奄美 海風blog

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名瀬市立小宿小学校吹奏楽部のポスター

2005年01月30日 | お知らせ
050130-poster一階のお店に、「ポスターを貼らせてもらえませんか」という依頼を時々うける。

名瀬市内の小中高校の行事案内などが多い。子供たちの手作りのものもあるが、年々、立派な作りのものも増えてきた。

これは一週間位前から貼ってある名瀬市立小宿小学校吹奏楽部のポスター。大きさは新聞紙一ページ大。以下、その全文。

名瀬市立小宿小学校吹奏楽部

第11回定期演奏会

~第49回九州吹奏楽コンクール最優秀賞受賞・九州第一位~
~第23回全日本小学校バンドフェスティバルグッドサウンド賞受賞~

と き 平成17年2月26日(土)
時 間 PM6:00 開演:PM6:30
ところ 奄美文化センター
曲 目 ★マーチ 「ベスト・フレンド」
     ★バレー組曲「眠りの森の美女」より ”ワルツ”
     ★島のブルース
     ★カーペンターズ・フォーエバー

主 催 名瀬市立小宿小学校吹奏楽部、名瀬市立小宿小学校吹奏楽部後援会
後 援 名瀬市立小宿小学校
     名瀬市立小宿小学校PTA 入場無料


ビーチロック Beach rock  

2005年01月28日 | 自然観察
050128-beachrock工事現場で余ったコンクリートを大量に海岸に流し込んで捨てたようにも見えますが、いまどき、海岸でそんなことをしたら大変です。それと紙一重?の波消しブロックは、公共工事で許されます。(写真隠す)
これは、ビーチロック hard sand-stone  beach sand-stone  stone reef 呼び方いろいろ、それぞれの研究者の研究分野を反映しているそうだ。not rock 'n' roll , lock

050128-beachrock-2
ここは、さんご礁の発達する海岸の波打ちぎわ。海水から出る炭酸カルシウムのセメント作用で そこら辺の石(大小いろいろ、色とりどりあった、)や貝殻などが固まってできるそうです。短期間で固まるので、中にはいろんなものが含まれ、これ自体が遺跡かも知れない。石灰質砂礫岩とあった。質の悪いコンクリートのように見える。破片が、後背地のアダンの根元付近までごろごろしている。


ビーチロックについてgoogle で調べる

ここは、奄美大島大和村(やまとそん)ヒエン浜。中世の土器が発見されたヒエン浜遺跡は知る人ぞ知る、といったところか。
かいひんがん、はまいわ、奄美では、いたいし または、いちゃいし、漢字にすると板石、音読みすると、ばんせき、で思い出した、昔の人は、これを砕いて石垣などを作ったというから、建物や、お墓などにも使ったのかも知れない。

2004.12.05
赤尾木 風変わりな墓 &夏から冬へ

ここは、ここの、名瀬からすぐ手前の海岸です。
この浜の全体を眺めるには、この写真集ここをご覧下さい。夕日がとてもきれいです。海岸は長いので、車で県道を端の方まで進んで、浜に下りました。

これの小さめのものは、大浜海浜公園などでも見ることができると思います。


山道でワープ。二通りの顔の犬。

2005年01月27日 | ドライブ
050127-yamamiti
少し時間があった。いつもの国道から、いつもは見過ごしていた脇道の”探検”。
未舗装の山道、未知の道はまだまだ尽きない。

未知のはずなのに、カーブや、坂の感じが、いつもよく走る別の道にそっくりに思える錯覚。
その錯覚を意識的に維持しながら、しばらく、ワープ体験。今どこにいるのかわかってはいるのだが、錯覚は続く。
島内ワープ成功。

まるで川床のような山道のくぼみで、車が大きく跳ね、我にかえる。GEORIAの缶コーヒー、ひっくり返る。
ガソリン計は、Empty で現実にかえり、仕方なく引き返す。もしこんなところでガス欠したら・・・本当のワープ体験だ。海を眺めるゆとりはない。これは観光雑誌の取材記事ではないのだ。

元来た国道が、立派に見える。
国道に出れば、スタンドはすぐに見つかります。
リッター当たりのガソリン代136~8円。カードだといくらか安いはず。名瀬や、その近郊のスタンドで値段を表示した看板を見ることはほとんどない。

写真の犬は、象のような鼻をして、正面を見上げるブルドックのようにも見えますが、本当は首を90度こちらへ曲げ、口を開け、息を切らし、舌をだして、飛び立った鳥の羽音に驚いているところです。まだ山に慣れていません。
わざとのように大きな音をたてて、木の枝を飛び立つ鳥が山には、いるのです。

犬が二通りに見えたら、warp 成功です。warp には曲げるという意味もあります。

オチが思いつかない。




ノロとユタ、ユタガミサマ実際に行ってみる。

2005年01月25日 | 歴史 民俗
050125-toneyaユタとノロってどう違うのですか?
と観光のお客さんに聞かれて、「どうしてそれを知っているワケ?」
と言って時間をかせぐ。

ちょっとしたことなら、本などで調べるより、インターネット検索がはるかに便利だ。
奄美に限ったことではないと思うのですが、地元の人より、観光客の方がよく知っているということは、ままあることです。

「ユタ神様はウラナイみたいなものだけど、ノロは、どう違うのか・・・説明するとなると」
一般の地元の人の答えはおよそこんなふう。
奄美の人ならみんな知っているというわけではないのです。

奄美の民俗文化などの研究は、県内の他の地域と比べても、むしろ、と言ってはあれですが、進んで事が多く、文献も多い。お客さんに突っ込まれることを恐れたら、勉強が大変です。(突っ込まれることはあまりないのですが)

しかし、ユタとノロは奄美理解には欠かせない。

そこで本で調べて書く。

ノロは、沖縄、奄美の各集落で、神々や祖先などをまつる、神祭りなどを行なう祭祀集団、個人。

ユタと違い、女性だけ。昔、琉球王朝の王の姉妹の聞得大君(きこえのおおきみ)がノロたちを統率していた。ノロは王府から辞令書で任命され、政治的、宗教的権威をもつ公的な存在。呪術行為を行なう。田畑を支給され、ノロ殿地という屋敷に住む。世襲が認められていた。(写真は奄美でわずかに残る名瀬市大熊のトネヤ。近年の都市計画で移転新築)

ノロが行政に関与し、公的祭事を司るのに対し、ユタは、個人の依頼を受け、個人の禍福吉凶を占ったり、死者の意思を遺族たちに伝えたりする、民間の呪術者でシャーマン的機能を持つ霊能者。本人が 突然、何からの霊的存在に憑かれた状態(カンガカリ)となる巫病(ふびょう)を経て、次第に霊的能力をそなえるようになることが多い。男女とも神によって選ばれた、セジ(神威)高い人である。

国語辞書

巫覡 (ふげき) 巫は女のかんなぎ、覡 は男のかんなぎの総称

かんなぎ (巫覡)
〔古くは「かむなき」。神(かむ)和(な)ぎ、の意〕神に仕えることを務めとする人。神をまつり、神楽(かぐら)を奏し、また「神降ろし」をする。祝(はふり)とともに禰宜(ねぎ)より下級の神職。かみなき。こうなぎ。

ユタもノロも過去において厳しい弾圧を受けた。


参考文献 神谷裕司 著『奄美、もっと知りたい』ガイドブックが書かない奄美の懐 南方新社
     『南島雑話の世界』名越左源太の見た幕末の奄美 南日本新聞社

他に 山下欣一 著『奄美のシャーマニズム』弘文堂 
          『奄美説話の研究』 法政大学出版局
   
      改訂『名瀬市誌』第三巻 民俗編 改訂名瀬市誌編纂委員会

2005.01.15
奄美、ルーツ探しの旅、道之島代官記集成




奄美では神様をつけて、「ユタガミサマ」と呼ばれている。沖縄では少し違うらしいところは興味深い。
ユタ頼みは、その「弊害」を指摘されることもあるが、根強い需要がある。
現在でも、「少なからぬ人」あるいは「一部の人たち」がユタガミサマを訪れ、相談を受けたりしている。

「少なからぬ人」あるいは「一部の人たち」がどの位のことかというと、あなたが道行く人にいきなり尋ねても無理かもしれませんが、地元に長く住んでいる親切な人で、その時暇がある人なら、もし本人が知らなくても、2,3人の知り合いに電話して、あなたに、ユタガミサマの電話番号を教えてくれる事が出来るだろうくらいには、親しまれていると思います。


ユタガミサマは名瀬市内にも何人かいます。あらかじめ電話をして行きます。普段は、他に仕事を持つ人もおり、普通の人なので、おどろおどろしいことはない。普通の自宅で、相談の時はそれらしい、白装束。相場の料金を封筒に入れて渡す。紙に、自分や家族の名前を書いて、相談する。帰りに小さいビンの焼酎をもらう。市販のそれに、ラベルが貼ってあり、名前と生年月日を入れてくれる。天孫降嶽阿麻彌神境から始まる、150字くらいの難しい漢字が書いてある。後で解読しよう。

天孫降嶽阿麻彌神境はこれか。
2004.12.21
笠利町 アマンデー(奄美嶽)


「後学のため」と思い、昔一度だけ行ったことがあります。確か、当たっていたような・・・そうでないような、でした。

結論、ノロとユタの違いは、公と私、二文字か。
この記事の文字数は数える気力がない。








琺瑯(ホーロー看板)探し物見つからない

2005年01月24日 | ドライブ

050124-tomorikaiganこれは今日の海ではありません。

あんなもの、こんなもの↓まで、心うきうき、南の島のドライブ
旅気分。

050124-kanban

ホーローの看板は探しだすと、どこも、いかにもありそうに見えてしまいますが、そうある物ではありません。(他に、たばこ 塩 公衆電電報 醤油 元気ハツラツ ボンカレー 味の素 いろいろな代理店)
探しているとせっかくのきれいな海を見落としてしまいます。
集落のブロック塀には代わりに政治家のポスターが。


紅葉と桜、本茶(ほんちゃ)峠と一村画の植物の名

2005年01月22日 | 田中一村

050122-mejiro
気温18度、晴れ、降水量無し。(夜小雨)
曇りだったり、晴れたり、雨降ったり、寒かったりしていたのですが、今日は、いきなり春になっていました。

島の天気はパワフル。めじろはヒカン桜に夢中。至近距離がら落ち着いて、ズーム。順光の位置に回りこみ、背景の電柱を避け、切り取った後の構図などを考える余裕もあります。何羽もいるからです。
050122-haze

本茶峠は、名瀬市浦上と龍郷町大勝の間の旧道にあります。ここは、国道を浦上側の朝日小学校の先から左折して入った付近。トンネルが出来たので、旧道です。交通量が少ないのでのんびりできます。
ここも今、主役はハゼノキの赤。田中一村の散歩道としても有名。
道路脇の桜とハゼノキがカラフル。向こう側の山の嶺々はカラフル+スペクタクル。(写真忘れ)

峠までの中ほどの所の道端に田中一村画と本茶峠の植物と題した看板がありました。
それによると、一村画に描かれた全32種の植物の内、19種はこの付近に分布しています。

050122-kanban

アオノクマタケラン(しょうが科)
アカミズキ(あかね科)
イジュ(つばき科)
オオタニワタリ(ちゃせんしだ科)
キキョウラン(ゆり科)
キダチチョウセンアサガオ(なす科)
ギョクシンカ(あかね科)
クマタケラン(しょうが科)
クワズイモ(さといも科)
ゲットウ(しょうが科)
コンロンカ(あかね科)
サクラツツジ(つつじ科)
ソテツ(そてつ科)
ハマニンドウ(すいかずら科)
ヒカゲヘゴ(へご科)
ビロウ(やし科)
フトモモ(ふともも科)
ムサシアブミ(さといも科)
ノボタン(のぼたん科)

050122-izumi
一村が絵描きやウォーキングの途中利用していたという泉は現在、閉口中とある。
2004年8月 奄美の自然を考える会

田中一村記念美術館や空港に行くのに、ここを通らず、わざわざ?トンネルを通るのはもったいない。PR不足なのではないか。
そんなことを考えながらカメラをかまえていたら、龍郷(たつごう)側から観光バスが登ってきました。写真右側に見下ろす山肌も、スペクタクル。緑にハゼの赤まだらです。
050122-basu

ハゼの赤と桜のコントラスト(紅葉と桜)を狙いましたが失敗しています。後ろにもっといいポイントがあったのに。

峠を越え、龍郷(大勝)側の桜並木はまだ、開花は進んでないようでした。
桜並木の見ごろはこれからです。
050122-hikansakura

龍郷町大勝側からの本茶峠入り口の地図です。空港から名瀬へ向かう国道の途中です。拡大して確かめて下さい。


チョウセンアサガオ

2005年01月21日 | 植物
050121-tyousenasagao「この斜め具合がいいですね、真っ直ぐだったら、一村は描かなかったと思うよ」などと勝手なことを言っても、一村におこられることはありません。
「ほんとは、たくさん、せいぞろいした、並び方なんかもいいのだけど、この写真では・・・」

田中一村記念美術館は、奄美パークの中にあります。
撮影した所は、奄美パーク近くのサトウキビ畑の道路わき。海がが見えます。喜界島も見えます。
奄美パークの展望台からは、ここもみえるはずです。田中一村はこの辺には、本茶峠を越えて、バスで来ていたはずです。
ここでこれを描いたというのではありませんが。

現在、バスはトンネルを通りますから、本茶峠は通りません。レンタカーなどで行ってみて下さい。そろそろヒカン桜がさいているはずです。本茶峠への名瀬からの上り口の地図

オオバナチョウセンアサガオ(キダチチョウセンアサガオ)
コダチチョウセンアサガオ
ダチュラ
エンゼルストランペット


ギザギザ水平線。

2005年01月20日 | 海の風景
050120-suiheisen
空は鉛色、風があるので波もある。雨はない。海はエメラルド。気温一日ほぼ14度台。外に出ると少し寒い。

晴れているのは、飛行機に乗っている人だけ。高度を下げ、雲に突入するとき、窓に小さな数珠状の水滴が付けば、たぶん飛行場は雨。

車のからは、いつもの長い水平線がギザギザに見える。ただ波がせいだが、考えすぎると不思議になりそうなので考えない。
それより、写真に写らないのが不思議。当然か。

去年、晴れすぎたのか、明日も一日曇りの予報。いい天気がない。



奄美を宣伝して下さい。

2005年01月20日 | お知らせ
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最高16.9度 最低9.4、夜中冷え込む

2005年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
以前の記事を早く画面の下から消し去りたくて
投稿続ける矛盾。

一時間もかけて書いた記事、
戻るボタンで失う、くやしさ、腹立たしさ、
むなしさ、とおろかしさは同じか
二度と書けない。

こんな時、「あげ」は、独り言には、なりにくい。

が、言えば、なぜだか、笑いこみ上げ、
一件落着、あきらめる。

あれっ、ではおさまらない。


奄美大島・喜界島の宿泊施設の数

2005年01月17日 | 紹介、お店など
観光ガイドマップに載っている、
海岸線の
D=ダイビングスポット
F=フィッシングスポット(磯)
W=ウィンドサーフィンスポット
S=サーフィンスポット
K=海水浴場
などの数をメガネと鉛筆で数える。
宿泊施設の数は2003年3月現在        
           
           D   F  w   s  k  宿泊施設

喜界島(喜界町)16  8   0  0  3   15
笠利町      13  3   2  2  7   15
龍郷町       9  3   2  6  7   11
名瀬市       4  3   2  1  1   27
大和村       0  1   0  1  1    5
住用村       1  5   0  1  1    4
宇検村       2  2   0  0  3    2

瀬戸内町      9   4   1  1  3   16
(本島側) 
 加計呂間島   12   6   1  1  7   16
 請島        1    5   0  0  0   3
 与路島       4  1   0  0  0    6
瀬戸内町計    26   16  2  2  10   41

詳しくは各市町村役場または商工会
または、奄美大島観光物産協会のホームページ
などをご覧下さい。

Yahoo から奄美について調べる。
地域情報 都道府県→鹿児島県→
地域→奄美(41)



今日は一日強風。 発見、台風一号

2005年01月16日 | 気象 お天気
名瀬測候所の毎正時ごとの観測データによると
今日一番気温が低かったのは19時の10.8度
19 10.8 0.5 北北東 6 69 無し 1016.3
昨日もそうでした。
19 11.9 無し 西北西 4 62 無し 1015.3
夜中、明け方のほうが気温が高い。
今日は一日強風。
台風とよんでもいいのではないかと思って、気象庁の台風情報を見たら、あらぬ方向に進む台風がいた。驚いた。
一号になっていた。
強風とは関係がないだろう。

台風の発生数、接近数、上陸数、経路


奄美、ルーツ探しの旅、道之島代官記集成

2005年01月15日 | 本と雑誌

050115-daikanki
『名瀬市誌』を,、題字だけを見て、名瀬市の観光パンフの類だと思ったら大きな間違いでした。
また発音だけから、単に名瀬市の成り立ちの歴史を書いた本だと想像しても、違います。

名瀬市誌は、学術研究の歴史・民俗資料としても高い評価をうけているばかりでなく、最近の南島文化研究の進展による、奄美・沖縄への関心の高まりによって、一般の人にも読まれています。昭和37年の市誌編纂事業への着手は、奄美の他の町村史(誌)編纂の先駆となるものでした。

巻歴史編は、869ページ
詳しくは、こちらをご覧下さい。
奄美博物館 「改訂 名瀬市誌(全三巻)」
発刊、販売ご案内

本屋さんで買った奄美の歴史や、民俗など本を読んでいると、それらの本によく引用されている本です。

全部で2,236ページもあります。

しかし、学術研究と聞いて尻込みしていたのも、また間違いでした。
拾い読みですが、読んでみるとこれが意外、読みやすいちいってはアレですが、おもしろいのです。難しい漢字や、読みにくい地名などには振り仮名もふってあります。

『道之島代官記集成』

これは福岡大学研究所が、近世・明治初期、薩摩藩と明治政府が行なった南西諸島の支配記録(代官所記録)とその関係諸資料を校訂して、まとめた本です。本屋さんにはないので、図書館で借ります。

代官所は藩の統治機関、
「道之島」は藩政期の奄美諸島の総称、もともとは琉球王朝に服属、1609年島津氏の奄美・琉球出兵により、1610から11年にかけて道之島5島は薩摩藩直轄の蔵入地となって本琉球から分離。

琉球服属はいつですか?と聞かれたら、一応1266年とされていますが、はっきり定まっていない、
もしそれを見た人が生きていたとしても定めにくいと思うので、13世紀頃だんだんと、と答えることにしている。
あとで調べる。

大島代官記
喜界島代官記
徳之島代官記
沖永良部島代官記
呼び名はいろいろ
諸資料は374頁から465頁まで

これが意外や意外、人物の名前がたくさん出てきますので、ご先祖のルーツ探しに役立つことがあるのだそうです。
勉強すれば、あなたのルーツもわかるかも知れません。
位牌、お墓、戸籍謄本、土地登記簿、電話帳、お年寄りの話、古い文書、写真、絵、遺品など。

角川 鹿児島県姓氏家系大事典46

角川 日本地名大事典46
名瀬市 あまみ庵図書目録 角川 日本地名大事典46

ルーツ探しの旅に出かける前に、こちらのサイトなどである程度、目星をつけておかないと、宿泊費、滞在費がかさみます。

鹿児島県立図書館
蔵書検索のページがあります。

鹿児島県立図書館奄美分館


トウダイグサ科のショウジョウソウ

2005年01月13日 | 植物
050113-syoujyousouなぜ、タイトルに堂々と、草の名前を書いたかというと、インターネットで教えてもらったからです。

画像付き掲示板で、名前を知らない植物でも写真を添付して質問すると教えてくれるサイトを見つけました。質問送信から30分で回答の書き込みがありました。ありがたいです。

名前がわかれば、あとは検索して調べると、いろいろなことがわかります。名前がわからないと検索の仕様がわかりません。

問題は、覚えた名前を忘れないことですが、コピペ(文字列をコピーして貼り付けること)にたよっていると、忘れる前に覚えていない、という摩訶不思議な現象が、今起こっていますので、覚えることを忘れないよう、もう一度書いておきます。

これは、ショウジョウソウ、学名:Euphorbia cyathophora ( = E. heterophylla) 別名:クサショウジョウ(草猩々)
英名 annual poinsettia, Mexican fire plant
トウダイグサ科

「猩々」というのはオランウータンのこと。英名annual poinsettiaは一年草のポインセチアという意味。猩々はポインセチアのこと。
葉っぱがバイオリンの形をしています。実物は葉っぱが5センチ位小さな草です。

<余談>
去年暮れ、アテネオリンピック女子マラソン金メダリストの野口選手が、奄美大島を訪れてくれて、奄美の人達はわたしがメダルを取る前から、とても親切にしてくれた、といってくれたそうです。知らなかった。
奄美にもいろいろなスポーツ選手が合宿に来ます。

野口選手ではなかったと思いますが、今日、海辺の林の脇の道路端で、この写真を撮っているとき、合宿練習中らしい選手が「こんにちわ」と声をかけてくれながら、走りすぎて行きました。
北京の表彰台まで彼女の笑顔を忘れないでいられるか、心配する前に、もう覚えていないかも。
選手達にとっては、何もしないことも親切のうちの一つなのかもしれません。

で、これはショウジョウソウです。