「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「今年の一字・来年の色」

2010年12月18日 | 趣味・・エッセイ

師走も半ばを過ぎようとしている。 すぐ近くに住む孫達、恐怖のクリスマスプレゼントは一体何を思っているのだろう。 発送する手間もいらないから、直前の購入でも間に合う。 もちろん運送の費用もいらないから、その分金額に上乗せ出来る・・・?とは限らない。 欲しい物さえ決まったら一応受け入れてはみるが・・・。

この時期のもう一つの思い。今年一年を漢字一字で表すと、世の中全体では「暑」に決まった。 では自分自身の今年一年はどんな一字になるのだろうか。

言うまでもなく色んな方面に、色んな足跡を残したこの一年。漢字一字、さてなんだろう。ウーン確かに難しい。 積極的に踏み出した一歩もある。 連日思いをめぐらした活動もある。どれもみんな血となり肉となってこの身体の中に残っている。

やっぱりあれか・・・?いやこっちだろう・・・?まてよ、これも捨てがたい・・・? あれこれ思いを巡らすと、結局落ち着くところは反省の念に他ならない。 その時はベストと思ってやって来たこと、取り組んできたことが、今こうして冷静に振り返ると、もっといい方法があったのではないか、思慮と言う点で足りなかったのではないか・・・という負のイメージが強くなる。 もちろん、自分で自分を褒める事柄だってないわけではない。

自分の気持ちの中では『 ? 』固まった一字。ではあるが、あえて公表しないことにしよう。自分の中でしっかり抱いて、来年の思考や行動の肥やしにしていこう。 

そして来年一年を過ごすに当たっての『色』も考えてみたい。 庭に咲く小さな純白のサザンカに寄せて『白』と決めよう。

さてどんな色に染まる一年が待っているのやら。

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「サンタが街にやってきた!」

2010年12月17日 | 季節の移ろい・出来事

時期や良し。サンタが街にやって来た! ちびっ子サンタ68人勢揃い!!

近くの小学校で、3年生68人がサンタクロースに扮して、お年寄りの施設を訪問する社会勉強が催された。地区社会福祉協議会もこのような地域貢献活動には、積極的な協力を惜しまない。

そこで、片道40分は歩く施設までの往復の交通安全。施設での交流の助言などのお手伝い。ということで、カメラを引っさげて参加した。

   

              

担任教師の肝煎りもあり、子ども達も非常に積極的なのが見ていてもわかる。 施設が近づくと足取りも軽くなり、自然にテンションが上がっていく。

一人ひとりが丹誠込めて作ったクリスマスカードのプレゼントからスタート。4つのグループに別れて交流開始。最初はおっかなびっくり。さて何から話しかけようか、どうやってきっかけを掴もうか・・・ちょっと尻込み。「思い切って近くによって挨拶してみようよ」この一言が効く。急に笑顔がはじけてそれぞれ「食べ物は何が好きですか?」「何でも好き、わたしゃー嫌いな物はないんよ」「へー、ボクはピーマン・ゴーヤがきらい・・・」次々会話が弾む。

みんなで歌を歌おう、何を歌おうか。先ずはジングルベル・お菓子の好きな魔法使い・・・さあ何曲歌っただろう。隣のグループは、茶摘みとか春の小川などお年寄りの好みに合わせる配慮も。「富士山の唄を歌ったらみんなが歌ってくれたよ・・・」得意満面。 そしてみんながしっかり手を握り合って「元気でね」「またおいでね」と握手で別れる。

お年寄りも、可愛いサンタの訪問に思わず笑顔がこぼれる。一生懸命何かをしたいと思う3年生のサンタ。お手伝いのつもりで参加した我々にも、心が洗われる大きなプレゼントをもらった。「インタビューしてもいいですか・・・野球はどこが好きですか」「広島カープ」「カープの中で誰が好きですか・・・?」思わぬ3人のインタビュアーに囲まれて、スター気分にさせられた。こんな思いがけないオマケまで付いた。

教育・子育てとはこんなことを言うのだと改めて実感。そこには、保護者だけではない多くの地域住民の関心と協力が欠かせないことも合わせて実感。 社協会長の地域交番への要請によって、パトカー1台、お巡りさん4人による、生きた交通指導があったことも書き添えておこう。

慌ただしい年末の中で、とっても心地いい一日をプレゼントしてもらった。       

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「12月15日」

2010年12月15日 | 季節の移ろい・出来事

  

今日から年賀状受付が始まった。 そして12月25日までにはお出し下さいという、お知らせがポストに入っていた。 自慢じゃないがこちらはやっと準備を始めたばかりだというのに。

でも、元旦に相手の手許に届くことを願うなら、早めに準備しなくては仕方がないよね~。 平成23年元旦と書くのだから、年が明けた元旦にしたためるのが当然、というご意見も耳にしてきた。それも分からないわけではないが、相手の気持ちを思い遣るとすれば、やはり元旦に相手に届く配慮をするのも一つの人間味なのかなと思う。

遅ればせながら、明日から気合いを入れてしたためよう・・・と、かっこいいこと言ってもパソコン頼りである。 但し、色んな写真やデザインを駆使出来るので、出来上がった物は世界に一枚しかないオリジナル年賀状ではある。

墨跡鮮やかな習字やペン習字など習得しておけばよかったものを、なんせ小学校の習字があまりにもひどかった。そこでおふくろが嘆いて、なんとか月謝を工面してくれて2年ばかり習字教室に通った、遠い過去がある程度だ。 

ミミズが這うような失礼な手書きより、気の利いた写真入りで我慢して頂くほうがいい。 いずれにせよ「1月1日の、あなたの心の中にいたいから」という日本郵便のキャッチフレーズに便乗することにしよう。生きた一言を添えて。

こんな意味からも、やはり年末というのは忙しさを感じるものである。

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「12月14日」

2010年12月14日 | つれづれ噺

                    

『ときは元禄15年12月14日。この日のために艱難辛苦を耐え抜いた、赤穂の浪士47人。おりしも積もる雪を踏み、目指すは、本所松坂町・・・・・・パパンパパンパン!!』 とくれば、おなじみ忠臣蔵ハイライト。 

播州赤穂藩の浪士が、時の幕府の片手落ちの裁決を納得せず、主君の切腹事件から1年以上の長い間、その怨念を晴らすために、大石内蔵助を中心に、ひたすら耐えてそのチャンスを窺う。 ようやく訪れた待望の「その日」が、298年前の今日12月14日である。

毎年、東京港区の泉岳寺では、義士の供養と義士祭りが行われる。 ちまたでもこの時期になると、必ずと言っていいほど、歌舞伎や芝居・映画でこの歴史を物語風にアレンジした出し物であふれる。

ところが今年の場合、義士祭り以外では全くそんな気配が見られない。 今年に限って言えば、あのよみがえった維新の英雄「坂本龍馬」一色に塗りつぶされ、他の演目に魅力を感じなかったからだろうか。

それとも、口を開けば失言や稚拙さを露呈するモタモタ迷走政治。 節操も外交信念も見られない閉塞政治に嫌気がさして、日本人の持つ古きよき魂までどこかに置き忘れてきたのだろうか。 「君辱められれば臣死す」といった誠実さなど全く考えられない世の中になってきたのだろうか。

300年近い昔と今を同じ土俵で考えるなど、愚しいことを言うのではない。 が、忠とか孝という言葉が死語になることは避けたいなと思う。 たとえ、忠とか孝などと言わなくとも、「敬う(うやまう)」や「絆(きずな)」くらいは大切にしていきたいものだ。

ただ個人的に好みである、懐古調の赤穂浪士の話しが出てこないよな~と思っていたら、ついつい余分な方向に筆が進んでしまった。

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「特集・ああ、青春!」

2010年12月13日 | 趣味・・エッセイ

総合雑誌21世紀 地方文化の会(岩国地域)2010年11月15日発行

                          特集・ああ、青春!  掲載

 

戦後の混乱も一通り終息。さーこれから再び世界の中の日本を目指して、成長期に入ろうとする昭和35年(1960年)、晴れて社会人の仲間入りをした。

 敗戦・戦後処理といった閉塞感から抜け出し、新たな世界観のもとで、人々の考え方にも生活にも、躍動感があふれる時代背景があったように思う。

その一方で、戦争で親族を失った人々の心の痛みや、敗戦の傷跡は至るところに色濃く残っている時代でもあった。

 

この年、日米同盟の根幹となる新たな日米安全保障条約が締結された。

これに反対するデモ隊と警察機動隊の衝突によって、死者も出るという傷ましい事件に発展した60年安保闘争は今も語り継がれている。

その4年後には、日本の技術力を世界に知らしめる東海道新幹線の開通、さらには再生日本を証明するかのごとく東京オリンピックが開催された。

首都高速もわずかながら開通し、流通高速化時代の幕開けを告げた。

まさに激動の60年代と言われるように、大きなうねりの中で、小さな歯車のひとつながら、成長する日本経済の担い手という使命感にも似た気持ちで精一杯生きた青春であったように思う。

          

生まれてこの方住み慣れた我が町には、青年団活動という古きよき習慣が残っていた。

社会人の一員として地域で認められる登竜門的存在が青年団入団であった。

当然のごとく飛び込んだ。

年間にいくつかの活動が計画されていた。なかでも、小学校の運動場で繰り広げられるお盆前後の「慰霊盆踊り大会」は圧巻であった。

運動場の一角に急ごしらえの慰霊祭壇を設置。戦没者はもとより、過去1年間に亡くなられた地元の方々の慰霊祭に全員で参列。お線香を手向け、静かに手を合わせる。それもまた青年団活動の大きな地域への貢献であったのだと思う。

そして、まだ実の入りきらない細い身体に、一人前に晒しを巻いた上に揃いの浴衣。夜の更けるのも忘れ、浴衣をしぼるほどの汗を流す盆踊り。

近隣青年団の応援を受けたり、こちらから応援に出向いて交流を重ねる。

一晩に数箇所の応援出場で踊り歩くことも珍しくなかった。

それらの移動は先ず自転車。男性が女性を乗せ、二人乗りで風を切る。

今日は誰が乗ってくれるのだろう、そんな淡い期待も少なからずバイタリティになっていたのに違いない。

 

そうこうするうちに、我が青年団盆踊りが幅広く人気を集めることとなった。

現在行われている花火大会を中心とした「錦川水の祭典」の前身で、当時は「近県盆踊り芸能大会」と銘打った、夏の夜の一大イベントであった。

土佐の阿波踊りや鳥取傘踊りなど、有名な踊り子連を招いたまさしく芸能大会。

そのあこがれの晴れ舞台に思いもかけぬ招待を受けた。新たにあつらえた揃いの浴衣で思いっ切り踊った。汗が飛んだ。優勝旗もいただいた。

当時としては珍しい、記念のカラー写真がアルバムの1ページを飾っている。

ああ我が青春。

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「全国区」

2010年12月11日 | 趣味・・エッセイ

岩国に生まれて、子どもの頃から錦帯橋の桜を愛し「日本一のさくら」といって憚らない、ふるさとの作家宇野千代。男女を問わず熱烈なファンが、全国にいてくるのは嬉しい。

但し、肝心なお膝元では今もって、その作家としての評価や、実業家でありパイオニアとしての実績よりも、女の生き方や遍歴が先に論評される風潮が根強い。自由奔放などという言葉では宇野千代の過去を許さないふるさとの現状を、あの世に行って13年にもなるご当人は、どのように見ておられるのだろうか。

地元に限らず、また遠方に限らず、その生き方への評価は色々分かれるだろうし、好みという要素もあるのだから、敢えてどちらとも言い難い。そんな中で、小規模ではあるが一年に一度行う、宇野千代に関する読書感想文コンクールや、エッセイコンクールに対しては全国各地からの応募が寄せられるのも確かな事実である。

今年は、東京の14編を最高に、埼玉6 大阪5・・・そして地元山口が9編。 全国24都道府県から70編が寄せられた。年齢は10代~90代と幅広い。中でも60代17 40代16 30代13と続く。 男性23 女性47名。

内容は、宇野千代の奔放な生き方を賞賛すると共に、可愛い純真さで生き抜いたその生涯に共感を持たれたようだった。

男女平等とか、男女共同参画とか言われながら、現実はそれほどでもない現代社会に対する閉塞感や、女性の気持ちの奥に潜む、解放願望の一端が示されたのかな・・・などと独断偏見に満ちた勝手な思考が頭をよぎる表彰式であった。

   ( 写真 大阪~福岡までの5人の入選者が出席して行われた表彰式 )

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「今年一年への弔辞」

2010年12月10日 | 季節の移ろい・出来事

師走に入ってから、なにをしたというわけでもないのに早くも10日が過ぎた。 あと3週間を残すのみだ。何となく焦りみたいなものを感じる。

「この一年を振り返って」とか「年末特集」などという言葉が飛び交う。 この一年とも間もなく永遠の別れが来るのだ。 告別式などで故人への哀惜を込めて、友人や特別親しかった人の代表が「弔辞」を述べるが、あの時の心境に似て、色んな想いの広がった今年一年に対して、感謝の意を込めて弔辞を述べてみたい。

『君の御遺体がご自宅に向かう途中、国会や自民党本部、首相官邸前を通り抜けたとき、永田町はにわかに激しい雷雨に襲われました。道半ばにして倒れた君を思うとき、雷鳴は君の悲痛な叫びであり、驟雨(しゅうう)は君の無念の涙であったと思えてなりません。君の不運への天の深い慟哭でもあったのでありましょう・・・・・・・』

これは、2000年5月に現職の総理大臣で急逝した、小渕恵三氏に宛てた村山富市氏の「弔辞」の前文である。 あの坂本龍馬が刺客に襲われ絶命した直後も、京の街を揺るがすほどの雷鳴・驟雨・うねるような大風が舞ったとか言われている。

これほど上手な弔辞は述べられないが、今年一年に対する思いとしては、何故かこれと重なる思いを述べて、今年とお別れしたい。 同じでなくていい。 形は変わってもこの胸のワクワク感を持ち続けられる新しい1年が来ることを祈りながら、残り3週間をゆったり静かに過ごしてみよう。

   ( 写真: 京都東山、霊山護国神社にひっそりと建つ、龍馬と慎太郎の墓標 )

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「電話一本で」

2010年12月08日 | つれづれ噺

12月に入って電話の鳴る回数が増えてきたように思う。 「丸々産のタラバガニは如何?」「△△産のからし明太子は如何?」「換気扇フィルターの交換は?」「ガン保健は?」「入院保険は?」「インターネット光は?」「投資信託は?」「お車の調子は?」「お子さんの学習塾は?」

掛かるは掛かるは。一日家にいたら何回電話をとらされるやら。電話の間にはピンポ~ン「新聞の購読を・・・」なんと忙しや忙しや。おちおち考え事も出来はしない。

電話機も最新鋭に交換、登録した相手から掛かると「OOさんです」と相手の名前を呼んでくれる。登録していなくても、掛かってきた相手の番号は見られるし、切った後でも記録は、消去するまでは残る。ナイショの電話を掛けたときは、消去しない限り相手の番号が残される。先方から掛かってきても、消去しない限り記録は残る。優れものではあるが融通が利かないこともある。気を付けなければ・・・。ナニを?

先方は電話を掛けてお給料がもらえるのだろうが、一々応対する方はたまったものではない。登録していない相手なら出なきゃいい、と思うのだが、友人知人全てを登録しているわけではない。つい呼び出しベルが鳴れば出てしまう。

電話一本で、相手のふところに手を突っ込むような話しをする。全てを疑うわけではないが、見も知らぬ相手から「お買い得ですよ」「今なら何割引ですよ」と言われてもねー。対面販売でさえ財布の紐を締めるのに、電話一本でねー。万というお金、出しにくいやねー。 ときには静かに考え事もさせておくれよ、電話君。

ところが、たった一本の電話で、気持ちがほぐされたり、有頂天にに盛り上がったり、全てが吹っ切れたりすることもある。 やっぱり近くにいておくれ、電話君!!   

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「たいせつ」

2010年12月07日 | 季節の移ろい・出来事

       

鉢植の小さな小さなピラカンサス。 10月末には覆いつくすほどに黄色い実がもぶれついていた(写真 左)。 いつの間にか、ツグミかヒヨか、一粒残さず平らげて、今では素っ裸同然にされてしまった。

小鳥はお腹が太ったろう。 残されたピラカンサスは、ここ二日ばかりの木枯らしに吹かれて寒そうに震えて見える。 無理もない今日は、立冬・小雪・大雪・冬至・・・とつながる「たいせつ」。大雪が降り始める頃とされる真冬の前触れである。 

先ずはピラカンサスが裸にされた。次は、今食べ頃に熟れているクロガネモチか、それも平らげたら南天へ・・・。ここしばらくは小鳥たちの気兼ねない満腹が続くのだろう。

      雪ちるや  おどけも言へぬ  信濃空      小林一茶

「一茶は、雪を風流なものと、愛で興じるのは、雲の上人(うえびと)のことだとあざ笑うのでした」とおっしゃるのは田辺聖子さん。

拙ブログのお仲間にも、文字通りの雪国で、毎年雪囲いをしなければ生活が成り立たない北国の方もおられる。 暖かなこの地方では、ともすれば雪は風流などと思いがちだが、縦長の日本列島を思い起こし、うかつなことはしゃべらない方がよさそうだ。 

自然界に注文出すこと自体間違っているのだろうが、雪も降る時期と量を違えず、少しは愛される程度に降ってくれることを願いたい。

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「有意義に・・・」

2010年12月05日 | 旅行・レジャー

          

1960年に岩国で結成され、地元を中心に活躍している演劇研究会「劇団のんた」。 

その長い歴史の中で、毎年秋に行われる岩国市民文化祭公園は46年間、一度も欠かしたことがないという。 さらには4回の海外公演や、ふれあい巡回公演、気軽に要請に応じる出前公演など、幅広く活動している。 今年の山口県演劇祭・岩国市民文化祭にあわせて、新作「銀河鉄道の夜」が上演された。 4年生と2年生の孫を連れて観劇会と洒落込んでみた。

幻想の世界と現実の世界を行き来しながら、銀河ステーションから宇宙へ旅立ち、途中から乗り合わせた別世界の人たちと交流し、やがて地上に降り立つという、三次元・四次元の世界を描きたかった・・・ということであった。 私のような宇宙に対する壮大な夢を持ち合わせない者にはちょっと難解なテーマだったようだ。 二人の孫君は、それぞれに見入ってはいたが、感想は? ウーン・・・ジジと似たようなものだったようだ。

特にこういった内容については、テレビなどで強烈なビジュアル動画で詳細に見せつけられている。そんな二人にとっては、ステージの動きと台詞だけでは、解釈に無理があったかもしれない。 でも見せておく必要はあると思って、日曜日の午後のひと時を一緒に過ごした。 これはこれで、やらないよりやっておく必要のある時間だったと思いたい。

ちなみに、「のんた」とは、・・・~ねーあんた、と、相手に同調を求める呼びかけ語である。 山口弁で、ねーがのーになり「のーあんた」「のーあんた」が段々詰まって「のーんた」「のんた」となったと聞いたことがある。

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