数日前に、マンガ「はだしのゲン」が問題視されて、広島市教委の平和学習教材から外されたというニュースがあった。
理由は、被爆の実相に迫りにくいから、だという。
原爆の恐ろしさを伝えるのに、このマンガは適してていると思うのだが、何が問題なのだろうと思ってしまう。
市教委が設置した会議では、教引用された漫画の場面が「浪曲は現代の児童の生活実態に合わない」「コイ盗みは誤解を与える恐れがある」などの指摘が出ていたという。
そうかなあ。
それらの描写自体が時代を表しているのだと思うのだがなあ。
授業で使うことで、戦争の悲惨さを知ったり、類似した作品を読むきっかけになったりして、子どもたちの学習が広がるはずだとも考える。
間もなく、ロシアのウクライナ侵攻から1年になろうとしている。
これは「侵攻」というだけでなく、間違いなく侵略であり、戦争になっている。
戦争は、人をゆがめ、人を殺すという行為が当然のこととして行われる。
人々の生活をすべて変えてしまう。
かつて日本もその過ちをおかして、多くの人が亡くなり、多くの人が悲しみ、多くの悲惨な思いを味わってきた。
私たちが生まれた時代は、今から思うと戦争が終わってから、まだ10年あまりしかたっていない時代だった。
その時代にマンガで表現する文化が発達し、私たちは、子どものころからマンガに親しんできた。
多くの楽しいマンガの中に、戦争を扱い、戦争がどれだけ悲惨なものか、を教えてくれるものもあった。
それらは、戦争を経験してきたマンガ家によって描かれていた。
だから、実体験を通してのものが多く、嘘や誇張はなかった。
中沢啓治や水木しげる、手塚治虫らの作品には、自分が味わいたくなくても味わわざるを得なかった戦争の実態が描かれていた。
だから、マンガではあっても、それらを読んで、絶対に戦争はいけないと思ったのだった。
先日、図書館からは、単行本だがマンガの本を借りてきた。
「平和をわれらに! 漫画が語る戦争」(水木しげる、手塚治虫、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎;小学館(2014年刊))
「ぼくの描いた戦争」(手塚治虫;KKベストセラーズ(2004年刊))
戦争を知る一流のマンガ家たちが描いた作品たちには、現在巷にあふれているマンガとは違い、作品自体に重みがあった。
このような、戦争を知るマンガ家たちが、次々と鬼籍に入っていく。
そのことが残念でならない。
今日も、「宇宙戦艦ヤマト」や「男おいどん」を描いた松本零士氏の訃報が流れていた。
松本氏の父は、陸軍の軍人で、フィリピンの戦線に派遣されたが、教育隊長として若者を特攻に送り出していたとのこと。
そして、終戦後、生きて帰国したが、
「あんたはなぜ生きて帰れて、部下だったせがれを連れて帰ってこなかったんだ」
といろいろな人に言われた。
その父が、深々と頭を下げて『すまん』と言っている姿を何度も見たという。
松本氏は、その父から、くどいくらい言われたのは、「もうこのような戦いを二度とやってはダメなのだ」ということ。
なぜこんなに多くの人が死んだのかいうことを、さんざん聞かされたと話していたそうだ。
彼も、平和や戦争に対する思いを抱いていたマンガ家であった。
そんな人が、また一人亡くなったのが残念だ。
戦争を知るマンガ家が描いた漫画が、どんどん見かけなくなっていく。
一方で、現在、ロシアの侵攻、中国や北朝鮮の脅威などから、平気で防衛力強化とか反撃能力強化とかの理由で防衛費予算が急激に膨らんでいこうとしている。
それにつれて、かつての戦争の怖さや悲惨さが、架空のことになっていきそうで怖いとも感じるのである。