『無私の日本人』 単行本 2012/10
磯田 道史 (著)
2種の表紙カバーが、重ねてあった。
著者のベストセラー『武士の家計簿』は読んでいないが、たまたま映画(TV)で観たことがある。
この小説「穀田屋重三郎」も映画化されたらしい。 5月14日 全国公開 「殿、利息でござる!」がその題名。名瀬の書店でこの本を買ったののもその日付の頃だったち思う。
そのころ、NHK歴史番組『英雄たちの選択 「すべては民のために!“名君”徳川宗春の挑戦』(5・19日 BSプレミアム)
を見た。
録画して時々見ているその 番組の司会のひとりが著者の磯田 道史。
本書とは特に関連はないが、
享保の改革でなじみの徳川吉宗の質素倹約規制強化策に反して、この番組の主役
尾張藩第7代藩主・徳川宗春は、規制緩和をして民の楽しみを第一に政策を進めるのだった。
経済的に豊かな尾張藩主宗春と、そうでもない全国の治世を考えなければならない吉宗の対立に、朝幕の確執も加わり宗春は隠居謹慎させられる。
江戸時代の藩主でただ一人、幕府の倹約経済政策に自由経済政策理論で立ち向かった宗春の政策は、商人たちに受け入れられ、名古屋の町は賑わっていった、というふうな番組の展開だったと思う。
穀田屋十三郎
ところで、本書の「穀田屋十三郎」の物語の舞台は、
生活困窮にあえぐ仙台藩・吉岡宿。経済的に強い名古屋のようにはいかない。
吉岡宿実在の商人・穀田屋十三郎(1720年 - 1777年)が、村人たちと組んで
仙台藩に1000両というお金を貸して利子を得る事業を実現させる話。
(利息を取る側にまわるか、取られる側にまわるかだ)
はP141。
藩が借金をしないためには金を儲けなければならない。
そのためには藩が商社のようになり、なにか物産を売らねばならぬ。
「買い米をせよ」
仙台藩の「買い米仕法」伊達政宗の時代には行われた。がこの時代組織的、大々的にに行われた。
「東北に産物あって商品なし」
ひとつだけ例外があった「米」
「江戸で喰う米の三分の一は仙台米であろう」
「百姓に米を喰わぬ」藩は倹約令を徹底した。P143
ここまで読んで思い浮かんだのは、奄美の砂糖。
仙台藩の政策はつづく
春先に「御恵金」無利子で百姓に貸す。
収穫期に米価が安くなったところで現物で払わされる。
それに年貢を払ったあと、手元に残った「作徳米」まで無理やり買いあつめる。
「米の専売制」
(藩が売るか、民が売るか)
これは雲泥の差を生む。
砂糖の生産のため米作を制限された奄美の歴史で学んだことと重なる。
黒糖の総買い入れ専売制を実施、藩による大坂商人から借金500万両の250年賦償還などの藩財政を再建した調所広郷 ずしょ-ひろさとの手法と似てなくもない。薩摩藩は、離島の農民に生活必需品を高値で売ることによっても儲けたといわれている。
小説的描写の合間に、時折歴史を俯瞰するような記述に膝を打つところが他にも
いくつかあった。あくまで実話なのである。
飢餓輸出
白河以北、一山百文
昔ばかりの話ではない、みちのくは昭和になって
産業の主食である電気を送るようになる。
いつの時代も・・・。
サトウキビ一辺倒の薩摩藩の政策の影響はいまだに島のさまざまな分野に影響しているように見える。
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中根東里
江戸であの荻生徂徠(おぎゅう-そらい)に師事するのだが
徂徠の意外な人物像、知らなかった。
中根東里の名も初めて。
第5代将軍綱吉の側近である柳沢吉保に抜擢され、
多くの弟子をもった将軍の御用学者、荻生徂徠は
徂徠豆腐などの落語でもおなじみ。
赤穂浪士の処分では映画でも観た。助命論に反対し、腹論を主張する徂徠の人相は悪かったなあ。
いっぽうそんな徂徠に疑師事しなが、師に疑いをいだくようになった、中根東理は、朱子学に傾斜して、さらにのち陽明学に転じる。
ああ、やはり陽明学徒には陽があたらないのか。
名前すらほとんど知られていない東理の生涯は徂徠と対照的に描かれている。
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大田垣蓮月
幕末の歌人にして、「蓮月焼」を創始した尼僧
初めて知った名前。
「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御(み)国の 人と思へば 」
蓮月が短冊にしたためた↑この歌が江戸総攻撃へむかう西郷隆盛の目に。
18歳頃に、大田垣蓮月に預けられ薫陶を受けた文人画家富岡鉄斎は
西郷隆盛と相撲を見たこともある
蓮月の
まわりには八田知紀はった とものり)をはじめ和歌をこのむ薩摩藩士がしょっちゅう出入りしていた。
に「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の 人と思へば 」
の歌をしたためた短冊を届け、西郷は大津の軍議で、諸将にこの和歌を示し、大いに悟るところが
あったという。 p360
通説では、
江戸無血開城といえば、勝海舟 山岡鉄舟の功績となっている。
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↑ 本書でとりあげられた3人とも、ほとんど無名だが実在の人物だ。
無私 無欲。
時代のあっているのだろう。
著者はあとがきで3人を生きざまを振り返る。
P368「彼らの生きざまを「清らかすぎて」などとは思わなかった。時折、したり顔に、「あの人は清濁あわせ呑むところがあって、人物が大きかった」などという人がいる。それは、はっきりまちがっているとわたしは思う。少なくとも子どもたちには、ちがうと教えたい。ほんとうに大きな人間というのは世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力をやどらせた人であるP369
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amazon 内容(「BOOK」データベースより)
貧しい宿場町の行く末を心底から憂う商人・穀田屋十三郎が同志と出会い、心願成就のためには自らの破産も一家離散も辞さない決意を固めた時、奇跡への道は開かれた―無名の、ふつうの江戸人に宿っていた深い哲学と、中根東里、大田垣蓮月ら三人の生きざまを通して「日本人の幸福」を発見した感動の傑作評伝。
5つ星のうち 4.6
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単行本: 333ページ
出版社: 文藝春秋 (2012/10)