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『南洲残影』 単行本 – 1998/3 江藤 淳 (著)

2019年08月06日 | 本と雑誌
 
『南洲残影』 単行本 – 1998/3
江藤 淳 (著)
5つ星のうち 3.5
12件のカスタマーレビュー
「南洲残影」近寄りがたいようなタイトルだ。
 
本書は西郷明治10年(1877)の西南戦争のことに限られているので奄美大島や、徳之島、沖永良部にも遠島の経験については触れられないが、奄美の図書館の郷土コーナーで見つけた。
正確にはそこのパソコンで「えとうじゅん」で検索したのだが。
 (1998/03)の出版(4年前から雑誌連載)で
大河ドラマの37回「 徳川慶喜」 の放送も1998年(平成10年)1月4日 - 同12月12日 司馬遼太郎
なのにタイトルに西郷の名を入れない。
読めばわかると思うがそのほうが絶対いいと思った。
副題を入れるのもそぐわないし。
じっくり読めば意外と意外とすらすら読めるものだ。
漢詩や歌にまじって薩摩弁がリズムをつくってくれている。
 
「南洲」は西郷隆盛の雅号でペンネームのようなもので。
南国鹿児島という意味や、奄美大島や、徳之島、沖永良部にも遠島の経験も
含めているのかもしれない。

江藤淳といえば、
『奴隷の思想を排す』、『夏目漱石』で馴染みだが、西郷本の参考文献でも「南洲残影」
はときどき目にしていた。
1998年の出版といえば、ずいぶん昔のようでもあり、
つい最近のようでもある。江藤淳(1932ー1999 自死 )
 
以下は少しネタバレになるかもしれませんが、
西郷の首実検をした山県参軍「何という立派な死に様だ・・・」略
このとき実は山県は、自裁せず戦死した西郷南洲という強烈な思想と対決していたのである。陽明学でもない、「敬天愛人」ですらない、国粋主義でも、排外思想でもない、それらをすべて超えながら、日本人の心情を深く揺り動かして止まない「西郷南洲」という思想。マルクス主義もアナーキズムもそのあらゆる変種も、近代化論もポストモダニズムも、日本人はかつて「西郷南洲」以上に強力な思想を一度も持ったことがなかった」(p.232~3)
 
いまはネットの時代になって、抜刀隊の歌も分列行進曲もユーチューブで聞くことができる。
歌詞も本書理解のキーポイントのひとつだろう。
 
そして、その前の数行の意味がまだよく呑み込めないのだが、
最後も歌、童唄で締めくくられる。その童唄もユーチューブで聞くことができる。
 
一掛け 二掛け 三掛けて
四掛けて 五掛けて 橋を架け
橋の欄干 手を腰に
はるか向こうを 眺むれば
十七八の 姉さんが
花と線香 手に持って
姉さん姉さん どこ行くの
私は九州 鹿児島の
西郷隆盛 娘です
明治十年三月三日
切腹なされた 父親の
お墓詣りに 参ります
お墓の前で 手を合わせ
南無阿弥陀仏と 拝みます
拝んだあとから 幽霊が
 ふうわりふわりと ジャンケンポン
 
歌詞中「私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です」
とあるのは、
西郷が徳之島に流刑になった際、奄美大島からかけつけた妻愛加那
が抱いていた生まれたばかり第2子「菊草」のち菊子のことといわれる。
=============
amazon 内容紹介
滅亡を予期しながらも何故、何に対し西郷は戦わざるを得なかったのか?近代日本に対峙する西郷隆盛の意味を問い直す画期的評伝
 
amazon内容(「BOOK」データベースより)
「西郷南洲」は思想である。この国で最も強固な思想である。いまなお近代日本に対峙する巨像。西郷隆盛を描き切った画期的労作。
 
amazon 登録情報
単行本: 238ページ
出版社: 文藝春秋 (1998/03)


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1 コメント

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西郷軍に走った庄内藩士 (管理人)
2019-08-21 12:05:53
(勝海舟は)「西南戦争のときには、旧幕臣を統率して一兵も叛軍に走らせなかった。」
というの冒頭の表現が議論をよんでいる。(わたしはネットで知るまで気付かずにいた)

大河ドラマ「西郷どん」にも登場した、庄内藩士の伴兼之、榊原政治両名は、西郷軍に走り
戦死、鹿児島にその墓もある。

庄内藩は、江戸幕府による転封が一度もなかった数少ない譜代大名の一つ、
幕府への忠誠も強く、領民も結束も堅い。

戊辰戦争のきっかけとなった江戸の薩摩藩邸を焼き討ちは庄内藩によって起きた。

戊辰戦争でも最後まで戦った庄内藩にたいし西郷の指示で寛大な処置がほどこされたということで
、厳しい処分を覚悟していた庄内藩士の間に西郷の名声が広まる。
この西郷の処置も謎といえば謎だが、敵を愛する態度は「敬天愛人」にも通じるし、
西郷生前の言葉や教えを集めたあの『南洲翁遺訓』も庄内藩士によって発行されたもので、
これらを考えると庄内藩のことは
西郷を論じる上で極めて重要な事実である。

まあ「旧幕臣を統率して一兵も叛軍に走らせなかった。」の
「幕臣」を狭義に解釈し、「徳川家の臣下のうち、1万石未満の禄を与えられた旗本および御家人と呼ばれる身分の者のことを指す。」とするほかなさそうだが、それにしても・・・、ほかに深い意味があるのだろうか。
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