事前の台風(24号)対策が奏功して、海風荘は無事でした。長浜町では一瞬の停電もなかった。
今回も台風一過の青空というわけにはいかず、25号も発生していて、雨はないものの台風らしい息の長い風吹いていて、強まったり弱まったり、止んだりを繰り返している。
180928 台風24 奄美名瀬 20;30 TY 1824 Trami
気象庁 ↑ 拡大します。
鹿児島からの朝のフェリーは欠航でしたが、
昼過ぎ、大熊でかろうじて牛乳が買えた牛乳 ↓。
『山桜、散る朝』―ある新聞記者のがん闘病記 単行本 – 2005/1山桜、散る朝―ある新聞記者のがん闘病記 単行本 – 2005/1籾 とし子 (著)順番がひとつ前後した。これは3日前の読了。『流転の人 佳那』 単行本(ソフトカバー......
『山桜、散る朝』も『流転の人 佳那』も、もう10年以上前の出版になるのだな。
このブログを始めた2004年ごろ、『山桜、散る朝』は、名瀬の書店でみかけた記憶があるが、『流転の人 佳那』はその記憶がないのはなぜだろう。
『流転の人 佳那』 単行本(ソフトカバー) – 2007/5/1
『碑のある風景』―足でまとめた奄美大島史 (1980年)2001年再刊
『奄美 島唄ひと紀行』 2001年
↑この2冊は、まだインターネットがそれほど普及していなかった頃、名瀬にも昔からの書店がまだ十数軒あまりあったころに買ってよんで感動した。名著だ。確かそれ相応の賞も受賞しているはずだ。このブログを始めた2004年、この本の記事を参考に、あちらこちらに郷土史の勉強を兼ね、取材に行ったものだ。
ハマセンダン ミカン科 撮影(龍郷町 海辺の県道81号
葉はもむとミカンの芳香がある。
よく似たものにカラスザンショウ(ミカン科)がある。
アゲハ蝶やいろいろの虫たちが訪花する。
わりと明るいオレンジ色は戦場では安っぽく見えた。
(100円ショップで300円ほどと言えば言いすぎか)
とんでもないと思えるような場面やセリフもあった。
その西郷どんの大義名分「慶喜は、フランスに薩摩を売ろうとしている」だった。
江戸の逃げ帰った(結局、将軍職就任から返上まで江戸にはいなかった)慶喜に対し
「フランスの力を借りて大阪湾から京を攻めっちまえばいいんです」という勝海舟の進言に、
西郷どん、次回「無血開城」で落とし前をつけるつもりだろうか。
家茂(前将軍)20
勝海舟 75
西郷隆盛 49
愛加那 65 (西郷の3番目の妻糸子は84 大正11)
一条美賀子(慶喜正室)58
天璋院篤姫13代将軍徳川家定御台所 47
木戸孝允 43
井伊直弼 44
坂本龍馬 31
高杉晋作 27
伊東博文 68
西郷従道 59
徳川家康 73
岩倉具視 57
孝明天皇 35
明治天皇 59
島津斉彬 49
島津久光 70
川口雪篷(沖永良部配流から帰還後西郷家の留守居役 書家) 73
思わせぶりのタイトルのほうが、視聴率的にもよいのではないだろうか。
篤姫様は前回の予告編と同じくらいにしか登場しなかったし。
第2回立派なお侍15.4%
第3回 子どもは国の宝14.2%
第4回新しき藩主14.8%
第5回相撲じゃ!相撲じゃ! 15.5%篤姫臨席の相撲大会で西郷、斉彬を投げ飛ばす。
第6回謎の漂流者15.1%ジョン万次郎の回でした。
第7回背中の母14.3%
第8回不吉な嫁14.2%
第9回江戸のヒー様14.8%
第10回篤姫はどこへ14.4%
第11回3月斉彬暗殺14.6%
第12回運の強き姫君14.1% 3月25日の放送
(微妙な4枠目については後述する)
西前頭十六枚目石浦4勝11敗
西前頭十一枚目旭大星1勝6敗8休
東十両二枚目明生9勝6敗
東十両四枚目大奄美11勝4敗
その枠に西十両二枚目の矢後(8勝7敗)が入り、新入幕なるかどうか、ということだった。
大奄美より番付が上で東十両三枚目大翔鵬8勝7敗 よりは
東十両四枚目大奄美11勝4敗のほうが順位は上であり大翔鵬は
十両にどどまりそうだ。
東十両筆頭荒鷲8勝7敗
東十両二枚目明生9勝6敗
東十両四枚目大奄美11勝4敗
西十両二枚目の矢後8勝7敗
の四人が幕内昇進すると予想している。
大相撲9月場所(2018) 千秋楽 奄美力士星取表(幕下上位以上)
9月 東十2 O**OO*OO*OOOO** 9勝6敗
大奄美(龍郷町)25歳
9月 東十4 O*OOOO***OOOOOO 11勝4敗 優勝決定戦で、元幕内の徳勝龍(奈良)に敗れる
千代ノ皇(与論町)27歳
9月 東十7 **OO*O****O**OO 6勝9敗
9月 西下9 *--O-*-*O--*--* 2勝5敗
7月 東下18 O--OO-*--O-O--* 5勝2敗
9月 東下21 O-O--O-*-O-O--* 5勝2敗
9月 東十2 O**OO*OO*OOOO* 9勝5敗
大奄美(龍郷町)25歳
9月 東十4 O*OOOO***OOOOO 10勝4敗
千代ノ皇(与論町)27歳
9月 東十7 **OO*O****O**O 5勝9敗
9月 西下9 *--O-*-*O--*-- 2勝4敗
7月 東下18 O--OO-*--O-O--* 5勝2敗
9月 東下21 O-O--O-*-O-O-- 5勝1敗
この記事は、このブログ 9/16日『西郷どん』第35回「戦の鬼」 平均視聴率は前回より0.2ポイント下がって11.7% カステラに注目した。 のコメントの記事です。
龍馬が半分だけ食べ、残していった半分のカステラを
その後、西郷はどうしたのだろうか?W
これからのこの国の形について西郷とじっくり語り明かすつもりだったと言った
龍馬の気持ちを、かみしめながら、西郷は甘いカステイラの半分を食べたのだろうか。
それとも捨ててしまったのだろうか。
西郷がやりのこした革命の半分が龍馬の歯型のついたカステイラだったのかww、などと
空想してしまいます。
「土佐が挙兵に加わらんでも薩摩だけになっても、俺い一人になっても(徳川慶喜を)討って見せる」といった西郷ですが、薩摩育ちの西郷は、西南戦争が起こるまで、堅苦しい武士の世界にこだわりつづけました。(「俺い一人になっても」は、武士や藩を超越した感もありますが)
その点は、あれほど互いに嫌いあっていた久光と同じですね。
そして西郷は廃藩置県後も奄美の砂糖からあがる利益を県で独占しようと考えていたふしがあります。(これはいまでも奄美大島での西郷感が複雑である要因のひとつではないでしょうか)
龍馬の差し出したカステラを鉄砲と間違い、「食べや」という申し出に西郷は応じず、
しかたなく龍馬は半分を食っちまったのだが、それは半分だけだった。
関ヶ原の負け組の長宗我部氏遺臣と静岡遠江から入ってきた山内一豊の一行
との間で複雑で屈辱的な上士、下士の関係のあった土佐藩にあって郷士株(下士)を持つ裕福な商家に生まれ、自由な雰囲気で育ち、のち脱藩した龍馬とは「乗る船が違う」ということだろう。
西郷家は貧しいとはいえ薩摩藩の身分制度では上から上士層、城下士、外城士(郷士)、郷士格のうち城下士であり、ま、下級(中の下でしょうか)ではあるが、龍馬よりは身分が上だ、ともいえるのである。
カステラで思い出したのですが、
原作の『西郷どん』には、巻末にに参考文献があげられていますが、
その中で、
『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子』 単行本(ソフトカバー) – 2010/4/16
今村 規子 (著)
があって、名瀬の書店の西郷どんコーナーにも置いてありました。
検索してみてください。著者の経歴も興味深いです。
amazon 内容紹介
奄美史のバイブル『南島雑話』で知られる薩摩藩士・名越左源太。左源太が奄美遠島中に記した食に関する記述は、主食の芋、蘇鉄、椎の実、海草や魚介類などの海の幸、豚や鳥などの肉食、家ごとに作られていた調味料や嗜好品まで多岐にわたる。奄美史のバイブル『南島雑話』で知られる薩摩藩士・名越左源太。左源太が奄美遠島中に記した食に関する記述は、主食の芋、蘇鉄、椎の実、海草や魚介類などの海の幸、豚や鳥などの肉食、家ごとに作られていた調味料や嗜好品まで多岐にわたる。 本書はこれを詳細に分析し、江戸期の奄美の豊かな暮らしを、ここに甦らせる。 本書はこれを詳細に分析し、江戸期の奄美の豊かな暮らしを、ここに甦らせる。
80825 杏ちゃんの一冊『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子 - 今村 規子』視聴回数 1,002 回
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関連 このブログ
『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子』 [単行本(ソフトカバー)
『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子』 単行本 今村 規子 (著) ほか2冊
9月 東十2 O**OO*OO*OOOO 9勝4敗
大奄美(龍郷町)25歳
9月 東十4 O*OOOO***OOOO 9勝4敗
千代ノ皇(与論町)27歳
9月 東十7 **OO*O****O** 4勝9敗
9月 西下9 *--O-*-*O--*- 2勝4敗
7月 東下18 O--OO-*--O-O--* 5勝2敗
9月 東下21 O-O--O-*-O-O- 5勝1敗
9月 東十2 O**OO*OO*OOO 8勝4敗
確実にするには、あと一つ二つと白星を重ねたい。
9月 東十4 O*OOOO***OOO 8勝4敗
9月 東十7 **OO*O****O* 4勝8敗
9月 西下9 *--O-*-*O--* 2勝4敗
7月 東下18 O--OO-*--O-O--* 5勝2敗
9月 東下21 O-O--O-*-O-O 5勝1敗
abebatv 5:22:06秒頃立ち合い /5:48:00
里山が十分に取った下手を切られることはあまりないのだが、
胴長で肩幅の広い安芸の花が肩ごしの上手から
腰を引いて肩をゆらすとあっけなく切れてしまった。
この時は安芸の花の肩幅の広さは、里山に有利に働いた。
持ち帰るあたり里山のうまさと動きの俊敏さは、十両、幕内復帰への
期待を・・・。
里山の次の場所の番付だが
いずれも里山の星取表です。
単純には参考にならないが
平成23年7月 西下6 -O*-O-O--O-O*-- 5勝2敗
平成23年9月 東十12 OOO**%***O***OO 7勝8敗
平成20年9月 東下3 *--**-*-O-O--*- 2勝5敗
平成21年11月 東下9 *-*-*-O-*-O---# 2勝5
前回「西郷どん」34話。「将軍慶喜」9月9日は、関東11.9%、関西16.6%
9/2放送の第33話「糸の誓い」13.2%(関東)
週に一度は行くことにしている書店にもいかなかった間に、西郷どんコーナー
は無く、そこに2019年の手帳が並び、大判のカレンダーもところ狭しと並べられていた。
そして「おまんとは乗る船がちがうようじゃ」
と言って歯型のついたカステイラを置いて部屋を出ていった。
「俺い一人になっても討って見せる。
西郷は「慶喜を討つ」ことにナゼそれほどにこだわるのか。
慶喜とロッシュのあいだでそのような密約(フランスに薩摩を割譲する)
話を西郷が知ったようなシーンがあったが、
という2011年2月7日のニュースもある 維新期の会津・庄内藩、外交に活路 ドイツの文書館で確認 朝日デジタル

龍馬は、海援隊の仲間たちとカステラを作り、商売をしようとしたかどうがはわからないが、現在「海援隊カステラ」が長崎で販売されているらしい。
「西郷どん」林真理子著 上製版後編p111
このあたりは西郷の5年にもおよぶ気候風土、文化の違う島での体験知見が生きているような。
龍馬「まっこてそうなんがです」
龍馬「・・・戦をせんように武器は備えておかんといかん。ましてや国内の戦など・・・」
龍馬の考えは憲法前文のいう「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するだけでは、「われらの安全と生存を保持」できないということだろうか。
お龍がいうようにしたかったあた苦しい世の中を商売で変えるという点では
一貫していたといえる。
堅苦しい武士の世界で生きる西郷とも、ここまでは意見が一致していたのである。
9月 東十2 O**OO*OO*OO 7勝4敗
9月 東十4 O*OOOO***OO 7勝4敗
千代ノ皇(与論町)27歳
9月 東十7 **OO*O****O 4勝7敗
9月 東下21 O-O--O-*-O- 4勝1敗
9月 東十2 O**OO*OO*O 6勝4敗
9月 東十4 O*OOOO***O 6勝4敗
9月 東十7 **OO*O**** 3勝7敗
9月 東下21 O-O--O-*-O 4勝1敗
立てなかった本人も、そう思って本当に反省したのだろう。
二度目の立ち合いは、目の覚めるような突進。
しかしその勢いが空回りして結局、土俵下まで突進した。

里山は、ただ下がったのではなかった。圧力をかけ、若元春左をたぐって、さいご回り込み突き落としたのだった。
9月 東十2 O**OO*OO 5勝3敗
abema tv 頃立ち合い。
大奄美は、右四つ・寄り。
明生は、パンチの利いた速い動きでとにかく前へでる。
大奄美は大きな体と重い腰で圧力をかけながら、両者はじめからそれぞれの動きでまわしを求める展開だ。


このこだわりの強さが結局、投げの打ち合いをも制した。(背をのばし、腰を下げ、左うでをのばして大きく上げる)
大奄美(龍郷町)25歳
9月 東十4 O*OOOO** 5勝3敗
千代ノ皇(与論町)27歳
9月 東十7 **OO*O** 3勝5敗
9月 東下21 O-O--O-* 3勝1敗

今日の名瀬
最低気温(℃) 25.7 06:47
最高気温(℃) 32.7 14:23
9月 東十2 O**OO*O 4勝3敗
やや距離をとって足の位置を決めた明瀬山。
その一瞬の遅れがすべてだった。
踏み込みはなく足はそろって、受けるだけの立ち合いの当たり。
若い明生は委細構わず前に出る。
9月 東十4 O*OOOO* 5勝2敗
千代ノ皇(与論町)27歳
9月 東十7 **OO*O* 3勝4敗
9月 東下21 O-O--O- 3勝0敗