今日1月11日は、鏡開きの日。
飾っていた鏡もちを下げて、割って食べるという日。
もっとも、「割る」とか「切る」とかいう表現は、縁起が良くないということで、「開き」という言葉を使うようだが。
鏡開きと言っても、わが家では、最近は本物の鏡もちはお供えしていない。
まあ、多くの家でそうなのじゃないかな。
その代わりに、市販品の鏡もちのセットを床の間に飾っているというわけだ。
実は、そのセットも、もったいないので大切に保管しておいて翌年もそのまた翌年も使っている。
けれども、資源の有効活用、リユースと言うことで、神様お許しを。
そんなわが家でも、今日は鏡開き。
セットの中に入れておいた切り餅を取り出していただくことにする。
切り餅をちぎったものを、味噌汁の中に入れて、夕飯でいただいた。
ついでに、神棚に供えてあった、お神酒も開けることにした。
年末から年始、胃腸の調子がよくなかったから、この酒好きな私が、年が明けてからまだ日本酒を飲んだことがなかったのだ。
お神酒として入れていた、村上の銘酒「〆張鶴」を、燗をしていただいた。
鏡開きは、日本の伝統行事であろうが、子どものころまではそのような年中行事はしっかりと行われていた。
それが、私たちが大人になるにつれて、大人として時間を過ごすにつれて、省略したり忘れたりしてきたように思う。
そう思うと、自分たちが、面倒くさがったり意識しなかったりしたことによって、なんだか、とても大切なものを失くしてきたような気がするのだ…。