ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

久々にレース独特の苦しみや楽しみを味わえたのは、大会があったからこそ ~燕さくらマラソン出場記3(最終)~

2021-04-20 16:14:18 | RUN
いよいよ残り5km。
自己ベストを出した2年前の新潟ハーフマラソン大会では、ここからペースを上げていく底力があった。
今日も行くぞ!
気合を入れた。

ところが、土手の道は、少し向かい風となっていた。
そのうえ、雨が強くなってきた。
まっすぐ続く土手道は、風雨をさえぎるものがない。
腕や脚が冷え切った。
脚全体に疲労感が広がり、思ったように走れない。
心の中で、「リズム、リズム」と唱えながら、腕と足のリズムが乱れないように前を目指した。
SIさんと2度目のすれ違い。
「早いね!」と声をかけてもらったが、「いやあ。疲れてます。」と正直に答えた私だった。

2年前は練習が足りていたから、ここから上げていけた。
だが、今回は足をはじめ体のあちこちに痛みが生じることもあり、練習量は極端に少ない。
だから、そのツケが来た。
おまけに、スタートしてからの5分台前半のペースは力をセーブしたはずだったが、今の自分には速すぎたのかもしれない。
「苦しくなったら腕を振れ、腕を!」
かつて小出監督は高橋尚子にそう教えたそうだ。
その話を思い出し、懸命に腕を振った。

しかし、スピードは上がらない。
上げているつもりでも、ウオッチの数字は速さが落ちていることを示していた。
⑰5分34秒/km ⑱5分37秒/km ⑲5分37秒/km
今までこの土手道を来るときに何人か抜いてきたが、抜いてきたはずの人たちに再び抜かれるようになってしまった。
悔しいが、これ以上無理にスピードを上げると、もうゴールまでもたなくなってしまう。
腕は振っていたが、6kmほど前に抜いてきたあの黄色いアシックスTシャツの男性に並ばれ、やがて抜き返された。


土手道から一般道を進むときに、さっきも応援してくれた年輩の男性や女性たちが再び声援を送ってくれた。
ありがとうございます!
温かい人たちだなあと思いつつ進み、一般道から土手道へ最後の上り。
黄色いアシックスTシャツさんには、もう追いつけないが自分なりに最後のベストを尽くそう。

20kmでは、5分50秒/km。
あと1kmと思いつつ、余力がない。
いつもの練習では、最後の1kmくらいは上げて4分40秒/kmくらいで走れるのに、今回は5分31秒/kmが精いっぱいの走りだった。

最後に、水がたまったり流れたりしている中を、ゴール!

ついに、久しぶりにハーフマラソンを完走することができた。
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、脚ナドノミニモ負ケナイ…
…で、ゴールにたどり着くことができた。
タイムは1時間52分を回っていたが、フィニッシュ地点では満足してガッツポーズが出た。

すると、例の黄色いTシャツ男性が近づいてきて言った。
「ありがとうございました。あなたをターゲットにして走ることができました。」
そうかあ。
私も、よくそうやって走っていたものなあ。
この人についていこう、この人をターゲットにして走っていこう、と決めて走っていくと、思っているよりがんばることができ、よい記録をマークすることができるのだ。
「いやあ、こっちこそ。ありがとうございました。」
こんな交流ができるのも、レースのいいところだ。
久々にこういう交流を味わうことができた。
大会に感謝!

体全体が疲れていて、手も震えているから、靴に付けた記録用タグを外すのにも時間がかかった。

それでも、気持ちは達成感に包まれていた。
1年3か月ぶりのレース。
風雨、そして寒さ、足の痛みという悪条件はあったが、21kmを走り切れたのだから、いいことにしよう。
感染症対策でマスクをいただいた後、降り続く雨の中で記録証をもらうために並んだ。
ちょっと寒さを感じてきた。
先に記録証をもらった黄色いTシャツ氏と目が合い、もう一度互いに「お疲れさまでした」と声をかけ合った。
寒いけど、さわやかな気分になった。

記録証をもらうときに、係の方は丁寧に透明な袋に入れてくれて、「お疲れさまでした」と言うので、「こちらこそ、いろいろと大変な中で大会を行ってくれて、本当にありがとうございました。」と頭を下げた。


手荷物預かりから荷物を持ち出し、息子とスマホで連絡を取り合って、合流した。
息子は、2分近く自己ベストを更新できたと喜んでいた。
急に体が冷えてきた私は、歯がガチガチいい、体はガタガタ震え始めた。
上半身の分だけは着替えを入れてきたので急いで着替えたが、それ以外は車の中に置いてきてしまったので、ずうっと震えていた。

降り続く雨の中を2人で駐車場に戻って、車の中で着替えようとした。
だが、体が疲れていて、足や腕を伸ばしたり縮めたりするたびに、あちこちがつってしまい、痛くて大変だった。
やっとなんとか着替えに成功した。

それでも、これが大会のレース参加だよなあ、こういう痛みや大変さを味わえるのも大会に参加したからだよなあ、と満足感にひたった。
車の中を暖房で暖め、持ってきたパンを食べて熱量を補充。
やっと人心地がついた。

64歳になってからの初レース。
燕市の大会関係者の皆さんが、感染症禍にあってもその対策を考えつく限り万全を期して行ってくれ、大会を開催してくれたから、貴重な体験をすることができた。
そして、なんとか大会を成功裏に終わらせようと努力しているのが伝わってきた。
私の次の大会出場予定は決まっていないが、燕さくらマラソンで行っていた感染症対策は、他の大会でも開催のために参考にできるのではないかというものが多かった。
燕さくらマラソン大会関係者の皆さん、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。


…大会から3日たった。
事務局と参加者との約束(?)で、大会後2週間の健康チェックも義務とされている。
だから、今日も体温を測って記録するとともに、体調に異変がないかをチェックしている。
あれほど震えたゴール後だったが、幸い風邪をひかなくてすんだようだ。
明日以降も、2週間が経過するまでちゃんと体温計測と健康チェックは怠らなくしていくつもりである。
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足の痛みに負けずに走り続けた~燕さくらマラソン出場記・その2~

2021-04-19 20:35:50 | RUN
この時点では、幸い雨は、そんなに強くない。
川沿いの道の風も、そこまで強いと感じるほどではない。
5kmまでの2kmは、5分14秒/kmと、少し落ち着いた。
折り返しを過ぎたランナーたちが、すばらしいスピードで行き交っていった。
しばらくすると、同じレースに参加している息子も、いい感じで走ってきた。
私に分かるようにと、手をたたきながら走ってきて、「がんばろう」の意味を込めて、互いに片腕をあげて通り過ぎた。

5kmで初めての給水地点、給水のテーブルの上には、紙コップにふたをしたものが並べられた。
ランナーが飲むときには、ふたを外して飲む。
紙コップもがっちりしたもので、想像していたものよりもかたくしっかりしていた。
これも、感染症対策の一つと感心した。
置いてあったのは、スポーツドリンクと水しかなかったが、これも仕方ないだろう。


折り返し点を写真に撮ろうとスマホを取り出したとき、ポケットから塩分ミネラル飴を1個落としてしまった。
ああ、もったいない。
そう思いながら折り返し点を回り、今来た道を戻りはじめたとき、落とした飴が目に入った。
ランナーに邪魔にならないようにしながら、飴をしっかり拾っていった私だった。

さっそくその飴をなめながら、5km走って久々の走りだけどいい感じだな、と思っていた。
それが急に、懸念していた右足アキレス腱付近に鈍い痛みを感じ始めた。
その痛みが少しずつ大きくなってきた。
まだ残り16kmもあるのに、ちょっときつすぎる。
この痛みは自分で何とかするしか仕方がない。
まずは、我慢するしかない。
そして、足首への負担が大きくならないように、ストライドを狭めて走るようにした。
そのせいで、少しだけ痛みは改善され、なんとか走り続けられるようになった。

近郷の大会でいつも会っていたSIさんがこちらに走ってくるのが見えて、声をかけた。
気付かないのでもう一度「Iさん!」と呼ぶと、振り向いて手を振ってくれた。
彼とは、前回最後のレースとなった去年の村上市元旦マラソン以来の出会いだ。
いつもハーフマラソンのレースでは、私の前を行っていた彼だったが、今日は遅い。
やはりこのCOVID-19 感染症禍で、彼の走りにも影響が出ているのだろうか?

痛みのせいで6km地点では5分22秒/kmに少し落ちたが、幅を狭くしてピッチ数を増やすように走りを工夫してから、いくらか改善することができた。
⑦5分14秒/km ⑧5分17秒/km ⑨5分13秒/km ⑩5分19秒/km

川沿いの道を戻るときには、川の向こうに国上山と弥彦山が雲に包まれて見えた。
高くない山ではあるが、2つとも何回か登った山。
向こうからがんばって走っている自分を励ましてくれているような気がして、なんだかうれしかった。

再び堰の橋を渡り、10kmの給水地点を過ぎると、まもなくスタート地点になる。
やっとこれでまだ半分くらいか。
11kmでは、5分27秒/kmにペースは落ちていた。
足の痛みがこれ以上ひどくならず、最後までもってくれるといいな。
そう思いながら走っていると、スタート地点周辺の数百メートルの間、道端には菜の花が満開で咲いていたのだった。


雨の中、その明るい輝きは、疲れてきた私の心に、ぱあっと文字通り花が咲いたようなきらめきをもたらしてくれた。
すごく元気になれたのだ。
足の痛みがもつかどうか、じゃなくて、あと10kmがんばって走り抜こう!
という前向きな気持ちになれた。
そして、大会関係者やボランティアの方々と思われる人たちが、マスク姿で拍手したり「がんばって」と言ったりしてくれた。
「ありがとうございます!」と小さく口にし、走り過ぎた。

その先1km余りは、上の写真の通り、土手上ではなく少し下の側道を走る。
そこを下って行くと、普通の道路を一部走る。
沿道から応援の拍手を送ってくれる市民の方が何人かいた。
これまたありがたいものだなあ、としみじみ思った。

まもなくまた道は土手上に上がっていく。
国上山と弥彦山が前よりうんと近くなって見えた。

40年近く前、毎日通勤して見ていた山々だ。
あの頃、まさか40年もたってから近くをこうして走るとは思ってもいなかったよ。

練習不足はあるが、とりあえず16km付近の折り返しまでは、このペースを維持していこう。
そう思って進み、黄色いアシックスTシャツの白髪男性を抜いて行った。
⑫5分21秒/km ⑬5分13秒/km

やがて、2つ目の折り返しをして走ってきたランナーたちと2度目のすれ違いをする。
1位はすごい速さだ。
先ほどのすれ違いと違って、ランナー間の距離が空いていた。
そして、何人ものランナーが過ぎていき、まだかまだかと思って前方を見て走っていると、ようやくアルビレックス新潟レプユニの息子がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
また拍手をしながら近寄ってきた息子と、互いの健闘を祈りつつ通り過ぎた。
その後なかなか折り返し点に近付かないと感じたということは、息子との距離が開いたということか、と納得しながら前方を目指した。

ようやく2つ目の折り返し点に近付いた。

この先の三差路を左折していくと、かつての通勤ルートとなるはず。
これまた懐かしいが、残念ながら折り返しだ。
あと残り5km。
ここから先の距離は、一昨年の7月に走って以来2年近く走っていない距離。
練習不足の体だし、足の痛みもあるが、今までの大会でハーフマラソンを何度も走ってきたのだから、大丈夫、と自分を励ました。
⑭5分24秒/km ⑮5分18秒/km ⑯5分22秒/km
まだ、なんとかペースは維持できていた。

(つづく)
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1年数か月ぶりにハーフマラソンのレースを走る~燕さくらマラソン出場記・その1~

2021-04-18 21:52:40 | RUN
燕さくらマラソン大会。
今日でなくてよかった。
今日の天気のひどいこと。
昨日以上に、気温が低い。雨が強い。風がものすごく強い。
これであの川沿いの土手道を走らされたら、ひとたまりもなかったことだろう。

…で、そのマラソン大会の出場記をつらつらと以下に書いていくことにする。

久々のレースに参加した。
レースを走るのは、去年の1月1日の村上市元旦マラソン大会以来、約1年3か月ぶり。
あの大会での出場は、10㎞だった。
この燕さくらマラソンのエントリーは、ハーフマラソン。
大会でハーフマラソンを走るのは、2019年の6月、関川マラソン大会以来なので、
およそ1年10か月ぶり。
あの頃はしっかり練習を積んでいたので、あの激坂のアップダウンであっても、1時間50分を切って走ることができた。

でも、今は違う。
体のあちこちに生じる痛みと、大雪、2か月間の仕事の忙しさなどを理由にして、前のように走っていない。

年が明けてからここまでの、毎月の情けない走行距離と回数。
1月 2回 計15km
2月 4回 計46.5km
3月 3回 計33km
4月 3回 計38km

だから、今の実力では、ハーフマラソンの距離を1時間50分で走りたくても走れないだろうなと思った。
そんなことで、2時間を切れるスピード、とりあえず1kmあたり5分30秒~6分で走れればいいのじゃないかと思ったのだった。

駐車場に着いたが、あいにくの雨はおさまらず、降り続いていた。
この駐車場になった場所は、40年前は松下電工の工場があったはずだが、今は、「パナソニック」に名前が変わっていた。
傘をさして、大河津さくら公園まで歩いていく。

その入口には、燕さくらマラソンののぼりが立てられていた。

雨の中だけど、菜の花の黄色い明るさが、気持ちを明るくしてくれた。

受付の手前で、アルコール消毒のスプレーをし、決められた場所を通って検温合格。
受付で、この1週間の体温と体調を記録した用紙を提出した。
テントの下を歩いてたどるという動線が敷かれていた。
参加賞を受け取ると、主な1つはヤクルト社のスポーツドリンク。
そうか。燕市とヤクルトスワローズがツバメつながりがあるからね。
そして、もう1つが、大きなスプーン2つ。
燕は、洋食器の生産で有名な街。
それをアピールする意味でも、よい品を参加賞にするとは、グッジョブです!

手荷物預かりも、ナンバーシールを付けた袋に荷物を入れて預けるだけでなく、テントの下の棚が林立する所で空いている場所を教えて、ランナー自身で置くようにするという面白い方法だった。
私は、ここで大きな失敗をしてしまった。
寒さに備えて、アームカバーを持ってきたのに、久々のレースの緊張からか、付けないまま荷物を預けてしまったのだ。
その失敗に気づいたのは、レース10分前までの整列に備えて場所を移動し、スタート地点に移動した後だった。
寒いからアームカバーを付けようとしたら、ポケットに入れ忘れていたのだ。
不覚であった。

指定場所に並んだのは15分前だったが、私が並ぶCグループでは、私が一番乗りだった。
しだいに人が集まってきて、時間になると、A,B,C,Dの順に1分ずつの時差スタートとなるのだった。
だから、A,Bがスタートして、Cグループの出発の時になると、目の前には誰もいないところからスタートすることになったのは、新鮮な感覚だった。



走り出すと、Cグループのメンバーとはいえ、次々と後ろから私を追い越していった。
追い越して前にいく人たちの、今日のやる気を感じた。
1kmほど走ると、堰の橋を渡った。


そして、信濃川の流れと並行して走る川堤の舗道をずっと行くのだった。


実は、最初の3kmが5分6秒、5分7秒、5分11秒。
走り出しではおさえたつもりだったが、それでもほかのランナーたちの速さと、自分でもアドレナリンがふき出したことのためか、思っていたよりかなり速い走り出しとなってしまった。
でも、今まで走ったレースでは、このくらいのラップタイムは決して速いとは言えないタイムであった。
だから、今までに比べて極端に速いわけではないからこのまま行こう、と思ってしまった。

たぶん、それが後からツケが回ってくることにつながったのだろう。(つづく)
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1ー0だったけど、快勝!…のホーム金沢戦

2021-04-17 20:58:40 | アルビレックス新潟

サッカーJ2リーグ第8節。
首位アルビレックス新潟は、3位ツエーゲン金沢と対戦。
金沢を率いるのは、ヤンツーさんこと柳下監督。
2012年に奇跡の残留を果たしたときには、大変お世話になりました。
そのときやその後に、新潟がJ1で勝てるサッカーを追求してくれた感が強い。
金沢も、彼を監督に迎えてから、着実に力をつけてきている。
だから、今季ここまで3位でいる。
あなどれない存在だ。

燕さくらマラソン大会に参加してきたことによって、スタジアム到着は少し遅れた。
マラソン大会が雨に濡れながらだったことと、1年3か月ぶりのレースだったことや、練習不足で臨んだことなどによって、体がガタガタになってしまった。
ゴールしてからは、寒さでガタガタ震え、歯がガチガチいう上に、駐車場に戻って車の中で着替えようとしても、服を脱ごうとするだけで、体のあちこちがつってしまって大変だった。
着替えに予想以上に時間がかかってしまったのだった。
高速を使って、P4駐車場に着いたのは、もう試合開始まで何分もなかった。

スタジアムに着くと、座ろうにも座席がない。
雨が落ちてくる天気だったので、屋根のある座席は埋まっていたのだった。
しかし、冷え切った体では、雨の当たる座席には行く気になれなかった。
幸い、雨の当たらないところに、離れて2つの座席を見つけた。
息子と分かれて座ることによって、とりあえず濡れずに観戦することができた。

さて、試合は、互角の展開だった。
新潟が、ボールを支配しようとするのだが、金沢が強いプレスをかけてくる。
特に、高木善朗と本間至恩には仕事をさせないように、きつくいっていた金沢だった。
新潟が、セカンドボールをことごとく奪うのだが、なかなか効果的な攻撃を展開できないまま、時間が過ぎていく。
そんな感じだった。
前半最後のプレーで、金沢のシュートがゴールネットを揺らしたかに見えたが、それはオフサイドだと断言できるものだった。
0-0で後半へ。

後半は、新潟のボール支配がさらに金沢を上回る。
チャンスは、圧倒的に新潟が多かったのだった。
しかし、そんななか、体幹の強さを見せていたロメロフランクが、相手との接触で動けなくなった。
ロメロに代わって入ったのが、久々にベンチ入りした矢村健だった。
その交代が当たるのだから、新潟の好調さがうかがえる。
藤原の靴ひもが切れてピッチ外に出たために、新潟が一人少なくなって不利なときに、前線で得たボールを、本間至恩から矢村健にラストパス。
矢村が、冷静にシュートを決め、新潟が先制した。

矢村、ホーム・ビッグスワンで初得点!


たったの1点だが、この優位を保てるのが、今の新潟。
金沢が、前線にボールを放り込む作戦に出たが、新潟はそれをはね返し続けた。
今の新潟は、誰かがミスをしても、ほかのチームメートがみんなでカバーして、失点につなげないようにすることができている。

そのうえ、交代メンバーが決定的な仕事をするという、この頼もしさ。
王者の余裕ともいうべきチームのしたたかな強さを感じることができたゲームだった。


新潟のボール支配率、驚くべき74%。
新潟のシュート11本、金沢2本。
1位が3位を見事にはね返した一戦であった。


相性がよいとは言えなかった金沢の柳下監督に、「新潟につけ込む隙がなかった」と言わしめたゲームとなった。
しかし、今後の2試合は、水曜と土曜の試合で、それもアウェイが続く。
しかも、やはり相性がよくない栃木SCと愛媛FCが相手。
だけど、今の新潟なら、苦手相手でも、したたかに戦えるのではないかと思っている。

今日は、鈴木孝司が先発もベンチ入りもしないという日だった。
試合中にロメロが負傷退場したが、歩けない状態で担架に乗せられて運ばれていったのが気がかりだ。
そんな状態でも、勝ったのだから、チーム力は上がっているはず。
これからも、アクシデントに負けないで補い合っていけるだろう。

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明日は、1年3か月ぶりのRUNの大会だ

2021-04-16 21:53:01 | RUN

いよいよ明日は、燕さくらマラソン大会当日を迎える。
様々な感染症対策を施して行われるこの大会があることは、本当にありがたい。
多少心配なのは、天気の方。
1日雨で、スタート時も雨、気温13℃、風速2mとのこと。
齢を重ねた身には、ちょっと厳しいかもしれないが、がんばろう。

スタート・ゴール地点となるのは、大河津分水さくら公園だ。
その名の通り、大河津分水の川沿いの道を、最初は上流方面へ走り、折り返した後、今度は下流方面へと走る。
そして、再び折り返して戻って来るというコース設定になっている。

この地域は、旧分水町の地域に当たる。
ここでは、春の桜のきれいな時期に「おいらん道中」が行われることでも知られている。私が結婚したのは、39年も前になるが、最初にアパートを借りて住んだのが、実は、この旧分水町であった。
おいらん道中は見に行ったこともあったが、このさくらマラソンは、あの当時はなかったはずだ。
そう思って大会の名称を見てみると、「第32回」と書いてある。
そうか。やはりあの頃はなかったのだな。

去年、この大会があることを知って、土地名が懐かしいので参加しようと思った。
ハーフマラソンにエントリーはしたのだが、感染症の拡大で、大会が中止になってしまったのだった。
今年も中止かなと思っていたら、参加案内が届いたので、ならばと去年同様にハーフマラソンに参加申し込みをした。

大会に参加するのは、去年の正月の村上市元旦マラソン大会で10kmを走って以来1年3か月ぶりのことになる。
それ以降、エントリーした大会や参加予定だった大会すべてが開催中止になっていた。
だから、私は、63歳で大会を走ったことは一度もないまま、64歳を迎えてしまった。
今回が、64歳になって初めての大会になる。

ただ、走らなかった63歳の間に、ずいぶん体のあちこちに痛みがあるのが普通になってしまった。
まずは腰痛。寝ているときに左腰が痛くて、腕の支えがなくては寝返りが打てない。
昔から弱かった頸椎も、時々首痛を誘う。
2か月ほど前からは、右足アキレス腱付近に痛みがあり、朝は歩き出しが少し怖い。
だから、最近また使うようになった足首&ふくらはぎサポーターを使用する予定。
ほかにも、数日前は、右ひざがバキッと音を立てて痛みが走った。
そんなこんなで、走るのは週に1回くらいになってしまっている。

まあ、こんなふうに齢とともに体にガタが来るものなのだな、と思う。
だからこそ、それでもまだなんとか走れそうな今を大切にしたいのである。

そんなわけで、明日は、記録に挑戦するわけではなく、久々にレースができることや、昔住んだ町の思い出に浸れることを楽しみながら走ろうと思う。
まあ、1km5分30秒から6分くらいのペースで走り通し、2時間を切れればいいかな。

ゴールした後は、ホーム・デンカビッグスワンスタジアムでツエーゲン金沢と戦う、アルビレックス新潟を、満たされた気持ちで応援しに行くのだ。
そちらの一戦も、大いに楽しみ、満たされたいものだ。

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カタクリの花をたくさん見て、個性的な花の発見を楽しむ

2021-04-15 20:05:26 | 草木花
先日、カタクリの花見に出かけてきたことを書いた。
普通のカタクリの花もきれいなのではあるが、去年、カタクリのシロバナを見たら、珍しさに目を奪われた。
今年同じ関川村鷹ノ巣キャンプ場に出かけてカタクリの花見をしながら、シロバナのカタクリを探したのは、言うまでもない。
シロバナのカタクリは、先日書いた通り、1本だけを見ることができた。


シロバナは、なかなか珍しいものだなと思った。
しかし、シロバナを探しているうちに、ほかにも味わいのある模様のカタクリの花を、いろいろと見つけることができた。
最初に、このかすれた感じがすてきなカタクリの花。

元々の赤紫の花びらがうすくかすれているのが、何とも味わい深い。

そして、次に、このぶちのような模様がある花。
青白っぽい花びらに、濃い青のぶちが出ている。
なかなか面白い模様だ。


そして、これは、花びらの中央付近が白くなっていて、両端はピンクにかすれたような模様になっている花。
この模様がまた淡く美しい。


そして、青紫のカタクリの花。
普通は赤紫が濃いのだけれど、この花は、うすい青紫。


こんなふうに、カタクリの花も探してみると、濃淡、かすれ、模様などを多用に楽しむことができた。


カタクリの花ってこんなもの、と決めつけないで探してみると、個性的なものがいろいろと見つかり、面白いものだなあ。


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阪神も新潟も、新旧の戦力がかみ合って、開幕ダッシュに成功

2021-04-14 20:55:03 | スポーツ
スポーツ観戦が好きな私。
ひいきにしているのは、サッカーではもちろん、アルビレックス新潟。
開幕ダッシュに成功して首位。
だから、毎試合が非常に楽しみだ。

同様に、野球でもひいきのチームが、首位を走っている。
どのチームかというと、セントラル・リーグの阪神タイガース。
昨日まで11勝4敗で、8勝6敗の2位広島に2.5ゲームの差をつけている。
(阪神は、今日広島との直接対決に勝って、さらに差を大きく広げた。)

阪神タイガースとアルビレックス新潟との類似点を感じることもある。
まずは、開幕ダッシュに成功したこと。
そして、旧戦力と新戦力の融合だ。
サッカーと野球の違いはあるが、どちらも、旧戦力に加え新戦力がよくはまっている。
アルビレックス新潟では、FW鈴木孝司、MF高宇洋、DF藤原奏哉、DF千葉和彦たちが、開幕からずっと活躍している。
その活躍を支えているのは、去年からの残留選手たち。
それでいて、MF高木やMF本間至恩など去年以上に活躍している。
去年から志向していたサッカーに、旧戦力も新戦力もマッチして試合をしているということだ。

プロ野球の阪神タイガースも同様に新戦力の活躍が言える。
ドラフト1位で注目された佐藤輝明選手は、打率こそ上がっていないが、時折打つホームランは、大きな魅力だ。
これからさらに力をつけ、もっと打つようになるに違いない、と期待できる存在だ。
新人では、バットでしぶい働きをする中野拓夢、初先発で巨人相手に勝利を挙げた投手で伊藤将司らがいる。
巨人から移籍してきた山本がさよならタイムリーを放ったこともあった。
阪神は、去年に上乗せして実力がついていると思わせる戦いぶりをしているのが、非常に頼もしい。

アルビレックス新潟でも阪神タイガースでも、前年にかつやくし、今年の活躍も期待していた戦力が、それを裏切らない成果を見せている。
その躍動する姿が頼もしい。

本来ならば、熱狂的なファン・サポーターが応援することでも共通点がある両チーム。
だが、今年もCOVID-19 感染症下のシーズンとなり、十分な声援を得られないのは、残念な限りだろう。

だが、このまま突っ走って、両チームとも、今シーズンの優勝という栄冠を獲得してほしい。
それが十分に期待できる開幕からここまでの戦いぶりだ。

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カタクリの花見に出かける ~関川村鷹ノ巣キャンプ場~

2021-04-13 17:42:21 | お出かけ
毎年カタクリの花見に出かけている、関川村鷹ノ巣キャンプ場。
どうやら、埼玉に行く直前のころから見ごろを迎えていたようだった。
埼玉から戻って、「にいがた観光ナビ」で調べると、カタクリが見ごろだというので、出かけてきた。
行ってみると、残念ながら、かなり多くの花がピークは過ぎていた感が強かった。


それでも、まだ咲いているものの中には、きれいなものも多く見つけられた。

行った日は、青空で好天。
太陽の陽射しを受けて咲くカタクリの花は、輝いて見えた。

やっぱりきれいだよなあ。
カタクリの花が咲いている姿には、心がひきつけられるものがある。


去年シロバナが咲いていた辺りで、今年も咲いていないか探してみたが、1か所は見つけられなかった。
だが、もう1か所では、1つだけ咲いているのが見つけられた。

誰か親切な人が、見つけやすいように花の後ろに細い木の枝を立ててくれていたようだ。

とてもありがたい配慮だと思った。

このほかには、よい天気だったので、ミヤマカタバミもたくさん開いていた。

天気がよくないと、ちゃんと開いていないのである。
首を下げているのではなく、上を向いて開いているものも、あちこちで見受けられ、とてもうれしかった。

この白くてかわいい花は、私のお気に入りの花なのである。

また、ミズバショウが生えている場所を初めて知った。


ただ、いつもキジムシロやイカリソウ、ヒトリシズカなどを見つける、日当りのいい場所が、立入禁止になっていて、行くことができずに残念だった。

それでも、まるでサービスしてくれたように、1か所だけヒトリシズカが咲いているのを見つけることができた。

ありがとう。

入口のつり橋の手前には、桜が咲いていた。

私が住むところではもう花は散ってしまったが、こちらは山の方だから、少し遅れてさいているのだな。

高瀬温泉近くでは、桜並木が満開となっていた。


長い冬を乗り切り、花が次々に咲く。
私には、カタクリの花が咲く頃が、一年でもっともうれしい季節だと思えるなあ。
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松山英樹偉業達成 マスターズで日本人初優勝

2021-04-12 20:43:43 | スポーツ
今日の一番は、やっぱり、松山英樹のマスターズ優勝だ。
朝、テレビをつけてみたら、単独首位をキープし、2位以下に5打差をつけていた。
昨日も、中継を見ているうちに、どんどんスコアを伸ばしていたが、今日もそうなのか、と思って見ていた。
すると、さすがにそう甘くはなかった。

特に、15番ホールでは、第2打を池に入れてしまい、ボギーにしてしまった。
一緒に回る2位のシャウフェレは、バーディーを取って、2人の差は一気に2にまで縮まった。
どうなるかと思ったら、次の16番ホールでシャウフェレが池に入れてしまい、トリプルボギーをたたいてしまった。
これが、松山には幸いした。
多少でも、心の動揺を鎮めることにつながったことだろう。

そして、貯金を吐き出しながら、最後は1打差で優勝を手に入れた。

この優勝は快挙以外の何ものでもない。
「マスターズ」は、トップ・オブ・トップの世界中のプロが集まるゴルフの最高峰の大会である。
出場することだってなかなかできない大会。
招待を受けなくては、出場できない。
その大会での日本人初優勝である。
私たちの世代では日本のトッププロであった尾崎も、青木も、中島も、誰もその栄誉を手にすることができなかった。
日本人のゴルフを愛する人たちにとっては、優勝は、「夢のまた夢」であった。

日本人のプロ選手たちがずっとあこがれ続けてきた栄冠。
いったいどれだけの日本人プロが、この舞台に立って挑戦し続けてきたことだろう。しかし、
日本人プロでは今まで4位が最高だった。
優勝争いすることだって、簡単なことではなかったのだ。

だから優勝が決まると、放送で実況していたアナウンサーや、解説をしていた中島常幸、宮里優作らも、みんな泣いているのが分かった。
マスターズの優勝がどれだけの偉業なのか、みな知っているのだ。
その栄冠を目指してかつて戦ったからこそ、実際に勝ち取ることの難しさを知っているからこそ、同じ日本人の偉業がうれしくて泣いてしまうのだ。
それが伝わると、こちらまでもらい泣きをしてしまった。

松山英樹の優勝は、日本人初というだけでなく、アジア人初でもあったという。
今、アメリカでは、アジア系の人たちへのヘイトクライムが問題となっている。
松山やそのキャディを務めた方たちの礼儀正しさも、さっそく話題になっているらしい。
スポーツが伝えてくれる、人の偉大さ・すばらしさは、周囲の人たちにも影響を与えてくれる。

松山のこの偉業は、日本人として、本当に誇らしい。
そしてこの優勝が、日本を、世界を、何らかの形で変えていってくれることにも期待したい。

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うまくいかない試合も、終わってみれば2-0で勝利! ~アウェイ山形戦~

2021-04-11 18:32:25 | アルビレックス新潟


サッカーJ2リーグ第7節。
アルビレックス新潟は、アウェイでの、隣県モンテディオ山形戦。
J1時代の夏に、山形まで行ってアウェイ戦での勝利を見届けて帰ってきたことがあったのは、懐かしい思い出だ。

感染症流行下でなければ、車を飛ばして応援に行きたいところだ。
しかし、山形県も新潟県も、今までになく感染者数が増加中。
今は無理していくところではないだろう。

さて、対戦相手の山形は、シーズン前の評判は高かったのだが、前節まで1勝3分け2敗と波に乗り切れていない。
5得点5失点と、新潟と失点数は同じだが、新潟の19得点と比べると、ゴール数が少ない。
直近の2試合は連続無得点となっている。
それでも、FWのアラウージョは得点力があるので怖いと思っていた。

さて、先発メンバーが発表されると、そのアラウージョは、ベンチにも入っていなかった。
これは新潟にとってラッキーだろう。

試合が始まると、新潟も山形も同じようなサッカーを志向しているのがわかる。
ただ、同じようなサッカーなら、完成度は新潟の方が高い。
そして、本間至恩など個人技で上回る選手が新潟の方が多いと分かる。
だから、20分に至恩が攻め入ってラストパスを鈴木に送ったシーンなど、決定的なシーンも見られた。
だけど、格上に見えるチームが、悪魔に魅入られたようにゴールを献上してしまうことはよくある。
そう思っていたら、前半終了間際に与えたフリーキックから、ゴールネットを揺らされ、先制されてしまった!…と思うシーンに出合ってしまった。
決められる直前に笛の音が聞こえたような気がしたが、それは幸いにも、山形側にファウルがあったという判定の笛。
ノーゴールとなって、ホッと胸をなでおろした。

後半には、前からの守備に気合を入れ直した新潟。
56分、相手DFに激しくプレスに行った本間至恩がボールを奪い、左からゴール前の高木にラストパス。
これを、高木が得点王に並ぶ通算6ゴール目を決め、新潟先制。

1-0だと安心できないと思っていると、77分、FKから高木が、味方もそろわないうちに左サイドに蹴ると、受けた本間がゴール前にクロスを送った。
相手GKがキャッチし切れず、ボールがゴールに吸い込まれ、待望の追加点。

結局この2点で、新潟が山形を零封して、勝利。
シュート数は、得点0の山形の8に比べて、新潟はわずか6。
それでも、2対0で勝利するのだから、大したものだと思う。
ピンチもなかった訳ではないが、83分のロメロフランクのゴール直前のクリアなど、全員でよく動いて、得点を許さなかった。

試合後のインタビューでは、高木もアルベルト監督も、「難しい試合だった」と言っていた。
圧勝ではなかったが、試合運びがうまいと感じさせる勝利であった。
すべてがうまくはいかなくとも、しっかりと勝ち点3を手に入れられる新潟。
頼もしい勝ち方であった。

琉球も、水戸に2-0で勝利し、勝ち点は新潟と同じ19。
だが、得失点差で7上回る新潟が首位だ。

次節は、3位でがんばるツエーゲン金沢戦。
4月唯一のホームである。
大勢のサポーターの前で、勝ち点3を獲得する試合を見せてくれることを期待しよう。

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