その日、朝7時半の路面は圧雪になって凍っていた。
スピードは出せない。
場所によっては、一部とけていて、車がガタガタ揺れる。
悪路となっているから、スピードは出せず、車間距離は詰まる。
坂道を下るときには、何度も短くブレーキを踏む。
凍り付いたつるつるの路面上で、踏むたびに車は「ガガガガ」と音を立ててがんばってくれているのが分かるが、さすがに怖さがある。
怖い思いをしてまでも朝のこの時間に車を出さなくてはいけない理由がある。
世間一般の人は、出勤の時間である。
出勤、そう、つまり仕事をするためだ。
私?
いや、仕事をするのは私ではない。
私は運転手役。
助手席に乗っている人を職場に送るために、この時間に車を運転している。
今日が初出勤。
悪路ではあったが、無事に目的の場所に着くことができた。
初出勤のために助手席に乗っていたのは、…わが娘だった。
娘が、ついに社会復帰を果たす日が来たのだった。
10年前に病に倒れ、1年4か月も入院した娘。
つらくかなしくきびしかった毎日。
そのことについて、ここではずっと表題に「娘よ」をつけて書いていた日々があった。
退院以降も、ずっと自宅で療養生活が続いていた。
今回、去年の6月以来、本当に久しぶりで「娘よ」を書いている。
記憶障害は完全になくなったわけではない。
今も2か月に1度は通院し、朝晩多種の薬を服用している。
だが、日常生活における支障はかなりなくなった。
体力や運動能力も、昔ほどの動きではないがかなり回復し転ばなくなって久しい。
先日2回も雪道で転んだのは、一緒に散歩していた私の方だ。
本人にも働くことへの意欲が高まり、去年の夏ごろから、働けそうなところの求人募集を見て応募し、面接に行くなどのチャレンジを始めた。
さすがに、終日勤務はきついし、1週間(5日間)勤務もまだきつい。
だから、あまりに複雑な作業はなく、1日4,5時間で、週に何日か休めるような仕事を求めていたのだった。
やはりネックになったのは、履歴書にこの10年間の職業履歴がないことであった。
正直に病気のことを言わなければならず、それが毎回採用されない主な理由のようであった。
今回の職場にも正直にそのことを伝えたので、だめかなと思っていた。
ところが、それでも採用してくれた。
これは、障がい者枠というわけではない。
ごく一般人としての普通のパートとしてであった。
ありがたいと思う反面、いざ採用となると、本当に大丈夫だろうか、と少々心配になった。
さて、無事に勤められるのだろうか?
求められる仕事はできているのだろうか?
職場に送り届けて家に帰ってきたが、われわれ夫婦は娘のことがずっと気になって仕方なかった。
やがて、勤務時間終了の時間となるので、今度は妻が娘を迎えに行った。
疲れた顔も見せずに帰ってきた娘の顔を見て、ほっとした。
遅い昼食を食べながら、仕事の話をあれやこれやとする娘の様子に、ひと安心したのであった。
退院してから、娘は毎日を家で生活してきた。
だが、まだ真の復活ではないと思ってきた。
社会復帰できてこそ、復活。
家ではない場所で働けることは、まぎれもなく社会復帰を果たせた、と言ってよいだろう。
かつての職場で倒れ救急車で運ばれてから、長い年月だった。
あの頃は「アラサー」だったのに、今は「アラフォー」となってしまった。
後ろを向いたらきりがないが、今は素直に喜ぶことにしたい。
そんな娘の3,555日ぶりの社会復帰、復活であった。