この頃、夕方走っていると、東側に、夕日を反射して窓が金色に輝く家を見かける。
子どもの頃、小学校の国語の教科書に、「金のまど」という話があったことを思い出す。
貧しい農家に男の子が住んでいた。
毎日一生懸命働く男の子は、夕方になると、いつも丘の向こうに、きれいに光る金の窓がついた家が見えるのを、あこがれをもって眺めていた。
ある日、男の子は、よく働くので、一日休みをもらった。
男の子は、、いつも見ていた向こうの丘の金の窓の家に行ってみることにした。
川を渡るなど苦労してその家に着いてみると、どこにも金の窓はなく、ガラスがはまっていただけだった。
がっかりして、その家のおばさんに聞いてみると、「うちは貧乏だからそんなものはありませんよ。」との答えだった。
夕日を浴びたガラス窓が、金の窓に見えていただけだったのだ。
その家の女の子と遊び、金の窓の話をすると、女の子は、「私もいつも見ているわ」と指差した。
指差した向こうの丘の家は、確かに、金色に光る窓が付いていた。
しかし、それは、なんと貧しい自分の家であった。
同じように、夕日を浴びて金色に光っていたのだった。
ストーリーからすると、O.ヘンリーの書いた短編かな?と思っていたのだが、ネットで見つかったのは、違っていた。
「岡の家」という題で、日本人、鈴木三重吉の書いたものであった。
国語の教科書だったから、多少は改作されたのかもしれない。
だいたい、「岡」なんて字は、小学校で習わない。
「おかの家」というのではなく、あくまで「金のまど」という題だったように記憶している。
それにしても、小学校の教科書にあったものが心に残っているなんて、やはりこの物語のどんでん返しが、子ども心にとても印象深かったのだろう。
今日も「金のまど」を思い出しながら、夕方6日ぶりに11kmのジョギングをしてきた私であった。
なお、今回の写真は、すべてひと月ほど前のものです。
子どもの頃、小学校の国語の教科書に、「金のまど」という話があったことを思い出す。
貧しい農家に男の子が住んでいた。
毎日一生懸命働く男の子は、夕方になると、いつも丘の向こうに、きれいに光る金の窓がついた家が見えるのを、あこがれをもって眺めていた。
ある日、男の子は、よく働くので、一日休みをもらった。
男の子は、、いつも見ていた向こうの丘の金の窓の家に行ってみることにした。
川を渡るなど苦労してその家に着いてみると、どこにも金の窓はなく、ガラスがはまっていただけだった。
がっかりして、その家のおばさんに聞いてみると、「うちは貧乏だからそんなものはありませんよ。」との答えだった。
夕日を浴びたガラス窓が、金の窓に見えていただけだったのだ。
その家の女の子と遊び、金の窓の話をすると、女の子は、「私もいつも見ているわ」と指差した。
指差した向こうの丘の家は、確かに、金色に光る窓が付いていた。
しかし、それは、なんと貧しい自分の家であった。
同じように、夕日を浴びて金色に光っていたのだった。
ストーリーからすると、O.ヘンリーの書いた短編かな?と思っていたのだが、ネットで見つかったのは、違っていた。
「岡の家」という題で、日本人、鈴木三重吉の書いたものであった。
国語の教科書だったから、多少は改作されたのかもしれない。
だいたい、「岡」なんて字は、小学校で習わない。
「おかの家」というのではなく、あくまで「金のまど」という題だったように記憶している。
それにしても、小学校の教科書にあったものが心に残っているなんて、やはりこの物語のどんでん返しが、子ども心にとても印象深かったのだろう。
今日も「金のまど」を思い出しながら、夕方6日ぶりに11kmのジョギングをしてきた私であった。
なお、今回の写真は、すべてひと月ほど前のものです。
光ってる時があります。
言われてみれば金色のような色に見える時も
あるような???しかし、私の家の窓ガラスは
近くで見るとお掃除してなくて 白く汚れているのに ガッカリするだけだけど。
憧れと現実。
国語力のない私には、先生には聞けないけど
深い意味があるお話なのかな?
なるほど。
自分は、あんまり深い意味とか考えたことがなかったなあ。
単純にストーリーが面白かったのですね。
でも、このお話から、
○ 憧れを求めて行動してみる
○ その憧れがかなわなくても、行動してみたことによって、新たな希望が見つかる
…なんて意味が、考えられるかもしれませんね。
何回読んでも懐かしくなる話です。
国語の教科書の読み物って、記憶に残りやすいことがあるかもしれませんね。
そういう意味では、人生に影響を与えることもある、かもしれませんね。