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島尾敏雄を読む―『死の棘』と『死の棘日記』を検証する [単行本]

2013年01月16日 | 島尾敏雄

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島尾敏雄を読む
―『死の棘』と『死の棘日記』を検証する [単行本]
比嘉加津夫 (著)

この本に関する新聞記事をお読み下さい→『島尾敏雄を読む』 「死の棘論」に一石投じる
琉球新報 2012年9月2日

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返却期限が迫っていたので、少しもったいないような思いで急いで読んだ。借りるときは、あまり気乗りがしなかったのだが。

P63『死の棘』という小説は島尾敏雄とミホの合作といってもいいような作品であるとぼくはいまでもおもっている。」P63←これが本書の肝かなと思う。

しかし作品には影のようにしか登場しない「女」も重要な位置をしめている(死の棘2章。10章)と著者はいう。妻が清書した作品は、その検閲を受けるが、島尾が克明に書き残した日記(『死の棘日記』)を読み解きながら、いままでにない死の棘論が展開される。P218→「『死の棘』が群をぬいているのは夫婦の問題を超えて色濃く子どもの精神にまで描写の目を向けたところにあると思った。」

いままでの「病妻もの」などといった先入観ではとらえられなかった「死の棘」の魅力。本書は「死の棘」は日本文学のなかでもすぐれて水準の高い小説である」からはじまり、暗いににもかかわらずほのかにドタバタもあり、笑いを誘う意味深い小説」の今後の読まれ方が楽しみといったところだ。古典文学になりうる十分な要素をもっている。p222でしめくくられている。意外と若い人たちにも受け入れられるのではないだろうか。

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『死の棘』初版本と『死の棘日記』

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amazon 登録情報
単行本: 222ページ
出版社: ボーダーインク (2012/07)
ISBN-10: 489982226X
ISBN-13: 978-4899822264
発売日: 2012/07

======amazonで見る


島の図書館 読書の秋晴れ 

2011年10月01日 | 島尾敏雄

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鹿児島県立奄美図書館

奄美旅の想い出に 島の図書館を訪れる、というのはいかがですか。

本を借りる以外にもさまざまな発見や出合いがあるかも。

普通月曜日が定休です。

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↑ ガラス越しに撮ったので写りがよくありません。

島尾敏雄 で検索してみてください。

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↑ 表玄関は国道58の歩道に面している。

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↑ 奄美高校に隣接している。

 

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2冊返却し、今月の新着図書2冊を新たに借りた。

先に読まねばならない本を読んでから読まねばならないのがもどかしい。


林道から名瀬の街 島尾敏雄『日の移ろい』

2007年10月26日 | 島尾敏雄

今から35年前

1972年(昭和47年)
10月9日午前、
名瀬の街には、南南東の風が吹いていた。

9時、風速4.8メートルと記録されている。

名瀬 1972年10月9日
気圧1016.0 海面1016.9  24.1℃  湿度 73  4.8 m/s南南東

060708shimaobook 「昨夜の雷雨がうそのような上天気だ」

と、作家島尾敏雄は、日記に書いている。

この雷雨は、気象庁の記録では、確認できない。

「空のどこからか、ピーイッと鳴く鳥の声がきこえていた。すがたは、みえなかったが、南へ飛んで行く仲間の群れにはぐれた さしばだ。しばらくその寂しげな鳴き声が耳からはなれないことだろう。島では「はぐれ鷹」といっているがあとはどうなってしまうかわからず気になることだ」
この日の午後は、島尾敏雄は市役所に行く予定。

さしばの鳴き声は、ここで聴けます。Youtube

「石垣島を通過するサシバの群れ」←たしかに、これを見ると、時期といい、数といい、奄美のさしばは、「はぐれ鷹」という気がします。

翌 10月10日

庭に赤とんぼがいっぱい飛び交っていたが、それも朝のうちだけで、あとはどこにいったかいなくなった。
屋上に出るとまわりの山のあちこちで一匹鳴きの蝉の声がきこえていた。ジー、ウェーッ、ジー。きょうも泣きじゃくりのようにきこえる」

10月25日
「快い秋の日差しが大気いっぱいに輝いているのに気がはれない。」
南海文化賞と毎日出版文化賞受賞のお祝い
夜になり、鬱が散り
「庭にイチュバネガタの鳴いている声がしみじみときけた。
天井に鼠の気配がしているが、ほんとうにどこからはいってくるのやら。」

この鼠のなぞとのたたかいは、続編最後のページ、翌年昭和48年11月1日までつづく。

まあ、おじさんは、いろいろなブログで、鳥や動植物の名前を覚えたのですが、島尾敏雄のこの日記でも、35年前の名瀬の街や人々のようすとともに、いろいろな、鳥や動植物がでてきます。

山でアサギマダラのマーキングが見つからないので、この本で、アサギマダラに関する記述を探したのですが、まだ見つけることができません(笑)

====

ときどき見るのですが、

アサギネット掲示板では、

「10月14日、東京・中野区上鷺宮で吸蜜しているアサギマダラを見ました。」との投稿。マーキングは福島県でされたものと判明。

その下の投稿では、奄美大島 龍郷町 長雲峠で再捕獲されたアサギマダラも、東京のものと同じ人が長野県で放蝶したものと判明。喜界島で再捕獲されている。


アカショウビン撮影成功?

2007年06月11日 | 島尾敏雄

↑せっかく撮れたときに限って、Youtube調子悪いようです。しばらくお待ちください。12日、10:45 画像うごかない。

15:45 再更新 直る

070611ruddykingfisher

幸せの鳥、火の鳥、アカショウビンを追って
「鹿児島ロマン街道」でゆく、湯湾岳(ゆわんだけ)。

県道79号のケンキュー、尽きせぬ魅惑の脇道を知り尽くせ
シリーズの始まり?です。

毛陣トンネルから林道へ 地図(縮尺を変えてご覧下さい)

アカショウビン
みい、みーいと(ちゃんと?)撮れたのは、
今シーズン初めてです。

このブログ
2007年6月 3日 (日曜日)
アカショウビン Again

探して撮るのではなく、偶然の遭遇をあてにするのです。
そうすると、林道ドライブの途中、
不思議に、目の前に飛んでくるのです。
それも、ちょうど、いい位置です。不思議です。

車から降りてはいけません。
サイドブレーキの音は、要注意。
ボタンを押して、しっかりと。

しかし、またしても、あげげの来たろうさん
の車が通りかかり、逃げられてしまいました。

普段、めったに車を見ることはない場所なのですが
不思議です。こんな時に限ってです。
一枚目のメモリーが、切れたところでの遭遇です。
ヒジョーに不思議です。
不思議もたびかさなりますと、ふつうになり、
やがて、法則となっていくのでしょうか。

=============

田中一村wikiも描いた、アカショウビン(方言で、クッキャルー)

島尾敏雄wikiもたびたび書いた。

060708shimaobook_1 『続 日の移ろい』 amazom
これは昭和48年4月1日から同年11月1日まで日記

ぱらぱらとめくってみただけでも、

5/4日
クッキャルーの鳴き声が小俣の谷あいにひびきわたっている。ここ二、三日来その鳥の声が早暁も昼もまた夕方にもよく耳につく。

奄美市名瀬小俣町の地図

5/16日
クッキャルーの鳴く声が冴え冴えと聞こえる。それはきもちがあらわれるようなすがすがしい気分をわきたたせてくれる。

5/18日
クッキャルーが小俣の谷間に鳴き渡っている。

6/13日(つまり、あさって)
昧爽に目覚めて、低い山に挟まれた谷あいの空いっぱいを鳴きわたるリュウキュウアカショウビンの声をきいた。クッキャルー、クッキャルーとルーのところがふるえて含み声のように聞こえる。出勤しても午前中はずっとないていた。ふとした拍子にその鳴き声を意識すると、清涼の気が身内を走る思いになった。だがあの鳥自身ではその気分がわかるのかしらん。

昧爽(まいそう)=「昧」は暗い、「爽」は明るい意、
          夜明け方。あかつき。昧旦。

昭和47年4/1から48年3/31まで
『日の移ろい』

5/29日
ティコホやクッキャルー、そしていろんな虫の鳴き声にとりかこまれ冷気が肌に快くしのび寄る月明かりの中で・・・

そのほか、奄美のブログを見て覚えた実にいろいろな鳥や昆虫、動植物がでてきます。

名瀬の馴染み深い日常のようすなどがでてきて
興味つきない本です。
もちろん、それだけではありませんぞ。

これは谷崎潤一郎賞受賞作品です。


横当島くっきり。読めない漢字の入力。1973年

2006年06月13日 | 島尾敏雄

060613yokoatejima

大きい写真で見る

6/1から12日までの総雨量 

古仁屋(こにや)665ミリ、

名瀬(なぜ)573ミリ

奄美各地で月間平年値を更新

30年間の平年値 6月の降水量 ミリ

名瀬 401.0
古仁屋 311.2

全年
名瀬 2913.5
古仁屋 2212.9

名瀬(なぜ)は古仁屋(こにや)より雨がよく降る?

気象庁の電子閲覧室のページから地点(名瀬)を選び、▼データの入力欄のVのところをクリックして、ペロンと飛び出したメニューから「極値」を選んで、右の「検索」ボタンを押すと、いろいろな極値を見ることができます。(極値とは、過去、いちばん、なんとかだった日とか、ランキングとか、・・いろいろ、全国の地点ごとにでています。)

その画面を下にさげると、

最大1時間降水量 ( 統計期間 : 1896/12~2006/ 6 )
というのがあります。

1896から2006は110年間です。

その中で

2位 105.0 1973年06月28日 というのがあります。

ちなみに 1位 116.4 1949年10月21日

昨日12日の1時間あたりの激しい雨は、各地で30ミリ前後という。

===================

1973年(昭和48年)06月28日というと、
島尾敏雄
『続 日の移ろい』中公文庫(125~128ページ)に日記があります。

それによると、28日、たぶん夕方、春日町から名瀬市街地を循環するバスに図書館前のバス停から乗るとすぐ

沛然たる雨に襲われ」ます。

吉山写真館のそばのバス停で下車の合図をしたのに、運転手は豪雨の音で気づかなかったのか、行き過ぎてしまいます。
すごい雨なので、降りても・・・
そのまま、名瀬を循環して図書館まで戻ります。

この年、1973年 奄美地方梅雨明けは、翌 6/29。

060613yokoatejima2

さて、話はそれますが、というかこれからが本題だったのですが、
「沛然たる雨」の「沛然」という字が読めません。漢和辞典が手元にない。
読めないのに、どうしてここに、「沛然」と入力できたのでしょうか。

えーと、モニターの下の青いバー、「あ」とか「般」とか書いてあるあれです。(これが見つからない時は、青いバーの空いているところを右クリック→ツールバー→言語バー)
そこの、いろいろな絵柄にマウスポインタを合わせていくと、「ツール」があらわれます。これは、工具箱の絵柄でしょうか、ビッグⅡに売っている釣り道具箱にも見えます。

それを右クリック。IMEパッド(P)にマウス。横にあらわれるメニューから、「手書き」を選びます。ダイアログの左にウ冠が書いてあるので、右の消去ボタンで消します。そして、そこに、マウスで調べたい文字を書いていきます。(うろ覚えの文字は一部でもよい。)
右に漢字がでますので、見つかった文字にポインタを合わせると、音読みと訓読みが出てきます。「沛」の場合は「ハイ」とでてきます。沛然は「はいぜん」と読むことにしました。
そのまま、クリックすると、その文字が入力したい場所(あらかじめクリックしておく)に入力されます。

あとは電子辞書などで、検索すると、「雨が盛んに降るさま」とか「盛大なさま」とかいう意味が分かります。・・・ふーッ。(これが正しい方法かどうかは分かりません)


セミは雨でも鳴く

2006年06月11日 | 島尾敏雄

060612komihondori 昭和47年(1972年)6月12日夜11時半過ぎ、
古見本通りは、雨だった。

気温21.1度、南の風0.8m/s、湿度は1004.6hpa

妻は、11時には帰ると言った夫の帰りを心配して雨の中、家を出て、橋を渡り、国道へ出た。

アスファルトに飛び散る雨足を街灯が照らしているばかり。夫はもう帰って来ないのではないかと思っていた。

そこへ、屋仁川通りで、お客さんを乗せた(たぶん)大島タクシーが現れたのが、11時半過ぎだった。

現場地図 奄美市名瀬古田町  屋仁川通りは、金久町(かねくちょう)です。「新月」と「とん吉」の帰りでタクシー拾う。

34年前のこの日、名瀬は、1日32.5ミリの雨。日照はない。

翌日から、夫は「執拗な欝」。この頃、妻は早起き、庭の畑仕事。

名瀬
月日 気圧 平均気温 最高 最低 平均湿度 平均風速 降水 日照 日照合計

6/12 1004.6 26.2 30.6 21.0 73 4.5 32.5 -- 24.0

6/13 1002.4  24.3 27.0 20.8 88 2.2 29.0 1.2 16.2
「憂鬱にひっくりかえってしまいそう」

6/14 1003.8 24.3 27.0 21.6 78 2.9 -- 10.1 61.4
 日記休み

6/15 1005.5 24.5 27.5 20.9 81 2.0 0.0 4.2 37.0
「終日頭がもやもや」「いらつきがとれない」

6/16 1007.3 25.2 28.4 23.4 87 2.1 9.0 0.4 24.0
「夕方、雨になり、夜中近く気分が安定」

この日、まわりの山で蝉が鳴く。

6/18、6/19 図書館庭でハチ騒動。フェニックスの下葉に蜂の巣。

奄美(だけ?)では、蜂が低いところに巣を作ると、その年は台風が多いといわれる。

1972年の台風の発生数 接近数
5月 1 個        0
6月 3              0
7月 6          3
8月 5          3
9月 5          2
10月 5          3
11月 3             0
12月 2             0
発生合計31個  接近合計 11個

平年の発生数26.7個、接近数10.8個

過去(1951年から)最も台風の発生が多かった年は1967年の39個。
5位の1964年は34個の発生。

うーむ

6/25 1972年 奄美地方梅雨明け

翌1973年

6/8 しきりに鳴き騒ぐ蝉の声

6/13 リュウキュウアカショウビンの声を聞く。
「クッキャルー、クッキャルー、とルーのところがふるえてふくみ声のように聞える」

6/14 雨が降っていても蝉は鳴いている。

6/14名瀬 1005.8 23.8 26.5 21.4 85 3.8 降水104.5 -- 8.2

6/16 赤とんぼがいっぱい飛び交う、次の日いない。
6/22 蝉が降るように鳴いていた。
6/29 1973年 奄美地方梅雨明け

1973年は、台風の接近数は4個で、少ない年の第一位。発生数は21個で少ない年の第3位。(1951年~2005年)

ホントかどうか気象庁のサイトで確かめたい。

2005.06.21
トンボ、セミの声

2005.06.27
奄美地方梅雨明け、霞んでいます。

2005.06.29
アダン(阿檀)の実。 東京でもセミ

暑い!東京・大手町でアブラゼミ鳴く…観測史上で最速

気象庁のある東京・大手町。 最高気温が31・5度(平年25・7度)、 観測史上最も早くアブラゼミの鳴き声。平年に比べて31日早く、これまでの       記録だった1955年の7月10日より2週間も早かった。

(読売新聞)2005年 - 6月26日より


昨日の続き書かなきゃ。1972年の歌謡曲

2006年06月09日 | 島尾敏雄

この記事は、きのうの続きです。

0606091 昭和47年(1972年)7月3日、早朝6時、名瀬(旧)港の岸壁には、南南西の風が吹いていた。

そのとき名瀬測候所は、風速1.8m/s、気温は25.2度と記録した。

島尾敏雄を乗せた、照国丸は、前日夕方鹿児島を出港し、この朝、7時前名瀬港に入った。

出むかへのミホ夫人は、日傘を差し、買ったばかりのワンピース姿。(島尾敏雄は、日記で、その柄がやぼったいと、8行も費やしている)

3時に家を出て、港までおりて行って待っていた。
島尾敏雄の旅の間、毎日そうしていたという。

1972年7月3日、午前3時の名瀬の気温25.2度、南の風、風速0.7m/s、古見本通りは、この日ミホ夫人にとって追い風であった(笑)

小俣町から港へ向かう途中、ダボ・シャツ姿の青年たちとすれちがって、声をかけられるが、島ことばだったから、ちっとも怖くなかった、と港で話している。

======島尾は勤め先の図書館へもどる。

旅先では気にならなかった騒音が気になった。
ひっきりなしに往来する自動車の騒音、宣伝者の甲高い若い女性の声。
「私の存在」がはじきだされそうで、「針の山に座るような気分」になる。

しかし、これらの騒音は、すぐに通り過ぎる。

がまんならないのは、道路をへだてて、すじ向かいにある板金塗装工場から
聞えてくる流行歌の音
小さな工場で働く若い二人が、作業をしながら聞いている、カセットテープの再生音だ。

くせのついた歌いぶり、意味のついた、その音響は、耳について離れない。
永遠の拷問をうけているような気分になる。

若者の一人は円環作業衣が似合い、胸元のボタンを小意気にはずして「なかなかこっこいい」。憂いを帯びた面長の容貌の仕事熱心な様子がいっそう好ましい工場主の方の若者に、島尾敏雄は、こう呼びかける。
部屋を出て塀越しだ。

「にいさん、にいさん」

0606092 ========と、ここまでは昨日の記事に書いた。
続く、と書いたが、実は続きは、もうあまりない。

「にいさん、にいさん」と呼んだ声は思いのほか力がなく、騒音は空気中にひろがっていた。=====中略======

気をとりなおし、もう一度「にいさん、にいさん」と呼ぶ。

いきなりスパナなど投げられはしないか心配しながら

「もう少し低くしてくれんね」

と島尾敏雄がいうと、若者は、無言でもう一人の若者にあごをしゃくったのだった。

音は、低く調整された。

しかし、こうしたことは、この日のことだけではなかった。
島尾敏雄は、くせのある流行歌の歌いぶりに、もう幾度も、この「にいさん、にいさん」を繰り返しているのだった。

==============

削りに削られて、磨き上げられた(と思われる)島尾の文章は、本でじっくり本文を味わってほしい。

として、おじさんの興味は、この流行歌がなんであったかに向かう。
そして、できたら当時若者だったこの「にいさん」たちに、いろいろインタビューしてみたいのである。

下記 1972年(昭和47年)の歌謡曲 人気順 参照

うーむ、気象はあまり関係がなかったかな・・・。日記によれば、島尾敏雄はこのあと数日体調がすぐれない。7月11日、夜中に頭痛がして、台風6号、7号、8号と三つの台風の予報を知る。

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1972年 7月3日の名瀬の気象

気象観測(電子閲覧室)
過去の気象統計データ検索
地点ごとのデータ(昨日まで)

一日の毎時の値 より

名瀬 時 現地気圧 海上気圧 気温 湿度 風向 風速m/s

3時 1008.6 1009.5 25.2 90 南 0.7 m/s
6時 1008.2 1009.1 25.6 南南西 1.8
9時 1008.8 1009.6 30.1 70 南南東 2.3   
12時 1008.5 1009.3 31.7 南南東 4.0
15時 1008.1 1008.9 27.9 78 北北東 2.3
降水量8.5mm 日照時間9.2h

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1972年(昭和47年)主な出来事

1月24日 - グアム島で元日本陸軍兵士横井庄一発見。
2月3日 - 札幌オリンピック開催
2月19日 - 連合赤軍、あさま山荘事件。
4月16日 - 川端康成が逗子市でガス自殺。
5月15日 - アメリカから日本へ沖縄返還、沖縄県発足
5月30日 - イスラエルのテルアビブ空港で日本赤軍乱射事件
6月11日 - 田中角栄通産相が「日本列島改造論」発表
6月17日 - アメリカ、ウォーターゲート事件発覚。
9月29日 - 田中角栄首相が訪中し、日中国交正常化の共同声明。
12月10日 - 日本、第33回衆議院議員総選挙投票。
12月18日 - アメリカ軍、北爆再開。

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1972年(昭和47年)の歌謡曲 発売順

1972.01. 夜明けの停車場 
1972.01. だれかが風に中で 上條恒彦 
1972.01. 結婚しょうよ 吉田拓郎  
1972.02. ぼくの好きな先生 RCサクセション
1972.02. 太陽がくれた季節 青い三角定規 
1972.02. 北国行きで 朱里エイコ  
1972.03. 八月の濡れた砂 石川セリ  
1972.03. 人生が二度あれば 井上陽水
1972.03. メリー・ジェーン つのだひろ 
1972.03. 黒の舟唄 長谷川きよし 
1972.03. 走っておいで恋人よ  アリス
1972.03. あの鐘を鳴らすのはあなた 和田アキ子
1972.04. 赤色エレジー あがた森魚
1972.04. 恋の追跡 欧陽菲菲  
1972.04. 瀬戸の花嫁 小柳ルミ子  
1972.04. サルビアの花 もとまろ  
1972.05. 雨 三善英史 
1972.05. ひとりじゃないの 天地真理  
1972.05. 恋の町札幌 石原裕次郎  
1972.05. 女のみち ぴんからトリオ  
1972.06. 学生街の喫茶店 ガロ 
1972.06. どうにもとまらない 山本リンダ 
1972.06. 旅の宿 吉田拓郎  
1972.07. 返事はいらない 荒井由実  
1972.07. 傘がない 井上陽水  
1972.07. 京都から博多まで 藤 圭子
1972.07. 耳をすましてごらん 本田路津子  
1972.07. たどりついたらいつも雨ふり モップス 
1972.07. せんせい 森 昌子  
1972.08. 男の子女の子 郷ひろみ
1972.08. 折鶴 千葉紘子
1972.08. 雪 猫  
1972.09. 喝采 ちあきなおみ  
1972.09. めぐり逢う青春 野口五郎 
1972.10. 少女 五輪真弓  
1972.12. 怨み節 梶芽衣子 
1972.12. 悲しみの町 藤 圭子 
1972.12. 地下鉄にのって 猫  
1972.12. さそり座の女 美川憲一
1972.12. おきざりにした悲しみは 吉田拓郎

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1972年(昭和47年)の歌謡曲 人気順

1 女のみち  宮史郎とぴんからトリオ 
2 瀬戸の花嫁 小柳ルミ子 
3 さよならをするために ビリー・バンバン 
4 旅の宿  よしだたくろう 
5 ひとりじゃないの  天地真理 
6 喝采  ちあきなおみ 
7 ちいさな恋  天地真理 
8 太陽がくれた季節  青い三角定規 
9 悪魔がにくい  平田隆夫とセルスターズ 
10 夜明けの停車場  石橋正次 

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1972年(昭和47年 書籍ベストセラー

恍惚の人(有吉佐和子)
日本列島改造論(田中角栄)
坂の上の雲 5・6(司馬遼太郎)
女の子の躾け方(浜尾実)
放任主義(羽仁進)
二十歳の原点(高野悦子)
般若心経入門(松原 泰道)
世直しの倫理と論理(小田実)
日本史探訪
狼なんかこわくない(庄司薫)


『追想 島尾敏雄』&カケロマ

2006年06月08日 | 島尾敏雄

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↑大きい写真で見る

どしゃ降りの雨で、写真が撮れない日は、室内で撮ればよい。

といってもこれは、以前撮った写真です。

『追想 島尾敏雄』2005年12月25日発行

    amazon で見る

作家 島尾敏雄は第二次世界大戦末期の10ヶ月と、1955年から1975年までの約20年間、奄美大島に住みました。

1986年11月12日鹿児島市で,69歳で亡くなってから20年が経とうとしています。

この本には、奄美、沖縄、鹿児島を中心に、島尾敏雄に縁の深い方々から寄せられたエピソードなどを中心に43編が収められています。

身近で良く知っている方や、有名な方の、初めてきく興味深い話が数多く書かれています。なつかしい写真も、いっぱい載っているので買ってよかったです。

島尾敏雄が館長をつとめた、県立図書館奄美分館(名瀬名瀬小俣町)には

「病める葦も折らず
けぶる灯心も消さない」島尾敏雄

と書かれた文学碑があります。

旧約聖書 イザヤ書

42の2 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。

42の3 傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して、確かなものとする。

42の4 暗くなることも、傷つき果てることもないこの地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。

加計呂麻島の文学碑は、観光ガイドブックにも載っています。

この本はまだ名瀬市内の書店の店頭に並んでいると思います。
ぶらりと訪れた名瀬の小さな書店で、買ってみるのも格別かも。本の写真入りでブログに旅行記を書くとか。

名瀬市内の新刊書店は、数年前まで十数軒あったのですが、ここ2、3年で
半数ほどに減ってしまいました。

大型書店やコンビニの出現、ネット通販の普及の影響でしょうか。

========突然ですが、これを書いている途中、お客さんが、

「おじさん、カケロマの宿、どっか知らない?」
「あー、お客さんから、いくつか名前は聞くけど・・・、知っているわけじゃないから・・・これ、あげようか?」

といって、あげたパンフレットに載っている加計呂麻島の宿泊施設です。

ペンションタートルビーチ加計呂麻
マリンブルーかけろま
来々夏ハウス
ダイビング&ペンションRIKI
ペンションハウスINカケロマ
ペンション芝
ペンションマリンビレッジ
民宿池田
民宿INAハウス
民宿おりた
民宿かけろま
民宿きゅら島
民宿花富
民宿南龍
民宿はまゆう
民宿ゆきむら
民宿5マイル

合計17施設、宿泊費は、2食付で、4500円(一軒)から8000円。
部屋代のみ(2000円~3500円)が一軒

加計呂麻島、請島、与路島は、鹿児島県瀬戸内町ですので、
YAHOO電話帳のこちらなどで、住所と電話番号を調べます。
詳しいことは、直接お尋ね下さい。

本を見せて 「カケロマ行ったら、この人の文学碑とか、見てきたらいいよ」

「誰すか、その人、有名?」
「ああ、おじさんの場合、名前くらいは知らないと、はずかしいくらいには、有名さ」
「ふうん」

奄美に行くことになって、ネットでいろいろ検索してみた人は「ああ、その人どっかで、見たことありますよ」という。

060608shimaotoshio2 島尾敏雄『日の移ろい』、『続 日の移ろい』

島尾敏雄が名瀬に住んでいた頃の昭和47年(1972年)4月1日から翌年の11月1日までの日記が本になっている。

おじさんがこんな本をヒジョウにおもしろく読めるのは、当時の名瀬の様子がよく書かれているのと、ブログを書くようになったからか。

昭和47年の7月3日(中公文庫65ページ)の日記がおもしろい。分量も多い。

島尾敏雄は音に敏感な人だったようだ。

三日間の福岡の旅から帰った島尾敏雄は名瀬の街のいろいろな音が気にかかるようになった。

勤めていた図書館近の筋向いの板金塗装工場から、流行歌が鳴り出します。

「その音響は意味がついているから」もう、がまんなりません。まるで拷問をうけているような気分になります。
細かい描写がつづき、島尾敏雄は意を決して板金塗装工場の若者に声をかけます。

「にいさん、にいさん」

・・・・・・・・・・・・長くなりそうなので、》》続く・・・・明日からワ-ルドカップなのに


冬が戻り、ぬくい。最高18.5度

2005年12月25日 | 島尾敏雄

OCNブログ人のメンテナンスのあと、続いていた表示崩れの現象(右サイドバーが左下に表示される)は、「私リスト」の更新で直りました。

手順

1 管理画面にログイン
2 右上の私リストのタブをクリック
3 修正したい「私リスト」の「設定を変更」をクリック
4 ページ下の「変更を保存」ボタンをクリック

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051225mountainpath ここ数日、日本の広い地域を覆っていた上空の強い寒気団は、中心を北海道付近に移しつつある。

強い寒気は次第に弱まりつつあるものの、日本付近は依然冬型の気圧配置が続いており、新潟県などを中心に雪が強く降っている。

気象庁の発表では、昨日(24日4時現在)の積雪は、新潟県津南で275センチ、岐阜県白川村で251センチに達した。

275センチといえば、間違いなければ2m75センチだから、海風荘の一階は雪に埋まってしまうに違いない。

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換気扇とか止まってしまうのだろうか、その前に停電か、冷蔵庫の中は暖かく感じるのだろうか、焼酎のオンザロックは急いで飲みまいか、・・・南の島での素朴な疑問は未ダ解決セズ。うーん想像を超える。

新潟県津南(つなん)の今日の気温
12時 -1.4度 南西の風 5m/s日照1.0h積雪深262cm
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051225hibiscus

25度のショウメイ?

車に積んだまま忘れていた寒暖計。デジタルではないので、メンテナンスもほとんど必要なく、割れたりしない限り誤動作、表示崩れなどの心配はない。水銀柱を手でさわるなどのフセイ?も行なっていません。

18度位を示していた水銀柱は、山道の日の当たる場所に置いておくと、見る見る上がり、25度を超えた。

これは、今日、奄美地方が夏日になった、ということを主張するものでも、またそれが証明されるものでもありません(笑)。

このとき12時、名瀬測候所が観測した名瀬の気温は17.0度

名瀬12時、17.0度 降水0.0 北東の風 2m/s 日照0.2h湿度 64 気圧1019.1

昔、埴谷雄高(はにやゆたか1909-1997)はゴルギアス(483-378 BC)がこう言ったと書いた。

すべて主張は偽りである。或るものをその同一のものとしてなにか他のものから表白するのは正しいことではない。』

『不合理ゆえに吾信ず』Credo,quia absurdum.現代思潮社

埴谷雄高 百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

埴谷雄高の奄美つながりを捜す。福島県小高町、島尾敏雄

051225asagimadara

めっきり数が減ったが、まだ飛んでいるアサギマダラ、一頭だけ。
数日前の強風のためか、痛んだ羽。

リュウキュウアサギマダラが飛んでいるのは、見かけない。


島尾敏雄『死の棘日記』

2005年04月03日 | 島尾敏雄
050403-shimaotoshio
奄美といえば、田中一村でしょうか、それとも島尾敏雄でしょうか。
観光客の若い人に聞くと、今のところ認知度は、やはり田中一村か。

50万読者を震撼させた(帯書より)という小説「死の棘」の著者、島尾敏雄の没後18年を経て、『死の棘日記』が刊行されました。新潮社2005年3月30日発行2200円

島尾敏雄といえば、私小説でしょうか、それともヤポネシア論でしょうか。
時代が変わるなか、もう一度島尾敏雄を読み直そう、と思う今日この頃、読む本が一冊増えました。

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ジャンル 島尾敏雄

『日の移ろい』はブログを始めた頃読み返してみた。これも日記形式。

おととい、『奄美学 その地平と彼方』という本も書店に並んだという、本屋さんのチラシをもらう。