで4年間かけて3,566Kmを、走友の仲間が襷を繋いで完結していた。

この『日本縦断駅伝走』は、第1ステージの北海道から始まり、東北、関東、中部、近畿、四国、中国、九州エリアの第8ステージまで、連休などを利用して成し遂げたものである。

4年前に、走友から、「まだ沖縄本島が残っているね・・・・」と、「これは成し遂げないと気持ちが悪いから完結しよう」と、

熱い思いが伝えられて、今回の沖縄縦走が発起されたものである。

この日本縦断駅伝(Trans Japan )の趣旨は、 「この雄大な大地を己の脚で走り続ける時に、己を考え、国や世界を考えて、・・・・明日への力強い活力を感じよう」というものである。

管理者も、これまでの第1ステージから参加してきたので、その熱い想いを成し遂げようと決意して参加した。

この第9ステージの沖縄は、2日間で那覇市奥武山公園をスタートし、只管58号線を北上して、

本当北端の辺戸岬までの約110Kmを9人の走友とともに、 『熱い思いと汗がにじむ襷』を繋いだ。

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第1日目は、早朝に羽田空港を発ち、那覇空港近くの奥武山公園の明治橋を12時37分にスタートして、初日は恩納村の万座毛までの45Kmを走破した。

入梅していた沖縄の天候が心配されたが、梅雨を忘れたこのような真夏日となり、容赦なく照りつける炎天下の元でのスタートとなった。

管理者が第1走者を任されたが、10年近く前に那覇マラソンを経験していたので、那覇市内は懐かしかい思いであった。

日曜日とあって、準備支度する予定であった奥武山公園は、非常に混雑していて駐車場に入れない状況で、入口でそそくさとアップしてスタートしていった。

那覇市内を出てからは、宜野湾市、嘉手納町と、順調に襷を繋いで距離を踏み、沿道にはハイビスカスやブーゲンビレア、ホウオウボク、ベニデマリなどなど、 「沖縄の花」が咲き乱れており、花を眺めながらで疲れも癒される。

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嘉手納町では、基地らしい風景が広がり、沖縄らしさを感じながら、地元の方に背を押されての走りが続いた。

恩納村に入ると、景観は一変して蒼い海が果てしなく広がり、日陰のない海岸線は夏の陽が照り付けていたが、暑さを忘れる景色に助けられて最高の気分である。

第1日目は、万座毛にゴールして、万座ビーチやコバルト色の海の眺めが素晴らしく、一日の疲れが吹っ飛んだ感じがしていた。

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ツアー客が多勢訪れていたが、合間を見て記念写真を撮り、宿泊地の『カヌーチャ・リゾートホテル』へと車で向かった。

ホテルは、エキゾチックな雰囲気のシーサイドホテルで、広大なホテル敷地内は全て施設内専用のカートで移動するというなんとも豪華な雰囲気であった。

チェックインした時には、丁度日没時で、デッキからの夕焼けの眺めは、最高に輝いていた。

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第1日目の夜は、沖縄料理をたっぷりと楽しみ、沖縄のムードを味わった。

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ふるさとの味

2009年06月07日 | 食・レシピ

ふるさと福井の親友から、手作りの干物が送られてきた。

日本海に面する福井には、海の王様の「越前ガニ」を始めとして季節の美味しい海産物が多い。

今回は、ハタハタとカレイが送られてきたが、何れも大ぶりで漁港のひいきにしている浜の方から直接目利きして仕入れた魚だとか。

確かに都会の小売店では、滅多にお目にかかれそうもない代物であると感じた程である。

さらに、干物作りにも拘りがあって、それぞれの塩の漬けかたが違うのだそうだ。

魚の大きさや柔らかさ?などに合わせて塩加減や時間を変えて、塩水に漬けたり、塩を撫で付けたりするそうである。

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さらに、天日干しにも拘りがあり、天気予報を事前に把握しておき、晴れの日に合わせて塩漬けして、日干し時間も魚の大きさにより調整するそうだ。

そんな拘りづいた干物も、少数だからできるそうで、販売用に量産はとても出来ないようである。

その術をどのように身につけたのか伺ったところ、最初は見よう見真似から初め、浜のプロにコツを聞いたりして覚えたとか。

そんな匠のような作品を有り難くいただいたが、本当に魚屋やみやげで買い求めるものとは比較にならない絶品であった。

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味わいの感想を伝えたら、やはり一度賞味された方は、忘れられずにリピートがあると聞いた。

「男 厨房に入らず」を実践している管理者には、只々驚きの世界である。

ハタハタは、5月でオフになるそうであるが、北陸の海では、これからいろいろ美味しい海産物が水揚げされ、楽しみが多い。

以前に或る都心の寿司屋での話であるが、寿司屋のオヤジが自慢するネタが、

福井の寿司のネタの比べてそれ程でもなく、「日本海のネタの方がウマいよ  」と言ったところ、

オヤジが言うには、『旦那よ、福井の魚と都会の魚を比較したってダメだよ・・・・』と言われたのを忘れられないのだ。

プロが認める日本海の魚だったんだね・・・・

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第28回 横浜開港祭~開港記念館・馬車道へ

2009年06月06日 | まち歩き

横浜開港資料館で多くの歴史資料をつぶさに見聞きして、改めて開港以来の歴史の重みを感じてから、

先日の「横浜まつりパレード」で一般開放されて屋上まで見学済みの『キング塔(神奈川県庁)』前を過ぎて、今度は『ジャック塔(横浜開港記念会館)』へと移動した。

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ここもハマのシンボル的存在で、赤いレンガ色と白い花崗岩との色合いと、勇壮な時計台などの姿、そして鮮やかなステンドグラスは素晴らしく、ジャック塔は国の重要文化財となっているそうだ。

その外観は、昔からスッケチ画家には堪らない魅力があり、管理者も何回も足を運び描いてきたところである。

一歩中に入ると、多くのボランテイアガイドさんが待ち受けており、案内のお誘いを受けたが、時間もなかったので一人で館内を散策した。

ガイドさんを「ジャックサポーター」と呼ぶそうだ。

2階には、約80年ぶりに10ヶ月かけて修復されたという立派なステンドグラスが光り輝いていた。

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また、時計台への階段は封鎖されていたが、素晴らしい回り階段があり、屋根上に飾られている塔のシンボルのレプリカも陳列されていた。

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先日、キング塔の上から眺めたジャック塔は、また素晴らしい眺めであったが、その内側の顔は、意外と複雑な構造となっていた。

大会議室などくまなく一巡したが、ネオルネッサンス調の貴重な文化が刻まれていた。

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会議室では、ステンドグラスの教室だろうか、子供たちが楽しそうに一所懸命に創作活動に取り組んでいた。

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たっぷりと館内の調度品など美を堪能したあとに馬車道へ出たが、ここにも文明開化の由緒ある名残の印が至るところに残されている。

日本で最初の洋品店、昔馬車が通った水呑場、ガス塔などが、多く残されており、ゆっくりと昔の文化を味わうには時間が足りない。

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さらに、これも国の重要文化財である『県立歴史博物館』があり、やはり開港祭に因んで特別展が開催されていた。

またの出直しを決めて、 「歴史と未来」を体一杯に吸収してこの日の横浜観て歩きを終えた。

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第28回 横浜開港祭 観て歩き~開港ゆかりの場所~

2009年06月05日 | まち歩き

新港埠頭から赤レンガ倉庫周辺に移動すると、ここでもブラジル本場のサンバ踊りなどで盛り上っていた。

赤レンガ倉庫は、開港以来物流基地として横浜税関の付属設備であったそうで、横浜貿易の証である。

今も横浜の観光のシンボルとして多くの観光客が訪れ、独特の赤レンガ色には歴史が刻まれているようでした。

過っては、横浜駅から赤レンガ倉庫まで引込み線が走っていましたが、今は汽車道として当時の貿易港としての名残が残っています。

新港橋を渡り『象の鼻地区』に向かえば、過って船の溜まり場であった景観は、すっかり変貌していた。

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これまでもスケッチポイントとして、度々訪れており、多くの船が停泊してMM21地区をバックに描ける風景があったが

「開港の丘」 「象の鼻防波堤」 「開港波止場」 「テラス」など近代的な『象の鼻パーク』として生まれ変わっていた。

開港波止場では、大道芸が披露されていて、開港記念日を祝っていた。

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横浜港発祥の地として、『横浜の過去から、未来へとつながる場所』として、新名所に期待されているようだ。

この場所からは、 『横浜の三塔』キング塔・クイーン塔・ジャック塔)が展望できるところとしても、有名である。

リニューアルされて キング塔(神奈川県庁)、開港広場へは、すんなりと象の鼻地区から出られるようになっていた。

開港広場は、安政元年(1854)に日米和親条約を締結した場所であり、記念碑が設置されており、鏡のモニュメントなどで市民の憩いの場でもある。

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ここにも、スケッチのために何回も訪れているが、360度どちらを向いても描ける光景があるのだ。

繊維関係の仕事をしていた義父が若い頃、シルクセンターで働いていたこともあり、昔から開港広場界隈には何度も通い慣れたスポットでもある。

しばし、感傷に耽ってから、いつも描いてきた『開港資料館』に初めて入ってみた。

この日は、記念日のため資料館の入場料は無料で開放されており、多くの家族連れなどで大変賑わっていた。

多くの貴重な資料が陳列されており、改めて横浜の歴史を深く学ばせて貰った。

関東大震災(大正2年)で、多くの貴重な遺産が破壊されたそうであるが、今残っている多くはその後に復元されたものである。

資料館の中庭一杯に枝を張る『玉楠の木』は、この木の下で日米和親条約が行われた故の

歴史の生き証人であるそうだ。

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第28回 横浜開港祭 観て歩き~ベイサイト編?~

2009年06月04日 | まち歩き

開港150周年記念の『横浜開港祭』に出かけて、日本丸メモリアルパークにあるリニューアルしたばかりの『横浜みなと博物館』に、まず訪ねてみた。

まず入館料は、記念日の特別料金の半額となっており、家族連れが多く見られていた。

新しい展示室では、ペリー艦隊が横浜港に来港した光景の模型や空撮した横浜港の巨大な写真地図が床に張りめぐらされていて、自由に歩いて場所を確認できる工夫などで、港横浜の歴史を学べるゾーンが出来ていた。

俄かの父親先生が、子供たちに一つ一つ詳しく説明している光景が、印象的であった。

次に、最大のマリンイベントの『ブルーインパルス』の航空ショーが終わった後、新港埠頭に停泊する『海王丸Ⅱ世』へと脚を運んだ。

海の貴婦人と言われる『海王丸』は、丁度、セイルドリル(操帆訓練)を行う時間に間に合うべく急いだが、

既に13時過ぎに作業が始まっていて、約30分位だっただろうか、まもなく総帆展帆(29枚の帆全てを拡げる)の見事な姿を披露してくれた。

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受付の係りの方に聞けば、練習生の技量によってセイリングの時間は、かなり異なるそうでこの日の所要時間は、早かったそうだ。

この日の青空の下で、名前の通り 『貴婦人』姿が実に美しい・・・・・

まもなくリーダーの掛け声で、甲板に整列したボランテイア練習生による「登しょう礼」?が行われ、埠頭に陣取っている観客から盛大な拍手を浴びていた。

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隣の8号バースには、海上自衛隊の護衛艦『しらゆき』が停泊していて、満艦飾(艦首からマスト・艦尾にかけて信号旗を飾る)が行なわれていた。

甲板へは無料公開されていたが、入場制限がかかっており、赤レンガ倉庫エリアから約200M近い長い行列が出来ていた。

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続いて5号バースへ向かうとここには、メキシコから日本・メキシコ友好400周年を祝い、

遥々メキシコから来航した帆船『クアウテモック』が、これも総艦飾のいでたちで見事な友好親善の形で応えていた。

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ここでも整理券が発行されて、入場制限されていたが、丁度船員が街へ繰り出すところだったが、その人気ぶりに驚いていたようだ。

クアウテモック」は、当初、大阪での一般公開の予定であったが、新型インフルエンザ騒ぎで急遽取りやめて、横浜に早く入港したそうである。

MM21地区の摩天楼を望む新港埠頭に、この艶やかな姿で貴婦人が三隻も揃うことは、2度とないのではないだろうか?

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約2時間近く埠頭でのシーサイド雰囲気を楽しんで、赤レンガ倉庫エリアに移動したが、この日ばかりは、目の前にある大桟橋には、停泊する客船の姿もなく淋しそうだった。

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第28回 横浜開港祭を観て歩き~ベイサイド編~

2009年06月03日 | まち歩き

横浜開港150周年の記念すべき誕生日にあたる6月2日には、横浜の街は祭一色となり大変な賑わいであった。

小学校も、記念のお祝い休日だったようだ。

今年のテーマは【 THANKS TO THE PORT 『 開港を祝い、港に感謝しよう 』横浜市民で創る祭典】である。

特に、今年は、市民参加のイベントが多いそうで、現地へ出かけてみて実感した。

管理者も、横浜に住んで約20年、住所を移してからも生活のベースとして関わっており、

関心をもってその歴史に触れ合いながらの一日を楽しんだ。

今日は、出きるかぎり多くのイベントに触れながら、歴史の変遷を目と肌で感じようと、臨港パークから新港埠頭、

海上保安庁埠頭、赤レンガ倉庫周辺、象の鼻地区、開港広場、開港資料館、開港記念会館と脚をつかってのウオーキングに挑戦した。

この日は、記念日を祝うかのように、快晴に恵まれてみなとみらい21地区は、ランドマークなども素晴らしく化粧した美人姿に見えていた。

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資料館などの説明によれば、開港150周年の由来は、江戸幕府とアメリカのペリー提督が日米和親条約を結び、

鎖国を解いて後、アメリカなど5カ国との修好通商条約が締結されて、

安政6年6月2日(1859)に横浜に港が開かれ貿易が開始されたことに由来するそうである。

桜木町から日本丸メモリアルパークを経て、臨港パークへ向かったが、駅から履きだされた人の群れは、

絶え間なく続いていて、臨港パークや新港パーク周辺には、このエリアが整備されて以来、

これ程の人が集まった事があっただろうかと思えるほど、家族連れなどで広場や波打際の散歩エリアは既に埋まっていた。

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この日の最大のイベントは、航空自衛隊のアクロバット飛行専門チーム『ブルーインパルス』の展示飛行である。

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この日は、定刻ぴったりに、6機の編隊が南の空から姿を表わし、その後に横浜駅方面からと、編隊を変えて現われ、

青い空のキャンパスに白いスモークを筆代わりにして、大きな「ハート」「さくらの花」の鮮やかなアートを描いていた。

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姿を現すたびに、大群衆の頭と視線は、機体と友に動いて、素晴らしい航空ショーに酔いしれていた。

ブルーインパルスのショーが終わると、大観衆は思い思いの次のイベント会場へと踵を変えて分散したが、

続いて燐光パーク海上で繰り広げられている「官公庁艇パレード」が繰り広げるデモンストレーションを眺めながら、

新港埠頭に停泊している『海王丸Ⅱ世』や海上自衛隊の護衛艦『しらゆき』、メキシコ帆船『クワウテモック』へと移動した。

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自転車新生活にはまって

2009年06月02日 | サイクリング

最近の自転車ブームは想像以上に、輪が拡がっているようだ。

環境に強いエコ対応として、健康志向のツールとして、そしてファッションとして大変評判がよいのだ。

そもそも日本では、自転車利用は生活の一部となっており、高齢者にも、キッズにも切っても切れない生活の一部であった筈である。

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それが最近の自転車ブームで、自転車生活が見直されその利用方法が、変わってきたようだ。

一番変わったのが、自転車通勤(ジテツウ)が大幅に増えてきたことと、スポーツとしての利用のようだ。

連日、テレビや新聞、雑誌での自転車に関する話題が報道されており、自ずと関心も高まってきている。

我が家にも、屋外に2台、屋内にも3台保有しており、目的に応じて使い分けているが、正に日本は自転車大国である。

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先月は、COP15(デンマークで今年開催される第15回地球温暖化防止条約締約会議)に因んで、サイクリングツアーが開催されていた。

このサイクリングツアーは、デンマーク大使が主催し、日本サイクリング協会や国内公的機関が支援して行われたそうだ。

このサイクリングツアーは、日本国内9都市で開催され、自転車で観光地を巡るツアーである。

東京では、何と各区役所をスタートに、神宮外苑絵画館にゴールする15~35Kmのコースで都心をサイクリングを楽しんだようだ。

デンマークは、自転車先進国として世界一の自転車愛好国であり、その自転車利用の環境整備が出来ているようで、管理者も関心をもっていた。

デンマークには、『サイクリング記念日』があるそうで、その6月14日に京都からコペンハーゲンに場所を移してのサイクリングが開催されるそうです。

2輪(自転車)に乗り、1つのしかない世界を変えていこうといプロジェクトは、マイチャリTREKのコンセプトである。

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『カラダのために・地球のために・未来のために』を合言葉に、自転車生活は人生を変えていこう・・・・・

今やスポーツバイクショップでは、ツーリングやメンテナンス講座などが開催されており、大変な人気だそうである。

自転車生活が変わってきているのを実感している。

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ジロ・デ・イタリア 100周年記念大会が終了

2009年06月01日 | サイクリング

100周年記念大会の「ジロ・デ・イタリア」のファイナル21ステージが、ローマのど真ん中を舞台にしてタイムトラアル レース(TT)で行われ最後まで興奮のレースだった。

スペイン広場やバチカン宮殿、サンピエトロ広場などを周回してコロッセウム競技場がゴールの観光コースである。

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TTレースは、僅か14.4kmの短いコースであったが、石畳や急カーブが続く 難コースで、おまけに天候が晴れから雨に、そして晴れたかと思えばまた雨にと時間差でスタートするTTレースには、本当に酷なレース条件であった。

最終日まで総合優勝の行方が判らないという逆転の可能性も秘めた僅差20秒のTTバトルには、テレビに釘付けであった。

特に、雨の中ではスリップしての落車がいつあっても不思議ではない。

21ステージでは、メンショフとデイルーカの一騎打ちの総合優勝の行方だけだった。

ところが、事もあろうかゴールまで後1kmというところでメンショフが転倒落車したのだ。

バイクは滑って遠く前へ、メンショフが駆け寄っていくシーンは、歴史に残るシーンだとか・・・・

解説の今中氏もビックリして「いや~こちらの心臓がとまりそうだ・・」と絶叫していた。

Photo_2

ゴールでは、逆にメンションが差を開いてのマリアローザを獲得していたが、ゴール後の興奮を抑えきれずに歓びを爆発していたシーンも忘れられないものだった。

我がTREKのランスくんにも期待していたが、しっかりとまとめて、総合12位で纏めていた。

鎖骨骨折の後のジロ初登場であったが、この結果では1ヵ月後のツール・ド・フランスへの期待が膨らんできた。

3週間にわたる長いレースは終わったが、この約1ヶ月の寝不足からようやく解放されそうだ。

Map

毎日、ライブ放送を楽しんできたが、実況の白戸氏や解説の今中氏、栗村氏の明快な解説と、

元ライダーならではの詳しいメカニックやテクニックの説明には、何度も頷いて知識を得られ大拍手を送りたい。

また、もうひとつの楽しみは、イタリア全土を巡るレースのため、フィレンツエ、アマルフィ海岸、ヴィスヴィオ火山などの美しい風景を空撮などでたっぷりと見れたことである。

サイクリングファンとしては、堪らない一ヶ月であった。

7月には、グランツール最大の「ツー・ド・フランス」が待っている。

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