今夜は、前の職場に関する歓送迎の会。
出席し、いただく言葉は、ありがたい言葉ばかり。
去って行った者にとって、救われる言葉ばかりであった。
人が、人として生きている時、最もうれしいのは、人から認めてもらえ、よい評価を受けた時ではないかと思う。
その意味で言えば、今夜は、最もうれしい会であったといえるだろう。
だけど、心の中には、「おまえは、本当にその評価に値するのか?」と叫ぶ、もう一人の自分がいる。
よき人たちがいるから、自分がよき人として見てもらえているにすぎない。
自分以上によき人がいるおかげなのだ。
そんなことも思う。
でも、自分に寄って来てくれた人たちには、心からの御礼を言いたいと思った。
名残を惜しみながら、うれしい会は、3時間の時を経て終わってしまった。
4kmの道のりを歩いて帰った。
2kmほど歩いた、とある交差点で、赤信号で止まっていた車の運転席から顔を出して,私の固有名詞を叫ぶ人が、いた。
その人は、3年前の私の勤務先の名をあげ、「お世話になりました。」と言ってくれた。
「どなたですか。」と叫んだが、信号が青になり、「……です」という声は、車の音に消されてしまった。
…ありがたいと思った。
私のしてきたことを認めてくださる声であった。
人は、人として生きているうえで、認めてもらえる言葉をもらえるのは、本当にうれしいことなのだ、と酔った頭で再確認した。
私も、ほかの人のよさを認め伝えていける人でありたい。
いつもそのことを思ってはいる。
しかし、今日は、歓送迎の会といい、車から呼んでもらえたことといい、改めてそんなことを思ったのであった。
出席し、いただく言葉は、ありがたい言葉ばかり。
去って行った者にとって、救われる言葉ばかりであった。
人が、人として生きている時、最もうれしいのは、人から認めてもらえ、よい評価を受けた時ではないかと思う。
その意味で言えば、今夜は、最もうれしい会であったといえるだろう。
だけど、心の中には、「おまえは、本当にその評価に値するのか?」と叫ぶ、もう一人の自分がいる。
よき人たちがいるから、自分がよき人として見てもらえているにすぎない。
自分以上によき人がいるおかげなのだ。
そんなことも思う。
でも、自分に寄って来てくれた人たちには、心からの御礼を言いたいと思った。
名残を惜しみながら、うれしい会は、3時間の時を経て終わってしまった。
4kmの道のりを歩いて帰った。
2kmほど歩いた、とある交差点で、赤信号で止まっていた車の運転席から顔を出して,私の固有名詞を叫ぶ人が、いた。
その人は、3年前の私の勤務先の名をあげ、「お世話になりました。」と言ってくれた。
「どなたですか。」と叫んだが、信号が青になり、「……です」という声は、車の音に消されてしまった。
…ありがたいと思った。
私のしてきたことを認めてくださる声であった。
人は、人として生きているうえで、認めてもらえる言葉をもらえるのは、本当にうれしいことなのだ、と酔った頭で再確認した。
私も、ほかの人のよさを認め伝えていける人でありたい。
いつもそのことを思ってはいる。
しかし、今日は、歓送迎の会といい、車から呼んでもらえたことといい、改めてそんなことを思ったのであった。