人は必ず死ぬ。
しかし二ヵ月足らずの間に姉と母をおくることになるとは思いも寄らなかった。
姉は三年前に癌で、後三ヵ月と診断されながら最先端医療のお陰で三年の時間を貰った。入退院の繰り返しではあったが、亡くなる三ヵ月前ぐらいまでは普通の生活送っていた。しかし一旦悪くなると、がくんと体力が衰え、点滴と痛み止めの薬で生きていると云う状態になってしまった。それでも好きな桃のジュースを力のない呼吸の中で少しづつ吸ってくれたりした。また時折妹に“恐い”と洩らしたり、旦那が見えないと、どうしたの、と問いただしたりした。だが容赦しない癌の病魔は身体の中を殲滅し、遂には胸にまで現われて、皮膚の色を青く変えた。その壮絶さに姉婿は気も触れんばかりになった。そしてその日の午後姉は逝ってしまった。この臨終に立ち会って、神や仏は何処にいるのか、と切実に思った。しかし苦痛に苛まれたにも拘らず、顔は穏やかだったのが、せめてもの慰めだった。
ところが姉の四十九日法要をすまして、姉の家に返ると、先に返っていた義兄が血相を変えて家から裸足で飛び出して来て、“お母さんが、死んだ”と叫ぶのです。
入院はしていたけれど二時間前に会って、話をし、用を足し、ベットに自分で腰をかけるのを確認して肩に触れながら、もう一度法要に行くから、と云って分かれたばかりでした。一瞬頭がこんがらがって、何を云っているのか分りませんでした。
母が死んだ?母が死んだ?何???と皆叫ぶばかりでした。そんな馬鹿な話が?
病院に確認の電話をすると、お母さんは亡くなりました、と無機質な言葉が返って来ました。オロオロしながら車に飛び乗って、黒い服のまま病院へ急ぎました。
病院に着くと、一番先に駆けつけていた弟が上履きのまま駐車場へ走り出て来て、まだ息がある、と大きく手を振りながら叫ぶのです。叩きつけるように車のドアを閉めて、二階の病室に駆け込みました。そこでは体格のいい男性の看護士の方が胸の骨も折れんばかりに押しながら人工呼吸を施していてくれました。母に駆け寄ってそれぞれが必死で呼び掛けると微かに反応が返って来るようで、少しづつ心臓の鼓動が始まりました。酸素を全開状態にして呼吸を楽にしてくれてはいるのですが呼吸は弱く、止まってしまったように思えて、詰所へ走ろうとすると、胸が少しずつ上下を始めて再び蘇生できたと思えるのでした。しかしその状態を十時間余り繰り替えしながら、ロウソクの火が揺らめきながら消えるように、呼吸が細って、息を吸う咽の皮膚の縦のへこみが微かに見えた瞬間息が切れてしまったと悟った。悲しいといった感じよりも虚脱感が襲ってきた。母はその時九十三年の人生を振返っていたのだろうか。いや恐らく自分より四十九日先に逝った娘との再会を待望んでいたのだと思った。そうでなければ彼岸へ旅立つ娘の四十九日の納骨の時間に自分の死の時間を合わせたりはしないだろう。本当に人の思いの深さに胸がつまった。顔には悲しみを見せず、胸の奥底では悲嘆にくれていたのかと思うと涙が溢れて止まらない。しかしこれで良かったのだと自分に言い聞かせて、自分自身を慰めている。それにしても四十九日の間に二人を送るのは辛い。本当に寂しい。
しかし二ヵ月足らずの間に姉と母をおくることになるとは思いも寄らなかった。
姉は三年前に癌で、後三ヵ月と診断されながら最先端医療のお陰で三年の時間を貰った。入退院の繰り返しではあったが、亡くなる三ヵ月前ぐらいまでは普通の生活送っていた。しかし一旦悪くなると、がくんと体力が衰え、点滴と痛み止めの薬で生きていると云う状態になってしまった。それでも好きな桃のジュースを力のない呼吸の中で少しづつ吸ってくれたりした。また時折妹に“恐い”と洩らしたり、旦那が見えないと、どうしたの、と問いただしたりした。だが容赦しない癌の病魔は身体の中を殲滅し、遂には胸にまで現われて、皮膚の色を青く変えた。その壮絶さに姉婿は気も触れんばかりになった。そしてその日の午後姉は逝ってしまった。この臨終に立ち会って、神や仏は何処にいるのか、と切実に思った。しかし苦痛に苛まれたにも拘らず、顔は穏やかだったのが、せめてもの慰めだった。
ところが姉の四十九日法要をすまして、姉の家に返ると、先に返っていた義兄が血相を変えて家から裸足で飛び出して来て、“お母さんが、死んだ”と叫ぶのです。
入院はしていたけれど二時間前に会って、話をし、用を足し、ベットに自分で腰をかけるのを確認して肩に触れながら、もう一度法要に行くから、と云って分かれたばかりでした。一瞬頭がこんがらがって、何を云っているのか分りませんでした。
母が死んだ?母が死んだ?何???と皆叫ぶばかりでした。そんな馬鹿な話が?
病院に確認の電話をすると、お母さんは亡くなりました、と無機質な言葉が返って来ました。オロオロしながら車に飛び乗って、黒い服のまま病院へ急ぎました。
病院に着くと、一番先に駆けつけていた弟が上履きのまま駐車場へ走り出て来て、まだ息がある、と大きく手を振りながら叫ぶのです。叩きつけるように車のドアを閉めて、二階の病室に駆け込みました。そこでは体格のいい男性の看護士の方が胸の骨も折れんばかりに押しながら人工呼吸を施していてくれました。母に駆け寄ってそれぞれが必死で呼び掛けると微かに反応が返って来るようで、少しづつ心臓の鼓動が始まりました。酸素を全開状態にして呼吸を楽にしてくれてはいるのですが呼吸は弱く、止まってしまったように思えて、詰所へ走ろうとすると、胸が少しずつ上下を始めて再び蘇生できたと思えるのでした。しかしその状態を十時間余り繰り替えしながら、ロウソクの火が揺らめきながら消えるように、呼吸が細って、息を吸う咽の皮膚の縦のへこみが微かに見えた瞬間息が切れてしまったと悟った。悲しいといった感じよりも虚脱感が襲ってきた。母はその時九十三年の人生を振返っていたのだろうか。いや恐らく自分より四十九日先に逝った娘との再会を待望んでいたのだと思った。そうでなければ彼岸へ旅立つ娘の四十九日の納骨の時間に自分の死の時間を合わせたりはしないだろう。本当に人の思いの深さに胸がつまった。顔には悲しみを見せず、胸の奥底では悲嘆にくれていたのかと思うと涙が溢れて止まらない。しかしこれで良かったのだと自分に言い聞かせて、自分自身を慰めている。それにしても四十九日の間に二人を送るのは辛い。本当に寂しい。