ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「ロング・ロング・アゴー」(重松清;新潮文庫)を読んで

2019-09-04 22:57:48 | 読む
50代後半あたりから、自分の今が、自分の小学生時代とつながっているという感覚が大きくなった。
長い時間を経ているはずなのに、ほんの少し前に起こったことのように感じるのである。
そして、そのことと今が因果関係のあることのように思えたりもするのである。
そんな子どものころに経験したことと大人になってからの現在をつなげて展開される短編を6つ集めたのが、この「ロング・ロング・アゴー」である。


重松清の話には、子ども時代と大人とをリンクさせた作品が多いが、これもそういう作品と言える。
「ホラ吹きおじさん」「チャーリー」をはじめ、ほとんどの話には、「いじめ」が扱われている。
大人になった自分が、子どものころのその出来事を複雑な思いで見つめ直しながら、大人として今その思い出やかかわりのあった人々と出会う(あるいは、会えなくなっているものもあるが)。
そのことによって、物語が展開していく

昔と今のかかわりが、いかにも人生という感じで、しみじみ感じるものが多かった。
簡単に言えば、面白かった。
最後の1編は、最初の1編につながるというオチもあった。

作者のあとがきによると、本書は、前にここでも紹介した「せんせい。」の兄妹編という位置付けなのだそうだ。
そして、テーマは「再会」なのだそうだ。

「再会というのは大人の特権だ」と、作者の重松氏は言う。
そして、次のようにも書いている。

もしかしたら、年若い読み手にとっては、再会なんてピンと来ないかもしれない。
申し訳ない。
でも、それでいいんだと思う。
バイバイと手を振った友だちに明日また会えること―いまはごくあたりまえの日常が、じつはなかなかの幸せだったんだということが、いつか、わかる。


…そう。
小学生だった時代は、もう50年以上も前になってしまった。
あの頃、あんなに不幸せだったたくさんのことが、今はなんということなしに振り返ることができる。
自分の「不幸」にかかわっていた同級生たちとも笑って会えるようになっている。
ただ「懐かしい」とだけしか言えなくなっていることは、とても幸せなのだと感じる今である。
コメント
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