奄美 海風blog

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はやくも、トックリキワタの花 and フクギ実 メジロ

2009年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

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↑ 笠利町 赤木名のトックリキワタ。 近所の方の話では、数年前の台風で幹が途中で折れ、そこから何本かの枝が急成長し、その先に花をつけたという。

名瀬でも、花の咲いているトックリキワタ木を見かけた。

近所(名瀬長浜町)のトックリキワタは、11月(九州場所)のころに咲くのですが・・・。

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きのう、きょうと、このブログのアクセスは、いつもの数倍?に急増。

以前、ビッグダディの正月特番の記事を書いた記憶があるのですが、きのうのTV番組放送によって、その記事が検索されたようだ。

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↑話変わって、こちらは、フクギの実

奄美市名瀬 赤崎公園

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奄美市名瀬 赤崎公園のメジロ 

なんとなく、若い感じ。

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↑ 幼いかんじもするメジロ。頭の毛?はケンカのあとか。

おびただしい数の集団がいた。

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セミ クロトン花 きょうの暦

2009年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

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赤崎公園 松の木にたくさんのセミ(交尾中?)。泣き声

ビデオ録画済み 至近距離からマクロ撮影

きょうの名瀬
24.4 ~ 30.5 ℃

日が射しているのににわか雨があったり、局地的に雨があったり。

各地で運動会

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↑ クロトン 赤崎公園 写真取りため中

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9/27 (旧暦8/9 仏滅)
月齢 8.3
(小潮)

日の出 6:13 日の入り18:14

月出 14:01 月入 -:-

満潮 15:24 潮位=148

-:-

干潮 7:09 潮位=84

20:15 潮位=133

南シナ海に台風16号があって西へ進んでおり、30日ごろベトナムに上陸する可能性。奄美への影響はほどんどない見込み。

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明日 28日名瀬港   
 

 満 潮 01:15/     16:23   
 干 潮 08:59/     21:59      
 潮 高   長潮

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↑↓ クロトン 花

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リュウゼツラン(竜舌蘭)の花 2本見た

2009年09月26日 | 植物

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リュウゼツラン ? (竜舌蘭) google

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リュウゼツラン(竜舌蘭)の開花は、地域にもよるが、数十年に一度とも言われている。

英語別名のcentury plant は、あまりに遅い成長を、100年に一度と誇張したものと言われている。

地面から直接に肉厚の葉が放射状に伸び、その中心から、マストと呼ばれる花茎が天高く、10メートルはあろうかと思われるほど伸びて、下からよく見ると、蘭のような花が多数、七夕飾りのように咲き始めている。

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こちらのリュウゼツランは、まだツボミ?


すくすく、センダングサ

2009年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

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センダングサ キク科

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♪ 一日二杯の酒を飲むと、1/365年分、歳を取るわけですが、

写真のアップロードは、

一日、たとえば7枚まで、とか制限を自らに課さないと、

一日に15枚も、ある時は、31枚もの写真をアップすると、いうことになりがちです。考え中

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常夏の島でも、季節は移り変わり、秋場所ともなると、速くも、渡り鳥や、渡りのチョウなどが入れ替わります。それらを受け入れるため、でしょうか、山で目にする植物たちにも変化が見られる、今日この頃です。

いい天気がつづいて、台風がこないので、林道脇の植物たちもすくすく成長中。

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雑草のシロノセンダングサは通常背丈は、数十センチ~1メートルほどですが、

中には、人の背丈をこえ、3メートルにもなろうか、というものもあります。

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秋場所13日目

2009年09月25日 | 大相撲

大相撲九月(秋)場所 13日目 goo 大相撲

東十10 旭南海7勝4敗2休○寄り切り●若天狼6勝7敗  西十8
東幕22 里山 6勝1敗○引き落とし●5勝2敗大天霄 西幕27

里山、幕の内復帰へ、自信となる」(解説)、6勝目。

決まり手は、引き落としだが、積極的に前に出て、攻め続けたのは里山。

大天霄(だいてんしょう)の再三の引きにも落ちず、思うように足も出る。

最後、大天霄が左下手を取りにくると、右の腕(かいな)をひねるようにして、相手のバランスを崩し、
上から押しつぶすような引き落とし。

この時点で、里山には、優勝の可能性も残されていたが、

6戦全勝の、臥牙丸 ががまる(東10)と 
魁聖 かいせい (西46)が、このあと、ともに勝ったため、
優勝を逸した。

今場所の里山は、思い通りに体が動いている感じだ。

22 里山 さとやま 鹿児島県 尾上 ○-●-○-○--○-○○ 6勝1敗

(以下、今場所の感想 つづく)16:50 更新

追記

2007年5月場所、新入幕を果たした里山は、その後、怪我で苦しみ、去年の3月場所、幕下まで陥落。

7月には、6-1で幕下優勝、復活の足ががりとなるかと思いきや、翌場所、またもや悪夢の怪我で苦しみ、人知れぬ苦労がつづいている。

今場所の里山は、体調もよく、動きに久々に里山らしい相撲が見られた。よく前に出て動き、少しずつ、ていねいに自分の体勢を作りながら大きな相手を倒す気風のいい相撲には、勝っても負けても、館内から必ず歓声がおこった。安定した取り口での6勝は、幕内復帰への自信につながり、復活に弾みをつけるだろう、と放送席でも見ていた。怪我をしないで来場所もがんばってもらいたい。

里山、十両・幕内・幕下全星取り表

2006
1月 ①●②●③ ④●⑤●● ⑥⑦●⑧⑨ 西13枚目新十両
3月 ①②●●● ③●④⑤● ●⑥⑦⑧⑨ 西8枚目
5月 ①②③●④ ●●●⑤● ●⑥●●⑦ 東4枚目
7月 ①●●●② ③④⑤⑥⑦ ●⑧⑨●● 西4枚目
9月 ●①●●● ●●●②● ③④●⑤⑥ 東2枚目
11月 ●①②●③ ④⑤⑥⑦● ●⑧●■休 西5枚目

2007
1月 ●①②③●  ●④●⑤● ●●⑥⑦● 東3枚目
3月 ①②③④⑤ ⑥●⑦⑧⑨ ●⑩⑪●⑫ 東4枚目(優勝)
5月 ●①●●●  ●●②③④ ⑤●⑥●⑦  西前頭12枚目
7月 ●①●●● ②●●●● ●●●●● 西前頭12枚目
9月 ●①②□④ ●●●●● ⑤●●●⑥ 西十両5枚目
11月 ●①●●● ●②③④⑤ ●●●⑥● 東十両9枚目

2008
1月 ●●●①●  ●②●●● ●□④⑤⑥ 東十両12枚
3月 ●-●●-  -●-●-  ○-○-- 西幕下筆頭2勝5敗
5月 ●--●-  ①-●-●  -②--③  西幕8
7月 -●○-- ○○-○- -○○-- 6勝1敗(西幕14優勝)
9月  ●--●● -●-○- ○--●- 東幕3 2勝5敗 
11月 ○-■-や  ややや-● ○ --●- 2勝3敗2休 西幕下9

2009
1月 -●-○○ --●-○  ●-○-- 4勝3敗 東幕25
3月 ○--●○ -○-○- -○●-- 5勝2敗 西幕下18
5月-●-○● --○-● -○○-- 4勝3敗 東幕下11
7月●-●-● -○-●- ●---○ 2勝5敗 東幕下9
9月○-●-○ -○--○ -○○-- 6勝1敗 東幕下22


大相撲秋場所 里山、ご、5勝目 薩摩響(宇検)勝ち越し

2009年09月24日 | 大相撲

大相撲秋(東京)場所 12日目 goo 大相撲

東十10 旭南海6勝4敗2休○送り出し● 清瀬海5勝7敗  西十9
西幕12 薩摩響 4勝2敗○寄り切り ●  3勝3敗  北桜 西幕7

薩摩響 昭和61年5月生(平成17年3月初土俵) 力士情報  google

東幕14 佐田の富士4勝2敗●寄り切り○5勝1敗  里山 東幕22

 里山、今日も大きい相手 以下、カイセツです。(以下はフィクションです)

ひじょうに里山らしい勝ち方だっと思うんですが、オジ山さんいかがですか?

そおですね、わたしはね、サトウさん、

はい、

勝負はね、立ち合いの前にあったと思うんですよね。

ほう、そういいますとお?

はい、

あ、VTRですね、

最後の仕切りのあとですね、はい、あ、ここですね、

ええ。

里山は、仕切り線より50センチほどうしろに立っていますね。

ええ、はい。

そして相手より先に腰をおろします。

はい、

佐田の富士が腰をおろすのを見て里山は、

はい

さらに足一つ分だけ、あとじさりします。

あ、なるほど、そうですね。

はい、その後も、体をゆすりながら、後ろにわずかに間合いを広げています。

はい、佐田の富士が仕切り線の上に手をついているのに対し、里山はだいぶ後ろについていますね。

そしてサトウさん

はい、

立ち合いですね。

ええ、立ち合いはどうなんでしょう、里山。

はい、佐田の富士の飛び出しに対し、里山が一瞬出遅れます。

あっ、そうですね、里山立ち遅れていますね、静止画でみるとですね。

はい、その瞬間、館内のフラッシュが2つ光りました。ここですね。

ああ、なるほお、これですね、はい。こちら側からと、向こう側に青く光っていますね。これは、どなたでしょう?

まあ、ええ、ですからこのカメラマンは、今日の一番の決定的瞬間をね、
図らずも、こお、写したと言っていいでしょうね。

ほお、それはまた、どういうことでしょう?

はい、これは、里山が相手の動きを見た、のですね、はい。

ほっほう、見ましたか。

そおなんですね。

はー、それでは、スローで見て行きましょう。

里山はね、立ち合い、踏み込んだ足を浮かすようにして、上体を深く沈めます。

はい、ここですね。三番相撲あたりから、この動き、見せてます、里山です。

はい、それで、佐田の富士の諸手突きは見事に空振りしていますね。

あ、そうですね。佐田の富士の武器は強烈の諸手突きですからね、ええ。

そればかりではありません。

ほう

上体が泳いでしまった佐田

あ、なるほど、そうですね、はい

佐田の富士の両手を跳ね除け、さらに前まわしを狙うだけの、余裕はあったねですね、里山は。

はい、なるほど、確かねそうですね。

ええ、ですからね、シオ味さん、立ち合い前の仕切り線での動きは、この間合いを計っていたのですね、里山ですね。

ほほう、なるほどお。微妙な間でもありますね。

はい、しかし、立ち合いが遅れても、

はい、

このくらいの機敏な身体能力がないとね、この体で幕の内へ行くのは難しいのです。

はーい、相手の動きを読むということも大切ですね

そおです、はい。

しかし、そのあとの佐田の富士の攻め、突っ張りから、のど輪は、ここは強烈でしたね。

そうですね、伸び盛りですからね佐田の富士。

はい、

しかし、シオ味さんね、あ、

はい、

ここで里山、上体を反らして、押し返しますね。

はい、ここは佐田の富士、あと一歩が出ませんでしたね。

ここが、里山、怪我で苦しんだ先場所までとの違いですね。

はい、

しかも、俵との間に距離を残していますからね。

ああ、なるほど、そおですね。

その後も、里山は、上体を沈めるようにして左右に回りこみながら、すぐに左の下手を取りましたね。

はい、この時、すでに館内から拍手が沸き起ります。これには、すこし驚きましたが。

ええ、はい、館内のお客さんもよく知っていらっしゃるのですね。

はい、よくご存知なんです。そのあとは、左下手をですね。結び目のところへのばして、さらに右で前まわしをとるね、里山、万全の体勢に落ちついてもっていきましたですね。

はい

そして、里山、十分に引き付けて出ます。

はい

左も殺された佐田の富士は、頭を付けられ、上体が立って、

ああ、そうですね

バランスを取ることも困難になり、右の上手も放してしまい、なにもできずに土俵をわりましたね。

ええ

里山、一年半ぶりといえるほど、会心の自分の相撲に体がついていっていたんじゃあないでしょうかね。

はい。

(このカイセツは、事実に基づいていますが、会話中の人物名は、架空のものです)


赤いそてつの実も熟れる頃? ソテツの観察 中級編2-3

2009年09月23日 | 植物

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↑ 2009年6月11日 (木曜日)
ソテツ観察 中級編2-2 胚珠断面

今頃の季節を「赤い蘇鉄(そてつ)の実も熟れる頃」(島育ち 田端義夫)というのでしょうか。

いい歌ですね、「島育ち」 なに?知らない。あー、そーですか~。

「♪ ”くるしゅ”黒髪」と歌っているのは”黒潮暖流(日本海流)”のことですね。ソテツの赤との対比が妙です。「女身(うなぐみの)愛(かな)しゃ」とつづきます。昔のことでしょうか。

追記

”かなし”を国語辞典で調べると、いろいろな意味が。

[一]心が痛んで泣きたくなるような気持ちだ。つらく切ない。《悲・哀》

[二](古くは「愛し」と書かれた)

(1)身にしみていとしい。切ないほどにかわいい。《愛》

(2)心にしみるような趣だ。深い感興を感ずる。

(3)見事だ。感心するほど立派だ。

(4)残念だ。くやしい。

(5)貧苦がつらい。

↑ 田端義夫 「島育ち」 google より

===以下はしろうとの見解です。歌を聞きながらお読みください。

赤いと言っているのは蘇鉄ではなくて、実のことなのですが、

実は赤くない時期(青い 緑)があることがわかった。

実は、赤くなっても熟れているわけではない状態(中が空洞で、耳垢のようなものがある)があることもわかった。

しかし、それらは非常に成長の時期に個体差があることもわかった。

その前に、そもそも蘇鉄は裸子植物で、厳密には実(果実)ではなく、種子である。方言ではナリという。ナリは蘇鉄に対してだけ言い実一般を意味しない)

植物は、シダ植物→裸子植物→被子植物と進化したが、上の写真は大胞子を付ける葉=大胞子葉(のちにメシベに進化)で、シダ植物から裸子植物への進化の過程がよくわかる。また花は、生殖のために葉が寄り集まったものであることも示している。

生物学的には、果実とは被子植物の、その中に種子を含む構造のことである。被子植物の種子は子房の中で成熟するから、子房が果実になる部分であり、すべての被子植物の種子は果実に入っている。

ウィキペディア 果実より

裸子植物とは、種子植物のうち、胚珠がむきだしになっているものを指し、果実になる部分である子房をもたない。なので、裸子植物である蘇鉄は、果実を形成しない。


秋場所10日目 里山勝ち越し4-1

2009年09月22日 | 大相撲

大相撲秋場所10日目

東十5 白馬5勝5敗●寄り切り○旭南海4勝4敗2休  東十10
東幕21 春日国 3勝2敗●寄り切り○4勝1敗  里山 東幕22

里山が勝ち越しを決めた。

090922seascape1 ←参考映像 龍郷町太平洋側の海岸

里山が生まれた奄美市笠利町(かさりちょう)は、風光明媚で美しい海岸がいくつもつづいている。

白い砂浜は粒が細かく、長くて起伏のある海岸は足腰を鍛えるための走りこみに最適だ。
オリンピックのメダリストや世界チャンピョンクラスのボクサーなど、多くのアスリートたちがトレーニングに訪れている。
(つい、最近は、あの亀田三兄弟も來島していたようだ)

090922seascape2 ←参考映像 龍郷町太平洋側の海岸

そんな浜辺で、里山は子どものころ、今は亡き父親が経営する農園の手伝いをしたあと、相撲の好きなおじいちゃんと相撲を取ったり、泳いだりしながら遊んだという。

そうして鍛えられた足腰と、スタミナは、きょうの一番でも発揮された。

立ち合いです。

大きな春日国は、一度の下手投げでは仕留められず。

里山は、二度、三度と投げをうって春日国を揺さぶり、少しづつ相手の体勢をくずしながら、スタミナをうばい、自分の得意な体勢を維持し続ける。相撲のうまさと、スタミナが要求される場面だ。最後は渾身の力と粘り腰で寄り切った。

館内からは、小さな里山が大きな春日国を圧倒して勝負が決まると、いや、それ以前から、どよめきと、そして歓声と、大きな拍手が沸き起こった。


なつかしの シリーズ 1 九州の味 焼き豚ラーメン ヨーグルッペ ボンタンアメ チャンポン麺

2009年09月22日 | 食・レシピ

フォトムービー 音声はありません。↑ の全ての写真は下↓で拡大してごらんになれます。

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九州限定?九州とんこつ味 

サンポー(佐賀県三養基郡)の焼き豚ラーメンは根強い人気がある。TVCMも流れているのかな。カップが主で、袋入りもあるのかな。

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写真31枚は、↑フォトムービーの全てです。お好きなものをお選びの上クリックし拡大してご覧ください。

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撮影には、助手とかモデルさんがいるわけでは、もちろんありません。

ま、それはいいとして、

背景がうまくぼけるとか、このカメラではできないのかな。

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そうこう、考えているうちに、

はやくしないと麺は延びるし、

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レンズはくもるし、

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ライトもけっこう暑い。(3基使用)

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無駄な写真もあります。

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似たような写真がつづきます。

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↑ たちのぼる湯気を撮ろうとしたところです。失敗です。

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↑ カップ(どんぶり)の高さの説明のための写真です(どんぶりの形状、大きさは、ふつうです)。お湯が入りました。

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↑ 焼き豚ラーメンの 

左上から 調味油(お召し上がりの直前に入れてください)

紅しょうが(生の本物です)

粉末スープ(屋台の味と書いてあります。かまぼこ ねぎ入りです)

焼き豚 (メインのかやくです)

調理方法 (ポイントだけ)

カップのふたは、矢印(半分よりやや少なめ)のところまではがす。

スープをよく溶かすため、麺の上に「焼き豚」→「粉末スープ」の順に乗せ、その上からお湯を注ぎます。

ふたをしたら、「調味油」の袋をふたの上に乗せて温めます。うまみ成分が袋に残らず、より、おいしくいただけます。(たいせつなポイントなので赤い字で書かれています)とくに冬場や気温の低い場所での調理では、この工程を省きますと製品のもつ十分な味を引き出せない場合があります。これはカップ焼きそばのソースなどでも同様です。割り箸で挟んでしぼり出すなどして、おもわず手や衣服をよごしてしまうという事態をまねかないですむことにもなりますね。

3分たったら、お召し上がりの直前に、「調味油」を入れ、よくかき混ぜます。(写真は撮影の都合上、少しだけかきまぜた段階のものを含んでういます。

一番さいごに(お好みにより)「しょうが」を入れて、お召し上がりください。

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↑ イトメン(兵庫県たつの市)のチャンポンメン

インスタントラーメンと言えば、これ、という人も少なくない。(チャンポンメンなのだが)

あっさり塩味。たまごをかけると、「えび」と「しいたけ」のうまみが増して忘れられない味に。

カップもあるよ。

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デーリー ヨーグルッペ

1980年発売

デーリー牛乳といえば奄美(たぶん九州でも)では知らない人はいないという定番商品

南日本酪農協同株式会社(宮崎県都城市)

九州の人は、デーリー牛乳は、なんとなく地元産と意識しているが、このヨーグルッペも同じ会社の製品と知らずに飲んでいる人も少なくない。九州では、どこのお店でも買えたヨーブルッペ。本州などに移動した人は、(そう言えば、あのヨーグルッペがないなあ)と、あとから気づく。あのパッケージに描かれたアスプスの少女が急になつかしくなり、実家へ電話、ということになる。そのためか、南九州のスーパーなどではケースごと買っていく人も多いという。

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↑ 容器は、回転ふたつきのアルミ缶のものもあります。

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 ヨーグルトや容器からの連想は、白だが、実際はこんな色をしている。

ヨーグルトのすっぱさは控えめ、甘酸っぱい独特の風味は、疲れたときや、運動のあとに飲むと疲れがとれる気が。

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ボンタンアメ 大正15年生まれ

鹿児島県 鹿児島市のセイカ食品 

包み紙のオブラートは、昔より口の中で溶けやすくなっている。

これはたぶん全国で知られている。

グミやソフトキャンディ感覚で、親から子、子から孫へ、中高生にも人気と聞けば、クラシックなパッケージデザインがオシャレ。他社の追随をゆるさない風格が。鹿児島発の全国ロングセラー。

セイカ食品には姉妹品として

兵六餅
さつまいもキャラメル
紫いもソフトキャラメル

などがある。

以前、似た名前の「ポンカンアメ」が東海地方などで発売されていたらしい(たぶん、別メーカー)。

ゆべし 、朝鮮飴などとも似ている。

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沖縄限定の「パイナップルアメ」は、セイカ食品。


琉球王国の成立 薩摩藩の成立 を学ぶ

2009年09月20日 | 本と雑誌

この記事は、勉強のための書きかけです。

このブログ 2009年9月18日 (金曜日)
『鹿児島県の歴史』 (県史) (単行本)  新・旧版を読んだ
    のつづきです。

参考 google  沖縄県の歴史  薩摩藩  琉球王国

琉球王国

神話では、源為朝(鎮西八郎)が12世紀に琉球へ逃れ、その子孫が琉球王家の始祖とされる舜天になったとされる。
また天の最高神(アマミクまたはアマミキヨ)が琉球の島々をつくり、夫婦の神を島に遣わしたという

舜天王統の実在は疑問視されている。090920bookryukyu

グスク時代

沖縄・奄美地域は琉球国に属し、目本の他地域とは異なる歴史を歩んでいた。

沖絹本島では、十二世紀ごろから(按司・あじ=地元の農民を束ねた豪族)とよばれる首長層が割拠し、
グスク(城郭 石垣で囲まれた城)をかまえて抗争を繰りかえしていたが14世紀にはそのなかから山北(さんほく)、中山(ちゅうざん)、山南の三つの王朝が台頭し覇権を争うようになった(三山時代 約100年続いた)。

090920map_2 その中から察度の子・武寧を滅ぼした佐敷(さしき)按司である尚巴志(しょうはし)の中山が勢力を増し、(中山王位を簒奪)尚巴志の父である尚思紹(しょうししょう)を中山王につかせて、統一への動きを見せた。

地図はwiki 三山時代  拡大します

思紹・尚巴志は、1416年に山北を滅ぼし、
その領土であった奄美諸島南部(沖永良部島以南)を侵略して領土に組入れ、
1429年には山南を滅ぼして、初めて統一国家を樹立した。
第一尚氏王朝である
。(1422年頃とする説あり)

しかしこの王朝は短命で、1470年に対外交易長官であった金丸(尚円王)がクーデタをおこし、
金丸は尚円と名乗って中山王位を継承し、その子孫が十九世紀まで琉球下国を統治し続けた。(第二尚氏王朝
 

090920booksatsuma 島津氏は、鎌倉時代初期に薩摩・大隅・日向3ヶ国の守護に任ぜられる。

1587年(天正15年)に豊臣秀吉の九州征伐によって豊臣氏に服属、薩摩・大隅・日向の一部に跨がる所領の支配を認められた。ただしこの時点では薩摩:島津義久、大隅;島津義弘、日向諸県郡:島津久保と分割して宛われた。

九州の役(きゅうしゅうのえき)
天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月にかけて行われた、羽柴秀吉と島津氏との戦いの総称

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは西軍につくが、井伊直政の取りなしで本領を安堵され、島津義弘の三男・忠恒(家久)が当主(18代)と認められた。
この時点をもって正式な薩摩藩(正式な名称(藩名)は鹿児島藩)成立と見なすのが通説である(鹿児島県の歴史 P172)。

島津 忠恒 / 家久(しまづ ただつね/いえひさ) 初代薩摩藩主
島津貴久の孫にあたる。
慶長11年(1606年)、徳川家康から偏諱をうけ家久(いえひさ)と改名するが、同名の叔父が存在するため、「忠恒」と表記される事が多い。

1609年(慶長14年)、島津家久は、徳川幕府の許しを得て琉球に出兵し、琉球王国を服属させ、琉球の石高12万石を加えられた。奄美諸島は琉球と分離され、薩摩藩が直接支配した。(琉球から明(中国)へと伸びる海上交易路の独占したい島津氏と、琉球の仲介で明との国交を回復したい幕府の意図が合致した)

つづく


秋場所七日目 里山3勝 旭南海あすから再出場

2009年09月19日 | 大相撲

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↑↓ 大和村国直(やまとそん・くになお)海岸のグンバイヒルガオ 軍配昼顔

台風の来ない、奄美大島では、各地の海岸でたくさんのグンバイヒルガオがきれいな花を咲かせている。

(写真と本文は関係ありません。葉が軍配に似ている以外)

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大相撲秋場所七日目

東十10 旭南海2勝3敗2休      境澤 4勝3敗  東十14
(旭南海は休場 あすから再出場 ↑あすの相手)

東幕22 里山 3勝1敗 ○押し出し ●2勝2敗  柳川 西幕24

一分を超える大相撲を里山が制した。

柳川は日大の先輩で三保ヶ関部屋で同部屋でもあった。

里山は、立ち合いから、柳川の得意の左差し手を嫌い警戒した。

しかし、1995年 学生横綱のタイトルをもつ柳川の圧力は強い。守りながら攻め続けなければならないのは小兵の里山の宿命だ。

里山の、かいなひねりや出し投げ、とったりなど、五回の揺さぶりは決まらず、柳川もよく耐え、応戦したが、巨漢の35歳。息があがる。

柳川の激しい息づかいは、長浜町まで聞こえた。

柳川、さいごの力を振り絞り、引きに出たが、里山に前まわしを引き付けられていた。

里山がびくともしないの見ると、柳川は、がまんしきれなくなり土俵中央近くで力尽き、戦意喪失。

里山は、拝むような姿勢で軽く押し出した。行司の軍配は静かに東の里山に向けられた。

里山がめずらしく、守りきって勝った一番。大きい相手に対し、うまさも強さも持っているところを見せ付けた。

見ごたえのある一番だった。

090919gunbaihirugao2

海に向かう軍配昼顔のつる。

だが海中にもぐりこむことは許されない。

花は南を向いている。

国直海岸 地図

090919gunbaihirugao3


『鹿児島県の歴史』 (県史) (単行本)  新・旧版を読んだ

2009年09月18日 | 本と雑誌

090918bookkagoshima1鹿児島県の歴史 (県史) (単行本)
原口 泉 (著), 日隈 正守 (著), 皆村 武一 (著), 永山 修一 (著), 松尾 千歳 (著)

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登録情報
単行本: 367ページ
出版社: 山川出版社 (1999/08)

発売日: 1999/08
商品の寸法: 18.6 x 13.8 x 2.8 cm

====

新版(写真上)の執筆者は5人で、

四半世紀前に出版された、旧版(写真下)は、執筆者は一人。

1973年の旧版は、鹿児島の歴史研究において、それまでの維新史中心主義から奄美を含む鹿児島県の農村史や、琉球との関係の重視への転換を示した画期的な概説書といえるのだろうが(奄美に関する部分が意外に多かった)何しろ読みにくかったので、

新版も読んで見た。

しかし、素人には、それがさらに読みにくかった。コレハ事件ダ?。新版では、奄美や南島に関する記述は、「日本の南の玄関」の項で1ページ目からはじまるし、隼人やクマソとともに記紀の記述も早くから見られる。奄美を抜きに鹿児島は語れない、これは常識だが。しかし(古代、特に中世)は、年表を読んでいるよりも歴史の流れがイメージしにくい。聞き慣れない遺跡名や地名、人物名が多いので、読んでいてくたびれてしまう。無味乾燥。

関東御家人の西遷・定住● P114
のところにきて、ようやくイメージできるようになった。

内乱終結(源頼朝の平泉藤原氏攻撃による全国的な内乱状態の終焉とともに鎌倉幕府の支配体制が浸透していく過程(建久年間1190~99)と幕府成立に伴い、平氏一門や反幕府勢力から没収した所領は、戦功のあった御家人に付与された。この結果、坂東地方の御家人たちが、陸奥・出羽両国々北陸道諸国に北上したり、西国に移住したりした。
御家人たちの移動は、列島規模の大がかりなもので、鎌倉時代は大規模な人びとの移動の時期であった。
北遷・西遷(ほくせん・せいせん 鎌倉時代、関東武士の中で、守護・地頭として全国各地に赴いたものを北遷・西遷武士などと呼ぶ)する御家人たちは、自分の被官・農民たちを引きつれて、地頭職に補任(wikiより ぶにん とは、官人に官職・位階を与えること。本来は、官に任命することを「任」、職に任命することを「補」、位階や勲等の授与を「叙」と呼んで区別していた。任官補職叙位。そして官職に任命することを総称して補任という)された所領に下向していった。
そのさい坂東地方の武家社会における伝統・慣習を下向地にもちこみ、先住の武士だちと紛争をおこした。
(中略)薩摩・大隅両両にまたがる島津荘大半部分の惣地頭、惟宗忠久(これむね・ただひさ1179生年未詳~1227)がいる。
島津氏は、忠久・忠義(時)ニ代のあいだは下向せず、蒙古襲来時の三代久経(ひさつね)期に下向したと考えられている。

忠久は、島津荘の下司(げし)・惣地頭に補任され、荘園の名称を名字として島津氏を称した。惟宗氏の前身は渡来系の秦(はた)氏とされる。

とりあえず「島津氏の出自」 p.113を押さえておきたかったので

ウィキペディア  "島津氏” で調べた。

このあとの読書と、この記事は、次回以降につづく。

 

090918bookkagoshima2 鹿児島県の歴史 (県史シリーズ (46)) (単行本)
原口 虎雄 (著)

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登録情報
単行本: 365ページ
出版社: 山川出版社; 2版版 (1973/01)

発売日: 1973/01


続、秋場所5日目 幕下の一番 詳報

2009年09月17日 | 大相撲

090917momotamana ←モモタマナ(写真は本文と関連がありません)

この記事は、前の記事(ソクホー)のつづきです。

東幕22 里山 2勝1敗○押し出し ●1勝2敗  鏡桜 西幕23

国技館 2時20分ころの様子。

以下は、筆記の練習です。

===

さとやま~(館内歓声)

里山も怪我が重なりまして、もう、関取から幕下に落ちて、およそ一年半が経過しています。

西方里山、鹿児島県奄美市出身尾上部屋(場内アナウンス)

ぱん、ぱん、(里山、鏡桜(ががみおう)が柏手を打つ音)

東方あ、鏡桜、(場内アナ)

さるがだけさん、(放送席)

モンゴル出身、鏡山部屋(場内アナ)

ばちん、ばちん、(四股を踏む音)ばん(鏡桜がそのとき、ひざを手でたたく音)

はい、

この人(里山)もですねぇ、ええ、幕の内に上がってきたころは、この、小兵ながらも、ほんとに気風(きっぷ)のいい相撲を。

そおですねぇ、

はい

また頑張ってまた戻ってほしいすねぇ、こういう小さい力士がですねっ、

はい、

頑張っていると、また相撲もおもしろくなってきますからね、

そうですよねぇ

かまえてえ~(行司)

身長は1メートル76センチ、今、体重でいきますと、120キロを少し切っています。里山です。
中に入っても、しぶとさ、そして腕力(かいなちから)もありません。(ありますの言い間違いか)

待ったなしっ(行司)

小力(こぢから)といいますか、

手をついてぇ、(行司)

きょうは鏡桜との対戦です。

はあっきよ~い、残~った、残~った、残~ったぁ、た残ったぅ、のこっ(軍配西)

わ~(場内歓声)

押し出しい、里山の勝ちぃ

パチパチパチ(館内拍手)

よく見て出ました里山勝って2勝目です。きょうの一番どうでしたかぁ

うん、よく手も足も出てましたね

はい

鏡桜のほうがですねぇ

ええ
ちょっと、下がるっうていうのはですねぇ

まともにひい??てしまいましたねぇ

さとやまあ~(行司、勝ち名のり)

わ~っ、さとやまあ(館内歓声)

若いんですからね、もっとね

押し出して、里山の勝ち(場内アナウンス)

はい

がむしゃらに出てほしいですね

ええ

東あ~しい、あむう~うう~うううるう~、(阿夢露)(呼び出し)

鏡桜はまだ20代の前半です。

VTR スタート

どっちが若手かわらなかったですね

にいいしい~、四ツうぐるううまあ~(四ツ車)

入門では鏡桜のほうが早いんですが、里山は高校大学と実績を積んで大相撲の世界に来ました。里山が勝って白星が先行です。

あむうるにぃ(行司)

ぱん、ぱん、阿夢露と四ツ車、柏手の音

十両土俵入り前の取り組みが残り5番です。

完 おわり


秋場所5日目ソクホー 里山楽勝 旭南海休場

2009年09月17日 | 大相撲

大相撲秋場所5日目

東十10 旭南海2勝3敗●不戦○隠岐の海5勝0敗  西十14
東幕22 里山 2勝1敗○押し出し ●1勝2敗  鏡桜 西幕23

幕内経験のある里山が、力の差を見せ付けた。

若い鏡桜(かがみおう)は、立ち合いから変化ぎみ。下がる一方だった。それでは勝てない、だろう鏡桜。

里山は相手をよく見ながら、「手も足もよく出て」、前へ出る相撲。

土俵ぎわの鏡桜の変化にも腰を落とし、落ち着いて対応して押し出した。勝負は3秒ほどで決まった。

16:25 ソクホー

旭南海が休場

旭南海(31)は、5日目の17日に「左足関節ねんざにより10日間の安静を要する」との診断書を提出し、きょうから休場した。

旭南海の休場は1994年夏場所以来。

3日目の15日の大翔湖戦で負傷したものとみられる。
4日目まで2勝2敗だった。

師匠の大島親方(元大関旭国)は「4、5日で痛みが取れれば(相撲を)取れると思う」と再出場の可能性を示唆したという。