320年前「おくのほそ道」の途上、大関藩の家老たちに歓待され、なんと14日間も滞在された栃木県の黒羽(大田原市くろばね)へ参りました。秋晴れのなか、「昔の文学少女」たち20人とバスでくりこみ、那珂川のやなでアユ尽くしの昼食を頂き、さらに山奥の雲巌寺へ。
ここは芭蕉さんが尊敬しておられた座禅の師・仏頂和尚が修行された岩屋があった禅寺で、翁と曽良は近在の若者達と一緒に11キロ歩いて詣でています。
うす紅葉の古刹は思わず深呼吸する深山の清き香りに満ちていました。
『啄木(きつつき)も庵(いお)は破らず夏木立』
仏頂禅師のお徳により寺壊しのあだ名があるキツツキも遠慮しているよと詠いました。
江戸深川に隠棲した芭蕉はたまたま近くの臨川寺に滞在中の禅師と仏縁を得、和尚の鹿島根本寺へ曽良を伴い月見へ出向いた紀行文が「鹿島詣」です。
『月はやし梢(こずえ)は雨を持ちながら』 雨のため寝ていたら仏頂和尚に「月が出たぞ」とおこされたのでした。和尚は芭蕉より2才年上で、この寺で74才の長寿を終られました。
ここは芭蕉さんが尊敬しておられた座禅の師・仏頂和尚が修行された岩屋があった禅寺で、翁と曽良は近在の若者達と一緒に11キロ歩いて詣でています。
うす紅葉の古刹は思わず深呼吸する深山の清き香りに満ちていました。
『啄木(きつつき)も庵(いお)は破らず夏木立』
仏頂禅師のお徳により寺壊しのあだ名があるキツツキも遠慮しているよと詠いました。
江戸深川に隠棲した芭蕉はたまたま近くの臨川寺に滞在中の禅師と仏縁を得、和尚の鹿島根本寺へ曽良を伴い月見へ出向いた紀行文が「鹿島詣」です。
『月はやし梢(こずえ)は雨を持ちながら』 雨のため寝ていたら仏頂和尚に「月が出たぞ」とおこされたのでした。和尚は芭蕉より2才年上で、この寺で74才の長寿を終られました。