三十年余り前に住んでいた家の夢を見た。
その家は京の町家のように細長く、三間間口で前の通りから裏通りに抜けていた。
その家の裏側の入口の様子がハッキリと見えた。
道の側溝から少し丸くなった三尺程の段を二段上がるとシャッターがあって、車庫兼用の物置があった。
夜の二時頃だと云うのに表で単車に乗った人が、私に仕事のことを大声で話しかけて来るのだ。
そして母がそこへ現われて何かを云い、私の友人が二人来て、私の仕事のことで早朝にお客さんのところへ行くと云い、家内は二階で大急ぎで布団を敷いている。何とも関連のない支離滅裂な話の夢だった。
夢って、古くなって捨てられたディスクの中に微かに残っていた記憶が、眠っている脳のしじまに時折顔を出し入れする現象なのだろうか。
夢やドリームと云うと未来に起こる素晴らしいことや実現したいことをあらわあらわす言葉だた思うが、寝てみる夢ではそういった夢を見たことがない。
世間では吉兆の初夢を“一富士二鷹三茄子”と云うけれど、矢張りそれも過去に見たり聞いたり、体験したことを夢に見ただけなのでしょう。
しかし、誰か富士や鷹や茄子夢を見た人に素晴らしい幸せが訪れて、そういった話が広まっていったのでしょう。夢のある話ではありませんか。
若者には大きな夢を抱いて、正夢にしてもらいたい。
人生って夢を追い掛けることかも・・・・
年寄でも夢を追い掛けるのは楽しいのものです。
その家は京の町家のように細長く、三間間口で前の通りから裏通りに抜けていた。
その家の裏側の入口の様子がハッキリと見えた。
道の側溝から少し丸くなった三尺程の段を二段上がるとシャッターがあって、車庫兼用の物置があった。
夜の二時頃だと云うのに表で単車に乗った人が、私に仕事のことを大声で話しかけて来るのだ。
そして母がそこへ現われて何かを云い、私の友人が二人来て、私の仕事のことで早朝にお客さんのところへ行くと云い、家内は二階で大急ぎで布団を敷いている。何とも関連のない支離滅裂な話の夢だった。
夢って、古くなって捨てられたディスクの中に微かに残っていた記憶が、眠っている脳のしじまに時折顔を出し入れする現象なのだろうか。
夢やドリームと云うと未来に起こる素晴らしいことや実現したいことをあらわあらわす言葉だた思うが、寝てみる夢ではそういった夢を見たことがない。
世間では吉兆の初夢を“一富士二鷹三茄子”と云うけれど、矢張りそれも過去に見たり聞いたり、体験したことを夢に見ただけなのでしょう。
しかし、誰か富士や鷹や茄子夢を見た人に素晴らしい幸せが訪れて、そういった話が広まっていったのでしょう。夢のある話ではありませんか。
若者には大きな夢を抱いて、正夢にしてもらいたい。
人生って夢を追い掛けることかも・・・・
年寄でも夢を追い掛けるのは楽しいのものです。