いよいよ残り5km。
自己ベストを出した2年前の新潟ハーフマラソン大会では、ここからペースを上げていく底力があった。
今日も行くぞ!
気合を入れた。
ところが、土手の道は、少し向かい風となっていた。
そのうえ、雨が強くなってきた。
まっすぐ続く土手道は、風雨をさえぎるものがない。
腕や脚が冷え切った。
脚全体に疲労感が広がり、思ったように走れない。
心の中で、「リズム、リズム」と唱えながら、腕と足のリズムが乱れないように前を目指した。
SIさんと2度目のすれ違い。
「早いね!」と声をかけてもらったが、「いやあ。疲れてます。」と正直に答えた私だった。
2年前は練習が足りていたから、ここから上げていけた。
だが、今回は足をはじめ体のあちこちに痛みが生じることもあり、練習量は極端に少ない。
だから、そのツケが来た。
おまけに、スタートしてからの5分台前半のペースは力をセーブしたはずだったが、今の自分には速すぎたのかもしれない。
「苦しくなったら腕を振れ、腕を!」
かつて小出監督は高橋尚子にそう教えたそうだ。
その話を思い出し、懸命に腕を振った。
しかし、スピードは上がらない。
上げているつもりでも、ウオッチの数字は速さが落ちていることを示していた。
⑰5分34秒/km ⑱5分37秒/km ⑲5分37秒/km
今までこの土手道を来るときに何人か抜いてきたが、抜いてきたはずの人たちに再び抜かれるようになってしまった。
悔しいが、これ以上無理にスピードを上げると、もうゴールまでもたなくなってしまう。
腕は振っていたが、6kmほど前に抜いてきたあの黄色いアシックスTシャツの男性に並ばれ、やがて抜き返された。
土手道から一般道を進むときに、さっきも応援してくれた年輩の男性や女性たちが再び声援を送ってくれた。
ありがとうございます!
温かい人たちだなあと思いつつ進み、一般道から土手道へ最後の上り。
黄色いアシックスTシャツさんには、もう追いつけないが自分なりに最後のベストを尽くそう。
20kmでは、5分50秒/km。
あと1kmと思いつつ、余力がない。
いつもの練習では、最後の1kmくらいは上げて4分40秒/kmくらいで走れるのに、今回は5分31秒/kmが精いっぱいの走りだった。
最後に、水がたまったり流れたりしている中を、ゴール!
ついに、久しぶりにハーフマラソンを完走することができた。
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、脚ナドノミニモ負ケナイ…
…で、ゴールにたどり着くことができた。
タイムは1時間52分を回っていたが、フィニッシュ地点では満足してガッツポーズが出た。
すると、例の黄色いTシャツ男性が近づいてきて言った。
「ありがとうございました。あなたをターゲットにして走ることができました。」
そうかあ。
私も、よくそうやって走っていたものなあ。
この人についていこう、この人をターゲットにして走っていこう、と決めて走っていくと、思っているよりがんばることができ、よい記録をマークすることができるのだ。
「いやあ、こっちこそ。ありがとうございました。」
こんな交流ができるのも、レースのいいところだ。
久々にこういう交流を味わうことができた。
大会に感謝!
体全体が疲れていて、手も震えているから、靴に付けた記録用タグを外すのにも時間がかかった。
それでも、気持ちは達成感に包まれていた。
1年3か月ぶりのレース。
風雨、そして寒さ、足の痛みという悪条件はあったが、21kmを走り切れたのだから、いいことにしよう。
感染症対策でマスクをいただいた後、降り続く雨の中で記録証をもらうために並んだ。
ちょっと寒さを感じてきた。
先に記録証をもらった黄色いTシャツ氏と目が合い、もう一度互いに「お疲れさまでした」と声をかけ合った。
寒いけど、さわやかな気分になった。
記録証をもらうときに、係の方は丁寧に透明な袋に入れてくれて、「お疲れさまでした」と言うので、「こちらこそ、いろいろと大変な中で大会を行ってくれて、本当にありがとうございました。」と頭を下げた。
手荷物預かりから荷物を持ち出し、息子とスマホで連絡を取り合って、合流した。
息子は、2分近く自己ベストを更新できたと喜んでいた。
急に体が冷えてきた私は、歯がガチガチいい、体はガタガタ震え始めた。
上半身の分だけは着替えを入れてきたので急いで着替えたが、それ以外は車の中に置いてきてしまったので、ずうっと震えていた。
降り続く雨の中を2人で駐車場に戻って、車の中で着替えようとした。
だが、体が疲れていて、足や腕を伸ばしたり縮めたりするたびに、あちこちがつってしまい、痛くて大変だった。
やっとなんとか着替えに成功した。
それでも、これが大会のレース参加だよなあ、こういう痛みや大変さを味わえるのも大会に参加したからだよなあ、と満足感にひたった。
車の中を暖房で暖め、持ってきたパンを食べて熱量を補充。
やっと人心地がついた。
64歳になってからの初レース。
燕市の大会関係者の皆さんが、感染症禍にあってもその対策を考えつく限り万全を期して行ってくれ、大会を開催してくれたから、貴重な体験をすることができた。
そして、なんとか大会を成功裏に終わらせようと努力しているのが伝わってきた。
私の次の大会出場予定は決まっていないが、燕さくらマラソンで行っていた感染症対策は、他の大会でも開催のために参考にできるのではないかというものが多かった。
燕さくらマラソン大会関係者の皆さん、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
…大会から3日たった。
事務局と参加者との約束(?)で、大会後2週間の健康チェックも義務とされている。
だから、今日も体温を測って記録するとともに、体調に異変がないかをチェックしている。
あれほど震えたゴール後だったが、幸い風邪をひかなくてすんだようだ。
明日以降も、2週間が経過するまでちゃんと体温計測と健康チェックは怠らなくしていくつもりである。
自己ベストを出した2年前の新潟ハーフマラソン大会では、ここからペースを上げていく底力があった。
今日も行くぞ!
気合を入れた。
ところが、土手の道は、少し向かい風となっていた。
そのうえ、雨が強くなってきた。
まっすぐ続く土手道は、風雨をさえぎるものがない。
腕や脚が冷え切った。
脚全体に疲労感が広がり、思ったように走れない。
心の中で、「リズム、リズム」と唱えながら、腕と足のリズムが乱れないように前を目指した。
SIさんと2度目のすれ違い。
「早いね!」と声をかけてもらったが、「いやあ。疲れてます。」と正直に答えた私だった。
2年前は練習が足りていたから、ここから上げていけた。
だが、今回は足をはじめ体のあちこちに痛みが生じることもあり、練習量は極端に少ない。
だから、そのツケが来た。
おまけに、スタートしてからの5分台前半のペースは力をセーブしたはずだったが、今の自分には速すぎたのかもしれない。
「苦しくなったら腕を振れ、腕を!」
かつて小出監督は高橋尚子にそう教えたそうだ。
その話を思い出し、懸命に腕を振った。
しかし、スピードは上がらない。
上げているつもりでも、ウオッチの数字は速さが落ちていることを示していた。
⑰5分34秒/km ⑱5分37秒/km ⑲5分37秒/km
今までこの土手道を来るときに何人か抜いてきたが、抜いてきたはずの人たちに再び抜かれるようになってしまった。
悔しいが、これ以上無理にスピードを上げると、もうゴールまでもたなくなってしまう。
腕は振っていたが、6kmほど前に抜いてきたあの黄色いアシックスTシャツの男性に並ばれ、やがて抜き返された。
土手道から一般道を進むときに、さっきも応援してくれた年輩の男性や女性たちが再び声援を送ってくれた。
ありがとうございます!
温かい人たちだなあと思いつつ進み、一般道から土手道へ最後の上り。
黄色いアシックスTシャツさんには、もう追いつけないが自分なりに最後のベストを尽くそう。
20kmでは、5分50秒/km。
あと1kmと思いつつ、余力がない。
いつもの練習では、最後の1kmくらいは上げて4分40秒/kmくらいで走れるのに、今回は5分31秒/kmが精いっぱいの走りだった。
最後に、水がたまったり流れたりしている中を、ゴール!
ついに、久しぶりにハーフマラソンを完走することができた。
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、脚ナドノミニモ負ケナイ…
…で、ゴールにたどり着くことができた。
タイムは1時間52分を回っていたが、フィニッシュ地点では満足してガッツポーズが出た。
すると、例の黄色いTシャツ男性が近づいてきて言った。
「ありがとうございました。あなたをターゲットにして走ることができました。」
そうかあ。
私も、よくそうやって走っていたものなあ。
この人についていこう、この人をターゲットにして走っていこう、と決めて走っていくと、思っているよりがんばることができ、よい記録をマークすることができるのだ。
「いやあ、こっちこそ。ありがとうございました。」
こんな交流ができるのも、レースのいいところだ。
久々にこういう交流を味わうことができた。
大会に感謝!
体全体が疲れていて、手も震えているから、靴に付けた記録用タグを外すのにも時間がかかった。
それでも、気持ちは達成感に包まれていた。
1年3か月ぶりのレース。
風雨、そして寒さ、足の痛みという悪条件はあったが、21kmを走り切れたのだから、いいことにしよう。
感染症対策でマスクをいただいた後、降り続く雨の中で記録証をもらうために並んだ。
ちょっと寒さを感じてきた。
先に記録証をもらった黄色いTシャツ氏と目が合い、もう一度互いに「お疲れさまでした」と声をかけ合った。
寒いけど、さわやかな気分になった。
記録証をもらうときに、係の方は丁寧に透明な袋に入れてくれて、「お疲れさまでした」と言うので、「こちらこそ、いろいろと大変な中で大会を行ってくれて、本当にありがとうございました。」と頭を下げた。
手荷物預かりから荷物を持ち出し、息子とスマホで連絡を取り合って、合流した。
息子は、2分近く自己ベストを更新できたと喜んでいた。
急に体が冷えてきた私は、歯がガチガチいい、体はガタガタ震え始めた。
上半身の分だけは着替えを入れてきたので急いで着替えたが、それ以外は車の中に置いてきてしまったので、ずうっと震えていた。
降り続く雨の中を2人で駐車場に戻って、車の中で着替えようとした。
だが、体が疲れていて、足や腕を伸ばしたり縮めたりするたびに、あちこちがつってしまい、痛くて大変だった。
やっとなんとか着替えに成功した。
それでも、これが大会のレース参加だよなあ、こういう痛みや大変さを味わえるのも大会に参加したからだよなあ、と満足感にひたった。
車の中を暖房で暖め、持ってきたパンを食べて熱量を補充。
やっと人心地がついた。
64歳になってからの初レース。
燕市の大会関係者の皆さんが、感染症禍にあってもその対策を考えつく限り万全を期して行ってくれ、大会を開催してくれたから、貴重な体験をすることができた。
そして、なんとか大会を成功裏に終わらせようと努力しているのが伝わってきた。
私の次の大会出場予定は決まっていないが、燕さくらマラソンで行っていた感染症対策は、他の大会でも開催のために参考にできるのではないかというものが多かった。
燕さくらマラソン大会関係者の皆さん、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
…大会から3日たった。
事務局と参加者との約束(?)で、大会後2週間の健康チェックも義務とされている。
だから、今日も体温を測って記録するとともに、体調に異変がないかをチェックしている。
あれほど震えたゴール後だったが、幸い風邪をひかなくてすんだようだ。
明日以降も、2週間が経過するまでちゃんと体温計測と健康チェックは怠らなくしていくつもりである。