内裏といえども、当然自然災害は避けてはくれず、
御常御殿(おつねごてん)や、皇后宮常御殿(こうごうぐうつねごてん)のそばには
「地寝殿」 という、「地震の際の避難所」 が設けられているのです。
御常御殿東側の御内庭(ごないてい)の中にあります。
こちらは北側の皇后宮常御殿のそばにある地寝殿です。
どちらも、御殿から少し離れたお庭の中にありました。
実際、地震による災害というのはさほど無かったようで、
それよりも、火災による被害が幾度となく繰り返され、
再建され、今日に至っています。
火災の原因にはいろいろあり、
御清所(台所)から出た火、公家の家、町民の家から類焼、
また昭和29年には、鴨川の花火の火が移ったというのもあったそうです。
天明の大火の時、時の老中松平定信が、焼失した内裏を
平安朝の古制に従って復興させました。
( 「冷泉家」 は和歌で有名な現存する公家ですが、
こちらの邸宅は御苑の北の今出川通りを挟んで北側にあります。
江戸時代の公家の住宅の様式を完全に残す唯一の家です。)
当然のことながら、今のように消防自動車もなにもなく、
「火勢」はほぼ「風」まかせだったようです(^_^;)\(ーー゛)
そんな中、お庭というのは消防用貯水池の役目もあったのかな?
と思いました。
ま、化学消防車は必要無かったとは思いますが…?